第四章 十二話 覚醒(その三)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
少年と少女がたどり着いたのはおしゃれなレストランでも、にぎやかな大衆食堂でもなかった。二人がついたのは、小さな小部屋のようなアスガルド料理店であった。アズマ国の小料理屋とは違った隠れ家のような雰囲気すらあった。
「……結構歩いたわね。ここで合っているの?」
「……ああ、ここで間違いない」
シンは友達の家に上がり込むように気楽な足取りで店の中に入っていた。ユキはしばらく戸惑ったが意を決し、中に踏み込んだ。
「……大げさだな。ここは大丈夫だって」
「……こういう店は慣れてなくて」
「……そう?食事はどうしているの?」
「自分で作るか。インスタントで済ませている」
「じゃあ、初の外食?」
「そうなるわね」
「そうか。気に入ってくれるといいな。それとも、もっとおしゃれな店が良かったかな?」
「別にどっちでもいい」
けだるい感じでユキはシンの問いかけに答えた。一応、ユキが気分を害していない事を察したシンは少年らしい笑顔を少女に向けた。
「良かった!ここも美味しいから期待していて」
「ええ」
ユキが機械的に肯定の返事を返した。それを見ていたシンは端末に電話をかけ始めた。彼は背中のポシェットを弄る。
「……兄貴。すまない少し遅くなる」
「よお、シン。いまどこだ?」
「ビリーズキッチンだ」
「またそこで食べているのか?」
「友達も一緒でな」
「そうか!それならいいさ。遅くならない範囲で楽しんでこいよ!」
「ありがとう兄貴」
シンは端末の通話機能を切るとユキとともに店の中へ入った。
玄関口を通り抜け、おしゃれとは言いがたいが落ち着いた雰囲気の店内であった。証明は薄暗く、テーブルも安物で、ガタガタの椅子や、足を修理された椅子も置かれていたが、店そのものの静謐な雰囲気と調和のとれた色彩、そして主人の穏やかな笑顔が入店したものに穏やかな印象を残した。
「いらっしゃい。シン坊。今日も……おや、今日はガールフレンドも一緒なようだね」
主人のビリーはアスガルド共和国のネイティヴ・ヴィクトリア人であった。だが、流暢なアズマ語で二人を出迎えてくれた。
ユキは背の高い男性を目にして警戒感を露にしたが、シンがそれに気づくと彼は怖い人ではないことを話し始めた。
「ユキ。彼はビリーおじさん。街一番の料理好きなんだ。あと、とっても優しいの」
「……そんなんじゃないさ。おれより料理がうまいヤツは他にもいる」
「でも、ここの店は好きだ。気取らないし、優しいから」
「ありがとうな、坊や」
「さて……どれにするか?」
シンがカウンター席についたのを見てユキも隣に座った。店内には落ち着いたジャズ調の曲が流れる。
「うん、俺はエッグライスでいいかな。……トマトスパイシー味で!」
「あいよ」
「ユキはどうする?」
「……うーん、こういうの初めてだから、分からないわ」
「なら、同じの食べてみる?」
「そうね、それがいいわ」
「おじちゃん!同じのもうひとつ!」
「ああ!」
「へへ、……久しぶりだから楽しみ!」
「あら、食べ物が……楽しみ?」
「今に分かるよ」
「そう、……ふふ」
ユキは意図せず微笑みを返した。
シンのおおらかな笑みとは対照的に、『文字通りの微笑み』であった。口角を少しあげる程度の笑みではあったが、ユキの不器用な表現がシンの心を好意的にくすぐった。
「ユキっていつもどの辺に住んでるの?」
「私……?私……、この近く」
「え?この辺りって家あったっけ?」
「家じゃない。ホテル」
「ホテル?そうなんだ。大丈夫?」
「平気。私戦えるから」
「そう……でも、無茶しちゃだめだよ。必要なら俺とかに連絡して」
「平気……」
「約束して」
「……分かった」
「じゃあ、これ」
シンは指切りのポーズをとった。ユキも応じる。小指と小指が絡まる。
「指切りげんまん。嘘ついたら槍千本突っつくぞ。指切った!」
「……なにそれ」
「……アズマ国では約束するときこう言うんだ」
「へぇ」
「ええっと、ジーマじゃあ、約束しないの?」
