第三章 十三話 死と悲しみの向こう側
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
シャドウとユキが目を開くと、蒼穹の世界が広がっていた。
暗闇の空間にいたはずの二人が幻想的な光の中に包まれているのを感じ最初はあからさまに戸惑った。だが、シンの方はここが何処なのかを察しすぐに落ち着きを取り戻した。彼らの身の回りは一定の色彩に統一されている。キノコ状の光る植物。空の光。星のきらめき。大地の色。空を舞うクラゲ状の生物。周り全てが他に染まることのない寒色の世界となっていた。
シャドウとユキの二人以外にも招かれた者たちはいた。
『イージス11』のコードネームをもつ裏切り者。
白いスーツのマフィア、ソニー。
そして闇人間たち。
だが、闇人間たちは青い光に照らされたかと思うと、心地の良い笑みを浮かべ霧散する。黒い砂が風に吹き飛ばされる様にモヤのかかった人間たちはすっと消滅した。
「ひ、ひぃ……ここ……なんなんだ!?」
「ほぅ……階段を登ったのは四人か……」
「……」
「……」
シンとユキの目が発光する。それは空の色に似た青い光であった。二人とも黒い虹彩をしていたのにも関わらず。人間の姿をしながら人間の領域を既に外れかけていた。
「……ユキ、大丈夫か?汚染率は上がっているんじゃないか?」
「今のところは大丈夫よ。体内ナノマシンのおかげで人間のままでいられるわ。でも、あなたは大丈夫なの……?」
「俺も心配ない。ここには来たことがある。どうも体質的に超常的な因子に鈍いみたいでな」
「過信は禁物よ。長居したら戻れなくなるわ」
「……ユキもな。目的果たしたら、とっとと出るぞ」
「ええ」
二人は前に進み始める。それを見ていたソニーはあからさまに動揺の色を露わにした。
「ま、待ってくれ……ここ……どこだ……おいてかないで……」
ソニーは人知を超えた光景に精神が耐えきれず、泣き始めてしまった。それはまるで五歳児が親とはぐれたような様子でその場に胎児の様に膝を抱えて寝転んでしまった。端から見ても正常な精神状態ではないことがうかがえる。
「三人だったか……」
吐き捨てる様に『イージス11』は軽蔑の眼差しをソニーに向けた。
そして踵を返して、シンたちの方角に向かおうとした。だが、その足を誰かが掴む。誰かが。
それは、頭部の欠如した男だ。血で染まったウエイターの服を来た青年が男に呼びかける。
「……カ、返シテ…………ノウミソ……ノウミソ……」
男が口を開くと、イージス11の肉を噛みちぎろうとする。
裏切り者の男は組み付いた男に拳銃を発砲する。
何発も。
何発も。
何発も。
しかし、身体を握る手は強くなるばかりだ。
男が気がつくと、男の身体は死者たちに組み付かれていた。見知ったものと、知らないもの、どの死者も明確な意志を持って男に食いつこうとする。
「……な、……な…………離せ…………離せ!私は国を――」
『イージス11』と呼ばれていた哀れな犠牲者はその言葉を最後に全身の肉と言う肉を貪られた。腿、腕、腹部、胸筋、胃腸、腎臓、首の大動脈、心臓、そして顔の肉。
ありとあらゆる肉という肉を貪られた。男は悲鳴をあげようとするが出来なかった。声帯をちぎられ、死者たちの贄となったのだ。そうして血が抜け、頭蓋骨から脳を引きずり出されたところで、男の意識は永久に闇に消えた。
ユキは驚愕した。
それは、自分の親代わりの人物に他ならなかった。
ユキを造り、ユキに技術を託し、ユキの心のかつての拠り所だった人物がいた。
「…………ぱ、……『パパ』……!?」
パパ。ユキを作った開発者であった。ジーマTHXの技術者でサイボーグ技術顧問の最高技術者。そして、幼い『英雄候補生すべての指導者』であった。
目の前の人物は涙を流しながらユキを見る。申し訳なさそうに口を閉ざし、ユキの前から消滅する。
「い、……嫌だ。嫌だ!どこにも行かないでよ。パパ!」
「ユキ……」
「なんでよ……私頑張って生きたよ……ユキもっといい子でいるから…………せめて認めてよ!……一回くらい…………褒めてよ…………」
普段のユキはもっと冷静だった。冷淡な美女という表現が似合うくらいに誰に対しても冷静な態度を崩さない女性だった。少なくとも、シンがこの態度をみたのは生涯でも二回だけだった。そのうちの一回はプロフェッサー・ライコフがユキを処刑しようとした事件の時だ。
「………………私はただ、みんなに褒められたかった」
彼女の気持ちを踏みにじられた忌々しいあの時だ。ライコフの下衆な笑顔をシンは忘れたくても忘れられない。唯一無二の女の絶望を引きずり出し嘲った男のあの顔を思い出すたびにシンは行き場のない破壊衝動に駆られる時がある。
ユキは泣いていた。
ユキは涙をこらえるため目をぎゅっと閉ざそうとする。しかし、ユキの目蓋の裏から感情的な熱い液体が溢れて来る。それはユキの目から頬を伝い、雨粒の如く、ぽたりぽたりと落下する。ユキは咽ぶ様に身体を震わし溢れ出る涙を抑えきれずにいた。
シンはユキの頭を撫でた後に、後ろからユキを抱きしめる。
シンの身体にユキの体温が伝わる。シンは彼女の頭を撫で、彼女の溢れ出る感情を和らげようとする。最初のユキは迷子になった少女のような、咽び泣きを抑えることは出来なかった。
