第四章 二十話 カラスの男(その六)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
兄と弟。二人の男児が沈黙のまま向かい合っていた。
いささか古風な警備ロボットがじっと二人の様子を監視するだけだ。
機械の沈黙も人の沈黙も何も変わらなかった。
「……シン。しばらく学校には行くな。危険すぎる」
「……わかった。けどこれからはどこで勉強すればいい?」
「俺が教える。これでも大学入試クラスのことは教えてやれる」
「兄貴はさらっとそんな事を言うんだから、……十分だよ。優秀な兄貴が羨ましいな」
「おちゃらけるのは後だ……もう学校にシンの安全を任せられない。できるなら警察署から出たいくらいだ。……ムギタニの仲間がいる。警察に潜んでいる」
「……ミクがいじめを受けた事もそうだが、俺はなぜ狙われたんだ?普通にしていたのに?」
「普通に……か。それが狙いかもな。普通のヤツは奴らのような人間にとっては『都合の良い標的』だからな。もっとも、どうやら原因は普通に振る舞っていた『後』にあったが」
「……『後』?」
「……ジン・アダチのことだ」
「……あのときか」
「ヤツとヤツの仲間を撃退したみたいだな。奴らは一方的に暴力を振るわれたと言っている」
「そんなわけない!」
「それはそうだ。お前が理由もなく暴力を振るう人間でもないし、奴らが嘘をついていることが証言されている」
「誰に?」
「エミって子だ」
「エミ!?エミは奴らの仲間の一人だって聞いたぞ?」
「ああ、……だがエミは後悔している。親友を裏切って自分だけ安全だった自分を責めているらしい。現に君が彼らに暴力を振るわれた事やそれから逃げた様子を目撃している」
「そうだったのか。……だが、彼女も表立っては逆らえないようだな……」
「とにかく家にいろ。今日は俺もしばらくすべての調査を休む。こんな状態だからな。俺の上司や仲間もいろいろ気にかけてくれたよ」
「……すまない。俺のせいで」
「気にするな。それより帰ったらご飯にしよう。……ミサは今日の夕飯はなんて言っていた?」
「どうやら『いつもの』らしい。朝言っていたよ」
「そうか。ミサも忙しいのに、ありがたい」
「そうだな。兄貴」
シンはその後来た刑事課の人たちからの質問に答えてから警察署を出た。護衛のような気の利いた人物は来なかったが、変わりにタカオが出迎えてくれた。家までの道のりはほぼ安全だったと言っても良かった。
この時はタカオと一緒にいたためなのか。それとも警察の人間が警戒を強めているためか。大きな襲撃などの危険にシンが見舞われる事はなかった。
タカオはシンともに家に帰っていた。まず、みんなであったかい夕食を頬張っていた。スパイスの効いたスープ状のご飯。カレーにも似た海軍風料理であった。ミサの得意料理でもある。それは四人の家族だけでなく、ミクやユキの舌鼓を打った。
「美味しい。帰ってきてよかった」
「うん。ミサ今日もなかなかうまいな」
「そうね。でも、もっとうまくできたかも」
「これはこれでうまい。野菜のサイズもちょうど良いしな」
「ふふ」
口では謙遜をしているが、ミサの表情の微妙な動きから、喜んでもらえた嬉しさがにじみ出ていた。
笑顔なのはグルメのユウトだけでなく、ミクやユキもがっつりと頬張っている。
ふとユキの方を見ると彼女はこっちに話しかけてきた。
「ちょっと話が……あとでいいかしら。タカオ様」
「うん?わかった」
タカオは食事後にユキと話をすることを約束した。それまではシンとの時間を楽しむ事にする。
緩やかな時間を楽しんだ後、タカオはユキと向かい合った。
ユキはムギタニを始めとした、裏社会の人物の情報を欲していた。
ムギタニという超武闘派を警察に捉えられたヤマオウ組は末端の連中が暴走する恐れがあった。それと地下から警察に引き渡されたケンタロウはたしかにヤマオウ組の関係者だった。恐ろしい事に。しかも、彼はキタヤマ組長の息子であった。
猟奇趣味と好色のハイブリットのような変態で、人が苦しむところに快楽を感じる人格である事は長年の仕事と警察の情報からタカオは知っていた。その会長はさらに恐ろしい人物である事もまたタカオは知っていた。
