第三章 十五話 バルザックの追撃者
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
バルザック家の邸宅は広々としており、二階に続く中央の階段の上には、エリック・フェルナン・バルザックがカズを見下ろしていた。カズの側には中年女性のメイドが側に立っていた。
「……」
メイドは顔から生気を感じることはないほど、機械的な印象をカズに与える。目は使い込まれたカメラの様に暗く。表情はしわこそあれど、人工繊維のような質感の皮膚であった。
カズにとっては、バルザック家に来るたびに不気味な感覚を消せずにはいられなかった。そして今日、彼のそれに確信があった。
『暗夜の絵画』。
この事件とバルザックのつながりはそれを知るまでないに等しかった。
ユキと共に帰還したシンはカズに協力を求めただけだった。
「すまない親友。お前の助けを借りたい」
絵画の世界から二人が帰還した後の事、シンはカズにいきなり頭を下げた。
「いつでもいいよ。どうすればいい?」
「バルザックだ」
「え?バルザックって」
「ああ」
「あそこ、ちょっと不気味でさ。僕もあまり気が進まないな……。それにシンはあそこの家の人たち嫌ってたでしょ……」
「……そうだ。ミッシェルを家族とも人間とも扱わず、そのまま、自分たちの領域から放逐した連中はクズ以下のゴミでしかない。俺だって顔を合わせたくない」
「じゃあ、なんで?」
「会う理由ができてしまった。そう言えば、あの絵はバルザック家のものだったな……」
外は雨だった。
雨粒が窓を叩く音だけが響く。
カズはエリックと黙々と食事をとっている。それなりに質素な食事ではあったが、肉もパンをそれなりにカズの口を楽しませた。だが、カズは食事よりもこれからする会話のことを考え、ろくに食事を楽しむことが出来なかった。
「……街を騒がせているあの絵、おじさんのでしょう?」
「……そうだ。残念な話ではあるが」
「……どうして盗まれたの?」
「……分からん。盗まれたとしか、警備は厳重のはずだが」
「それだよ。そんな状況でどうして盗まれたの?腕利きの警備担当もいて最新のセキュリティ設備や巡回ドローンもあるのにどうして警報一つ鳴らなかったの?」
「……きっと、窃盗犯のグループの中に『アラクネ』クラスの腕利きクラッカーがいたのだろう。ハッキングの技術さえあれば、システムは無力だ」
「……僕はもう一つ、思い当たるんだ。おじさん」
「……ほう、なかなか詳しいな。だが、警備担当が盗み出したとでも?」
「……そうだよ。イージス11が盗み出したんだ」
「……デタラメだな。イージス隊はフランク連合の精鋭だ。ジル・ベフトンを始め上流階級出の家を中心に優秀な者が選ばれる。もちろん平民の出身の者も選ばれるが、彼らの場合は忠誠心や能力を厳しく精査される。裏切り者が出る可能性はない」
「だが、現に彼は証拠が出ているんだ」
「……何?」
「現場で出入りした人間は二人の人物だけ。しかも絵に触れたのは警備担当と僕の親友だけだ」
「親友って、……あの小生意気な猿のことか?追放した出来損ないのことでねちねち恨み言をのたまうアイツか?……縁を切れ、ああいうのは真理と言うものが……」
「話をそらさないでくれ。僕はおじさんを信じたいんだ。おじさんは音楽や詩が大好きだったでしょ?そのときみたいに『なんちゃって』って言ってよ」
「ふん……ところで、絵に触れたのは、イージス11以外にそいつもだろう?」
「そうだ」
「なぜ、奴を逮捕しない?警察は自分の協力者を庇っているのだろうなぁ」
「……彼は絶対にない」
「何?」
「そもそも、絵に触れたのはフランクに来て絵を取り返してからだ。絵が盗まれた時には、僕と一緒に船に揺られていたんだよ」
「アリバイにならん。お前が庇っていたとしたら?船に乗っていると見せかけ、街に潜伏したとしたら?警察がこんな状態だから偽装なんて簡単だろう?」
「僕らが来たときのことは有名でしょ!あのとき海賊を追っ払ったのは僕たちだよ」
「……そのときのニュースは……カズ、お前の船だったのか」
「正確には親友の仕事仲間の船だけどね」
「……ちぃ」
エリックの表情から焦りの色が見え始める。
「それと、おじさん。僕は警備担当としか言ってなかったけど。どうして、その日の警備担当が『イージス11』だと知ってたの」
「……」
「……おじさん。今のことば録音したから。……これを憲兵隊に――」
二の句を継ごうとしたカズの頬をナイフが掠める。頬が横一文字に裂け、血が流れる。
「……お、おじさん?」
「……君は多くを知り過ぎた。君には選択肢が二つある。私にそのデータを渡すか、……死ぬかだ」
「……おじさん!僕は貴方を信じたかったんだ!」
カズは片手をかざすとエリックに向かって『風の刃』を放つ。空気の見えない刃をエリックは回避したが、衝撃波によって彼の身体は吹っ飛ばされる。その隙にカズは逃げようとした。しかし、その前に『中年のメイド』が立ち塞がる。
「……止マリナサイ」
機械的な、言葉を発しながらメイドは火かき棒をカズに向ける。棒の先は尖っているうえに赤く熱せられている。十分な凶器となっていた。
「やめてよ!おばさん!」
カズが突風を起こすとメイドの身体は吹っ飛ばれる。そしてそのまま壁に頭をぶつけ動かなくなる。
「え……」
カズは目の前のことにショックを受けた。カズは人間を殺してしまったという感情にとらわれ動けなくなった。
窓が何かとぶつかり砕ける音がする。シャドウが監視を中止し、カズに加勢した。
『加勢』したのだった。
「……離れろカズ!そいつはまだ死んでない!」
「……え?」
カズは右足に何かが刺さるのを感じた。それは痛みだけではない。熱さを伴っている!
