第七章 第一話 女神の街の事件
この物語は残酷な表現が含まれる事があります。ご注意ください。
アスガルド共和国内で最大都市は『ヴィクトリア』である。
市域人口、およそ2000万人の巨大都市。首都でないにも関わらず共和国における政治・経済・文化の中心地のひとつ。この都市は四つの大地区に分けられる。中央のアルファフォート区、南部海岸沿いのアイビーズビーチ区、縦長のハミルトン島で構成される東部のハミルトン区、映画スタジオと自然地区を内包した北部ブラウニーズ区。
空には運送用のドローン、地上では電気自動車と水素エンジン式のバイクが行き交う、地下にはアンドロイドと人間が運転する電車。それが輪の形をした路線を定時に運行される。
産業が発達し、最新のファッションと娯楽、美食が溢れていた。
だが、かつてのアスガルドは滅亡の危機にあった。
暦が『再興歴』と称しているのもその名残である。
立憲君主制のアズマ国では独自の元号、フランク連合、オズ連合ではそれぞれの建国歴が。そして、AGUは宇宙歴が使われていた。
この独自の暦法だけではなく、さまざまなところに『血の一週間』の爪痕がわずかに残っていたが、三百年以上経った今ではその事を気に留める人物はそれほど多くはなかった。
幸いにも、ヴィクトリア首都星の豊かな気候も三百年前のあらゆる痛みを忘れさせてくれる事に一役買ってくれた。
かつての母星とは恒星の周期の長さも確かに違っていた。だがそれほど大きな違いがない事も大きかった。
春は花が咲き、動植物が活発化する。
夏は暑く、雨期と晴れを経過して生命は繁栄する。
秋になり、草が枯れ、代わりに穀物や果実が実る。
収穫を終えると、白く降雪し、寒い冬となる。
母星で当たり前だった気候が三百年前の人々のトラウマを癒した。
良く晴れた空を見続けた人々は、そこに女神を見いだし、自国の象徴として女神のように崇める者もいた。
このような歴史と共にヴィクトリアの街は徐々に繁栄をし続けた。戦争の特需、あらゆる事件、発明や発見、学術的・技術的進歩。
なくしたものを取り戻すかのように、失った人命への贖罪をするかのように人々は働いた。懸命に働き続けた。
その結果、いつしかヴィクトリアはわずか二万人の小さな都市の時代からは考えられない繁栄を迎える事となった。
二月八日、十時のことである。
ハミルトン区の繁華街『セントラル・スクウェア』は文字通りハミルトン地区の中央に位置する大通りである。
そこはあらゆる人が溢れていた。
アスガルド人だけではない、アズマ系、AGU系、昆虫のような見た目のインセク種を始め外国から来た種族の違う民族、人と遜色ない見た目のアンドロイドや高機能ロボット、義腕をつけたサイボーグ、すましたフランク連合あたりの紳士からアスガルドの悪ガキまで、あらゆる人が溢れていた。
背広を着たリーマンだけがいるわけではない。ブレイクダンスを踊る若者。スイーツを頬張るおしゃれな女の子たち、ストリートミュージシャン。行商たち、フードトラックの行列、観光客、カップル、老夫婦。
あらゆる色彩とあらゆる人間が溢れていた。
雑踏の中に薄汚れたコートの紳士がいた。タバコに火をつける。ビンテージものの品種だった。
「…………」
ダニエル・グレイ。知り合いや同僚からは『ダニー』と呼ばれる。
警察官。この道十年のベテラン警部補であった。街を知り尽くし経験も豊富。だが、やさぐれた性分と反骨精神の強さがダニーの出世を阻んでいた。だが、ダニーは生来の正義漢であり、街では慕う人間は多くいる。
そんなダニーはぴりぴりとした緊張の中にいた。
なぜなら、今は任務中であり……人命がかかっていた。
ダニーは周囲を伺いながら、耳元のワイヤレス端末で本部とやり取りをしていた。
「……ここに『ヘルズ』が?」
「目の前の調理服軍団で間違いない。信用できる情報だ」
「頼むぞ本部。いい加減このソーセージパンが飽きたんでな」
「了解。祝いのごちそうを食べられるようにしてやる」
「……捕まえてからな。ダニー、通信終わり」
よく見ると周囲に私服に変装した警官たちがまぎれていた。
リーマン風の男。四角いサングラスを着用している。私服を着た女性巡査。
警官隊もいつでもスタンバイしている。
特筆すべきは、その場にSIAも存在していた。SWATの応援が遅れている今、もし戦闘になった時はSIAの出番であった。
褐色の活発そうな女の子、ギャル系、マッチョなバンダナ男、ナンパそうな男、誠実そうな軍服、レディーススーツを着たアズマ人。変わり種ばかりの軍団にダニーの良く知る顔があった。
レオハルト・シュタウフェンベルグ。軍人兼SIAの長官。
かなりのインテリ、そして誰よりも切れ者であるとダニーは評価していた。元々は教師を目指していたお人好しの青年に過ぎなかったが、父の死という悲劇と第三次銀河大戦を乗り越え英雄となった男だ。見た目だけ見ると優しそうなだけの長身細身に見える。だが、彼は優れた技術とメタアクトを持つ優秀なエージェントでもあった。
彼は超高速で移動できる。百メートルでは4秒ほどのスピードで移動可能。メタアクターと凡人の差をこれでもかと叩き付けてくる人物でもあった。
