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蒼穹の女神 ~The man of raven~  作者: 吉田独歩
第四章 シャドウ・オリジン編
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第四章 九話 トラウマ(その三)

今回は陰鬱な展開になります。苦手な方はご注意下さい。

気がつけば、シンは切り刻まれていた。

何度も何度も、十歳のシンの胸と腹部に切り傷を刻み込まれていた。

「……くそ、くそくそくそ!」

ミッシェルは頭を抱え、苦悶に歪めた表情を浮かべていた。自分のせいで友が傷つけられる。ミッシェルの心のどこかで恐れていた事態が起こってしまった。

「……ぐぐぐぐ……ギギ……」

シンは体を切りつけられる痛みに耐えた。だが、それはいつまで続くか分からなかった。

ミッシェルが沈黙を続けるたびにシンは切り刻まれた。デミトリが丁寧な口調で話しかけながらシンを切り刻むところをミッシェルは見る事ができなかった。しかも、ミッシェルは『自分の知った機密』を話す事ができなかった。ミッシェルは見てしまった。戦場は恐ろしい事でいっぱいだが、その恐ろしさをさらに煮詰めたような恐ろしさであった。それは『人間の尊厳の侵す重大な機密』であった。それだけにミッシェルは『それ』を口にする事ができなかった。

「……ミ、ミ……シェ……ル……」

「くそ、すまない……」

「気に……するな……それ……より……」

「……?」

「……写真……」

「!……そうか」

シンは絶え絶えだったところに、デミトリのナイフが迫る。

「わかった話す!だから友達を傷つけるのはやめてくれ!」

シンを切り刻む手の動きが止まった

「……」

デミトリはじっとミッシェルの方を見据えていた。

じっと見据えていた。

蛇が獲物を正確に見るようにして。

「……さっき写真っていったろ。そのほかにも調べようとしたんだ。こいつは新型の情報。俺は……要人の情報だ」

「……ほう」

「フランクの要人を調べてこいって。俺はそのための調査もかねていたんだ」

「……ふむ、嘘ではないようですね」

「あの日は多くの要人たちがいた。彼らは新型兵器の視察のために多くの国から要人たちが動いていた」

「ふむ、……本命は?」

「え」

「本命はどの方かな」

「…そうだな。フランク連合以外にも気になる人物がいた」

「……それは?」

「我が国の視察団だ」

「ふむ、確かに気になりますね……」

「そうだ。だから調べようとした。そうしたら攻撃を受けた」

「この方にですかな?」

「……え」

大きい拷問部屋にもう一人の男が入ってきた。

それは意外な人物だった。

「……サワダ……曹長!?」

「……え」

二人は顔を見合わせた。不意にシンの顔が殴られる。だがそれ以上に攻撃を加えられたのはミッシェルだった。ミッシェルは腹を渾身の力で蹴り飛ばされた。ミッシェルはたまらず胃からこみ上げるものを吐き出した。

「よお、びっくりしたか?」

「……なんで……生きてる……?」

シンは思わずそう呟いた。無理もなかった。

サワダは胸の部分を完全に撃ち抜かれたようであったが、人に暴力を振るうくらいには回復していた。サワダに殴られて、蹴られてシンの顔から血が流れる。サワダは延々とシンをなぶりモノにした。これは拷問ではなくなった。おはや、処刑だった。

「や、やめろ!やめろ!サワダ・タクヤ!」

ミッシェルが泣き叫んだ。

「……やめろ?ならテメエが死ぬまでやられてみるか?俺は『兄弟』と違ってやるぜ!殺すまでな!」

「……グガ……な!?」

シンは驚愕の表情を見せた。

シンは顔を何度も殴打されながら、サワダの方を見た。にやりと露悪的な笑顔を見せた。その邪悪な表情にシンはガタガタと震える事しかできなかった。シンはただ目を閉ざした。そして、ぶつぶつと何かを言い始めた。生き別れた家族への謝罪の言葉だった。小声で誰にも聞こえない小ささでただ、あの世の母に謝り続けた。

「……できねえだろうな!?人間てヤツはさ、我が身が可愛くって可愛くってしかたねえもんなあ!?俺はそんな人間が気に食わねえのさ!おめえもそうなんだろ!?口では『正義』なんてのたまう癖にな!」

「……」

「そこで見てろよ、『偽善者』が。こいつは死ぬまで可愛がって――」

「……だれが見捨てるなんて言った?」

「……あ?」

サワダの表情が怒りで歪む。対照的に、ミッシェルは微笑んでいた。見た者に、強い覚悟を感じさせる微笑みだった。

「……俺は嬉しかったんだ。親に『褒めても認めても』もらえなかった。そんな俺を兄弟同然で扱ったんだよ。……あいつは。俺はそんなシンが好きだった。『褒めても認めてももらえない人間』だった俺を。『モノ』同然だった俺を『人間』だって認めてくれたんだ。……殺すなら俺を殺せよ?」

