第七章 第二話 マリアの朝
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください。
時刻は午前6時。
マリアの朝はテレビと共に始まった。
『ヴィクトリアの朝はまだ冷え込む時期が続くでしょう。首都ニューフォートはやや暖かくなっており、ヴィクトリアよりは過ごしやすくなっております。市内でお過ごしの皆様は厚着が必須……』
二月の寒さは街を往来する者たちにとってはちょっとした試練であった。
今年のヴィクトリアとその隣の首都ニューフォートには記録的な雪が去年の十二月に降った。だが、それ以降は粉雪がうっすらと降るだけである。すぐに溶けてしまうため電気自動車の往来には支障はないが、寒さだけは人々に憂うつな気分を強いた。
だが、そんな日でもマリアは今日も明るかった。太陽のような明るさがマリアにはあった。レオハルトにとってそれは何者にも代え難い救いであった。
「おはよ!」
「おはよう。マリア」
そう言って二人はキスを交わした。
しばし唇を重ねた後、マリアはいつも通り食事を作る。ハムと卵、茹でた野菜と先日用意したパンで簡単な朝食とする。マリアの味付けはプロが見ても驚く程絶妙な調和で成り立っていた。
「どう?」
レオハルトは無言だが、満ち足りた笑顔だった。それを見てマリアは微笑む。
そうしてようやくマリアも食事を共にする。ニュースはアイビスタンの話題を小さく取り上げ、政治関連のニュースと天気の話題で埋まっていた。
「アイビスタン関連の話題やらなくなっちゃったね」
「そうだね。テレビも移り気だ」
「デュナ王女って美人でしょ。大統領が羨ましいわね」
「確かにデュナは美人だが、マリアはそれ以上だ」
「口がうまいんだから」
「事実だよ。マリアは宇宙一の美人だ」
「ふふっ、嬉しい」
和やかな会話を終えてレオハルトは着替えた。自宅ではないことを除けばいつも通りの風景であった。レオハルトとマリアは執事の家に一時的に泊まっていた。
「マリア。いってくる」
玄関の扉を開け、執事のマイク・ペニーワースに目配せをした。ペニーワースは甲斐甲斐しく頭を下げる。
「うん、気をつけてね」
マリアが寂しそうに微笑む。
メタアクトを発動させレオハルトは時速250キロ以上のスピードで疾走した。自動車よりも風よりも、速くレオハルトは疾走する。それを見送った後のペニーワースとマリアは会話を交わした。
「喜んでもらえて良かったわ」
「奥様の努力の成果ですな」
「これで、暴漢騒ぎがなければ完璧なのに」
「好事魔が多し、という事ですな」
「全くレオのお昼も用意できなかったわ……。あ、食材どうしようかしら?」
「今回は私もお供致します」
「ありがとう。朝のうちに買って帰ろう」
「ええ、今日はどのような料理を?」
「うん、スープ系とかハムエッグとかが続いたからお米の料理にしようかしら」
「楽しみですな」
「期待してて」
掃除をしながら、二人はレオハルトのための食事の献立について二人は議論を交わしていた。
午前九時頃のことである。
空は明るく、良く晴れていた。だが予報通り空気が寒くコートが手放せない。マリアは買い物を上機嫌に済ませ、セントラルスクウェアの大通りをマイク・ペニーワースと共に彼女は歩いていた。街を行き交う人々も二人と同様に厚着であった。
「……マイク?」
「奥様?如何致しました?」
「……なんか嫌な空気ね」
「お気づきでしたか」
「ええ、なんか……」
緊張。張り詰めた雰囲気をマリアは敏感に感じていた。
「……レオハルトがいたらスパイシーな空気って表現しそう」
「ええ、レオ様の共感覚ですな」
「あの人、人の気持ちに敏感なのよね」
「私は心配です。あの人はいつか……」
「大丈夫よ」
「なぜ?」
「彼は優しいだけじゃない。強くて芯もある人だから」
「奥様、強い人も時には傷つくのです」
「そうね。だから私も執事のあなたもいる」
「そうでしたな」
マリアとペニーワースは緊張の原因を見つけた。
「……なにあれ」
異質な殺気を放つ四人組をマリアは確認していた。明らかに一般人と違う雰囲気と服装であった。そして一般の人に変装した人間の存在もマリアは敏感に感じていた。
「……私服警官かしら?ただの一般人じゃなさそう」
マリアは怪訝そうにしながらも、踵を返しその場を後にする。
「君子危うきになんとやらですな」
「うん、ちょっと離れた方がいいわね」
マリアは一時的にその場から離れた。ペニーワースも続く。しばらく歩くと警官の怒号が聞こえ始める。閃光が辺りに広がった。
その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「レオハルト!俺が追う!」
「心配ない!僕も行く!」
ダニー警部補とレオハルトの声がした。事実ダニーらしき男の乗った白バイと一筋の青い閃光が黒い車を追跡していた。
警官のダニーはともかく、マリアが知る限りでは、レオハルトは士官学校で講義をしている筈であった。元々教師志望だったレオハルトが講義をなげうって参加する任務がどういうものかをマリアは悟った。
「……!!」
「あ、奥様!」
