第二章 十二話 月下の決戦
今回はゲイリーへの尋問であり、ある人物との決戦でもあります。今回の話もなかなかあれこれ苦戦しながら執筆を行いました。楽しんでいただけると幸いです。
ゲイリーの頭上から水が被せられた。
冷水の冷たさがゲイリーの身体を震わせる。ゲイリーのいる場所は寂れた倉庫を思わせるようなところであった。
「起きろ」
液体窒素よりも冷え切った声色の男の声がゲイリーに呼びかける。声の主は漆黒の出で立ちで目元だけが露出していた。背丈は低く、160センチ前半の身長であったが、どこか威圧感と殺気を帯びていた。
シャドウはバケツでゲイリーの頭部を強く殴打した。ゲイリーの額から血が流れる。
「げほ……げほ……」
ゲイリーは上半身裸で椅子に括り付けられていた。
「……誰が寝ていいって言った?答えろよ?お前は『血染め天使』のニーナを知っているんだろ」
「……誰が教え――ォガッ!」
膝蹴りがゲイリーの腹部を強烈に抉る。ムエタイの達人でもここまで強烈な蹴りは出せるだろうか。否、死闘と死線をくぐり抜けた強者のみが到達できる領域であった。殺人的な足技によりゲイリーは呼吸困難に陥る。それは、戦争のプロであるゲイリー相手であっても変わらない。
「…………お前……ごほ、……なんだ……それは」
「……これ?鍛錬の成果」
「……んな訳――ゴッ!」
シャドウの前蹴りがゲイリーの座る椅子を転倒させる。
「無駄話している暇あんの?教えろよ」
ゲイリーの口から血が流れ出す。咳き込みながらゲイリーは話を始めた。
「……畜生、知ってんだよ……あの女メタアクターだろ……あいつの兄を殺したから狙ってんだよ……馬鹿な女だ……返り討ちにしてもまだ襲いかかってやがる……まあいいさ……あの女を苦しめる楽しみが出来た……」
「……相変わらず多方面に恨まれてんな?血染め天使とお前はどっちもどっちだろうになぁ。そう言えばお前はある意味エフに戦闘技術仕込んだ張本人なんだろ?」
「……へぇ、そこまで知ってんのか。……そうだよ。俺が奴さんを鍛えたのさ。母親を殺させてな」
「……この手のクズは尽きないな」
「お前だって、人を傷つけるのを楽しんでんだろ?同じ穴の狢――ゴッ!」
ゲイリーの腹部に前蹴りが直撃する。
「……生憎、標的とそうでない奴の区別はつく。お前と違ってな?お前は自分以外は玩具としか考えてないだろ?だから、多方面に恨まれるのさ。その結果はこれだぜ?」
「……糞が」
シャドウの露悪的な微笑と刃物より鋭い挑発にゲイリーは苦虫を噛み潰した表情をする。
「……同じ穴の狢と言えばな、あの天使部隊も大概だったよ。平和を謳い文句にするくせにやっていることは俺と同じさ。これを同じ穴の狢と言わずして何と言う?」
「……何度も言わせんな。標的とそうでない奴の区別はつく。それがお前とそうでない奴の違いだよ」
「あいつらは軍人さんなら誰でも殺すじゃないか?俺と同じだろ?んん?」
「はぁ、その状況を生み出したのはお前だろうが?天使部隊の結成理由の半分はお前の悪行が原因だろうが?向こうは揃いも揃ってゴミ掃除をする感覚で仕事してんの。そうさせたのはお前だろ?要はバックグラウンドと動機が違うんだよ」
「……偽善者が人を殺した。結果が全てさ」
「話にならん……ところでさ、いい加減ニーナの場所教えろよぉ」
シャドウが『ろよ』と言ったところで前蹴りがゲイリーの腹部を抉った。
「もう来てる」
「……準備してよかったよ」
悪寒。
シャドウが背後を見た。
赤いモヤが出入り口を塞ぐ。
赤いモヤが少女の姿を形づくる。彼女の顔に仮面はない。
有毒の赤い粒子が地を這う。そして空間を侵蝕する。
毒と光。おぞましい悪意の化身がニヤニヤとせせら笑う。
赤い天使は不吉に微笑み。死を告げに来る。
