第三章 九話 雨天の闘争
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください
曇りがかかった空から少量の雨が降る。
お洒落な外観の町並みをしっとりとした小雨が湿らせる。アスファルトの水溜まり、雨粒のかかった電気自動車のフロントガラス。まちはいつも通りのはずだった。人並みは少ないが、穏やかな光景である。その中に二人の異質な人物が紛れ込む。
紳士的な男がフードの男に指示をする。フードの男の目元の稲妻のような傷が、昼間の議員と密談していた人物である、なによりの証拠であった。
「さて、『オールドスカー』?後は分かるね?君の任務はこの街の人間を黒く染めることだ。……十分なGFを用意してある。後は『東の賢者』に気をつけて暴れると良い」
「…………」
オールドスカーが紳士の指示に頷く。紳士――レイ・アルマーはにやりと悪辣な笑みを浮かべ踵を返していった。それを見た『オールドスカー』は能力を発動させる為に準備を行おうとした。
銃弾。
オールドスカーの前に熱を帯びた鉛玉が向かって来る。それは紺碧の色をしていた。粒子の色だ。弾丸は粒子の青い炎を纏っていた。刹那の世界で『オールドスカー』それを目視する。それは眼前まで迫る。眉間を狙い飛翔する。
しかし、『オールドスカー』は埃かなにかの様にその弾丸を払いのけてしまう。払いのけた弾丸は青い粒子の残滓を残しながら地に落ちてゆく。まるで飛ぶ力を失ったかの様にそれはいとも容易く落下する。落下した弾丸は地に落ち、何度か飛び跳ねると、砂の様になって消えてゆく。
「……誰だ?」
「…………やはり死なないか」
シン・アラカワに似た顔立ちの知的な紳士がオールドスカーに立ちはだかった。その両手には濃紺と漆黒の拳銃が握られている。
「誰だ?」
「これは失礼。わたくし政府からこの近辺の調査を任されております。アラカワと申します。以降お見知り置きを」
若い紳士はぺこりと丁寧にお辞儀をする。
それを見てオールドスカーも軽くお辞儀を返した。
「……礼儀を大事にする人は嫌いではない。だがタイミングが悪かったな」
「いいえ、絶好の機会でございます。私としては」
「……何が目的だ?」
「……『暗夜の絵画』をお渡し願いますか」
「それを渡してどうする?」
「我々『アラカワ一族』の手で厳重に封印するか、破壊します」
「断ると言ったら?」
「命の安全を保証をしかねます」
言葉と語調は非常に穏やかだ。一流ホテルのホテリエが宿泊客に接するときのような丁寧な物腰で冷徹な言葉を告げる。オールドスカーはたまらずナイフを『アラカワと名乗る紳士』に突きつける。しかし、突きつけたナイフの刃先がその紳士に向けられることはない。
ピュン。
余りにも小さな射撃音。外見は古い火薬式の自動大型拳銃に見えるが、構造は粒子弾の拳銃であった。鉛の様に見えたのは実体化した粒子が弾丸の質量、形質を模していただけに過ぎない。グリーフフォースの粒子が鉛の性質の質感を模して飛翔する。それが突きつけようとしたナイフのリカッソ、つまり刃の根元の部分を正確に穿った。
「……!?」
最小限度の動きで放たれた射撃は最大限度の防御と制圧能力を発揮する。ナイフを突きつける動きの途中で刃が折れ、一瞬の隙が出来る。その刹那のことだ。
タカオ・アラカワの拳銃がオールドスカーの眼前に突きつけられたのは。
タカオは先ほどと変わらない口調で言葉を紡いだ。
「もう一度だけ言います。『絵画』はどちらですか?」
「……ぐ」
オールドスカーは手も足も出なかった。完璧かつ流麗な神業。天才的で芸術的ですらあった。刹那、コンマ一秒の世界のやり取りであった。それを見ていたアルマーは深く感激した様子で語りかける。
「ほお、アズマ国の『銃武道』ですか?ここまで進歩したそれを見るのは久しぶりですよ」
「…………」
タカオは中性的な外見の美しい紳士と相対する。170センチ程の美少年と言われても、不思議ではないスーツの青年がそこにいた。両者の背丈はほぼ同じである。
二人は三十メートルの間隔で互いを見据えている。
「……アズマ国の命令で動いているのかい?」
「そう捉えていただいて構いません。しかし――もし、歯向かうならあなたが死ぬだけだ」
タカオは途中で敬語口調と柔らかい物腰をやめ、厳しい口調と鋭い目を相手に向けた。アルマーも怯む素振りを見せることなくスーツのタカオに告げる。
「死ぬ?君たちは僕の好意よって生かされているの過ぎないのだよ、劣等種。神に近づいた僕らに黄色い猿ごときが、対等な立場になったつもりなのかい?」
「……押しつけの好意など始めからごめんだ。アズマの帝より、国の安全を守る権限をいただいている。不利益は全て排除する」
