第四章 五話 初陣(その三)
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
三人のそばにあるのはただの壁であった。
そこにガントレットの光が伸びてゆく、何かを察したミッシェルはシンとサワダにある事を命じた。
「シン、サワダ。ここに手榴弾を!」
「!」
「!」
二人も得心を得た様子で壁に向かって手榴弾をそっと投げた。そしてそこから離れると、手榴弾が爆発する。
壁がガラガラと崩れると同時に、液体人間が爆発の衝撃でよろけた。
「今だ!いけいけ!」
一か八か。三人は崩れた壁の方へと走り抜けた。液体人間がよろけている隙に。死が躊躇している隙に。
彼らはひたすら走った。
「誰かいるぞ!」
サワダ一等兵が叫んだ。間違いない人間だった。痩せた男だった。
「……ひ、だ、誰かいるのか?」
褐色の肌と茶色の髪をした男が弱々しく語りかけた。ぼろ切れのような衣装をまといがたがた部屋の隅で震えている。
「……」
「……」
サワダとミッシェル。
二人がきっと男を睨みつけた。
シンだけが彼のそばに近寄った。
そして、口を開く。
「おじさん。名前は?」
「……ゼラだ。どうか助けてくれ……」
ゼラはがくがくと震えていた。それに対して暖かな声でシンはこう言った。
「……そうか……おじさん、一つ頼みがあるんだ」
「な、なんだい。おじさん死ぬ意外なら何だってするよ。それが君たちの望みなのだろう?な、後生だ!」
「わかった。おじさん……どうか観念してくれ」
「………………」
ゼラの表情が変わる。目が暗く鋭いものに変わる。口は閉ざされ一言も発することはない。殺気が。男の殺気が部屋中に広がる
「おじさんが能力を解除してくれれば悪いようにはしない。ご飯も寝床も与えるように三人で説得するから、……だから観念して」
「…………」
男はがくりとうつむくと懐から何かを取り出した。
ナイフだ!
シンに切り掛かるべく襲いかかる。刃渡り20センチの大型ナイフが心臓をえぐろうと空を切る。
「死ねぇぇぇッ!」
シンはとっさに真横に飛んで身をかわす。かまわずゼラはミッシェルとサワダに切り掛かる。ぶんぶんとナイフが空を切る音が軽快に響く。ミッシェルもサワダもたまらず避ける。
そのときだった。
ゼラはバランスを崩し何かにぶつかってしまった。
そう何かに。
それはミッシェルでもサワダでもシンでもなかった。
彼はぶつかってしまった。液体人間に。
「ぎ、ギャアアアアアアアアアアッ!」
強烈な酸がゼラの顔を焼いてゆく。液体人間は主であるゼラに抱きつく。
「は、離れろォォォ。離れろぉぉああああ!」
「……オニ……オニ……?」
覆い被さるようにして液体人間はゼラの全身を包み込んでゆく。
服も、肉も、髪も、そして骨も溶かし、気がつけば、そこには泡立つ液体だけが残った。
しばらくして、空間がぼろぼろに朽ちてゆく。ぼろぼろに朽ちた空間から、まばゆい光が射した。
暗かった敵の基地は明かりで照らされていた。気がつくと元いた空間に、シンたちは立っていた。
ゾラ衛生兵と曹長が驚いた様子で駆け寄ってくる。
「……お前ら無事だったか!」
「はい、敵に襲われましたが撃退しました」
ミッシェルがそう言うと、二人がほっと息をついた。
「……おそらく、三人は『あれ』に勝ったのでしょう」
「……『あれ』?」
「……ゼラ・サリン。フランクの貧民街では有名な殺人鬼です。彼は殺人とメタアクター能力に目覚め、夜な夜な殺人を繰り返していました。上層部の調査では刑務所内で司法取引を行い。刑の恩赦を条件に作戦に参加していたものだと聞いています」
「……調査ねえ、いわゆる『諜報活動の結果』ともいうねぇ」
「ええ、彼の能力に悩まされ基地の制圧を難しくしていましたが、……幸先の良い結果で良かったです」
「何が、幸先の良い結果だ。こっちとらドロドロに死にかけたんだぞ!?」
「まあいい。とにかく撃退できたんだ。これで作戦は」
「……いま状況は?」
「制圧が完了したところだ。……まさか一番厄介な敵を倒すとはな。これで安心して眠れるな」
「……ち、手柄を逃しちまった」
「ああ、その事なんだが」
「?」
ミッシェルとサワダが怪訝な顔をした。
「……君たちはメタアクターの強大な敵を倒した事で、特別勲章が授与される。これは中隊規模の敵を倒したのと同等の価値がある戦果だと大隊長がおっしゃっていた。明日、受勲がされるので失礼がないようにな」
曹長がそう言うときびすを返してどこかに去っていった。
「ふー、何でもいいが俺は疲れたんだ。悪いがぐっすりと寝させてもらうぜ」
サワダがそう言ってゾラと一緒にどこかへと歩き去っていった。シンの表情がリラックスする。
「……あれは夢だったのか?」
「……いや、現実だ。……あの空間、病院ってところが気になるけどな」
「……できれば助けたかった」
「……そうか」
「助ける事ができれば、生きて償わせる事ができた。彼の手で彼が殺した人間の家族に謝らせる事ができた。それができないなんて残念だ」
「…………人間はできる事に限りがある。全員を助けるなんて無理だ。戦場では、生き残る事だけ考えた方がいい。その方が楽だ。楽な方がいいぞ」
