第四章 三十二話 取引(その三)
この作品は暴力描写や残酷な表現がございます。苦手な方はご注意ください。
巨漢は自身を『強化』した。
ヒロシの能力はもやのように見えた。
するとヒロシの中学生離れした巨体はさらに肥大化する。
「これだ!これぞ!これが!肉体!これが!暴力!武力!支配力!それは正しい進化!これがあれば大人相手でもやりたい放題!支配者!誰も俺に勝てない!」
力んだ言葉を延々と繰り返しヒロシは肥大化する。それは人間の体格の常識を上回るほど強大になっていた。
暴力的な筋肉の体躯は大人の体格を遥かに上回るものに変異する。その姿は異様かつ凶悪な視覚情報として二人の脳に強烈に焼きついていった。
「塩酸!」
「分かってる!」
シンは鞄に入っている薬品の残りをすべて目の前の巨人にぶつけた。
三メートルの巨人は少し悶えたが、酸のダメージを再生能力で上回った。焼けた皮膚と筋肉を、新しい細胞、主に筋肉が入れ替わる。
「……うそ……」
「まじか……」
二人は驚愕しつつ窓の外に逃げた。その場にとどまるのは危険だった。
事実二人のそばにあった廊下側の壁は見るも無惨に粉砕された。
二人は壁を伝うようにして、学校の外へと逃げようとする。
「ウォオアアアアアアアアアアッ!!」
ヒロシは言葉ではなく声を上げた。雄叫びとは言えなかった。それはもはや音声の暴力。騒音の域を超えた振動の暴力であった。ガラスというガラスが音響のみによって破壊される。
壁際の足場を伝いながらシンとユキの二人は耳を抑え苦しんだ。シンはユキの手を引き、壁を伝う。暴力的な咆哮が鳴き止むと壁が簡単に打ち破られるのをシンたちはその目で見る事になった。
すぐさま隣の教室へとシンたちは避難をする。
窓を伝い、机を避け、二人はただ進み続けた。警官隊の銃声とちゃちな射撃に気をとられている間に、変異ヒロシから可能な限り距離をとり続けた。
「……これは、タカオの出動案件でしょ!?まだ来ないの!?」
「おそらく、もう来てはいるだろうが……。このままではやられる!」
血だまりと死体、机。黒板と血痕。
おおよそ日常に似つかわしくない歪な光景を走り抜け、シンはユキの手を引っ張った。廊下へ走り抜けると遠くの部屋の方でヒロシが地上に降り立ったのがシンには見えた。
ヒロシの『雄叫び』が響いた後、銃声と悲鳴、そして大きな機械が倒れるような物音が外から響く。
シンとユキが外へ、外へと向かって走る。裏口の方、ヒロシとは逆の方へと向かった。勝ち目がないならせめて、ユキを逃がす方角へと歩を進めていた。そして、裏口に着く。裏口を抜け、庭を抜け、住宅街の方へと走る。後ろは振り向かなかった。明確な殺気を二人は感じていた。
そして、それは確かに二人の姿を捉えていた。ヒロシは屋上を経由して二人のそばへと急速に近づいていた。
「パルドロデム!」
ユキは機械の獣の名を叫ぶと、それは素早く二人の前に現れる。
機械の黒豹がバイクに変形し二人はそれに跨がった。
筋肉の塊がバイクの二人を追尾し続けた。看板や車に当たろうとも、執拗なまでに追尾を続ける。
「むちゃくちゃだ」
シンは現在の状況をぼやきながら、手持ちの拳銃で怪物の目を撃ち抜こうとした。だが、バイク自体のブレに加え怪物の移動によって着弾点がどうしてもずれてしまう。それでも、何もしないよりかはマシであった。拳銃の弾数が多少減らすとしても、持ち腐れにしたまま死ぬよりマシだとシンは考えた。
シンはその間に端末の通信機能を起動する。
当然、タカオに連絡をした。
「……今どこだ!このままだと殺される!」
「上だ」
シンの脳は理解が追いつかなかった。
紺碧の光が急速に落下し地表すれすれで湾曲する。向かってきた青い光はシンたちのパルドロデムとすれ違い。変異ヒロシに激突した。
刹那、シンは確かにその姿をみた。
タカオ。
アラカワ・タカオ。
背広を着た青い人の影が、筋肉の巨人と対峙したのであった。
タカオは青い『光の装甲』を解くと、両手から銃を取り出した。
青と黒。両側の拳銃に手をかけ、グリーフ弾を与えてゆく。
「……貴様に警告はなしだ。警官たちのことがあるからな」
「グゥリィィィィィィ……」
獣のうなり声のような音が肉塊の巨人から響く
しばらく両者は睨み合っていたが、すぐにヒロシは突進という手段を選択した。
「身体能力と引き換えに、知能を失ったか。なら……勝てる。バカに俺は殺せない」
タカオは余裕の表情で敵を見下した。
タカオの右手が空に伸びる。銃が服の下に格納され、青い光がその手を覆う。
タカオは空間をねじ曲げ、今いる空間と遥か遠くの空間を接着した。接着した空間から、青や紫の亜空間が現れる。その青と紫の断面から『紫電』を帯びた両刃剣がタカオの手に収まる。
「久々にこれにするか」
普段着やネクタイを選ぶかのような余裕さで、タカオは武器を選択する。ヒロシはその間に距離を縮めていた。筋肉の男はグリーフの弾丸の威力をもろともしなかった。肉自体が通常の弾丸より壊疽を起こしていたが、旺盛な再生能力によって完全に回復してしまっていた。完全回復した様子でヒロシはタカオに向かう。
「……対メタアクター戦の基本は――」
