第四章 十話 覚醒(その一)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
傷ついたシンはカウンセリングを受けていた。
定期的に相談に乗ってくれる医師は比較的若い女で、物腰は非常に穏やかだった。彼はアズマへの帰還を行う船の中で穏やかな時間を過ごしていた。だが、シンの心は瀕死そのものであった。
「…………」
カウンセラーは何人も変えた。
心を『丁寧に修理』できる人間をシンは欲していた。
彼は7人目の医師だった。
「……さて、昔の事、話してくれる?」
「…………無理だ」
「なら、話題を変えようか。学校はどうかな?」
「…………」
「失礼したわ。なら、君が話したい事を話して」
「…………友達」
「友達ね。誰か好きな友達がいるの?」
「……ミッシェル」
「彼について話してほしい。もちろん話せる範囲で」
「…………わかった」
「彼はどんな人だった?」
「…………遊んでくれた」
「どんな遊び?」
「……ボールや言葉遊び、いろんな事も教えてくれた」
「へえ、どんなこと?」
「……言葉や故郷の事」
「故郷……。彼はどこ出身?」
「外国」
「どこかな?」
「言いたくない」
「そう……。では彼が教えてくれた『言葉』って?」
「ことわざとか格言とか。ミッシェルは物知りだった」
「そうか。最近は、自分の事を『俺』って言うようになったね。それは彼の影響?」
「……そうだ」
「君は彼の事が本当に好きだったんだね」
「……まじめで実直」
「彼の事?」
「ああ。お母さんもそうだった」
「君は『誠実で実直な』人間が好きなんだね」
「そうだ。嘘をつかず周りの人間を大事にしたいと考える人間が好きなんだね」
「君も真面目だね」
「お母さんやミッシェルには及ばない」
「そうか。それだけお母さんやミッシェルの良さを知ってたんだね」
「……そうだろうか」
「お母さんもミッシェルも君の事が好きだったはずよ」
「…………そうだと……いいな」
「きっとそうだ。君はお母さんとミッシェルの良いところを即座に褒めたじゃない。彼らもきっとその事を喜んでくれているよ」
「…………………………………………そうか……」
「きっと、そうよ」
「…………ドクター、名前は?」
「……アイカワ。これからはそう呼んでね」
「……アイカワドクター。今後はあなたと話をしたい」
「いいわよ。いつでも話をしてね」
「……感謝する」
シンは制服の上にコートを羽織った。
寒さのためではなかった。心理的な恐怖を隠すための格好だった。コートの厚い格好に加え、ネックウォーマーも着用した。人に対する距離がシンにとって必要だった。
「ドクター」
「どうしたの?」
「……ミッシェルには秘密があった。俺にも残したくない秘密が」
「それは?」
「わからない。俺にも話してくれなかった」
「そう」
「それだけが気になるんだ」
「そう。でも気にしすぎちゃ駄目よ。シン君」
「ありがとう、ドクター。じゃあな」
「うん。またおいで」
シンは相談室を出て自分の部屋へと戻った。戻るまでの間。アズマ国の私服警官が警備してくれた。星間貨物船の無機質な通路を経由してシンは自分の個室に戻った。戻った後は食事もとらず寝た。食べる事より休み時間が必要だった。
日付が変わった後の事だ。無事にシンはアズマ国の空港についた。
ヘイキョウ。
アズマ国の文字で『平和な京』と表記された大都会だった。『京の大宇宙港』はアズマ国の首都星の惑星軌道上に存在した。そこに宇宙船が停泊したら、軌道エレベーターを経由して地上へと降りる。そこに行くまでが大変だった。報道陣と多くの人に囲まれながらアズマへと帰還した。
軌道エレベーターの入り口に黒髪の少女が立っていた。知っている顔だった。
少女は姉だった。ミサは泣いていた。
エレベーター内には、見知った二人の男の顔があった。一方黒髪で痩せた男だった。不器用そうだが優しそうな男だった。ユウトだった。もう一人は知的で整った顔をした美男だった。背は年相応に高く、肉体も鍛えられた雰囲気がある。彼は特に見覚えがあった。
タカオ。
『アラカワ・タカオ』であった。
シンにとって、尊敬の的であったあのタカオであった。
男たちは兄だった。ユウジは泣いていた。優しい涙だった。
タカオは比較的冷静だった。それでも、目に涙が浮かんでいた。
シンはエレベーターの昇降機内へと足を踏み入れた。
シンも泣いていた。兄弟との再会はミッシェルの贈り物であった。
ミッシェルは最期に命と奇跡を残してくれた。兄弟との再会。シンにとって代え難い喜びであった。そして哀しみでもあった。
「……お父さんは?」
「病院だ。顔を見せてあげろよ」
タカオが優しく言葉を投げかけた。
「……ああ、わかった」
シンは短くそう答える。
言いたい事や知りたい事は山ほどあったが、シンの口から言葉はなかった。出なかったかもしれなかったし、出さなかったかもしれなかった。
それでも、シンの姉と兄たちには十分な喜びであった。
「……ただいま」
シンはそう兄弟に小さく言った。
その後、移り変わる空を見た。
シンは軌道エレベーターに乗りながら、空を見ていた。
暗い闇から青い色彩の光へと変化していた。
シンが痩せ細った父タカシに出会った。記者たちに囲まれた時からだいぶ時間が立ってからの事であった。シンの父は国立帝都中央病院の病室のベッドでぐったりと寝ていた。少年だった頃の強く厳格な面影はもはや失われていた。
「…………シン……かぁ?」
タカシは頭をゆっくりとシンの方へと向けた。
「……そうだよ。……お父さん」
