第四章 十九話 カラスの男(その五)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
アダチは黒豹を彷彿とさせる目つきでシンの方を見た。
明らかに不良の格好をしたこの危険人物はアズマ人なのにも関わらず自身の髪を金色に染め上げていた。アスガルド人やAGUの出身者の文化を真似つつ、好戦的な雰囲気を辺りにまき散らしていた。
ナイフをくるくると回しながら、支離滅裂な悪意の羅列を並べ立てた。
明らかに正気の人間の振る舞いではなかった。
「オイ、コロスゾ?オイ、コロスゾ?」
アダチはナイフを振りかざしてシンの方へと突進した。シンは冷静に回避を続け、彼の腕を掴んでナイフを叩き落とした。だがアダチも百戦錬磨の不良であるだけあって喧嘩慣れはそこそこしていた。すかさずシンに殴打とローキックの応酬を仕掛ける。だが、シンも伊達に戦場を生きて帰ったわけではない。すぐさまアダチの攻撃をすんでのところで避け、逆にアダチをひょいと投げ飛ばした。相手の重心をぐらつかせ、立つ事からままならなくさせた。
ナイフ男の体が一瞬宙を舞う。
「コロぉ!?」
殺すという威嚇の言葉を繰り返した殺人不良は間抜けな表情のまま、地面に叩き付けられた。
スローの世界。時間感覚の狂った主観の中でシンは襲ってきた敵を見据えていた。
アダチは口から唾をまき散らして気絶した。シンは見下す視線を『敵』に向けつつ、安全にその場を離脱した。敵から離れるに連れて人気が増す。却って人が多い方が安全であった。
「……今日は職員室で食べるか。それと明日以降はおにぎりとサンドイッチのみにしよう。無防備になるのは危険だ」
シンはそう小さく呟いて職員室へと歩き始めた。
敵の姿を確認して歩く。ただし、シンは背筋は伸ばして普段通りに堂々と歩くようにする。不審なそぶりを見せない努力がシンには、ひつようであった。
そうして職員室に着くと先生が食事をとっていたり仕事を続けていたが、皆あっけにとられた様子でシンの方を見た。
「……シン君?どうしたのかね」
「……すみません。すこし、奥の応接室を貸していただきたいのですが」
「どうしたのかね」
「……ミクさんの事がありますので、教室で食べるのは物騒な気がいたしました。今日だけでもその部屋で食事をとっても言いでしょうが?」
応接室は職員室の奥にある唯一の部屋であった。シンが思いつく限り、生徒の気配を感じられない唯一の部屋と言っても過言ではなかった。
何日も貸す事はできないだろうが、一日貸すだけなら、教師たちもそれほど拒絶する事はなかった。もっとも不審そうに見ている様子がやや気になるのが欠点ではあった。
「あ、ああ、ミクさんの件が不安かね?大丈夫だ。うちの学校の生徒が犯罪に関与するなど……」
シンは目の前の教師のあたかも何事もないかのように振る舞う事に苛立ちはしたが、冷静さを保って説得を行なった。
「……今日だけ貸していただければ、教材を運んだりすることを手伝ったりいたします。この仕事他の生徒ではあまり面倒がっていてくれる人はいないでしょう?ですので、今日だけでも……」
「……わかった今回だけ特別だ。ただし利用後は掃除をしておくようにな」
「ありがとうございます」
そういってシンは先生に頭を下げた。応接室でゆっくりと食事をとった後、シンは今後の帰り道を考える事にした。部活に所属していない事に感謝しつつシンは次の授業に備える事にする。
そうして応接室での弁当の食事を終えてから、シンは小綺麗な部屋を出た。
夕方になると生徒たちが部活や思い思いの時間のために学校でゆったりとした時間を過ごしていた。だが、シンは襲撃に備える事も兼ねて、学校の外へと一度出る事にした。住宅を抜けつつ駅を出る。昼食を食べた気がしないシンは背後を時折警戒しつつ駅に向かう。
電車に乗って、アラタヤド駅に出た後、ぶらりと散歩をしてどこか適度に甘味を味わえる店を探した。だが、人が多い上に、様々な店が入り組んだ場所では、飲食店を探すだけでなかなか骨が折れた。
しかも、おやつにありつく余裕すらない事態にシンは直面する事になった。
シンが交差点の前に目を向けると、『敵』がいた。
威圧的なオーラをしたカラーギャングじみた赤い格好の男が一人。
アダチ・ジンであった。フード付きのパーカーを着用していた
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……」
全速力でアダチはシンに向かって突進してきた。車が来てもおかまいなしだ。しかも、手にはナイフを持っている。それも二本。大型のサバイバルナイフであった。アダチは奇声をあげながら突撃した。
「ギィエァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
怪鳥のような甲高い悲鳴を上げ狂ったナイフ男がシンに殺意を向けた。
シンはとっさに体を反らす。
鮮血。
シンの隣にいたサラリーマンの胸部から血が噴き出した。
だが、標的を外したのにも関わらず、アダチはサラリーマンの胸部と腹部を連続で刺し続けた。
周りの人間から悲鳴が上がる。
むくとアダチの顔がシンの方を向く。
「オイコロスゾ?オイコロスゾ?」
そしてアダチはシンの方へ向かってきた。胸元に返り血を浴びながら。
「何だこいつはぁぁぁぁぁぁッ!?」