タカオがそう言って一息。剣を一振り振っただけであった。
上段斬り。
空気だけが切れたのではなかった。
空間の断絶。グリーフフォースの強すぎる出力によって空間そのものが歪む。
すなわち、剣を中心として形成された『線』によって空間そのものがズレるのだ。
『紫電』――すなわち、純度の低いグリーフフォースの熱量に加え、歪んだ空間によってヒロシの肉体が完全に破壊された。
冷徹な斬撃。たった、一撃のもとに荒れ狂う筋肉の怪物が倒された。
あまりにもあっけない幕切れにシンとユキは車両を止めたまま唖然としていた。警官隊が束で射撃しても叶わなかった特殊能力にタカオは打ち勝った。
「――『脳』を潰す事だ」
思考と精神の中枢。それを潰すを前提とした完璧な『殺し』の戦術。それを可能にする強化された身体能力と洗練された技術。そして、グリーフ使いとしての底なしの能力。
始めからヒロシに『勝ち目』など『なかった』。
ただし、ヒロシの能力もなかなか大したもので一刀両断された体が互いに修復のために近づこうとしていた。脳の機能を潰されてもなお、ヒロシの両の半身は生きていた。
タカオは回復の機会を与えなかった。
もう一振り冷徹な攻撃を加える。横に一閃。頭部を奇麗にスライスする。そうしてようやくヒロシは動かなくなった。
「すまなかった。じゃあな」
「まてよ……シン」
タカオが唐突に呼び止めた。その表情は険しい。
「…………」
「カラスのマスクをしていても分かる。……シン」
「…………よくわかったな?」
「……わかるさ。いままでのお前の動きを考えれば、簡単だ。この事件を……『暴力』で解決しようとしているな?」
「…………兄貴。あれは人じゃないよ」
シンはあくまで冷静に、かつ冷徹に自分の意見を述べた。
「……あれは人だよ」
「兄貴?何を言っている?」
「……ここはアズマ国だ。オズ連合の戦場じゃない」
「……友達を傷つけているヤツが……人間か?寝言も大概にしてくれ」
「……シン。お前をこれ以上、犯罪者にしたくない。動かないでくれ」
「……どうしてだ」
「仕方ないんだ。これがこの国のルールだ」
「……ルール?……ミクもエミもカズも救わないルールに何の意味がある?」
「あるさ。お前がこれ以上暴れれば擁護できなくなる。頼むから大人しくしてくれ……」
哀しそうな声でタカオはシンに語りかけた。
「無理な相談だ。俺が動かなければ、三人とも死んでいた。そもそも悪いのは全て『レッドスピリット』とそれを操っていた裏社会のクズどもだ。あいつらさえいなければ、俺は平穏な学生生活を謳歌できていたんだ」
シンは冷徹な声でタカオに反発する。さらにタカオに対して次のように言った。その顔は普段見る穏和なシンの顔ではなかった。
「やられる前にやる。これは戦場の鉄則だ。俺はそうして生き延びてきた。今回もそうする。それだけだ。そもそもアラタヤドの襲撃や学校での襲撃がなければ俺は元々大人しくしているはずだった。ミクの件もそうだ。あれは……ケンタロウの能力の襲撃があったから反撃した。そうでなければ、ミクを飛び降りから救って終わりだった。全てヤツらに非がある」
「そうだ。非があるのはギャングとヤクザの連中だ。だがな、だからといってお前も同じになるのか?暴力で人を支配する連中と同じになる気か?」
「俺はあくまで『駆逐』し『調教』するだけだ。それ以外で暴力は振るわない」
「やめろ。周りを見てみろ」
「……警官か」
シンとユキが周りをみると警官たちが二人を囲っていた。
「……戦争は……終わったんだ。終わったんだよ……シン」
タカオは表情を哀しく歪め、説得を続ける。
「終わっちゃいない。俺は何も知らない。攫われた後、俺はある男の子と親友になった。そいつがなぜ、戦場で生き、なぜ死ぬような事になったのか?俺はまだ知らない。この『いじめ』の件が終わったら、『ミッシェルの謎』を解きたい。アイツがどうして『フランク連合』ではなく『オズ連合』に身をおいていたのか……俺は知りたい」
「なら……?」
「俺は……誰かに任せきりにしたくない。俺は俺の手で解決したい。母と親友に誓って」
「動くな!……動くんじゃない……」
タカオは剣を突きつける。ユキが手を出そうとするがシンが止めた。
「必要ない」
その一言と共に、シンの手から何がが投げ込まれた。
円筒。手のピン。タカオは全てを把握する。
「フラッシュバ――」
閃光。圧倒する白の色彩が辺りを包みこむ。唐突な視覚と聴覚などへの撹乱に対応する事は、タカオであっても不可能であった。相手がシンであったことや、タカオ自身の経験の浅さが仇となる結果となった。
シンとユキの姿はいつの間にか消えていた。
「……シン!?シン!!」
タカオは辺りを見渡す。グリーフフォースの微弱な波を辺りに散らばらせ、ソナーのようにして捜索をおこなった。だが、反応は人と人の中にまぎれてしまっていた。シンは近くの大通りを通るようにして人込みの中に消えていた。
今回もお読みいただきありがとうございます。ようやく次回、リョウ・キタムラとシンが激突します。この先の展開がどうなるか。ご期待ください。
次回もよろしくお願い致します。