「ゲイリー……この時を待ってたわ」
「いたぶられるのが好きみたいだなぁ?お嬢ちゃん?初めて会った時みたいに可愛がってやるよ」
ゲイリーが醜悪な挑発を行う。顔をしかめたニーナは半狂乱に怒って銃口を向ける。メタアクター向けの特別製だ。
「うるさい。にぃにぃの仇ィ!」
赤い死の弾丸がゲイリーを射止めようとする。しかしそれは敵わない。
対粒子反射装置を装備した女が立ちふさがる。ユキだ。
アラクネは左腕の装置を交換してあった。このときの為に。
「……あなた。人のこと言える立場?」
「誰よ……って、あのときのカラス男!アンタはあの男の助手!?」
「そんなところね。それより貴方。調子乗り過ぎね?何、『死んじゃえば良いよと思って』って?それで殺される方もたまったものじゃないわ?」
「アンタには関係ないわ。ブス」
「大有りよ。ここにその人物を呼んであるから」
「!?」
血染め天使の背後にパワードスーツを纏った二人の女性が立っていた。月光の明かりに対粒子装甲の輝きが照らされる。それは戦に向かう武者の甲冑の様にも見える。彼らは合体をすれば強い。しかし、彼女達はそもそも通常の人間とは、桁違いの細胞をもつ存在だ。重装備で来れば勝算は十分にあった。
レナとフェリシア。
二人の女が毒婦を見据える。因縁の相手の微笑をきっと睨めつけていた。
「……人の家族殺しておいて、自分は悲劇のヒロインか……調子に乗るのも大概にしな」
「レナを傷つけたのは……あなたね」
「だから何よ?のほほんと屋内で遊んでいた方が悪いのよ」
「貴様……!」
「レナ!挑発に乗っちゃダメ!」
「殺しに来なさいよ。返り討ちにしてあげるわ!」
「私たちは殺さない!『法の裁き』にかけてやるのだから!」
「フェリアの言う通りよ……貴方はここで捕まえる。『元警官』として!」
パワードスーツ。
それらは国によっては強化甲冑とも、強化外骨格とも、表現される。
呼び名は他にもいくつかある。しかし確かなことは着用したものにメタアクター並の戦闘能力を付与する事が出来ると言うことだ。まして、人の姿をしたメタビーングが着用すれば、片手で装甲車に勝てる馬力と各種銃火器の恩恵の両方を受けられる。弱らせるのが目的だとしても十二分に結果を見込める装備であることは、ほぼ間違いはない。
二人の戦乙女が血染めの毒婦に仇討ち勝負を仕掛ける。
殺戮の経験者に二人分の決意が立ち向かった瞬間である。
先手はニーナが仕掛けた。月下の元に血染めの狂女が突貫する。
赤い粒子に隠されていたが彼女もまたパワードスーツを着用していた。しかも、どの国のそれとも似ても似つかぬ代物であった。
「きゃははは、元警官?そんな奴にアタシを倒せる訳ないでしょ?」
「だから何だ!お前を許しはしない!」
深紅の粒子弾丸に二人分の火力が唸る。シャドウとユキ、捕まっていたゲイリーの姿はない。屋上に避難し、事の有り様を屋外から見るしか他の者達に出来ることはない。
赤い有毒粒子の閃光を避けて、誘導弾とエネルギー機銃の青い連なりがコンクリートとトタンの障害物をぼろぼろにしてゆく。
状況は二人に不利であった。ニーナは自分の身体のみを動力源にできれば良かった。しかし二人のパワードスーツは実体弾と電気エネルギーなどを用いた武装を主に使っている。それらには残弾の概念がある。一方ニーナは自分の身体がエネルギーなので、残弾の概念はない。つまり、長期戦になれば圧倒的に不利。短期決戦でニーナを無力化する必要があった。
「ぐ、この!」
「ぐぅ……」
「きゃは、アンタらごときに遅れをとらないつうの!」
ニーナは毒の弾丸を放ちながら、醜悪な笑顔を向ける。
弾雨の応酬をそれでも止めることはない。止めた瞬間、勝負はつけられる。
ひたすら、閃光と閃光が交差するやり取りを、レナは続けるしかないはずだった。
