第四章 八話 トラウマ(その二)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
黒い男の動きは風の如く速かった。
ミッシェルはグリーフ能力と武器の手数で応戦してなんとかしのげてはいた。だが、それも時間の問題で機動力と身体能力で不利だったミッシェルは黒い人物の攻撃を防ぐ事しかできず消耗を強いられていた。
ミッシェルは敵であるはずのフランク軍とも共闘してはいるが、兵士では役に立たなかった。グリムGも頭部や胴体部の機関砲で攻撃に参加しているが、黒い鎧の男の俊敏な動きについていく事ができなかった。航空と宇宙戦闘を想定した機体では地上での戦闘はやや心もとなかった。それでも普通の相手ならば十二分に勝てるはずだが、脚部関節を砕かれた上に慣れない機動、そして人間離れした機械仕掛けの敵。一方、の黒い敵の方は体格差を有利に用いて攻撃を回避し、俊敏な動きでミッシェルとグリムGを翻弄した。
常軌を逸した光景とはまさにこの事だった。十メートル近い鉄の塊が黒い鎧の男に翻弄され、それをミッシェルがかろうじて対処している事にシンは戸惑いを隠せなかった。
「……なんだ……これ……」
十歳の脳みそが理解を拒否する。
人間が大型の機械と共闘して、素早い黒を追いかける。言葉にするとお伽噺のような響きがするが、実際は血で血を洗う殺し合いだった。赤い液体と化した兵士だったものの上でミッシェルと『黒い何か』は殺しと死のダンスを踊った。ミッシェルは青い光を様々なものに組み立ててゆく。手をかざしただけで。
ナイフ、ロケット砲、大きな手、二丁のピストル、機関砲、盾、バス、刃のついた車輪、そして女神。神々しい女性のビジョンを組み立て黒い何かの頭部を殴りつけた。
頭部の装甲が剥げる。そしてそのしたの素顔が見える。
サワダだ。サワダ一等兵だった。
サワダはミッシェルと彼の女神のビジョンを見て嘲笑していた。
ミッシェルが烈火の如く怒り、サワダに突進した。
そのときだった
サワダは女神のビジョンを破壊したのだ。念入りに八つ裂きにした後、首を掲げた。
ミッシェルの動きが止まった。躊躇かそれとも深い感情によるものか。
その隙をみてサワダがミッシェルを殴り飛ばした。五メートルほど吹き飛ばされたミッシェルの体は地面を何度も打ちつけられながら、吹き飛ばされた。
サワダがミッシェルの倒れている方に腕を向けた。
「ミッシェル!」
たまらず、シンはライフル銃を構えて、サワダの方を撃った。距離がありすぎて当たらないが牽制になれば良かった。シンはミッシェルを守るため、小高い丘の上からサワダに銃を撃ち続けた。
電子の弾丸が放たれ、電気的な音が銃から響き続けた。
サワダはこっちをみると獣のようににやりと笑った。
サワダの動きは風より速かった。弾丸を両腕でいなしながら、猛然と空気の間を突撃してきた。シンは恐怖する余裕すらなかった。あるのは親友を守る思いだけ。麻痺した心は冷徹にサワダの頭部を見据えていた。
弾丸が逸れサワダの足に命中する。
砕けた装甲の間から、電子の銃弾が大腿を貫く。
それでもサワダは進み続けた。そしてシンも撃ち続けた。
シンの顔中がぬれる。涙か、汗か。子供には強すぎる恐怖だが、立ち向かい続けた。
不意にサワダの足が蒼い光の手に掴まれる。
声はシンに聞こえてこないが、確かにいっていた。
「……シン。頼む……あいつを……撃って。……撃てェ!」
ミッシェルはわめいた。何度も何度もわめき続けた。撃てと。
逃げろではない。
撃てといった。
ミッシェルは怒りのままに泣いていた。泣きながら、シンに撃つ事を願っていた。
シンは泣くのをやめた。
子供の目から狩人の目となった。猛禽類の目。
親友の言葉を心で聞き、発射準備を整える。
頭に当てるのではなく。より命中率が望める胴体をシンは狙った。心臓を。胸骨と肋骨に守られた、血を司る臓器を狙った。シンは冷血漢の心臓を狙い澄ます。
シンは呼吸を整える。
撃った。
慎重に何度も撃った。銃とシンが一体化していた。
三発目。
サワダの動きが止まった。
心臓から血が吹き出て倒れる。砕かれた金属片が当たりに飛び散った。弾をかすられて砕かれた金属片が散らばった。
そのままサワダが動かなくなったのをみて、ミッシェルの下に向かった。サワダはまだ息があった。それでも今のシンはミッシェルの安全を優先した。
「ミッシェル!ミッシェル!」
シンは叫んだ。親友の名を。止血しながら。
意識はあった。シンはそのまま親友を担ぎながら避難しようとした。
しかし、シンたちは逃げられなかった。フランク連合の兵士がシンたちを囲っていた。その中から不気味な男が歩いて向かってくる。蛇のような男だった。
シンとミッシェルはそのまま連行された。抵抗はできなかった。
無駄な抵抗はそのまま拷問の強度を高める結果となる。抵抗したかったが理性でそれをあらがった。ミッシェルのために拷問のリスクを減らそうとした。
そうして、ミッシェルとシンは繋がれる。
鎖に。
薄暗い地下室の中に。シンたちの孤独が始まる。二人ぼっちの絶望が。希望は一つだけだった。味方がそばにいる事だ。ミッシェルがシンと共にいる事。シンがミッシェルのそばにいる事。それだけだ。それだけが互いの希望となり得た。
靴音がしたと思うと、どこかに消える。
消えたと思うとまた靴音がする。
「ミック。……無事か?」
「……ああ」
「……どうしてあそこに?」
