第四章 二十六話 カラスの男(その十二)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
アラタヤドのビルの一角。組の事務所の個室でリョウが悩んでいた。
辺りに紙や破片などのモノが散乱し、机が壊れ、窓が割られていた。
リョウは手当たり次第に破壊を繰り返し、怒りを無理矢理、制御していた。
破壊という歪んだ方法でストレスを吐き出している現実を『制御できている』と言えるかが疑問であったが。
「……クソ。……クソ!どうすれば良い!『タカオ』だと?『アラカワ・タカオ』だと?あいつにあんな『軍神』が付いているなんて!大人しいだけのよそ者かと思って油断したらこの有様だ!クソクソ!エミもミクも逃げられて、これではメンツが丸つぶれだ!親父になんて言えば良い!?」
チンピラの一人が進言する。
「……軍神とはいえ、相手は一人の人間です。ここは、『ゆすり』で……」
「どこが一人の人間だ!?あれは『バケモン』だ!完成された『バケモン』だ!その後はどうすんだ!あんな『化け物』を怒らせて勝ち目なんかねえよ!」
リョウは机を思い切り叩き付けた後、灰皿と飲みかけのウィスキーのボトルをそのチンピラに投げつけた。すると老いたヤクザの一人がおずおずと口を開く。
「……坊ちゃん。『化け物には化け物をぶつけてみる』という手はいかがでしょう?いくらアラカワ・タカオでも、化け物を相手する時にはそれで精一杯となります。そこを狙うのです。そのタイミングでシンとやらの心を折ってみてはいかがでしょう?」
「……だが、肝心のバケモノはどうするのだ?」
「……帝都警察に面白い『モノ』があります。……それにもう一人、『彼』を投入してはいかがでしょう?」
老ヤクザはリョウに二つの写真を見せる。
一人は見覚えのある顔であった。
もう一人、否、もう一匹は『バケモノ』にふさわしい存在であった。
「……さすが、ワタセ。やってみると良い」
リョウはにやりと微笑む。口元を邪悪に歪ませ、ワタセを労った。
葬儀からしばらく日が経ったアラカワ家では、平穏な日々が続いていた。
ヨシヤマロウゴク中学校はとうとう転校という形で別れを告げる事になった。感慨はないが、漆黒のようなおぞましい悪意に別れが来る事を意味していた。
タカオの直訴は教育界だけでなくアズマ国に衝撃をもたらした。
少年の犯罪。迫害と呼ぶにふさわしい狂ったカーストと暴力。崩壊する学級。相次ぐ自殺者。
シンはテレビを見るたびに悶えるような苦々しさを感じていた。だが、シンは無力ではなかった。
たった一人。
それでも一人。
『全てに侮辱され、全てに否定される暗黒』から『一人の女の子』を救い上げた。
ミク・シモダだ。
ミクだけでない。エミもまた、裏切りと罪の暗黒から救い出された。
それはまぎれもなく、シンが勝ち取った命たちであった。
シンとミク、ユキとエミの四人が摑み取った日常は何よりも暖かいものであった。昼間は学業に励み、休日には運動と趣味の時間を楽しむ。時々、旅行に出かけ、夜になれば不安を忘れ、ぐっすり眠る。
平穏と安寧の具現化と言うべきすばらしい時間でありながら、友との刺激も両立していた。
女の子三人の日々と共に過ごす日々は甘酸っぱくも穏やかな時間でもあった。
ある休日、シンはユキに連れられて公園にへと出かけていた。
散歩や運動を兼ねて行った秋の休日は、すばらしい時間となった。
空は高く、気温は寒すぎず、紅葉が美しかった。
赤く彩られた木々の葉と小鳥たちの声。
春から夏にかけて学校で、悪夢のような日々を過ごしたのが嘘のようであった。
「……奇麗ね」
感慨深げにユキは呟いた。シンは頷くだけだが、表情は不良たちを見据えた時とは別人のような表情となっていた。穏やかな目、微笑む口元、柔和な全体の表情がもう一つのシンの姿を滲ませていた。