しかし、ある時点でレナは叫ぶ。
「フェリシア!今だ!」
フェリシアが仕掛けた罠がニーナを襲う。ニーナがレナと銃撃の応酬をしていた隙にフェリシアは伺っていた。ニーナを無力化するチャンスを。
毒には毒を。元看護師のフェリシアらしい発想であった。
「な?」
ニーナの周辺に煙状の何かが立ちこめる
フェリシア装着した鎧から何かを取り出す。そして彼女はそれを投げ込んだ。特定の粒子と合わさると麻酔と同等の効果を持つ効果を生成する罠を。それは手投げ弾の形をしていた。ニーナが反射的に撃ち抜くと撃ったものから何かが飛び散る。
ナノマシン。
治療目的のものならユキの体内にも高性能なものが注入されている。しかし、この場合はそれとはまるで違う代物であった。たしかに元は治療用のナノマシンだ。しかし、これは改造されていた。
ニーナは『それ』を思いっ切り吸い込んでしまった。
「なによ、足止めのつもりぃ……え……」
それは有害な物質を摂取した患者。特に可燃性の毒物に反応する緊急治療用のナノマシンであった。これは消防の化学処理部隊や災害の現場で使われているものの改造品。治療が困難な患者を一時的な不活性状態にする為のマシーンであった。この場合はそれを対ニーナ戦でニーナ・ケルナーを無力化するために応用したものであった。
「ふ、……ふざけ、……こうな……ったら……死なば……」
ニーナはパワードスーツの電気回路を弄り、発火させようとした。
ニーナの紅い粒子は可燃性がある。負けるくらいなら自殺する算段であった。だが、それは既に手遅れであった。ナノマシーンは粒子そのものを遮断していた。ニーナの身体自体を不活性化させることで。
「……がぁ……が……なん……で……」
「あなたはレナを傷つけた。私が看護師の仕事を捨ててまで救おうとした人の気持ちを平気で踏みにじった。だから、償ってもらう。檻の中で永遠に」
ニーナを打ち倒したのは大砲でも、殺人術でもなかった。医療技術の応用。
理解の範囲外の方法によってニーナは打ち倒される。
ニーナの表情はぎこちなく固まってゆく。
それは敗北のためか、それともナノマシンのためか。
「ち……ちくしょ……」
その言葉を最後にニーナはカチンコチンに凍結する。身体の内部からニーナ自身が。死ぬことはないが彼女はしばらく目を覚ますこともない。ナノマシンを解除する別のナノマシンが注入されるまでは。それがされるときは裁判にかけられる直前。すなわち、彼女は完全に無力化されることとなった。
ニーナの身体がゴロンと音をたて転がる。
それを確認してレナとフェリシアはヘナヘナとへたり込んだ。フェリシアは気丈に振る舞っているが、それでも苦笑いと疲労の色は隠せていない。
「へ……へぁ……終わったの?」
「うん、終わったよ」
「……フェリア……死ぬかと思った」
「嫌なこと言わないでよ。私だってヒヤヒヤしたんだから……」
シャドウとアラクネは姿を消していた。椅子に縛られたゲイリーだけがその場に残される。そのそばにはこういったメモ書きがあった。
『この者、殺人鬼なり。この者、爆弾魔なり。この者、罪に肩まで浸かったサディストなり。多くの人間を苦しめたこの者を一刻も早く裁判にかけることを切に願う。カラスの自警団、シャドウ』
アスガルドの月は『モナ』と呼ばれる。
モナの光はとても優しかった。暗闇の夜空でモナの光が蒼く輝く。雲に隠れ消えそしてまた現れる。それは探偵小説によくでてくるような『真実の一面のようなもの』を象徴している。そのような感覚をレナ達二人に感じさせずにはいられなかった。
今回もお読みいただいてありがとうございます。次回はニーナとシャドウが対話をしながら基地襲撃の真実に迫ってゆくことを予定しています。次回もよろしくお願いします。




