第四章 一話 シンは語る
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
ジャックは苦悩する。
彼が背負う傷は深くあまりにも深く膿んでいたことに。それは肉体の傷ではない。心の傷だ。確かにシンは服の下に無数の傷を抱えていた。それは小さなものもあれば、大きなものもある。しかし、心の傷は残ることすら許されない。周りには分からないのだ。それは知らず知らずのうちに増殖してゆく。増殖し膿み、新しい傷を作り、また増殖してゆく。シンはその痛みを背負いながらもなお、戦士としての人生を選び続けたのだ。
ジャックは強いウィスキーの瓶に口をつけた。
事務所の部屋は暗い。外は大雨で雷が鳴っていた。
向かい側にシン・アラカワが座っている。普段通りの沈着な表情が、かえってジャックの目に不気味に映った。
ジャックは暗がりに光る時計の光を見た。
再興歴327年。秋。
日時は、ジャン・クリストフ・ド・ジェラールが指定した日まで半月を切ろうとしていた。
「……やってられないぜ」
誰が死んだとかそういう話ならば、傭兵ならばありきたりであった。
だが、シンのは違う。孤独だった。シンの過去を語るのに欠かせないキーワードがある。それはとてもシンプルだっだ。
孤独と絶望。
人間を手軽に蝕むことができる、あまりにも人間的な猛毒であった。
シンはジャックに過去に約束していた。過去を語ることを。シンにとっては取り返しがつかないくらい淀んだ傷跡であった。だが、シンはこうもジャックに語っていた。
黙り続ける時はもう終わりだと。シンは自分の『今まで』を語り始めた。
ユキやカズに出会うまでのシンはアズマのある家庭で生まれる。アラカワの一族。その宗家だ。
このときの彼は『孤独も絶望も』知らなかった。
厳格だが聡明で剛健な父。温厚でユーモアと暖かみと笑顔にあふれた母。
そして、優しくもありきたりな兄弟との日常。
長男のタカオ。父に似て聡明。
次男のユウト。誠実で実直。
長女のミサ。口達者で毒舌なところもあるが、弟のシンには温和。
兄弟との仲はとても良く。平凡ながら幸せな日々を過ごす。彼らはアズマの山岳惑星ナガダケの一地方『シノブノハラ』で生まれ育った。空気が乾いているが自然豊かな山。平穏な日々が流れる田舎町、人は貧しいがそれなりに笑顔で幸せだった。農業で生計をたてるものが多いなか、アラカワの家だけはそれとは違う仕事をして生計をたてていたのであった。シンの生まれる前は奇妙な研究をしていると不気味がられてはいた。しかし、父の実直な性分と、母の温厚な人柄が『シノブ町』の信頼を勝ち取っていた。
再興歴316年秋のことであった
兄は15歳。長男であることやアズマ国、近隣の情勢が悪いことも相まって、アラカワの次期当主としての教育を受けていた。厳格で冷徹な父タカシ・アラカワの下で厳しい修行を受けていた。
「一度で覚えろ!一度言って覚えんヤツはバカだ!」
「ぐ……」
古風で厳格な指導にタカオは懸命についていった。父はタカオを一言も褒めなかったが、タカオは生来の沈着な性分と天賦の才、父譲りの聡明さによって当主にふさわしい実力をつけつつあった。
9歳だったシンにタカオは本当に優しかった。寡黙で穏和な性分のシンはアラカワの親戚中に愛された。特に母の溺愛は有名で近所の人たちにすら話の種にされたくらいだった。
アラカワの男はアスガルドではグリーフ。アズマでは『紫電』と呼ばれた。グリーフの元々の色は澄んだ蒼。すなわち蒼穹のような蒼であるが、憎悪や怨念などの不純物が混じったグリーフは黒に近い紫であった。それを無理矢理、電力を加え一定の圧力を加えると紫の光を放つエネルギー電池となる。このエネルギーは主に軍事利用を視野に利用されていた。由来や原理はまだ未知の部分が多いがそれらはアズマの軍事技術を間違いなく支えていた。
シンはアラカワの人間ではあるが争いを好まず、優しく大人しい性分だった。そのため、父のタカシはグリーフに彼を近づけないよう、タカオが修行中の時には接触を禁じていた。シンはこれを守りタカオと会うときは限られるようになった。しかし、タカオはシンに優しかった。シンは自分のことを気にかけてくれる家族のことが大好きだった。
そんな彼の運命が狂ったのはある翌年の八月のことであった。
アズマとオズ連合の関係が最悪になる事件が起きて数ヶ月後のことであった。
オズ連合傘下の国、ワンチョウ国の大使館内でアズマの要人を殺害。その手段も残酷非道で、生きたまま焼けた刃で切り刻んだ挙げ句、星間インターネットの動画サイトにアップロードする事件が発生した。
アズマ国はワンチョウ国との関係がもともと険悪であったが、この事件を受け反ワンチョウ国の機運が高まり、アズマ国はワンチョウとの戦争に踏み切った。
惑星ナガダケの近隣が戦場となったことから『ナガダケ近海会戦』と呼ばれた大きな戦乱が幕を開ける。