「……ありがとう、また助けてもらっちゃった」
「いいさ。さて、お休み」
「……うん、お休み」
ミッシェルと分かれたシンは電灯で照らされた基地の中ですっと腰を下ろした。基地の建物からシンは外に出る。空を見上げるとシンの目に星が映っていた。
空は暗闇で覆われていたが、輝きの強い星ははっきりと見る事ができた。はっきり見えた星は一つだけだった。他は、わずかに煌めいていたが、消えかかっていた。
シンは寝室で起きた。
寝室といっても、二段ベッドが二つあるだけの狭い部屋だった。敵の基地がいつの間にか自分たちの家となっていた。曹長の話によれば、次の作戦があるまでここに待機だと言われていたらしい。それまでは遊ぶのも学ぶのも自由だが、訓練の時間には出てくるようにと言われただけだった。
とりあえず午前中の受勲を三人で済ませたら、本を読もうかと考えていた。
「……」
シンは昨日の事を考えていた。夢中だった。殺すか殺されるか、そんな場面に立たされているのをシンは感じていた。だが、それ以上に『行きたい』という感情がわき上がっているのを無視できずにいた。ならば、シンのやるべき事は一つだった。
「……本よりミッシェルか」
ミッシェルとの時間を大事にしたいと考えたシンはその場から歩き出す。
昨日まで殺しあいの現場であった通路をふらりと歩き出し、シンはミッシェルの元へと向かった。
「おめでとうシン。初陣を生き残れて良かったな」
ミッシェルはにこやかな表情でこっちを微笑んでくれた。
「ああ、ありがとう」
シンもミッシェルが微笑むとうれしくてたまらなかった。ミッシェルは故郷にいたタカオやユウジの兄にないものを感じた。いや、もっと正確な表現を遣うべきなら、タカオの頼もしさとユウジの優しさを兼ね備えた人物だとシンは感じていた。
「……なんというか、すまないね。いつも」
「いいさ。シンは良くやってくれたよ。大人でもビビって動けなくなるヤツは見てきたから」
「そうか、……」
シンの顔色は暗かった。シンは確かに殺人の経験をしてしまった。その事が心にずうっと残ってしまっていた。
「昨日のことか?」
「うん」
「悩んでいる?」
「うん」
「そうか。……この近くに見晴らしのいい場所を見つけたんだ。来ないか?」
「わかった」
ミックはシンの『わかった』を聞くとまたにこりと笑った。真剣にしていた表情が消える替わりに暖かみのある笑顔に移り変わっていた。
受勲を終わらせたシンとミッシェルは秘密の通路を使った。それは金網の向こう側にあった森の中にあった。シンとミッシェルは背丈の短い木々や草を抜けてゆくと小高い丘に出た。花の群生があり、奇麗な山が見れる崖のようなところが存在していた。日差しは暖かく、鳥たちが優しい声で歌を歌っていた。
「きれい」
シンは目を輝かせ声を高揚させる。ミッシェルも満面の笑みだ。
「だろう。ちょっと辺りを偵察してたら見つけたんだ。来てよかったよね」
「うん。ありがとうミック!」
「へへ、照れるぜ」
「ありがとう!」
「へへ……」
ミックは褒められたり、お礼を言われたりする事に慣れていないのか顔が明らかに緩んでいた。顔は赤面し、後頭部を右手で掻いていた。
「おう、そう言えば、その箱は何だ?」
「うん?ああ、これね」
シンは確かに箱を持っていた、ご飯やパンが数切れ入る程度の大きさがあった。
「はい、ミッシェルが言っていたドライフルーツのパン!」
「お、覚えてくれたか!ありがとうな!」
「喜んでくれてよかった!」
シンは満足げに笑った。それは母が生きていた時代の笑顔だ。こんなに屈託のない笑顔をするのはシンにとって久しぶりの事であった
「初めて見るな。その笑顔」
「そ、そう?」
シンは赤面した。
家族以外でこれほどリラックスした様子でいられる事はシンにとって初めての事であった。
「シンが笑うとさ、なんかフツーの男の子って感じだよな。俺が笑っても若いのが笑っているって感じで」
「そう……かな……」
「そう言えば、前ゲーム好きって言ってたっけ誰かとゲームしていた事があるの?」
「ううん。自分一人でやっていた。家族はそんなにゲームに興味なしだったから、……あ、でもお母さんは見ていて楽しそうだって言っていた。あと、タカオ兄さんは『勇者が出てくる』ゲームをしていた。
「勇者ねえ。あれ、ワイバーンクエストとか?」
「そうそう、兄さんは『ワイクエ』が好きだった」
「へえ、会ってみたいな。シンの兄貴」
そんな会話を二人は続けていた。空は相変わらず蒼かった。風は吹き鳥が舞う。平和という概念をカラフルに彩ったような空間がそこに広がっていた。そこは生命に溢れ、空気ですら美しく思えてくるような、ミッシェルとシンの世界であった。シンは安心と幸福に近づいていた。母の最期の言葉、その裏側をシンは理解しつつあった。友ができて、共に考え、空気すら共有して生きるすばらしさをシンは確かに得る事ができた。一人では広げられない世界を二人でなら広げられる気がした。
シンのトラウマと暗闇に一筋の光が入り込んだのだ。
今回もお読みいただきありがとうございます。次回は今回と同様に、ミッシェルとシンの日常の様子を描いていこうと考えております。よろしくお願いします。