「やってみると良い」
「……」
「スカー?何をしているのです?計画を急ぎなさい」
オールドスカーはどこかへ消えていった。そして、不遜な態度でアルマーはタカオを見据える。
先に仕掛けたのはレイ・アルマーであった。
アルマーは豹のようなスピードで距離を縮める。それを冷静にタカオの銃が狙いを定める。放たれた弾丸はアルマーの眉間を正確に狙う。高密度のGF弾だ。GF以外のエネルギー障壁なら紙の装甲に等しい。しかし、それは異種の粒子であるはずの障壁に阻まれる。
「何!?」
アルマーはにやりと笑いながら、渾身の蹴りを食らわせる。それは音を置去りにする攻撃だった。回避不可能の攻撃のはずだった。しかし、タカオの姿はない。タカオはタイムラグ無しに側面まで動いていた。
「ほぅ?」
余裕の態度を崩すことなくアルマーは殴打と蹴りの応酬を食らわせる。タカオはそれに追いつく。音速並の殴打なのにも関わらず。
「…………これは」
アルマーはとっさに回避した。
タカオの銃撃と殴打を回避し、距離をとる。タカオは連射し、アルマーを牽制する。粒子の弾丸の通過地点から小規模な爆裂が響く。
「ぐぉっ」
「……爆発性があるのはわかっていた」
タカオを不利にするための粒子がアルマーを逆に追いつめてゆく。アルマーの身体が血でにじむ。
「観念しろ。お前如きが俺には敵わない」
「……ぐ、本当ならもう少し付き合いたいけど残念だよ」
「この期に及んで負け惜しみかな?」
「時間切れだ!!」
アルマーは何かの装置を作動させる。
「!?」
タカオは警戒して距離を置く。しかし、すぐに相手の意図に気づき近づこうとする。
「待て!」
アルマーの身体は粒子と化す、風に乗った砂の様にその身体が揺らいだかと思うとそれは徐々に掻き消えていった。
「転送か。だが、それより」
さっきまで居たオールドスカーの位置をタカオは見た。タカオは目を瞑ると相手の『恐怖の残滓』を追跡する。微かな反応だが、まだ距離がそう遠くはない事を悟るとタカオはその後を追いかけていた。
強くなった雨脚がセントセーヌの街を濡らしてゆく。
オールドスカーは人ごみをかき分け、大通りを抜け路地裏へと逃げ込む。それは、スラム街の住民が、大通りの近くで『商売』をする為の通りであった。この場合の『商売』は合法的な雑貨の販売の意味を示すこともあれば、麻薬や拳銃などの密売を意味することもある。
『光と影通り』と名付けられたこの道にオールドスカーは逃げ込んだ。
「……まいたか」
正面から、オールドスカーは誰かとぶつかる。
「おい、よく見て歩け」
「すまないな、フードの男。一つ聞きたいことがある」
ぶつかった男は背丈が一六四センチの男だ。鴉のシンボルが描かれた覆面と黒いプロテクターの男が目で柔和に微笑みこちらに語りかける。その横に黒髪で顔立ちの整った若い美女と秘書風の眼鏡の女が連れ添っている。裏路地を通る人間にしてはやや不釣り合いであった。
「なんだろうか?」
オールドスカーは無表情を装った。刹那、漆黒の男の目が鋭くなる。鷹や鷲の目とよく似ていた。
「君はオズ連合の使者、――とみせかけたどこかのスパイだったね?暗夜の絵画はどこだ?」
「!!」
古傷は完全に不意を突かれた表情をする。彼は即座に戦闘態勢をとろうとした。しかし、予備のナイフが何かには弾かれる。
サソリの尾。
アディの身体から伸縮する器官によって戦闘手段が奪われる。オールドスカーは踵を返し、俊敏な動きで背後に逃げようとする。丁字路に逃げたその時だった。右からは国家憲兵の集団。左からは色黒の銃を持った大男と風をくるくる操る若者が立ちはだかっていた。右は服装と装備から傭兵と、それも手練と分かる。側にいる痩せた若者はメタアクター、すなわち超能力者だ。鍛えられた兵士二十人分の戦闘力は確実にある。
オールドスカーは完全に包囲されていた。
「ご協力に感謝します。シャドウ」
憲兵の一人。誇り高きフランクの騎士、ジル・ベフトンが漆黒の男に礼を述べる。
「……街中でドカドカ、誰かと抗争をやってたからな。すぐ気づけたよ。まさか、監視映像のフード野郎がまだ街中をうろうろとしていたとはな」
包囲の幅がじりじりと狭まる。壁を蹴って逃げようにも、銃火器を搭載した鳥形ドローンがこちらの動きを見据えている。黒髪の女――ユキの仕業であった。これで男の逃げ道は塞がれる。
フード男はカラスの男を見据える。シャドウもオールドスカーを見据える。強い雨の中、二人の間に異様な殺気と緊張感が渦巻いていた。
本作品は『孤独なる人間』をテーマに様々な物語を展開していきます。
次回もよろしくお願いします。