開戦と同時にナガダケから距離のある辺境の宙域で艦隊同士の戦闘が続いた。
アズマ国、動員人数三百五十万四千五十二人、艦載機40万。艦船約三万隻。
ワンチョウ国、動員人数約二百万人、艦載機二十万、艦船約一万五千隻。
結果は火を見るより明らかだった。
アズマ国の高い士気と豊富な装備、カズでの優勢によってワンチョウ側の艦隊は七割を喪失。アズマ側は一割の損害程度で次の戦いに望むことになった。そのときの戦いも連勝を重ね、戦いの大局は終止アズマ国のペースで進んでいった。
その陰で悲劇は起きていた
ナガタケの本土はワンチョウのゲリラに苦しめられ、民間人の誘拐が相次いでいた。
シンもまた例外ではない。アラカワの一族はワンチョウ国の者を憎む者もいたためゲリラに反撃の機会を狙われていたのだ。
そして、最悪の事件が起きる。
その夜はとても暗かった。
星すら差さない暗闇。
アラカワの屋敷が攻撃されたのは、そんな夜のことだった。
屋敷に手投げ弾が投げ込まれた。その部屋に人がいないことが幸いであった。
その後に、数十人の男たちが屋敷に機関銃を打ち込む。青白い粒子が窓ガラスを砕き、木造家屋に焦げた穴が無数に形作られる。
「貴様らはワンチョウの野蛮人どもか!ものども八つ裂きにしてやれ!」
父の号令とともに家中の男たちがゲリラたちを切り刻んでゆく。タカオも二丁の拳銃を持ってゲリラを一人、また一人と倒してゆく、冷徹で躊躇のない射撃がゲリラの頭部を貫く。無慈悲なまでに正確なタカオの弾丸がゲリラの頭部を破壊する。
その間にシンと母マリは遠くの山まで逃げることになった。ほかの女子供は隠れることになったが、万が一を考え、末の息子と母だけでも遠くに逃げた。
マリは気づいた。
森の茂みから誰かが近づくことに。
マリは逃げた。
「……ドコヘイク?」
片言のアズマ語が二人に語りかけた。
二人の前方に、ゲリラのリーダーが現れる。
その後だった。数人の男が、母とシンを取り囲んだのは。
母は前に出て男と話す。
「せめて息子だけでも助けてください」
「……イイダロウ。ヤラセテクレタラ」
ヤラセテクレタラ。
その意味はシンには分からないが、母を男のいいようにされることはシンには十分に悟ってしまった。
「……や、やめて!お母さんにひどいことしないで!」
「……ウルサイ、ガキダ」
ゲリラのリーダーがにやりと笑って銃を九歳のシンに向けた。
「……シン!!」
銃声が響く。
ピュンと何かを弾くような音だった。
シンの顔に血が付着する。
自分の母の血だった。
マリがシンの体に倒れそうになる。
彼女はそれを耐えながら、シンに笑顔を向ける。いつもの笑顔だった。
「お母……さん……!?」
「……シン……友達を……作って……笑って……生きるの……よ……」
「お母さん!お母さん!嫌だ!死んじゃだめだよ!お母さん!」
「シン…………ごめん……ね」
母の目から涙がこぼれる。笑顔は崩さない。額に冷や汗を浮かべつつ、いつもどおりの向日葵の様な明るい笑顔を浮かべていた。
母は笑っていた。
精一杯の笑顔だった。
その笑顔のまま。
母は死んだ。
心臓を撃たれ、失血性ショックで死んだ。
母が血だまりを作りながら、母の体が冷たくなってゆくのをシンは見ていることしかできなかった。
失意のまま、シンは気絶した。
心が耐えきれなかったためか、誰かに殴られたためか。
それはもう誰にも分からない。
気がつけば、薄暗いトラックの中でシンは揺られていた。中は埃まみれで自分と同じくらいの子供がさめざめと泣いていた。シンは体を起こそうとする。頭が鈍く痛む。
シンは何人かの子供にここはどこかと聞いた。だが、言葉が通じないのか、それとも答える気力がないのか、何も言っても返事が返ってこない。シンは五歳頃に見た悪質な悪夢のように思えてきた。そのときも暗い部屋に閉じ込められる夢だった。そのときのように目が覚めることをシンは一心に望んだ。
夢が終われば、またいつもの朝が始まる。
そのことをただ望んでいた。
しかし、これは夢ではなかった。
きわめて悪質な『現実』であった。
トラックが止まると中年の迷彩服を来た男に降りるように促された。仕方なく皆トラックから降りる。
トラックから降りると荒野が広がっていた。
昼だ。太陽が乾いた大地を焦がす。見たことのない看板が何か危険を告げている。後で分かったことだが、それは地雷原の警告をする標識だったということだった。この日を境にシンの幸せが終わる。
『母の死』はすべての『終わり』ではなかった。
血なまぐさい『地獄の始まり』だったのだ。
今回お読みいただきありがとうございます。次回以降、ミッシェルとシンの出会いと交流を中心に描いていこうと思います。グリーフの蒼い世界でであった『ミッシェル』はシンとどういうつながりがあったのかを強く描いていこうと思います。よろしくお願いします。




