第七章 第三話 黎明
この物語は残酷な表現が含まれる事があります。ご注意ください。
シン・アラカワは既に事務所にいた。
外は暗く夜風が吹いている。時刻は午前二時を過ぎていた。シンは誰よりも早く出勤し、だれよりも早く仕事の計画を練る。そうする事でシンはあらゆるトラウマから一時的に開放されるのである。
「………………」
黙々と表計算ソフトをシンは睨む。
徹夜での作業は効率が悪いので、シンは常に早く起きて仕事をしている。
これは兄タカオの知恵のひとつであった。シンは日常のあらゆる知恵を兄から教わっていた。それはシンにとって尊敬の根源であり、劣等感の根源でもあった。だが、シンにとっての兄の知恵は大切な繋がりであり、家族から受ける愛の象徴でもあった。
事務所の扉が開く。シンの耳にそれを告げる通知音が短く響いた。
この時間は、少年の頃からの相棒であるユキ・クロカワのみが来る。だが、今日はもう一人見知った顔があった。
アディーネ・ザザン・スコルピ。通称『アディ』。
短く整えられた黒髪とアンダーリムの眼鏡、整った顔立ち、タイトスカートのスーツ姿と肉付きの良い身体。よく見ると体つきが鍛えられている。が、気づく者は少ない。大抵、無関心であるか、蠱惑的な美貌に目を奪われるからだ。
この容姿で彼女が薬学者の過去を持つ元傭兵だと気付く者はあまりいない。ほとんどの人間は、彼女が受付嬢か事務員だと誤認する。彼女は解散した傭兵集団フルハウス隊のNo.2であった。そして彼女は、隊長であるジャックの右腕として動いていた女であった。彼女の過去は元薬学者で傭兵として働いていた事と国籍がオズ連合王国領内の辺境惑星出身であること以外はなにも分かってはいなかった。
確かなのは彼女がトラウマを抱えている事とジャックを心から信頼している事であった。それ以外の事柄の追求をシンは全くしなかった。
「あら、わたしがここにいるのは珍しい?」
「いや、緊急の用件か?」
「そんなんじゃないわ……ただ……」
「ただ?」
「眠れないの」
「そうか。……不眠か?」
「そんなところ……あら、理解が速くて助かるわ」
「……違ったか?」
「気があるって可能性は考えた?」
いたずらっぽくアディは笑う。ユキはむっとした顔をしたが、シンの顔を見てその必要はないと悟った。
「……俺にはユキがいる」
「ふふ、からかっただけよ」
「そうか……」
「怒らないの?」
「その必要はない。怒る利点もないしな」
「これでも美貌には自身があるのに……妬いちゃうわね」
「その辺にしろ……つらい夢でも見たか?」
その言葉を聞いて、アディは目を見開いた。
「……そうね」
「……もし話せたら」
「……無理ね……怖くて……辛いわ」
アディは俯く。それを見てユキは背中を摩った。
「……そうか。俺にも覚えはある」
「……シンも?」
「ああ……俺の場合は母と最初の親友を失った時と……中学校……ジュニアハイの時だ。あの時のアズマ国はいじめによる飛び降りがひどかった時代でな……俺も直接目撃した事がある……幸い、親友のカズとか知り合いにはそんな事させないようにあれこれした工夫した成果が実ったが……、正直、戦場を思い出したよ……あの時は」
「そう……あなたもそんなことが……」
「いいさ、もう『慣れた』からな」
「……隊長から聞いた事があるけど……あなたからその話をするのは初めてね」
「それはそうだ。……正直、今だって苦しいときがあるからな。……この世界では『孤独と絶望』のために『真っ当な人』が何人苦しんでいるだろうって思うと……きっとこの街も…………」
「……そうね……ユキもつらい時が?」
「……ええ」
ユキは無表情のまま頷く。長く綺麗な黒髪が揺れる。表情は精巧なビスク・ドールのように美しかった。だが、彼女の瞳の中には、うっすらと哀しい闇が渦巻いていた。
「…………ごめんなさいね。わたしも夜は苦手で。思い出すと胸が苦しくなるの。目が覚めるとまたあの寝床で起きて作業して『この偽善者がッ!』怒鳴られたり責められたり、見知らぬ人に詰め寄られるような気がして……ごめんなさい。何言っているかわからないわよね」
「……わかる。わたしもそんな気持ちに襲われる時がある。『現実夢オチ恐怖症』っていうの?笑える。……笑えないけどね」
アディはおちゃらけた笑みを浮かべるが目だけが泣いていた。シンはそれを敏感に感じていた。
「アディもそうか」
「うん、あ、ジャックには黙っといてね」
「そうか」
「ありがと、知られたくないから」
「相棒だから?」
「そう、相棒だから」
「心配をかけさせたくないから?」
「そそ、そいうこと」
「そうか」
「ありがと、こういう時のシンってさ、すごい優しいね」
「いつもはどう思ってた?」
「苛烈。アイビスタンの時とかそうだったじゃない。オネスを尖った彫刻に投げ飛ばしたり……」
「そうだな……あの時はデュナが最初に泣いていた時の事を思い出した」
「……あの時はわたしも同情しちゃったな……柄じゃないのにね……」
「……好きな人だっていただろうに、売春をしないと生きる事すら出来ない状況を作って、その張本人だけがのうのうと宮殿暮らしをしているのが……許せなかった」
