第五章 第18話 赤の女王
この物語は残酷な表現が含まれることがあります。ご注意ください。
機械仕掛けの女王が海に鎮座した。
その機体は鮮血のように真っ赤な色をしていた。
鴉と黒が激突しているさなか、その女王は海上にて静かに飛来する。
「きやがったか!マリン・スノー!」
「……」
シンは機体のコックピット越しにその鮮烈な存在を目の当たりにする。シンにとってその姿は女王であると同時に呪われた殺戮者であるようにも見えた。
「……マリン。来たか」
「…………」
マリンは一言も発しない。機体の中でじっとロストアークの姿を見つめるだけだ。
「よお。マリン。予定がだいぶ狂ったが、……会いたかったぜ?」
「……」
「近づくな。それ以上近づけばお前は死ぬしかなくなる」
「……一つ聞かせて。サワダ・タクヤ。あなたはなぜ私の命を狙ったの?」
「……決まっている。俺はお前みたいな偽善者が憎いんでな。お前みたいなヤツに『善意』で居場所を奪われたんだよ。希望?夢?そんなもの麻薬と何ら変わらんなぁあ!?そう思わねえかアイドル崩れの姉ちゃんよぉ?」
「……そうかもしれないわね。私は嬉しかった。同じグループの子たちにいじめを受けても、ステージの上では孤独ではなかった。ファンが応援の言葉をかけてくれたりしたあのときがたまらなく嬉しかった。……でも、それが変わってしまった。見当違いな誤解で犯罪者のレッテルを張られてファンにも失望させちゃった。私のやっていた事は偽物だと思ってた」
「死ぬ前に分かってよかったなぁぁ?これで心置きなくあの世に行けるぜぇ!?」
「違う。私はまだ何もしていないわ」
「あ?」
「私は、私を庇ってくれた全ての人を守りたい。特に……アラクネとシャドウを」
「……おい。アラクネって言ったか?まさか……」
「……パンサー」
マリンの号令と共に真っ黒な戦車型の浮遊自立兵器がサワダを狙う。
「……私はあなたが似ていると思って一度は近づいた。けど……違ってたのね」
「そうだ。お前とサワダは違う。お前は誰かを信じたい人間だ。誰かを愛したい人間だ。違うか?」
「そう。私ね。好きな人がいたの。ハヤタくん。ハヤタ・コウイチ君。けど……ハヤタ君の心は違う……でも、それが私なんだ」
「だから何だ?誰が好きだろうと嫌いだろうと、お前が一人で死ぬという運命は変わらねえよ!」
「いいえ、もう私は一人じゃない。私にはアラクネとシャドウがついてる」
『クィーンオブキラー』は――『赤の女王』は悠然と前に進み出る。大きな槍を構え、ロストアークの前に進み出る。
ロストアークは既に猛攻を受けた後だ。しかし、どういう訳か、損傷が少なかった。
神の剣には自己修復の力があり、中央演算コアを潰さなければ、稼働し続ける仕組みになっていた。それはクィーンとロストアークを始めとした『神の剣』の共通点であった。
シンはその事を直感する。現に砲撃を食らわせた損傷箇所が縮小していた。
「……マリン!お前が要だ!こいつはお前にしか倒せないらしい。『神の剣』を殺すには別の『神の剣』が必要だ!」
「分かってるシャドウ!私とあなたで!」
ロストアークが剣を抜く。サワダの機体の動きから殺気と覚悟が滲み出る。
「……因果だよなあ。ハヤタを想う女にミッシェルの親友かよ。今日は忘れられない一日になりそうだ」
「ああ、そうだ。今日はお前が打ち倒される日になるからな」
「ほざいてろや。二人まとめて…………八つ裂きにしてやる」
「させない……私がシャドウを守る」
ロストアークの機械の目が二機を睨む。
レイヴンとクィーンも同様だった。
沈黙と波音が静かに戦場を支配する。
先に仕掛けたのは『クィーン』であった。
「行って!」
パンサーの大質量の砲撃がロストアークを捉える。だがどういう訳か回避された。
ロストアークはパンサーの首元に何かを差し込んだ。
「パンサー!?ファルコン!!」
マリンは動揺しながらも飛行型の無人機に攻撃命令を出す。爆撃するために接近したファルコンはその姿を見失った。
見失った。
レーダーで捉えていたのにも関わらず。
「…………これって……まさか……」
「そうだよ。ロストアークは全ての神の剣の原型だって聞いていたろ?シャドウは聞いていたか?」
「ああ。マリンの口から……な」
「この機体にはハッキング機能と時空転移機能がある。……なにせラインアークの……雛形だからな?」
「まさか……」
「そうだ。食い殺されろ!マリン・スノォォォォ!!」
「パンサー?ファルコン!?」
パンサーとファルコンは不自然な駆動を繰り返した後、サワダを新たな主と認定した。二機の無人機がクィーンとレイヴンを狙う。マリンは青ざめていた。これから起きるはずの残忍な末路に、彼女はただ怯えるしかなかった。
「…………」
シンはその状況を動揺する訳でもなくじっと静観していた。
だが、絶望した訳ではない。シャドウはついに一言の命令を下した。
「やれ」
その命令は無線越しに放たれた。
同時にパンサーとファルコンの駆動にまたもや異常なパターンが引き起こされた。
だが、何かが違う。
脳みそそのものを書き換えられるような先ほどの二機の異常な駆動と違い、悶え苦しむように二機の無人機がぎくしゃくした動きを繰り返す。