「しない。契約を結ぶ。電子書類を用意して裏切れないようにする」
「……めちゃ不便。いちいちそうするの?」
「そう?当たり前」
「ええ……」
そうこう話をしていると、二人の前にあったかい食事が運ばれた。
「おまたせ、いつものエッグライスね」
「ありがとう。味付けも完璧だ!」
「当然だ。ゆっくり味わいな」
料理は肉やタマネギと一緒に炒めたご飯の上にスクランブルエッグ状に解した薄焼き卵を上に乗せたシンプルな食事だった。元々はアスガルド海軍の食事がアズマ国に文化輸入されてできた料理であった。
「へぇぇ……」
シンプルながら家庭的でカラフルな料理にユキは目をきらめかした。
ユキは料理のそばにスプーンを使って食事をとった。控えめに一口を救い上げる。口に含んだ炒り玉子とご飯の感触に舌鼓を打った。
「美味しい」
先ほどまで襲ってきた少女とは思えないくらい晴れやかで可愛らしい笑顔をユキは浮かべた。
対照的にシンは豪快に箸を使って抱え込むようにして食べた。
「うめぇ」
シンは口にトマトソースや米粒がつくことすら気にせず食事をとった。
「あなた、けっこう大雑把なのね」
「……すまない。いつもの癖が出ちゃった」
「やれやれね。はい、ナプキン。ソースとご飯が口についてるわ」
「マジ?ありがとう」
「ごめん。昔は生きるのにも必死だった」
「……あなたそう言えば、昔少年兵だったって」
「ああ、知ってたんだ」
「有名よ。それに任務の前に説明もされたわ」
「……そうだよな。そりゃそうか」
「あなた、なぜさらわれたの?」
「わからない。……隣国と戦争だったときのゲリラに憎まれていたぐらいで」
「……そう」
「……そういえば、ユキはなんでこの任務を?気が進まないらしかったけど」
「……私は……」
「……どうも大変な事情があるみたいだね」
「…………」
「今の俺もそうだ」
「え、でもあなた戦争から遠ざかれたんじゃない。幸せなはずよ」
「そのはずなんだ……なんだけど……俺の知っている平和はもっと穏やかなんだ。平和なのに恐怖するなんて……」
「平和で……恐怖……?」
ユキは怪訝な顔をする。
「……ユキは……戦いで傷つける事に関してはどう思う?俺は怖いんだ」
「怖いって死ぬ事?」
「違う。……死ぬより……ミッシェルに申し訳ない事をする事が怖いんだ。誰かを傷つけたり、家族を奪ったり」
「悪い事をする事?」
「そうだ。……僕に力があって良い事をすれば……」
「……誰に責任でもないわ」
「……ユキ」
「あなたは戦争に巻き込まれて、家族を殺され都合の良い道具にされただけよ……。あなたは望まない事をされただけ……そうでしょ?」
「そうだな……人殺しより、ミッシェルとボール遊びがしたかった」
「……それがさっき言ってた『友達』なんだ」
「……うん、大好な親友だった……もういない……僕のせいで」
「あなたは敵に親友を売った?」
「違う!」
シンは怒りの表情をユキに向けた。ユキはそれに対して一瞬動じるがすぐに、優しい表情を浮かべる。
「なら、自分を責めないで」
「どうして……だって……ミッシェルは」
「ミッシェルはあなたを助けようとしたんでしょ?なら……その分も生きなさいな。落ち込んでいたらミッシェルって人、あの世で苦しむわ」
「……そうだね」
「さっきの笑顔どこいったの?ほら、食べる食べる」
「うん」
ユキとシンは夢中でおいしいご飯を平らげる事にした。
それが終わった後、ビリーはデザートを出す。卵と合成糖分で作られたプリン状のカラフルなスイーツだった。
「これは、いつも来てくれるお礼だ。お嬢さんも連れてきたことも兼ねて」
「いいの」
「さっさとたべな」
「いつもありがとう」
「たべな」
「いただきます」
シンとユキはカラフルなスイーツをありがたくいただくことにした。甘美な甘味と柔らかい食感が二人の舌を楽しませる。
「……過去の事以外にも悩んでいるでしょう」
「よくわかったね」
「顔に書いてある」
「そんなに俺、単純?」
「あなた、結構単純」
「ちぇ」
シンはひとつスイーツを口にしてから、会話を続行する。