だが、彼女は大人だった。
時間を経つにつれて冷静さを取り戻していった。
「…………ユキは強い子だ」
平時の時のような静かな笑顔でユキの頭をシンは撫でる。
「…………ごめん。迷惑かけた」
「…………次は俺の番かもな」
「……そうみたい」
『パパ』の消えた場所に違う人物が立っていた。
シンはその人物の面影に見覚えがあった。
その人物は最期の時より大人びていて、一目見ただけでは分からなかった。だが、よれた服装と、首飾り、そして顔の輪郭と面影。
その判断に間違いはない。
シンは、ミッシェル・バルザックに出会った。
正確にはミッシェルの残滓だ。グリーフフォースの空間に再現された『もし大人の姿になれたなら』のミッシェルだ。
「……お前なんだな」
「……そうだ。大きくなったな」
「……ああ」
シンは『シャドウの顔』を首元に下ろした。シンの表情がそれまで見たことないほどに優しい表情をした。青い大地の上に漆黒の男と蒼穹の光を纏った男が向かい合う。
「……頼みがあるんだ」
「何でも言ってくれ。親友」
シンは優しい声色でミッシェルの言葉を促した。
「……僕の家族を止めてくれ」
「バルサック家か……」
「そうだ……。僕はただみんなに幸せになってほしかった。そして、褒められるのが嬉しくて『神の力』を学んだんだ……。でも、パパは、ママを犠牲にしてまで『力』に執着したんだ。そのせいでフランクは……」
「……すべては『グリーフフォース』を求めたことで起きたのか?」
「ウエイターさんのことは氷山の一角だ。大きな闇がバルザック家を支配している。だけど、僕らには何も出来ない……だからせめて……楽にしてやってくれ」
「……ああ、わかった」
「すまないねシン」
「いいさ……ずっと『親友』は『親友』だから」
「……僕は道具だった。両親にすら道具扱いだったんだ。……でもそんな僕を『年上の親友』って言ってくれて嬉しかったんだ。……なんか照れくさいな」
「事実だろ」
「……ありがとうね。シン。嬉しかった。……僕を『孤独と絶望の奈落』から救い出してくれた」
「一人じゃない。俺がいる」
「……ありがとう。……くれぐれもゆっくり来てね」
「……ああ、そうする」
「……ユキさん」
「ミッシェルさん……」
「……シンをお願いします」
ミッシェルはユキの何かを送信する。彼の右手からかざされた光の珠から、何か光の線のようなものでユキを照らす。ユキの生体演算ユニット、脳の部分に何かが残される。
「……はい」
ミッシェルは消滅した。
ミッシェルの肉体は左半身の端の部分から光の粒子が散らばったかと思うと、ミッシェルの身体は蒼穹の粒子となり風に乗って消えた。
それを見届けた後、シンはユキを連れて反対側に移動しようとする。誰かがシンに向かって手を伸ばしていた。
タカオ・アラカワだった。
大勢の憲兵隊がマフィアと悪徳警官の群れを検挙する。ジャックたちは隠れていた。姿を隠し闇の深い隠れ場所の方から、シンたちの安否をうかがっている。
落ちていた絵画から青い光の閃光が放たれたかと思うと四人の男女が姿を露わす。
マフィアの男ソニー。
東の賢者タカオ。
ハッカーの女ユキ。
そして、カラスの男。
『イージス11』は戻らず。憲兵たちが絵に布を被せ始めた。特殊な処理が施された封印処置用の布であった。
「……ままぁ……ぼくどこぉぉぉ……?」
ソニーは幼児の様な言動で辺りを伺った。初老の紳士が指を咥えながら、辺りを上目遣いでうかがう様子はもはや不気味であった。
「……彼は既に来たときにはもうこの状態でした。そして、『イージス11』は壮絶な最期を……」
「そうか。アズマ国からわざわざすまないな」
イージス2こと、ジル・ベフトンは、警官隊と憲兵隊、化学処理班の群れに混じって調査を行っていた。しばらく、姿を消したタカオに驚きつつも冷静に対応をしていた。
「……しかし、無事でしたか。容疑者たちは」
ジルは『容疑者たち』と表現しつつも声色が穏やかであった。
「……そうだ憲兵さん。僕らはなんとか無事です」
「ええ、ご心配おかけしました」
ユキとシンがお礼を言う。
「……余計なお世話だ。こっちだ」
ジルに連れられるがまま、漆黒の番人と天才ハッカーは一歩一歩外側へ足を進める。現場に残されたのはタカオと憲兵だけとなる。
「……さて、仕事」
タカオは現場から反対側の方角に消えたかと思うと、そのまま、どこか警察も知らない怪異を追って消えていった。ユキやシャドウと共に
そして、身を隠していたジャックたちも、シンたちの様子を気がかりとしながら、夜の街に消えていった。
「…………俺たちも仕事が残っているな」
「ええ」
ジャックとアディの小声がひっそりと響く。そして、そのまま彼らは夜の街へと姿をくらます。
翌日、電子新聞のトップ、驚くべきニュースが世界を震わす。警察機関の不正かつ違法な行いを国家憲兵隊や民間警備会社『バレットナインセキュリティ』によってたっぷり言及されることになった。
今回もお読みいただきありがとうございます。次回か、そのまた次の回あたりで第三章は完結しようと考えております。次回以降もよろしくお願いします。