シンは絶叫しながら、必死にアダチとは反対方向に足を動かした。シンの全身が危険を告げる。シンの心臓。脈拍。細胞の寒気。シンは走る。
シンは全力疾走しながら後ろの方を見た。
アダチの方もナイフを持った腕を大きく降りながら、こちらに疾走してくる。
シンはふと思い出していた。
それはある時に兄と一緒に見た映画だった。未来から来たロボットが少年時代の『人類の英雄』を抹殺しようとする物語だ。バイクに跨がる少年を敵のロボットが追跡する場面があった。今のシンの状況がそれであった。もっとも、今のシンにはバイクのような気の利いた逃走手段はなかった。だが、その映画に出てくる殺人機械のような表情をしたアダチが、シンを鋭く見据えて追尾してくる。
そのとき今度は違う方から奇声が上がってきた。それは逃げる人とは違った赤い服で統一されたカラーギャングの集団であった。
「ウェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイイ!!」
「ヒャハハハハハァァァッ!」
雄叫びのような奇声をあげながら奇声を上げシンに向かって赤い集団が横から突撃してきた。
手にはナイフや鉄パイプ、角材、金属バット、木材のバット、メリケンサック、しまいには拳銃を持った男までいた。シンは疾走した。転んだ老人や子供を踏みつけてまでシンを追跡した。
「ウェェェェエエエエエエエエエエエエエエエイ!!」
奇声が背後から迫ってくる。
ピュンという音とともに弾丸が飛来する。シンに当たる事はなかったが、看板の一部を砕いて直進していった。それは壁に当たったものもあったが、人の足を撃ち抜いたり、だれかの肩をえぐったりしたものもあった。
子供の泣き声。
悲鳴。
パニックになった人の『逃げろ』という大声。
痛がる声。
車が衝突する音。
銃声。
そしてバイクの音。
「ヒャアアアアアアア!!」
バイクに跨がった男がシンに向かって鉄パイプを振り下ろそうとした。
シンは回避する。
前転をする要領で姿勢を低く逸らして、攻撃を回避した。
もう一台のバイク男がシンに攻撃を仕掛けようと近づいた。
だが、不用意に近づいた事が仇となった。
シンは跳んだ。
飛び蹴り。
バイクを超えるようにして、シンは敵の顔面に強烈な右足を食らわせる。
「ごぉッ!?」
バイク男はシンの蹴りを食らった上に、バイクからも振り落とされた。頭部は白いヘルメットをしていたおかげで、軽傷で済んだが、全身を打ち付けられた。手に持っていた鉄パイプをアスファルトに落として、気絶した。
シンは落ちた鉄パイプを拾い。次の攻撃に備えた。
「ヒャアアアアアアア!!」
「ウヒャヒャアアアッ!」
二人のバイク男が綿密なコンビネーションで攻撃を加えてきた。
シンは槍を刺し貫くようにして、前のバイク男の乗っていた者の前輪に鉄パイプを差し込んだ。制御不能となったバイクから振り落とされた男はそのまま投げ出され、車のフロントガラスに激突する。もう一方も前のバイク男のバイクからは回避できたが、逃げようとした車に跳ね飛ばされた。男の体が宙を舞い、地面に叩き付けられる。
男の悲鳴。
そして落下。
鮮血がアスファルトと車に広がった。
シンは三人のバイク男たちを退け、すぐに逃走を図った。鍛え抜かれたシンの逃げ足は速いが、追ってくる者たちとの距離は縮みつつあった。
すると、警官隊らしきパトカーがこちらに向かってくる。複数台向かってきた。
警察たちが向かってくる事を悟った『赤い服』たちは散り散りになって逃げた。パトカーの群れから音声が流れてくる。シンはとっさに両手を上げながら警官の方へと向かっていった。反対に『赤い集団』は警官から逃走を始める。
「おい!そこの赤いの止まれ!止まらんかボケぇぇ!」
「そこの赤い服の男たち止まりなさい!直ちに止まりなさい!」
サイレンの音と共にシンは警察関係者たちに保護された。警官たちが逃げるカラーギャングたちを追撃する。
「こっち!早く」
警官のところまで逃げ切る事に成功したシンはほっと息をなで下ろした。
だが、苦々しい勝利であった。
敵は街に多くの傷を残して逃げていった。
「君!大丈夫かね!?」
「はい。……すみません」
シンはパトカーに乗り込み、今後の事を考える。だが、それも思うように行かないのでシンは空を見ていた。
空は暗くなっていた。都会の光と闇夜。普段の光景ならロマンチックな組み合わせだが、今回に限っては人々の恐怖を煽る要素しかなかった。
シンは警察署の個室の中でこれまでの事を思い返していた。警察がやった事と言えば簡単な事情聴取ぐらいだった。いつも後になってでしか動けない。
少年の犯罪であるという事情のために、捕まえても少年法による保護処分が関の山で、死刑や長期間の懲役は課されない。それでも表立って人を攻撃した何人かを少年院送りにできた事は不幸中の幸いだが、黒幕と逃げた大勢のメンバーが捕まっていない事はシンを苛立たせるには十分な事実であった。
「…………」
シンは沈黙する。そして空を見た。空はまだ暗い。しかし星はあった。
個室にノックの音が響く。そして、見知った顔がシンの前に現れた。
兄のタカオだ。しわのない高級なスーツを着用している。
心配そうな様子でシンの近くまで近寄ってきた。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次回はシンの視点から離れたところで物語が進行することを予定しております。次回もよろしくお願いします。