「……別任務」
「……」
シンは耳を済ませた。足音が遠ざかったのを確認した後、ミッシェルに説明した。
「……他は?」
「…………」
ミッシェルは首を横に振った。
「……!」
シンは動揺したが、言葉を殺した。聞かれるリスクを避けるために。
「曹長は撃たれた。ゾラも離ればなれに……クソ」
「……残念だ」
靴音が近づく。今度は部屋の前まで止まった。
コツゥン。
コツゥン。
扉のきしむ音が響く。それはまさに地獄への扉が開いた有様だった。
「…………」
蛇のようなフランクの兵士が、ゆったりと歩いてくる。それは影というより闇であった。闇が人の形をしていた。人の皮を被っている闇といった方が適切だといえた。
蛇のように鋭い視線が何より特徴的であった。
「……はじめまして、少年。デミトリともうします」
「?」
「?」
二人は顔を合わせた。
「あなた方、お名前は?」
「……シンだ」
シンはしまったと思った。本名を名乗らなくてもいいのにと思ったが公開している暇はなかった。
「……ミックと、もうします」
ミッシェルの方は本名を名乗らず愛称を名乗った。
「なるほど。すてきな名前です。ミッシェル殿」
「!」
ミッシェルの顔に動揺が走る。
「そこまで緊張しなくても大丈夫ですよ。会話次第ではすぐにここを出れますよ?」
デミトリと名乗る軍人は異様なほど柔和な態度をとった。それは軍人というよりかは司祭であった。司祭が罪を犯した信者に対して懺悔に応じるかのような態度で接した。シンも動揺したが、ミッシェルも名前が既にバレていることに少なくない動揺を感じていた。
「……よろしい。大丈夫ですよ。いくつか質問をするだけです。それではまず……あなたは真実に興味がありますか?」
「……わからない。そのときにもよる」
「……僕も」
二人はそう答えた。こればかりは彼らにとって率直な気持ちだった。
「……正直なのはすばらしい事です。ですが、これはまずい事です。真実でなくても安らぎを得られるのは三文芝居の中だけです。多くの事柄は真実と共に会って初めて心の安らぎを得られるものです。これは、何一つ例外などありません。嘘をつけば、その分だけ罪悪に苛まれます。心に嘘をついたという真実の記録が残るのですよ。よろしいですか?」
デミトリは丁寧な物腰のまま、じろりとミッシェルの方をみた。ミッシェルはぞっとした顔でデミトリの方を見た。
彼の額から汗が吹き出る。
「……はい。今後は気をつけます」
ミッシェルは渋々承諾した。薄ら寒いものを感じたためでもあったが。シンに危害を加えられたくないという思いから、可能な限り従う事を選択した。
「……よろしい。それでは次の質問」
「……」
「……君たちの目的は、そこの少年」
デミトリはシンの方を見た。
「……!」
「そう君だ。君の目的は?」
ミッシェルは合図した。話してもいいと目で合図した。
「……写真だ」
「写真?」
「画像をとる必要があった」
「……ほう」
「僕たちは、とにかく情報が欲しかった。外人部隊に組み込まれていたから、とにかく生き残りたかった。それと上官も新兵器の情報を欲していた」
「ふむ、戦争を制すにはまず情報から……なるほど筋が通っているな」
「そうだ。特に俺は、わけもわからず戦争に参加している」
「そういえば、きみは何歳かね」
「十歳。来年で十一歳になる」
「そうか。月日の経つのは実に早いものだね」
「ええ」
「そうか。なかなか大変だったようだね」
「お気遣いに感謝します」
「うむ、正直かつ……強かにな」
「……」
シンは少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
デミトリはやや満足そうにうなずいた後、ミッシェルの方を見た。厳格で鋭い表情をしている。
ミッシェルは目をつぶって呼吸を整えている。
「……さて、ミッシェル君。君は何を?」
「…………」
「……話してくれないかね。ここにずっとは嫌だろう。んん?」
「……彼のお手伝いだ」
「離れていたのにかい?」
「……」
「これはいけない。きみには警告が必要だ」
デミトリは棚の方へてゆったりと歩き出した。そして棚から光る短い金属と木の物体を取り出す。ナイフだった。
「……!」
ミッシェルの顔ががたがたと震える。痛みへの恐怖か、シンを失う事への恐怖か。いずれにせよミッシェルは青ざめていた。
「さて、ミッシェル君。僕の手にはここにナイフがある。これは君を傷つけるために使うのではない。君が何か悪い事をすれば、シンが傷つく。いいね。シンが傷つくのだ。いいね?」
「……」
デミトリはシンの大腿を薄く切った。
「うぁああああああっ!」
シンは驚愕と痛みのあまり声を張り上げた。右足の皮膚が一文字に裂かれ、出血の赤が床をうっすらと染める。
「シ、シン!」
ミッシェルが青ざめた顔のまま叫んだ。ミッシェルは体をわなわなと振るわせた。その後、彼はデミトリをきっと睨んだ。
「……怒る事はない。これは君が招いた事だ。だが君は悪くない。これが人間の本質なのだ」
デミトリは冷たい表情を崩す事なくそう言った。それは、彼の白人種の肌やなまりのない銀河共通語の発音も相まっていっそう冷血な印象を二人に与えた。デミトリが支配する悪夢はまだ終わらない。
本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。
次回もよろしくお願いします。