つまり、彼からは逃げられない筈である。
だが、彼とて足を封じられたら能力も無意味になる。敵は罠をしかける可能性があった。
そこで万全を期して包囲網を構築したのであった。当然その戦力は警察も含まれていた。
「……相手は四人か」
ヘルズ・キッチン。
料理に至上価値を置き、料理のために常識や倫理すら逸脱する狂人集団。彼らは数ヶ月前に刑務所を爆破し、その場から脱走。長らく行方が分からなかった。だが、突如として八日の午前九時ごろ、突如として彼らは現れた。
寒空の二月、調理服の集団は時を待っていた。
警察の呼びかけにも応じていない。
「ヴィクトリア市警だ!両手を頭の後ろへ!さっさとしろ!」
「動くな!おい!そこから動くな!」
アッカーマン巡査を始めとした若手の警官とSIAの黒服たちが拳銃を構えて警告をするが、無視をし続けていた。
だが、警官隊もエージェントたちもむやみに突撃をする愚を避けていた。なぜなら、『ヘルズ・キッチン』の四人は常に周到で罠を潜ませている可能性があったからだった。彼らはSWATとSIA特別機動斑の到着を待っていた。
「…………」
アズマの舞踊劇に出てくる翁の仮面のような年長の男が口をもぐもぐと動かしながら、中年の男と何かを話していた。その内容をダニーは聞き取る事は出来なかったがある程度のことを推測した。
近くに目的の人物がいる。
ダニーは即座に周囲に注意を払った。
一瞬、茶髪の女性かとダニーは考えた。だが違った。後ろ姿の彼女は何処かへと消えてゆく。それよりも気になる人物がいた。
獅子のような立派な髭をしたマスクの紳士。彼も気になったが、問題はその隣であった。アズマ人の紳士。茶髪の糸目で一見すると柔和に見えるがダニーの刑事の勘が囁いていた。
危険な男であると。
ヘルズ・キッチンとアズマの紳士が電話で応対している事が何となく察せられる。糸目からヘルズの一人へ電話がかけられていた。ダニーはそれを見過ごさない。
「……アッカーマン巡査」
「……はい、私は糸目を」
その時であった。
紳士がその場に何かを床に落とした。
円筒。ダニーは叫ぶ。
「フラッシュバン!!」
それは強烈な光を放った。
民間人ごとSIAと警官隊が完全に不意を突かれる。
「レオハルト!俺が追う!」
「心配ない!僕も行く!」
蒼い残像を放ちながら、レオハルトはノブを拘束する。
「ノブ!ノブ・ホソカワ!お前を脱走の幇助により逮捕する!今度は弁護士は付かないぞ!」
「レオ坊!ヘルズは!?」
「逃げた!あっちだ!」
調理服の集団は横から現れた黒い高級車に飛び乗って逃走をした。
「至急!至急!被疑者四名、黒のイェリネック280型に乗って逃走。付近の捜査員は直ちに応援を!」
アッカーマンが無線で呼びかけている時にはダニーは白バイで追跡を行なった。レオハルトも『徒歩で』追走する。
「待たなくていい!行け!」
レオハルトは指で『了解』と合図すると蒼い軌跡となって黒い車を追跡した。
黒い車は器用に車を回避しながら
レオハルトである青い残像は器用に車の群れを回避してゆく黒い車への距離を徐々に縮めていた。
「もう少しだ!」
だが黒い車から何かが放り投げられた。円筒状の物体。閃光手榴弾であった。
「そう何度も!」
そう言ってレオハルトはとうとう車両の側面に回った。
それを見計らったように包丁がレオハルトの右足に投げつけられた。
「がぁ……!?」
横転したレオハルトの体が後続車のフロントガラスに叩き付けられる。それだけでは止まらず、レオハルトは道路転がりながら歩道に突っ込んで店のショーウィンドウに激突する。
「れ、レオ坊!?」
ダニーは急いでレオハルトのいる方へと駆け寄った。
「おい!おい!レオ坊!ああくそ!止血!止血!」
ダニーは急いで腰のポシェットからガーゼと包帯を取り出した。
レオハルトの右足からは出血が起きていた。刺されてた柳刃包丁が横転で抜け、出血が収まらない。
「中将!!」
後から来たイェーガーが青ざめた形相で駆け寄ってくる。
「うろたえるな!」
レオハルトはイェーガーを一喝し、ダニーの持っていた包帯とガーゼで止血の処置をいつの間にか済ませていた。
「い、いつの間に!?」
「ダニエル警部補。僕なら大丈夫です。止血はもう済ませました。それより追跡は!」
「……は、すみません。おい!ヘルズの行方は!」
無線でしばらく怒鳴った後ダニーは落ち込んだ様子で報告をした。
「……すみません。取り逃がしたようで……」
「……そうか。今回は僕の責任だ」
「いえ……これは……」
「もし僕が怪我をしなければ助けなかっただろう」
「…………」
「だからこれは僕の責任」
「いえ、追跡を続行いたします!イェーガー少尉殿!後を!」
ダニエルは白バイに跨がり混沌とした道路を時速60キロ以上のスピードで走り続けた。黒い車はもう見えないが、ダニエルは諦めない。
警官たるもの情報に執念深くあれ。
ダニエルは師匠にあたる人物の言葉を呟きながら、バイクの操縦を続けた。
新章開幕。大都市で繰り広げられる新たな物語!
次回に続きます。