マリアはペニーワースの制止を振り切って駆け出す。マリアのメタアクトは『エネルギー変換』である。手のひらや拳から負傷者を治療したり、殴打した箇所に熱や運動エネルギーを放出したりすることが得意であったが、一時的に運動能力を上げる事が出来る。レオハルトの『運動エネルギーの加速能力』と比べると持続性は大幅に劣るが、瞬間的ならば同等のスピードにも比肩することが出来る。マリアは能力の行使を考えたが、途中でそれは悪手であると決断した。
「……いる」
「……そのようです。お気をつけて」
暴漢の群れが二人を取り囲んだ。警察が『謎の料理人らしき集団』に注意が逸れているのをいい事に暴漢たちがマリアたちを待ち伏せしていた。
「おーい。そこの姉ちゃん?俺たちと来てもらうぜ」
「……ごめんなさいね。わたしいろいろと忙しくってね」
「ああ、心配ない。今日は全てキャンセルしてもらうぜ」
「断ると言ったら?」
「力づくだ!!」
彼女に摑み掛かろうとした男をマリアは身軽に避ける。そしてすれ違い様にカウンターパンチを繰り出した。男は腹部に強烈な衝撃を受けて吹っ飛ばされる。それはマリアの腕力だけではなかった。マリアの茶色の長髪が翻る。
ペニーワースがやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。そして瞬時に三人もの暴漢たちに殴打を繰り出した。暴漢たちは殴られた箇所を抱えながらその場に崩れ落ちた。
「さて、帰りましょうか」
ペニーワースがそう言ってマリアのそばに寄ろうとした。
だが、マリアは戦闘態勢を崩していなかった。
「……駄目よ。まだいるわ」
「もう暴漢は倒しました」
「二人まだ来るわ」
「……失礼。そのようですな」
二人が身構えると双子の男が暴漢たちに皮肉っぽい目線を向けた。
「……三流の仕事だな。兄貴」
「こんなごろつきには当然の結末だろ?無理矢理なんて……」
「まあ、急いでいるのは事実だろうがな」
「だからっていきなりプランCの実行など馬鹿げているぜ」
「まあ、暴力ありきの考え無しは、これしかできないからな」
「まあ、そういうものか」
「そういうものだ」
双子は友好的な雰囲気を出しながら、ゆっくりとマリアたちに近寄る。彼女と執事は当然警戒を崩さない。マリアは身構え、ペニーワースは特殊警棒を取り出した。
「ああ、すまない。先ほどの暴漢はホソカワとかいうアズマ人が雇ったものだ。俺たちは違う」
「……さっきのやり取りを見る限り仲間みたいだったけど?」
マリアは冷めた目線を双子に向けた。当然、執事の方も警戒を解く事はない。
「……まあ、無理もないな。正直、ホソカワという男は人間のクズの臭いがしたしな」
「どんな臭いだ。兄貴」
「比喩だよケン」
「そうなのか兄貴」
「……なら誰の差し金?」
「……正直に言った方がいいな」
「そうだな」
「誰?」
「ヘルズ・キッチンだ」
「……え?」
マリアは驚きのあまり目を見開いていた。マリアの記憶によれば、ヘルズ・キッチンは四人の凄腕料理人で構成され、あらゆる料理大会で賞を総嘗めにした職人集団であると聞いていた。だが、究極の料理を追求するあまり、常軌を逸した行動が多く、その存在は料理界ばかりかマフィアの世界でも『危険人物』と呼ばれていたともいないとも呼ばれていた。
マリアもそのような狂人集団は作り話か、何かの冗談だと思っていたが、マリアを襲った暴漢が刑務所で惨殺されたり、刑務所を爆破したり、挙げ句、彼らは料理好きで有名なマリアにファンレターを送ってきていた。そのことからシュタウフェンベルグ家では、バレッドナイン・セキュリティへ護衛の依頼をするか真剣に健闘していた最中であった。
「………………本気で言ってる?」
「ああ、結構いい人たちだったな。レン兄貴」
「そうだな。マリアを穏便に連れてきたなら、報酬は弾むと」
「ギャボェ!?なんで!?私がどうしてそんなおかしな集団にぃ!?」
マリアは思わず素っ頓狂で奇怪な悲鳴を上げる。
「え?そりゃあ、あなた料理業界では有名だったでしょう?」
「…………やめて」
マリアの顔が無表情になる。さきほどまでのマリアにあった陽気さと恍けた雰囲気さはすっかり鳴りを潜めていた。
「マリア・キャロル……あ、今はマリア・シュタウフェンベルグでしたね。別名『料理の女神』と讃えられた『鉄人ジョセフ・キャロル』の娘……」
「いいかげんにして!もう私は厨房には戻らないわ!!」
マリアが声を荒げた。声色が苛立ち、顔には苦々しい怒りの表情が見える。
「そう言う訳には……」
「あっちいけぇぇぇぇ!!」
大激怒したマリアは渾身の力でそばにあった小型自動販売機をケンと呼ばれた男に投げつけた。自販機自体は男性の腰ぐらいの大きさで小さかったが、それでも百キロ近くの重量があった。ケンの面前に鉄の塊が迫る。
「……げッ!?」
ケンは体をよじり、鉄の塊を回避する。その隙を突くかのようにマリアはケンに猛攻を加えた。
「よっと、危ない」
だが、ケンはその攻撃を回避した。まるで別の目があるように、的確にマリアのラッシュを回避する。
「なんで!?」
マリアは驚愕した。そして、すぐに『レン』を観察し始めた。
七部は五人の中心人物の視点で物語を進める事を予定しています。朗らかな若妻マリアの運命やいかに。
次回もよろしくお願いします。