そして何より、サワダが動揺していた。無線越しの声色に明らかな動揺が見られた。サワダのロストアークにも異常な駆動が伝染する。
「お、オイオイッ!?これは何だ?どういう事だッ!?」
「……オイオイオイオイオイオイ。何度も言わせんなよ。頭のないチンピラが」
「何をしやがった?シャドォオオ!?」
「何もしてない。ユキに……アラクネに命令を下しただけだ」
「……アラクネ……まさか……」
「ハッキングでアイツに敵うとでも思ったか?ん?」
「まさか……無人機にマルウェアを……」
「ああ、そうそう、この作戦はヒューイが言ってくれた。ヒューイの正式名は……えー、多目的戦術支援AI『H.U.E.I』だ。勉強になったな?ん?」
「お、お、お、おおおおのれえええええええッッ!!」
ロストアークがシャドウに切るかかるべく。節足のような動きでレイヴンに詰め寄る。
「シャドウ!!危ない!」
マリンが絶叫する。
唐突にAIがメッセージを発する。
それはヒューイなりのサワダへの『最終宣告』であった。
「作戦完了です、マスター。ロストアークがシャドウやマリンを殺害する確率は零パーセントです。おめでとうございます」
メッセージ終了と同時にロストアークの頭部モジュールが射抜かれる。それは片方のカメラ部分を精密に撃ち抜いていた。
「…………え」
あっけにとられたサワダは飛来した粒子弾の発射地点を察した。
粒子弾の放たれた位置は遠くの海岸であった。それは4キロメートルも隔絶された位置からサワダの頭部モジュールを的確に破壊するAFがいた。イェーガーの搭乗するAFには大口径の長距離砲があった。
二度目はない。狙撃に込められた暗黙のメッセージをサワダは確かに感じ取っていた。
「く、く、クソォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
停止した機体のコックピットのなかでサワダは絶叫する。無線越しにその最後の雄叫びをシンは確かに聞いていた。
アスガルド軍の制式AF『ホーネット』が海上の空を飛行する。その尾翼にはアスガルド軍のマークと『SIA』の刻印がある機体も混じっていた。
マリン・スノーの事件はかくして、幕引きとなった。
マリンを迫害したアイドルグループ『ヒット・ドールズ』のメンバーたちはマリンの告白とファンクラブの過激な活動への支援を目撃した者たちの証言によって犯罪者として法の裁きを受ける事になった。それは、彼女らを裏で幕引きをしていたオータムも同様であった。
それは、法による責め苦の入り口であった。
マリンを迫害していたヒット・ドールズのメンバーはアスガルドの音楽界や芸能界に二度と名を出す事はなかった。オータムは獄中でマリンのファンだった受刑者に全身の二十八箇所を刺される。その後、三日間、悶え苦しんだ後、敗血症で命を落とした。
シャドウことシン・アラカワは領海内で兵器を持ち出した事でいくらか厳重注意を受ける事になったが、受けた依頼の緊急性と一人の女の子の生命を守った功績、そして、かつて何百年前に起きた『魔装使い狩り』の再来の種を未然に防いだことから、あらゆる刑罰が恩赦された。
そして、サワダは投獄された。アスガルド共和国で最も厳重な『コースト・ドルフィン特殊刑務所』に移送される。そこで余罪追及のため無期懲役に服役することになった。そこにはムギタニ・シズカの姿があった。彼女もまた無期刑であった。死刑ではなかった。
SIAの個室でシンはレオハルトと話をしていた。
それはマリンの事だ。
「……さて、マリンの事に戻るが、ユダはどうせ仲間扱いしていないのだろう?マリンはこのままだと一人になっちまう」
「そうだな。だが、アイドルに戻すわけにはいかない。芸能界ではマリンの名前ですら、自粛の流れになってしまっている。芸能活動は不可能だ」
「……」
「だが、良いニュースもある。マリンが我々への協力を申し出た」
「そうか……」
「すまないな、シン。彼女に大した事はしてやれなかった」
「いや、そんなことはない。レオハルトは……」
「私は『何も関与していない事になって』いる。いいな。これはユダ側を配慮した結果だ」
「そうか……わかった」
「さて、せめてもの罪滅ぼしだ。マリン・スノーは我々が引き受けよう」
「ありがとう。レオハルト」
「ああ、もう巻き込まれるなよ」
「努力するよ」
「もし同じような事件が起きたら……また頼れ、いいな?」
「ああ……すまない」
「それから、アオイとサイトウにも会ってやれ。いろいろと言いたいことがあるらしい」
「ああ」
「では、今度はシャドウとしてではなく、シン・アラカワとして穏やかな再会を」
「お互いに……な」
そう言ってスーツ姿のシンは個室から外に出た。レオハルトは笑みを浮かべる。穏やかで優しげな笑みであった。シンもまた晴れやかな笑みで外に出た。
外に出たシンの目の前にはマリンとユキがいた。
ユキとマリンはシンに抱きついた。
涙が流れていたが、悲しみの涙ではなかった。
この世で最も優しく暖かな涙がそこにあった。
第五章はもう少し続きます。五章の最終話は次回になりますが、しばしおつきあいくださいませ。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。