「……これでもか?」

サワダがナイフを、ミッシェルの胸元へと突きつけた。

「……やめろ、やめろ!ミッシェル!僕なんかどうだっていいんだ!お前が生きていてくれればいいんだ!頼む!僕を……僕を一人にするな!死ぬなんて言うなぁぁぁッ!!」

シンは必死で絶叫した。

喉が枯れても構わないとばかりに叫んだ。

ミッシェルは自分の命を犠牲に友の命を守ろうとしていた。

シンにとっては死より恐ろしい結末だった。シンにとってミシェルは恩人だった。そして、かけがえのない親友であった。

「シン……いままで楽しかったよ――俺が身代わりになれば、シンは助けるか?」

「……助けてやるよ。嘘じゃなければな」

「……そうか。律儀なんだな」

「……かもな」

「……すまないな」

ミッシェルは目を閉ざした。祈るような気高い顔で死を受け入れた。

サワダは冷徹な顔をしてミッシェルの心臓にナイフを突き立てた。

サワダの両手にあふれんばかりの鮮血が溢れた。

鮮やかな赤がミッシェルの胸元とサワダ曹長――という名の卑劣漢の両手を赤く染め上げた。熱く赤い人間の命が床にまで飛び散った。

「ミッシェルゥゥゥゥゥゥ!うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

シンは泣き叫んだ。

狂ったように泣き叫んだ。シンの目からいくつもの人間的な雫が溢れた。

神父のような厳かな表情をした蛇顔の男が、デミトリがシンの鎖を解いた。

シンはサワダに反撃する気力も余裕もなかった。

デミトリは、どこからか包帯やガーゼのようなものを持ってきた。応急キットだった。彼はそれでミッシェルの血を塞ぐ作業を始めた。

「何してんだ?兄弟?」

「せめてもの敬意ですよ。タクヤ」

シンも泣きながらミッシェルの血を塞いだ。血はなかなか止まらなかった。

血が止まったときにはかなりの時間がかかった。血をかろうじて止めた後、シンはミッシェルの体を背負って歩き出した。

サワダはシンにもナイフを向けようとしたが、デミトリが制止した。

「ここは基地のはずれです。扉を出れば北東に難民キャンプがあります。医療団体がたしか治療をしていたでしょう。そこで治療を受けてもらいなさい。いいですねシン君?」

ご丁寧にもデミトリはシンたちが途中で下ろしたNGOのところを案内した。

「……そいつらは……途中で分かれた……まだ、……まだいた……」

シンは泣きながらミッシェルを抱えて走った。

扉をぶち破って外へ出ると、そこは墓地のようなところだった。そこを抜けてひたすらシンは難民キャンプの方角を突き進んだ。

墓地を突き抜け、基地の前を通り過ぎた。空が雲で暗くなりかけていた。

雲で覆われた空の下で、シンは走り続けた。

血のにおいに誘われたカラスが辺りを旋回していた。カァとなく声が不吉な音色を奏でる。冥界の魂を感じ取ったかのような鳴き声だった。

「……あっちいけよ……嫌だ……嫌だよ……」

シンにとってカラスが『死神』に見えた。死の恐怖より友を冥界へ引きずり込まれる恐怖があった。友を失う恐怖があった。孤独への回帰へと近づく恐怖があった。それはシンが死より恐れる恐怖だった。サイコパスには持ち合わせない恐怖。社会的な生き物としての恐怖だった。優しさからにじみ出る恐怖だった。

森を行軍し、ただ前へと進んだ。

草を行軍し、ただ前へと進んだ。

荒れ地を行軍し、ただ前へと進んだ。

シンはようやく難民キャンプへとむかった。

いくつものキャンプを通り抜け、人に訪ねた。

「けが人!けが人!誰か医者は!誰か!」

多くの民間人がそばに寄ってくる。

勘の良い男の老人が、オズ語で人に何かを指示すると数人の若者たちが人を呼びにいってくれた。

「……ミッシェル!ミッシェル!着いたぞ!返事しろ!お願いだ……」

シンはミッシェルの体を揺さぶった。

穏やかな表情が動く事はない。目は閉ざされたままだ。言葉一つない。

鍛えられた胸部を赤く染める傷がミッシェルの状態を雄弁に語ってしまった。

それでも、シンは諦めがつかなかった。一パーセントの確率だとしても親友を助けたい思いで頭がいっぱいだった。

そうしているうちに何人かの白衣を来た男が人ごみをかき分けミッシェルの下へと向かった。医師たちはミッシェルを抱えるために手に触れようとした。

「……これは……」

医者は心音と呼吸音を確認する。

しばらくして、医師はライトでミッシェルの目を見た。ライトにミッシェルの奇麗な青い虹彩が見える。その瞳孔は縮まない。反応がなかった。

「……先生」

「……残念だ。今は?」

医者が助手に時間を聞いた。

「……再興暦317年、三月四日、午後16:32分。……ご臨終……です」

シンは力なく泣き続けた。

たくさんの難民と医師たちに囲まれて、ただ涙を流していた。

シンは子供らしく人間らしい涙を思いっきり流し続けた。

「……うぁああ……ああ……嘘だ……嘘だ……こんなの……嘘だ…………」

シンは泣いた。

空も泣いていた。

小雨だった。

雨粒と涙がシンの顔を濡らしていた。


シンはその日『オズ軍』を抜けた。

親友を失った今。戦う動機をなくしてしまった。

それでも、シンは『後追い自殺』はしなかった。

シンの心。

シンの心が求めるもの。

それは『生存』と『平和』だった。

シンの壊れかけの心は生きる事だけを求めていた。シンは難民キャンプの医師にすべて話し、アズマ国へとようやく帰還した。それは奇妙で残酷な旅路だった。唯一の友と駆け抜けた日々。9歳の子供には残酷な戦いの日々であった。そして、シンは戻った。

もうすぐ、十一歳になる子供には辛く恐ろしい『喪失の記憶』とともに。

本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。


次回もよろしくお願いします。

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