もっとも、会長は『息子』のようなあからさまな小物ではなかったが。
そこまで考えたところでタカオはユキの顔をみて、はっと思い出した。そして険しい表情となる。
「……そういえば、君は、ジーマの『ペインキラー』か」
「……その呼び名は聞きたくなかったわ」
タカオの目の前の少女は忌々しいものを思い出した表情をした。一目見ると両腕が機械でできていることを除けば普通の12歳の少女にしか見えない。もっと言えば容姿が整っていて、将来に期待が持てると言ったところだ。
美しい黒髪。整った輪郭、ぱっちりと大きな目。優しげでありながら芯の強さが見え隠れした目。それが、かえってタカオを恐ろしくさせた。
「ここでシンと一緒にいる理由は……『会長』だな?」
「……機密事項……と言いたいところだけど、惜しいとだけ言っておくわ」
「……目的は何だ?」
タカオは険しい口調で少女に問う。
黒い色をした虹彩の美しい目で少女はタカオの方をじっと見た。
「……調査。そして銀河全体の治安維持。私にはジーマと銀河の安全と平和を守る責務が――」
唐突にタカオが少女に摑み掛かる。
「……外国の助けはいらん」
少女は平静な表情を崩す事なく、タカオに語りかける。
「……どうして?私は正義を成したいだけなの。こっちの国のストリートギャングが好き放題やっているのを見るのわ我慢ならないわ。お願い、あの赤いギャングたちやケンタロウについて知っている事を話してちょうだい。そうすれば、シンも――」
「……余計なお世話だ。歴史上そういうヤツに碌な人物はいない。ワンチョウ人が特にそうだ。奴らはすぐ過去を蒸し返して俺たちを攻撃する!外国の連中なんか……」
シンがすぐに二人の間に割って入った。
「兄貴!何しているんだ!」
シンが血相を変えてタカオの胸ぐらを掴む。
「……シン。あいつは外国の……」
「なんでさ!あの子はそれ以上に12歳の女の子だ!」
「……だが、あいつは外国の……だからシンの事が」
「それこそ、余計なお世話だよ!」
「……!」
「タカオ兄さんがワンチョウの連中に嫌な思いを抱いているのは分かる!だけど、ユキは関係ない!ユキは俺の『友達』だ!『友達』なんだ!誰がアズマ人だとか誰が外国の異星人かとか俺には関係ないんだ!ただ、誠実なヤツが独りで苦しんでいるのが我慢ならないんだ!!ユキはその気持ちを分かってくれた!だから信用を置いているんだ!自分の心で!自分の責任で!」
「……すまなかった。だが、彼女を信用した訳ではない。それをわかってくれ、シン」
「……分かったよ。だけど攻撃もしないで」
シンはタカオをじっと見ていた。シン自身が知らないタカオを見ているような目であった。タカオにとってはそれがたまらなく辛かった。シンは普段タカオを尊敬しているだけあって、ずっしりと視線が突き刺さる。
それが、ミサだったなら『機嫌が悪い時の邪険な態度』で済ませられたはずだった。
「……ん?」
シンが唐突に怪訝な顔をした。そして窓を見る。
「……シン?」
シンの様子をみて、タカオは言い知れぬ嫌な予感を感じ取った。とっさにグリーフフォースを微量だけ、半径一キロの空間にソナー状に反射させて、『感情』を測定した。
グリーフフォースは『感情のエネルギー』である。そして、『歪み』の具現化でもある。『もの』を殴れば『ものが歪にたわむ』ように、水面にものを『落とせ』ば『波紋』が広がるように、全ての事象に影響を与える。
落としたものを浮かしたり、燃え盛るものを零度にしたり、逆に零度のものを炎へと変えたりできる未知の力学であった。
ほとんどの『グリーフ使い』はそれを限定的にしか扱えない。言ってしまえばそれは『生命の防衛機構』の一つではある。逆に言えば、人間どころか『生命のあり方そのもの』すら、歪めかねない強大な事象でもある。
多くの場合、頼れば頼るほど代償が伴う。すべての『奇跡』を操る事はごく一部の例外を除いて不可能であった。
しかし、タカオは違った。
