第六章 二十二話 謁見
この物語には残酷な表現が含まれております。ご注意ください
バニア族は二つのものに支えられている。
武力と掟。この二つであった。
強い血族の力で支えられていた部族と部族はより強固な連合となってアイビスタン国内の一大勢力の地位を守っていた。
マフィアや軍、私設武装組織が跋扈するアイビスタンで発言権と地位を維持していたのはそこにある。
それは中央政府に『魂を売った』ときから変わっていなかった。
むしろ、そのときから彼らの中で大きく尖っていたものが存在感を確実に増していた。
バニア族の集落で一番大きな宿泊施設であっても簡素な建物であることには変わりはなかった。
たまに訪れる行商や物好きな研究家、それとバニア族の客人を一時的にもてなすためのささやかな建物であったためである。ホテルと言った気の利いた建物ではないが雨風を防ぐには十分なものではあった。
大きめの民家と言っても差し支えないその建物にはB9一行を含め、よその土地から来た者たちの半数がその建物に泊まっていた。
残りは、もう一件の民宿に泊まるか、国賓としてバニア族の長老たちの建物に招かれていた。
シンは周囲からの視線をよそに自分の部屋へと向かっていた。
部屋も建物の外観どおり簡素なものだ。
ベッド、デスクというには質素な木製の机、アンティークな趣すらあるカンテラ。
油を入れて火をつける。
ゆらゆらと灯る火を見つめながら、シンはこれまでのことに思いを馳せる。
ユキの能力。
タカオの行動。
アディの思わぬ離脱。
様々な出来事がグルグルとシンを混乱させてゆくが、やるべきことは一つであった。
デュナの護衛。
それだけを遂行すること。
そして真実を知る事。
そのことによって、デュナに降り掛かる暗黒の運命を破砕すること。それがシンたちの目的であった。
ある者はトラウマのために。
ある者は任務と平和のために。
ある者は人としての良心のために。
そして、シンは……信念のために。
信念。
知り合った人間が絶望と孤独の闇に堕ちたとき、シンのとる行動は常に決まっていた。それはかつて失った者のためなのか。
それはシンにとっても曖昧であった。本能のような、衝動のような感情によって突き動かされたとも言えるが、どこか理論整然とした確立した思想や性格によって自身の行動が決定されたとも言える。
確かな事は、シンにとって『デュナを見捨てる』という選択肢は初めから存在しないということであった。
タカオの次の動きも気になるが、ユキの変化も気になってはいた。
一時的とはいえ、グリーフ・フォースの光と同じ色に髪の色が染まったかと思うと世界最強クラスの難敵相手に肉薄するほどの応酬を行なえたことにシンはまず驚愕していた。
純粋な反応速度、処理能力、身体能力、グリーフで拡張されたユキの射撃能力と弾丸を至近距離で迎撃出来る情報の許容量。
異様なまでの能力の向上はどこからきたのか。その手がかりにシンは近づく。
「…………ヒーローだった頃……か」
ヒーロー。つまりは『正義の味方』。
今のユキは『正義』に対し冷笑的だ。人を殺すための社会的な価値観。国家の隷属と模範のためだけの冷厳かつ機械的な価値基準。
ユキにとっては。シンの相棒たる彼女にとってはまさにそうであった。
シンにとってもレオハルトの父カール・シュタウフェンベルグの部下であったときのこととこれまでの悲劇から、そう定義出来た。
シンとユキ。二人は根源的に正義というものの冷たさを共感し合っていた。
シンにとって戦いとは死なせたくない人命のためのものに過ぎず、正義はそのための都合の良い装置ですらあった。
「……ユキは……『奇麗だった正義』に憧れていたのだろうか……」
微笑。
それは嘲りやからかいようなものではない。暖かな人間らしい微笑であった。文字通りのわずかな笑み。だからこそ、奥ゆかしく思慮深い印象の笑みですらあった。
かつての自分への懐かしさすら感じつつシンは本題の思案に戻る。
「……兄貴の言葉は九割がた当たるからな……まずいことになるのは確実だ……だとすると……」
シンはぼんやりと天井を見ながら対策を練った。
『敵』の狙いさえ分かれば、その精度を確実に上げられそうな予感をシンはしていた。だが、あと一息。まだ情報が足りない。
「……兄貴は何を知っているんだ?」
シンは思案を中断し仲間のいる部屋へと戻った。手がかりは出てきてはいる。だが、点と点がどのような線を描くかをシンは結論づける事が出来なかった。
シンは現時点でのアイビスタンでの事件の結論を先送りにし、当面の問題の解決を優先する事にした。
「……お前の兄貴はずいぶんなヤツだったな」
ジャックが苦々しげな表情でグラスの中の酒をあおった。氷の音が軽快にガラスを鳴らす。
「いつもはああじゃない」
「だろうな。焦っているにしてもずいぶんな強硬手段だ」
「すまないな。短気なのが我が兄の唯一の欠点だ」
「ついでにこうも言っておけ。今時、民族憎悪なんて流行らんぞってな」
「すまない。その件も触れないでやってくれ。俺の事にも関わっている」
「……そういえば、いつぞやの昔話で言っていたな。ワンチョウ側の過激派によって人生が狂わされたと」