「……クラスメイトがいじめを受けている」
「……どうして?」
「……不器用な子だから標的にされた」
「……やったヤツは最低ね。何人?」
「八人」
「クズね。八人でなにやってんだか」
「……助けたい」
「……無茶しちゃ駄目よ。あなたが標的にされるわ」
「……そうだ。だけど標的にされたらミッシェルに申し訳が立たなくなる」
「どうして?」
「……ミッシェルは命を差し出してまで平穏をくれた。無駄にしたらミッシェルに……でも、もしその事が原因であの子が自殺したらそれこそ……」
「……手が出せないのね。……手伝ってあげようか?」
「え!?」
意外な返答にシンが驚いた。目の前の美少女は臆する事なくとんでもない提案を述べる。
「私が彼らの情報を搾り取ってあげるわ。あなたの影の協力者になってあげる。それはあなたにとって悪い提案ではないわ」
「……どうして?」
「……私ね。今でこそ『汚れ仕事を担当』しているけど、本当は『正義の味方』になりたいの」
「……正義の……味方……」
「そう。正義の味方になれば『みんなが褒めたり認めたり』してくれる。そうすれば私、『マスター』にも……」
「……マスター?」
「……いえ、こっちの話よ。それに『ひとりぼっちの女の子を救う事』は正義でしょ」
「そりゃ……そうだ」
「なら決まり、手伝わせて」
「いいよ。味方は多い方がいい」
「オッケー。じゃあよろしく。シン」
「ああ」
ユキは右手を差し出してきた。それにシンが応じる。固く結ばれた少年と少女の手は、その先の二人の関係を暗示しているようでもあった。
「ビリーおじさん。お代置いとくね」
「またこいよ。シン坊」
そう言ってシンとユキは店を出た。店を出るなりユキは右腕に備えられたモニターを露出させ何か操作を始める。
「えっと、店で言ってたこの名前って?」
「ミッシェル?」
「違う。助ける子のこと」
「ああ、ミク・シモダ」
「……番号教えて」
シンが端末番号を教えると、ユキはいくつかのアプリを起動し、その番号を入力した。
「…………少し待って、その子と直接…………え……」
ユキの表情が青ざめ、額から冷や汗が浮かんだ。彼女の目から驚愕と焦りの色がシンには見えた。
「…………ユキ?」
「……嘘……嘘、まずい!」
「ユキ?どうした?」
ユキは地図アプリの一つを指差して青ざめた表情を浮かべた。
「……ここ……」
「え!?まさか!!」
二人は恐ろしい想像に近づいた。シンはすぐに結論を出せた。
彼女は高所恐怖症のはずだった。高いビルを上るときはかなり苦労している事をシンは知っていた。そんな彼女がそこにいる事が不自然だった。ユキの方も高層ビルという地形とその最上階が立ち入り禁止区域だった事から彼女もまた『恐ろしい想像』に近づくことができた。
無理矢理上へ登らされているか。『恐怖だと思っていた事』に近づいているかのどっちかだった。
「ユキ!何とか調べられないか!?」
「ドローンを飛ばした。小型の偵察用……」
「そうか。彼女はどこに」
「……最上階……いた」
「ユキ……彼女は」
「無事よ……今は……」
「……『今は』って……まさか」
「……『死のう』としている。急ぐよ!」
ユキは右腕の一部に内蔵されたコンソールを操作すると何かを呼び出した。
「来て!ロデムパルド!」
ユキは片腕を掲げると空中から何かが飛来した。配送用のドローンに偽装した飛来物がこっちに近づいてきた。偽配送ドローンが『何か』を二人の近くに投下した。
機械の獣。
それが軽々と着地すると、三輪駆動の車両に変形する。ユキは変形した車両のところから、顔の下半分を覆う覆面を二つ取り出した。
「あなたも!」
「わかった!」
シンはそれを受け取って着用すると、ユキの後方に二人乗りの形で跨がった。
「飛ばすよ!」
ゴーグルを着けたユキはロデムパルドのエンジンを吹かした後、全速力で道路を疾走した。それは車より遥かに速かった。
二人は『風』だった。『誰か』を救う風となった。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次回、スリリングな展開となります。