「う、うわぁあああああああ!」
「カズゥ!!」
シャドウはすぐに火かき棒をカズの足から抜き、凍結式の止血用スプレーをカズの傷口にかけてやった。しかし、傷を治療したと言っても、傷をなくした訳ではない。足の傷から血がにじむ。火傷と刺し傷のダメージは肉体的にも精神的にもカズには大きかった。シャドウはカズに対して言葉をかける。
「カズ!そのまま車に乗って逃げろ。その足で逃げるのはきついのは分かっている。だから、時間を稼ぐ。その隙に!」
「……うう、痛い……痛い……」
「カズ!早く!」
カズはようやく頷き足を引きずって玄関の方へと脱出を図った。階段に苦戦し玄関にカズは辿り着いた。扉に鍵が掛かっていたが、『風を操る能力』で無理矢理ドアを破って出た。
それと同時刻に、カズを負傷させた者の正体をシャドウは理解する。
それはメイドだ。中年のメイド。
折れた首が不自然に曲がりながら頭部が漆黒の男を捉える。
「……ギギ、……ギ、掃除、分解ブンカイ排シュ、ツツツツツツツツ、…………ギギ、不審者ヲ『排除』、ジョ、ギ、ジョ、排除、排除排除排除排除排除排除排除排除排除排除排除排除ハイジイォジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ」
メイドはねじ曲がった首の部分から機械的な音声を発し続ける。その音声は女性のアナウンスというより、壊れたラジオや無線が調子外れの不協和音を出している感じに近かった。
首の曲がったメイドアンドロイドの腹部から様々な内蔵マニュピュレーターが飛び出して来る。
大工用の工作腕。
車を修理する為の技術腕。
調理用の切断機械腕。
上半身から異様な不協和音を出しながら、アンドロイドは様々な刃物で武装した。そのうちの一つ、工作腕の機構が変形し、電動のこぎりの形をとる。
「……食事の時間デす。キョ、今日ウウは、ハンバーグググググググググ、自動車シャの破損を検知、修理、水道管、破損、ナオス、ハンバーグ用、壊す、ツナグゥゥグ!?ギギギ、ひキ肉を感知、異常を感知シシ、メンテナンスセンターに連絡下サいィ」
上半身が様々な音声を発しながら、メイドアンドロイドは突進する。刃物とアンドロイドの腕が異様な音を立ててながら壁を破壊してゆく。シャドウは扉を蹴破り、廊下を疾走する。当然カズと反対方向にだ。
「……ギギギ、食事のヒき肉ででで、速やかに、やかに、やかいに、部屋にオ戻り下サいイ」
シャドウの背後から機械腕の伸びた下半身が追いかけてくる。腰から伸びた機械腕たちが狂乱して壁や窓を破壊する。ハンマーを持った腕が壁を砕き、チェーンソー状の腕が窓ガラスを斬り破る。火花を散らしながら窓枠と壁を削り取りながら、アンドロイドはシャドウの後を執念深く追跡する。
シャドウは反撃の為に右の扉に入る。それは厨房だ。普通のものより広い。だが、同時に血の匂いも充満している。ここは、メイドアンドロイドに囚われた者たちの処刑場でもあったのだ。背後からメイドロボが迫る。
「ぎぎぎぎ、下ごシらエを始めマァす」
メイドのチェーンソーがシャドウの頭を抉ろうとした。しかし、シャドウは姿勢を低くし、電動のこぎりの攻撃を回避する。シャドウの身体は無事だったが、大きな業務用冷蔵庫が犠牲になった。収納庫の部分に直撃し、火花が飛び散る。そこで身動きがとれなくなった『メイドの姿をした何か』に向かってシャドウは凍結手裏剣を投げる。機体が凍結したものの、機能停止にはほど遠かった。そこでシャドウはガスコンロの管を、羽手裏剣の刃で切断し、部屋をガスで充満させた。
シューという音とともに匂い付けされた可燃性ガスが辺りに充満する。その近くに、シャドウは爆発羽手裏剣のタイマーをセットしてその場に置いた。二十秒。
シャドウは入り口近くに走る。メイドの機械は凍結した部分を切り離し、刃物をシャドウに投げつけた。シャドウはバク宙の要領でその攻撃を回避した後、入り口付近のモップを掴んで、厨房を出た。そして、シャドウはその両開きの扉をモップで閂の状態にする。
あとは逃げるだけだ。機械メイドが扉を壊そうとするが、扉の破壊に時間がかかる。その隙にシャドウは逃げた。
……九。
八。
七。
六。
五。
四。
扉が破られる。
三。
機械のメイドの腕が扉の残骸に引っ掛かる。
二。
シャドウはエントランスに辿り着く。
一。
ガスが厨房に充満する。
零。
閃光。
おびただしい炎。
厨房を中心に衝撃と火炎が屋敷を蹂躙する。
「ギィィィィィィィィィィィィッ!!」
軋むような悲鳴をあげ機械の家政婦は炎と熱、そして瓦礫に包まれる。
「キー、ピピピ、……ピー、メンてナンすコーど205、ミュらーあンドスミす・インだストリーメンテナンスセンターに連絡くだ――」
案内音声を読み上げた後、家政婦型の機械から火花が飛んだ。その火花を中心に再度爆発し、殺人機械は粉々に砕け散った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。そろそろエンディングに近づこうとしています。最終話は次か次の次になると思います。
新章ではシンの過去に触れようと思います。よろしくお願いします。