タカオ・アラカワを始めとした『グリーフ使いの頂点』は『現人神』としての側面がある。すなわち、人でありながら『メタビーング』でもある。言ってしまえば人の姿をした『神』といっても過言ではなかった。
「…………」
タカオは静かに驚愕した。家の周りを多くの悪意が取り囲んでいる事を見る事なく見た。すなわち、第三の目であった。グリーフの目、あるいは耳であった。
「…………ユウト。地下にしばらくいてくれ。ああ、ミクちゃん君も」
「……え?どうしてですか?」
「兄さん?どうしたの?」
「早く。鍵も良いというまで掛けたままにしろ」
タカオは有無を言わさぬ口調でそう二人に言った。二人は静かに階段を下ってゆく。
「シン。篭城になる。戦えるか?」
「……大丈夫か」
「警察に……」
「ミサがやる。ミサ!警察!」
タカオはぴしゃりと言った。タカオはシンの9歳の事もあって外国人のユキが信用できていない。その態度がひしひしと現れていた。
「……もうしてる」
ミサが電話に応対した。それを見てタカオがこくとうなずく。
「…………」
「ユキ。戦えるか」
「……問題ない。あなたは?」
ユキがしばらく間を置いて言った。
「問題ない。元少年兵だったことが後になって活きるとはな」
皮肉っぽくシンはそう言った。それに対してユキが優しい言葉をかける。
「大丈夫。独りじゃないわ」
「ありがとう」
シンの顔に微笑が浮かぶ。
ユキもまた少女らしい笑顔をシンに見せた。
「来るぞ!!」
タカオは叫んだ。
それと同時に窓に投石され、ガラスが家に散らばる。
懐中電灯を持った若者たちが一斉に一軒家に突撃する。
「ウエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイ!」
「ウェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイ!」
「ウエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェイ!」
赤いパーカーを着た若者の群れが一斉に玄関をぶち破った。ガラス片が家中に飛び散る。
銃声が窓という窓をぶち破る。今度は拳銃だけではなかった。軍用の粒子軽機関銃が薄い一軒家の壁に複数の穴を作り出す。
もはや、いじめとかリンチの延長という段階を遥かに超越していた。
奇襲。侵略。蹂躙。蛮行。
平和にはほど遠い表現がタカオの脳内にいくつも浮かび上がる。もはや、相手に平時の倫理を求める事が危険な状態となった。
タカオはスーツ姿であった。ユキに警戒して脱がずにいた事が違う形で功を奏した。その両方の裾の部分から二つの拳銃が露出する。
蒼と黒。
二つの色をした拳銃が窓の外に向かって銃火を放つ。
銃のバックファイアはアズマ国の花を象った形をしていた。それは普通なら青い色彩をしているはずがなかった。だが、その弾丸はグリーフフォースを帯びていた。タカオの体と一体化しているグリーフフォースが弾丸の殺傷力を強めている。その銃もまた特殊で、グリーフの力をスムーズに弾丸に込める性質があった。
飛来した弾丸はいくつもいくつも連なる。窓の外の暴漢どもは哀れな被害者となった。命中した部位は世界から断絶され、停止し、凍結する。
「……ひぃ、か、オレのぉぉ、ゴ!?」
命中した部位が凍結したかと思えば、破裂した。ガラスが砕けるようにして、腕や、足、不運な場合には、頭部や胴体が粉砕した。
犠牲者の命中箇所、すなわち開いた空間から血が飛び散る。
「ひ、ひ、ヒャアアアアアアア!?腕アガアアアアアア!?」
「ギャアアアアアアアアアア、あしあしあしあしィィ!!」
頭部に当たった男にひびが入る。
「お、げ、ガァァ!?」
破裂した頭部の後には首が残った。首の後から血が吹き出す。
タカオがそのようにして地獄を作り上げている間に、シンとユキ、そしてミサの三人が更なる攻撃の準備を着々と進めていた。
お読みいただきありがとうございます。執筆をしていると思わぬ収穫もあったり、思うように行かず苦しむところがありますが、読んでいただけることへの喜びを胸に執筆を進めております。
次回は篭城戦になります。よろしくお願いします。