タカシの目から涙があふれていた。人間的な雫が頬を伝い人工呼吸器の周辺を濡らしてゆく。
「……生きてたんだなぁ……生きてたんだなぁ……」
タカシは泣いていた。厳しかった頃には絶対に見られない顔であった。
「……俺は……悔しかった……お前が……外国に……売られた……って聞いて……俺は……俺は……毎日……毎日……お母さんと……お前の……夢を見ていた……起きると……お前もお母さんも……いないんだ……だから……後悔した……今まで、人に……辛く当たっていた俺への……神様からの……罰なんだと……」
タカシは涙を流しながら後悔の言葉を口にした。母への後悔。息子への後悔。そして、人への後悔。タカシは父としての真心を残そうとした。
タカオはうつむいたまま黙っていた。
他の二人も同じように黙っていた。
シンだけが言葉を紡いだ。
「僕は生きている……お母さんと……外国の親友が助けてくれた」
「……そうか。彼の……名前は?」
「ミッシェル。でも、彼はもういない。……俺の身代わりとなって……死んだ」
「……そうか……お礼……言ってやりたかったな……ありがとうって」
タカシは穏やかな顔でぐったりと寝た。
「俺の顔を見ても……憂鬱になるだけだろう……兄弟仲良く……ご飯でも食べておいで……」
「……分かったよ。親父」
「ありがとう。お父さん」
そう言って四人は兄弟仲良く食事をとった。
シンにとってその時の時間は忘れがたいものとなった。
ユウジが穏やかで優しい言葉をかけてくれた。
タカオは兄弟として真摯に会話を聞いてくれた。
ミサは口が悪いが、彼女も優しかった。
三者三様に帰ってきたシンに愛情を注いだ。
その時のシンは年相応の笑い方を思い出したかのように笑う事ができた。
そして、楽しい時間は長くは続かなかった。
三日後に、タカシは逝った。
彼は穏やかな顔で息を引き取った。それはまるで天国のマリに会いにいったかのように力尽きていた。体は数年で痩せ細り、筋骨隆々だった時の面影はなかった。連れ去られた息子に会う事。シンに会う事にすべてを費やしたかのように父はあの世へと旅立った。それまでの無理と精神的な変調、そして、テロリストとの戦いで自分の体を酷使した悪影響により、シンの父は旅立った。
享年四九歳。あまりにもあっけない最期であった。
アラカワの一族は変わっていた。一族総出で武装し、『未知の恐怖』と『悪』に立ち向かう一族であった。それでも、シンとシンの居た家庭は『普通の日々』を望んでいた。そして、『普通の家庭』であろうとした。しかし、それはもう『遠く』に消えた。父と母の死によって永遠に。
葬儀がしめやかに行われる。
タカシは『普通』を作ろうとした。
マリは『普通』を望んでいた。
それはあっけなく壊された。永遠に。
シンとタカオは比較的冷静だった。しかしそれでも、目には涙があった。ユウトは泣いていた。ミサは冷静さを装って泣いていた。
「…………」
シンは俯いていた。
黒い服に着替え、ただぼんやりとアズマ式の葬儀を聞いていた。
アズマの多神教。僧侶が経典を読み上げる。
シンはそれを聞いていた。
親族が多く来る。そうして通夜と葬儀を終えるとタカシは墓に眠った。
シンはぼんやりと墓の前に立っていた。
カァ。
カァ。
ぞわりとシンの背筋が震えた。何かの鳴き声が聞こえる。
カァ。
カァ。
カラス。漆黒の鳥。鳴き声が聞こえる。
シンの呼吸が乱れる。
「……ヒ……ヒュー……ヒュー……」
甲高く不器用な自身の呼吸が却って、シンの精神を狂わせる。
カァ。
カァ。
黒く不吉な鳴き声が聞こえる。
「……シン?おい!シン!」
シンは倒れた。シンはカラスを見た。
カァ。
カァ。
黒く不吉な鳴き声が聞こえる。
カァ。
カァ。
シンはカラスが憎くて恐ろしかった。そして、高ぶる感情がシンの呼吸と精神を乱す。斯くして、シンは倒れた。カラスは親友を奪った鳥のように思えた。シンにとっては母すら奪った鳥のように思えた。そして、父。
シンにはそう思えた。
制御不能の黒い感情がシンの呼吸を乱した。そうして、シンは倒れた。
シンは『声』を聞いた。
傷ついたシンはカウンセリングを受けていた。
シンはドクターを訪ねて明るい個室に来ていた。部屋は海と空が奇麗だった。
海鳥が穏やかに鳴いている。
船で出会ったドクター・アイカワは黙ってシンの言葉を聞いてくれた。返す言葉も的確で、シンの言葉を忠実に応答してくれた。
「……それで、お墓では大変だったね」
「……そんなつもりでは……なかった」
「だれでも、……怖い事はあるわ。無理をしないで。あなたには誰かに話す権利があるわ」
「……誰かに……か、例えばドクターとか?」
「もちろん」
ドクターは笑顔になった。
「……そうか。……カラスだ」
「そう。カラスは昔から嫌いだったの?」
「……違う。カラスは……平等だ」
シンは俯いた。
「そうなんだ」
「カラスは……死への恐怖だ……好きでも嫌いでもない……カラスは」
「……そうなんだ。カラスさんは……」
「……俺は……怖いんだ……死ぬ事より……『奪われる事』が……」
「……そっか……そうだよね……」
「カラスは……きっと『奪う者』なんだ……」
カウンセリングは続く。シンは麻痺していた感覚を呼び起こそうとしていた。それは漆黒で、空を飛んでいた。シンの周りを旋回する『狡猾な狩人』であった。その正体をシンは何なのかを掴みかねていた。
本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。
次回もよろしくお願いします。