「ああ……」
「お前は恨みを持ってないのか?」
「何に?」
「ワンチョウだ」
「国なんてどこもそんなものだ。利益になるならば他国の人間をダシに利益を貪ってやろうとするのは」
「……ワンチョウ人どもは自己主張が強いだろう。過去の事をいちいちなじって賠償を求めてくるしな」
「どこの国にもマフィアのような手合いはいるさ。そっちの国じゃその商売がやりやすいってだけだ。政権よりのマスコミの力も強いしな」
「…………お前さんみたいに一歩引いた目で世の中を見るヤツがもっと多ければ、アディもトラウマを引きずり出されずに済んだんだろうな」
「……元気になるといいな。アディもそうだが、お前らも無傷ではないだろう」
「ああ、酒が必要になるくらいには……な」
そういってジャックは持ってきた私物の酒をグラスに注ぐ。そして一口。
「アディもだが……ユキも大きく消耗する羽目になった。兄貴相手に本気を出した事でいろいろとガタがきている」
「……ユキのグリーフ能力か……人工的なものだってことは聞いている」
「……ペインキラー計画か」
「さっき言ってた『国家の利益』のためって話。ユキにも言えるのかもな」
「ああ……さもなければ『偽善者扱い』にされて、守ってきた国の人間たちから袋だたきになんかされなかったさ」
「……身内の経験と絡められると……言葉の重みが変わるな」
「全くだ。自分で言ってて嫌になる。『相棒』にとっては嫌な思い出だろうに」
「……だからこそだろうな」
「?」
「ユキも……お前さんと同じくらいデュナ王女を見捨てたくなかったんだろうな」
「…………かもな」
それっきり二人はその日の言葉を交わすのをやめた。代わりに空のグラスにジャックは持っていた酒を入れる。それをシンに差し出すとシンと同時に酒を喉へと流し込んでいた。喉を二十数%のエタノールが焼く。多幸感はない。麻痺させるためのアルコールであった。
デュナ王女と長老たちの会談はバレッドナインの警戒態勢の中で行なわれる。その長老たちの中に不釣り合いなくらい若く美しい女がいた。
今現在の最高指導者。エステラ。
シンはその言葉とその女を結びつけずにはいられなかった。
「なかなか奇怪な経緯ではありますが、話し合いの場を設けてくれて感謝します。ミス・エステラ」
目の前の女にシンことシャドウは仰々しいお辞儀を行なった。
「よい。あまり堅苦しくするな」
「……承知しました」
「……さて、私がどうして、かの裏切り者に対して何かする必要があるかな?カラスの」
不敵な笑みでエステラがシンを見下ろす。数段上に配置された玉座から視線がシンに刺さる。好奇なものを見るような表情をしていた。余裕の笑みだ。
「率直に言いましょう。我々の要求は二つ。今までの攻撃の理由とデュナの安全確保です」
「……呼び捨てにしているのだな?王女ではない事は承知なのだろうな?」
「今現在の時点では。関係はないでしょう?」
「いや、雲泥の差があるな。この国においては私が『法』にして『正義』だ」
「…………『正義』……か……」
「どうした?」
「いや、一昔の事を思い出しまして……ですが、今回の事とは無関係です。気にする事ではございません」
「……ふむ」
「さて、前置きはこの辺にしてエステラ殿のお言葉をいただきたいと」
「愚問だな」
「どの辺りが?」
「私がデュナを切り捨てたのは無能だったからにすぎぬ」
「…………ふむ」
「私が裏切り者と表現したのには理由がある。デュナは取引をしたのだ」
「取引……?」
シンの怪訝な様子にエステラはにやりと笑みを浮かべた。
「売ったんだよ。我々を。自身の保身のためにな」
「…………」
デュナは俯くばかりだった。言葉はない。空気が張りつめるのをシンは確かに感じていた。
「その書類はどこに?」
「ここだ」
エステラが部下に持ってこさせた書類には確かにサインがあった。
デュナのサインが。
「…………デュナ。これはお前の文字か?」
「…………ええ」
デュナの表情は暗い。
ユキもシンのそばに来て、書類を眺めた。
アイビスタン・バニア族間協定
国内情勢の悪化と犯罪組織の猛威により、非常に心苦しいことではあるが、我々バニア族も中央政府と結託して、アイビスタンのより一層の繁栄とバニア族の安全のために交流を図ることを決定した。
ナタラ、オアシスグループといったマフィアから人身売買から身を守るためにもより一層の友好関係の構築と交易での優遇措置を図ることを条件にアイビスタン軍の戦闘員を定期的に巡回させ、犯罪者にはアイビスタンの法で厳格に裁く事を中央政府は承認する。
なお、その代価として、交易での優遇措置と政治的な協力体制を敷く事をここに決定する。
また、国家を脅かす共通の外敵に関しては相互で事に当たる事をここに決定するものとする。
署名
アイビスタン国王 オネス・アルベ六世
バニア族長 デュナ・ラン・バニア
書類には、国家元首のサインと国印が押印されていた。ユキは目を見開いて、書類を見直した。協定文書の中に不自然な箇所を見いだしたのだ。
緊迫の一手。次回は更なる戦いへ……。