「そうね、あの時はわたしもムカってなったわ」
「ああ……なんでだろうな」
「シンが優しいからじゃないの?」
アディの発言にシンは哀しく顔を俯かせる。
「……悪人とは言え、人殺しの俺が?」
「そう」
「人殺しは人殺しだ。あまり俺に感化されるなよ」
「それでも救われた。……少なくともジャックとわたしはそう」
シンは少しだけ黙して考えた後、シンは一言だけ言った。
「……そうか」
少しだけシンの顔が柔らかかった。
午前八時を過ぎた頃。
さすがにこの時間になると人が集まる。
ジャック、ルイーザ。今日はメカニック担当のエラン・アランも来ている。相変わらず言葉は方言まじりのオズ語でアディとカズ以外はチンプンカンプンであった。そこでシンはふと親友のカズマ・L・リンクスこと『カズ』の姿がないことが気になり始めていた。いつもなら彼は六時には出社しているはずであった。
「――」
「へえ……」
「なんて言ってるんだ?」
元フルハウス隊の隊長で、黒い肌をした大男のジャックがアディに問いかける。
「……こないだの休みで親戚とバーベキューしたんだって」
「肉あまり食べないのに?」
「ええ……エランは魚肉以外の肉は嫌いなのよ」
「……レムリア人ってどんな肉食べるんだ?」
「うーん…………たしかわたしがホームパーティに行った時は白いぶよぶよの――」
「あ、ああ、うん、もういいや。もう大丈夫だからね?ね?」
「う、うん」
あまりに早口で捲し立てるジャックの様子にアディは思わず面食らっていた。残りの面々は思わず笑い出す。ルイーザもその一人だった。両手で口を覆っていた。
「くーくくく……ウケる。すごくウケた。ぷーくく……」
「……おまえなぁ」
ジャックがきょとんと気抜けしていた時である。来客を告げるベルの音がバレッドナイン・セキュリティ事務所に響く。
シンがモニター越しに見るその男は短い金髪の整った容姿をしていた。白いワイシャツを基本にラフな格好で事務所に現れる。細身だが筋肉質で、アウトドア系の志向が出で立ち等から読み取れる。
「…………」
シンは男の表情から不安と緊張の様子を感じ取る。アディが丁寧に応対を行なった。
「こちらは民間警備会社の『バレッドナイン・セキュリティ』でございます。アポイントメントはございますか?」
「いや、だが……取締役のシンに用事がある」
「…………失礼ですがお名前を頂戴できますか?」
「……アレキサンダー・スタドニク。カズマから聞いていないか?普段はアレックと呼ばれているのだが……」
「…………少々お待ちを……」
そう言ってアディはシンを内線で呼んだ。程なくしてシンが下の階へと降りて来る。
「シン・アラカワだ。君がアレックか。スタドニクとは馴染みのないファミリーネームだね」
「私の父がツァーリン連邦の出身で」
「そうか。まあ、立ち話もなんだから二階で話そう。お茶も用意しよう。コーヒーも茶も良いものがある」
「ありがとうございます」
そうして二人は二階の応接室へ向かう。
小さな事務所では移動も手間になる。小さなエレベーターがあったが今月に限っては故障中であった。エランが知り合いに頼んで修理してくれているが、それでも時間がかかるとの事であった。必然的に階段での移動に限定される。
その手間を払ってアレックとシンは面談を始める。
「……カズに何があった?」
単刀直入にシンが話を切り出した。
「……俺……いえ、私の恋人のカズが行方不明なのです」
「アレック。それはどういうことだ?」
「……誘拐されたのです」
シンは目を見開くように驚いた。他も同様であった。アディも驚愕している。
カズは昨日まで誰かに狙われるような予兆はなかったはずであった。少なくともシンはそのような話は聞いていない。
「……心当たりは?」
「……私が同性愛者だからでしょうか?でも、だからといってカズが……」
「……」
「…………俺にポストにこんなものが……」
アレックは酷く取り乱した様子で、シンに『それ』を見せた。
一枚の声明文である。筆跡を悟られないことと恐怖を煽るために新聞の切り抜きを活用したメッセージであった。
『カズマ・L・リンクス。彼ハ罪を犯シタ。ゲームヲシヨウ。彼ハ“ヴィクトリア”ノドコカニ隠シタ。彼ヲミツケロ。期限ハ正午マデ。“主役”ニ追ッテ連絡スル』
「……『罪』だと?」
「……俺のせいで……俺とカズが同性愛者だったから過激な集団に…………」
「そうとは限らない」
「え?」
「……この文章……わざと『手がかりを残して』ある。……どういう訳か……な」
シンは手袋を付けて文章の書かれた厚紙に触れる。表と裏。それを何度か観察してからシンはある答えに行き着いた。
「わかった。この場合の『罪』とは彼の仕事だ。つまりこのバレッドナインでの仕事……狙いは……」
一拍置いてからシンは明瞭に言った。
「狙いは『俺』だ」
シンは厚紙をユキに手渡す。ユキとエランは慎重に『声明文の書かれた厚紙』の分析を始めた。
事務所の時計は二月八日の午前九時ちょうどを指し示していた。
七部の三人目主人公。シン・アラカワの視点となります。親友の行方は如何に?
次回もよろしくお願いします。