「……ありがとうな。ユキ」
シンは微笑みながら、礼を述べる。
ユキは唐突な感謝の言葉に一瞬面食らった顔をした。
「…………ふふ」
ユキの照れながらも満たされた気持ちは確かに顔に現れていた。
「……おだてても何も出ないわ」
「……本気だ。俺は褒める時も本気なんだ」
「やだ。柄にもなくナンパのつもり?」
「……『友達を褒める』のは、友達の義務だ」
「ふふ、そんな義務初めて聞いたわ」
「……ユキは褒めてくれた人はいたんじゃないの?」
「……私は……いなかった」
ユキの顔は途端に暗くなった。それを見たシンは心から驚愕したためか、目を見開いている。風が冷たく二人の肌を撫でる。そして、すぐにシンの表情が引き締まる。
「……『マスター』がいたんじゃないのか。君の主人だ。前そう言ってなかった?」
「……言ったわね。……でも彼はまだ褒めてはくれない。でも、私にとって存在意義といってもいい人よ」
「……そうか。……でもさ。俺は、マスターがどう思おうが、ユキはユキだと思うんだ」
「どの辺が?」
しばらく間を置いてから、シンは言葉を紡ぐ。
それは気恥ずかしい声色をしながらも明瞭で、率直な意見をシンはユキに伝えた。すこしだけ、シンの表情に変化があった。それは『優しい方の顔』への変化であった。
「クールで生真面目で、思い詰めやすくて、ハッカーとしてのプライドが高くて人の前で仮面を被っているところ。それでいて人に褒めてもらいたくって頑張る。がんばり屋さん。そんなユキだよ。俺はそんなユキが嫌いじゃない」
「…………私にそんな事言ったのは、あなたが初めてね。人類初じゃない?」
「…………そんな、オーバーな。好きな人を褒めて何が悪いのさ?」
「……やあね。私はあなたが思うほど立派じゃないの。………………私は、……『偽善者』呼ばわりだってされた女なのよ」
「人の評価なんて知らない。俺が考えて、俺が決めるんだ」
「変わってるわね。あなた」
「それでもいい。友達の悪口なんか言いたくない」
「……あなたって人は」
口ではあきれながらも、ユキは再び微笑んでいた。シンも微笑みで返す。
靴音。
シンの鋭い耳は少女の靴音を確かに聞き取った。
ミクとエミだ。
こちらに手を降りながら、向かってくる。
その足取りは急いでいた。
どこか慌ただしかった。
「……ミク?エミ?」
シンは怪訝な顔をあからさまに浮かべて言った。
息を切らした二人は簡潔な言葉を述べた。
「……た、タカオさんがシンを呼んでた。すぐにって!」
ミクは息を切らしながら大声で簡潔な言葉を放つ。
「……どういう?」
「説明は後!急いで!」
エミも続けて叫ぶ。
エミたちに連れられてシンとユキ。
二人は状況を把握できずにいたまま公園を後にする。昼間の湖畔。公園の湖畔。その水面の波が心なしかざわついているのをシンは感じていた。シンはそれが鳥の仕業であると気がつくのに時間がかからなかった。
シンたちが自宅に戻ると、タカオが険しい表情で思い悩んでいた。シンはすぐに何かを察し、タカオに話しかけた。そばにはユウトがいるが、泣きはらした様子なのか、目元が赤い。
「……だれかに……何かあったのか?」
「…………カズマの事は知っているな」
「……カズが?何があった!?」
「……ひどい暴行を先日受けた」
「!!!!」
シンの表情が急速に強張った。あらゆる感情が、一つの顔に渦巻いていた。
「……命は!?命は無事か!?」
「無事だ。両手両足も付いている。……だが、ひどい傷だった。意識を今も失っている」
「!!」
シンは愕然とする。その場にいた全ての人間がそれをはっきりと感じ取れるほど、シンがショックを受けていた。
「……どうして……どうして……あいつが?」
「……『レッドスピリット』だ。奴らがカズマ君を拉致した。そして、集団リンチを受けた後、顔に小便をかけられて解放された」
「……そんな」
「…………カズ君」
「……ひ、……うぐ……」
泣く者。
同情する者。
驚愕するもの。
反応は様々だった。
シンの反応は禍々しかった。
怒りを超えて、一見冷静に見えた。
「……お見舞いに…………行ってくる」
シンは冷静な顔をしていたが、その心の中を察した人間は一人もいなかった。
タカオは電話をした。
遠い異星の、外国への電話だった。
「……ミスター・カール。私です。タカオです……ええ、カズマ・L・リンクス君の事件で少し……」
シンは病院にへと向かう。ユキもまた。後に続いていた。
空は雲が多かった。闇と雲が『蒼』を隠す。そんな予兆があった。
ICU(Intensive Care Unit)。
国立帝都中央病院。その院内施設は『集中治療室』とも表現される。緊急性が高い患者や、大手術を受けた患者を治療するための施設であった
アズマの治療技術がAGUやアスガルドにも匹敵するのが幸いであった。
アラカワ一族の尽力、特にタカオとその仲間の適切な応急処置によって、カズはなんとか一命を取り留めていた。タカオが居合わせていたのは奇跡だった。それが幸運でシンにとって歯がゆい状況であった。
「……カズは……生まれながらのメタアクターだったはずだ……なのに……なんで……こんな事に……」
シンは医師の報告を聞いて愕然とした。
「……現在カズさんは懸命な治療を受けており余談は一切許さない状況です。意識がいつ戻るか……」
途中で、カズの心臓が止まる。ショック症状が出ていた。
「AEDチャージ!……くそ、戻れ!戻ってこい!」
傷の縫合と輸血、心肺蘇生が繰り返され、カズの命は何とか繋がれる。
医師が何人も交代しながら治療が施されていた。
シンは長椅子に座りながらうなだれるしかなかった。
「……苦戦しているようだな?センセイ?」
「え?あなたは……」
「ふん、帝都ヘイキョウ首都星近海の特殊麻薬密輸事件以来かな?センセイ?……それにしても手加減を知らねえなアズマの若造どもは……俺の頃は、少しは隣人を大事にした気が済んだがな?……まあ、あの頃は大戦の後の、小さな戦争とかあったからな……」
医師の前に現れたのは銀髪の中年男性であった。
奇麗な銀髪で顔は整っている。たしかに美男ではあったが、人を寄せ付けない威圧感のような雰囲気を周辺に発していた。それは顔にある古傷のせいでもあった。斜めの傷だ。
服装も軍服だ。帯刀していた。
ただし、その服装はアズマのものではなく、アスガルド海軍の服装をしていた。刀もアズマの軍刀ではない。細いサーベルだった。整った制服。服の暗緑色と勲章の数が男の威圧感を増幅していた。
「ん?そこにいるのは……タカオ坊やの弟か」
「……タカオ……、はい。兄がお世話になっております」
「ふん。そりゃそうだ。俺がタカオに『ガンドー』を仕組んだんだからな」
「ガン……え?」
「こっちじゃ、『銃の型』って表現されるんだっけか?あの武術は」
流暢なアズマ語を話しながら、銀髪の男はそばにいた男に声をかけた。アスガルド語だった。
「行け。……死なせんじゃねえぞ?」
「イェッサー」
医師と思われる格好をした男がおずおずと集中治療室に入っていく。シンはそれをじっと見ていた。その後、シンは目下の疑問を目の前にぶつけた
「……あなたは……誰なんです?」
「…………カールだ。カール・フォン・シュタウフェンベルグだ」
銀髪の強面がゆったりとした声で話しかける。確かにゆったりした声ではあったが。同時に声色が冷たかった。地声がどこか冷厳な印象をシンに与える。
「シン……アラカワです……」
男の発する強い雰囲気に威圧されながらも、シンは会話を続けた。ICUの治療の音と二人の会話だけが廊下に響いていた。
本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。
次回もよろしくお願いします。




