酔っぱらいを拾った彼女の上司は頭がおかしい
「エセルさん!!」
ああ、またか……。
思わず頭を抱えたくなる。
書類整理の仕事中に、部屋の扉が勢いよく開かれた。それはもうすごい勢いで。
一人の人間が必至の形相で私の元まで詰め寄ってくる。
全く、昨日も酔っ払いを拾ったせいで疲れているというのに、またあの変人の相手をしなければいけないのかと鬱々とする。
最近よく私の家の前に行き倒れる迷惑な酔っ払いがいる。
その男も私と同じ騎士団の同僚なんだが。
上司といい同僚といい、この騎士団はどうなってるんだ。変人しかいないのか。
「頼むから扉は静かに開けてくれ」
この部屋にいる人間はもう慣れてしまって誰も動じなくなったが、扉が壊れる前にはやめてほしい。
そして同僚たちのそのなんとも言えない視線もやめてほしい。
同情を込められた視線を向けられるのにも慣れてしまった自分がいるが。
「すっ、すみませんっ。その、隊長が仕事をしてくれなくて……!!」
今にも泣きだしそうな顔をする彼は私よりも年上だ。童顔女顔で大変可愛らしく庇護欲を誘う容姿ではあるが。
年齢は30を超えているはずだし、そろそろ落ち着きを持ってほしい。
隊長というのは我らが上司様だ。
騎士団の中にも数多くの部隊に分かれていて、その中で私の所属する隊の隊長。責任者。私の直属の上司のこと。
仕事はできるが、一言で言うならば変態だ。頭がおかしい。
あの上司の側近である目の前の男には心底同情するがそれとこれは話が別。できればあの上司には近づきたくない。
しかしそうも言っていられない。
「すまないが少し抜ける」
私はため息をはいて立ち上がるという選択肢しか用意されていない。
下手に無視すれば後がめんどくさいのは学習済みだ。
「いってらー」
「おつかれー」
皆まで言わずとも事情を理解している同僚たちに見送られて部屋を出る。
すぐ後ろには私を呼びに来た彼が「すみません」を連呼しながらついてくる。
ぺこぺこと腰を折りながら速足でついてくる彼もなんだかんだ騎士団の中で高い位置についているだけある。
正直言えば人目につく廊下でそれをやるのはやめてほしい。私が悪さをしているみたいだ。
まあ、何度言っても改善はされなかったのだからこれからも変わらないんだろうと悟っている。
我らが上司様の執務室の前には一人の人間が腕を組んで佇んでいた。
肩までの見るからに手触りのよさそうな黒髪を持つ容姿のモノクルを身に着けた男。
中世的ではあるが女性に見間違うことはない。色気のある男性という印象の男。
実目麗しく実力もある、我が隊の隊長クレイツ・バスティード。
あまり笑顔を見せない冷たい印象を持つこの人は、ほかの隊の人間からしてみれば相当に近づきにくい人間らしい。
私もできればその印象のまま終わりたかった。
いろいろと完ぺきなこの上司のたった一つにして最大の欠点は。
「バスティード隊長、いい加減に普通に仕事をしてくれないか」
うんざりと言葉を吐き捨てた私に、バスティード隊長はキッと鋭い視線を向けてきた。
それこそ凍り付くような視線を。
このまま説教されそうな雰囲気だが、それは違う。
そんな生易しい常識的なものではない。
「おい、清楚ビッチはどうしたんだ」
綺麗な顔で口を開けばこれだ。
本当に頭がおかしいとしか言いようがない。
「君は清楚系な見た目で令状言葉を使えば完ぺきな清楚美人。私の理想を具現化した素晴らしい外見! さあ! 冷たい視線で毒を吐きながら私の頭を踏んでくれ!!」
「…………」
本当にこれだけは毎回耳を疑いたくなる。
こうなった上司は何を言っても聞かない。うっとりとした目で私を見つめ続けるんだ。さすがに耐えられない。
ため息を吐いた拍子に垂れてきた髪を耳にかけ、にっこりと笑顔を作ってやる。切り替えに必要な時間は一瞬だけ。
「バスティード隊長、早く仕事をしてくださいませ。いつまでそこで棒立ちしているつもりなんですの? 本当に使えない上司ですこと。そんなに暇なら私の靴でもなめて綺麗にしていただけません?」
仕草はあくまでも淑やかに、というのが重要だ。言葉の内容はきつくても控えめな口調と雰囲気も忘れてはいけない。あくまでも清楚系でなければいけないからな。
「あぁ……、私の天使…………っ」
本気で私の靴に頭を近づけてきた隊長の頭を踏みつける。
そのまま舐められたらと思うとぞっとする。
「早く仕事を片づけてくださいませね?」
「ああ、善処しよう」
まさに恍惚とした表情だ。
定期的に清楚ビッチを補充しないと仕事ができないらしい。自称だが。
その標的になってしまった私は大迷惑だ。
言い訳をするならば、私は仕事で清楚キャラを使うことはあっても断じてビッチ要素を取り入れたことはない。いつの間にかこの頭のおかしい男が言い始めただけだ。
ふと視線をあげてみれば、最近よく見るようになった顔を発見した。
この部屋の前は人通りが多い場所。騎士団の人間ならばここを通ることに不思議はない。当然この光景もよく目撃されている。
だからこそおかしな噂が広がるし、他の隊からしてみれば私は清楚ビッチな女なんだろう。
今私と目があった男、最近私の家の前でよく行き倒れているアストロも言っていたしな。可憐な見た目で男をヒールで踏みつける悪魔、だったか。仕事用の格好だからヒールなんて履いていないが。
酔っ払いを介抱してやったのにそれで叫ばれたこともある。迷惑な噂だ。
あんぐりとこちらを見て口を開けているその顔はやはり間抜け面だった。
ついでとばかりに微笑んでやれば開けた口をパクパクと動かし始めた。あほ面だ。
よほど驚いているのかなんなのか。
ふっ、と思わず肩の力がぬけたような笑いが零れる。完全に令嬢の仮面は剝がれてたな。
心なしか満足感を得て、私は隊長の頭から足を下した。
もう一回かかと落としくらいはしておきたいのが本年なんだが、それをすると隊長は喜んでしまうからな。ここは我慢だ。
その場にいた人間たちに「失礼」と頭を下げて踵を返す。
とりあえずこれで隊長も仕事を始めるだろう。私も仕事に戻りたい。やることはたくさんあるんだ。
次の大きな仕事も一週間後に控えているからその準備もある。
騎士団の中でも大捕り物だ。私の隊も重要な役割をもらっている。
確かアストロも警備隊として参加だったか。
背中に視線を感じながら私は自分の仕事部屋へと足を進めた。
さすがにアストロはもう関わってこないかもしれないな。
なんてことを思っていたんだが。
「本当に懲りないやつだな」
今日は少し仕事が長引いた。それに加えて買いたいものもあったから寄り道をして帰ってきたんだが。
家の前でまたしてもがたいのいい男が倒れている光景に出くわしてしまった。
とりあえず息の確認をしてみる。
生きてるな。
またしても酒の匂いだ。
「毎回同じ場所に行き倒れるなんて難儀な奴だ」
ここまでくると呆れも通り越す。
何かの呪いにでもかかっているんじゃないか?
無意識に私の家に辿りつくなんてもはや哀れになってくる。
私の部屋のベッドにアストロを放り投げようとしたところで、アストロの目が開いた。
ここで目が覚めたのは初めてじゃないか?
「大丈夫か?正気なら寄宿舎に……っ!?」
アストロの顔を覗き込んだ瞬間に強い力をかけられた。
どうやら覚醒したわけではないらしい。
「エセル……グランティエ……」
気づけば天井が見えた。
私と天井の間にはアストロがいる。背中にあるのはベッドだろうな。
アストロは私の横に両手をついて、虚ろな目で私の名前を呟いた。
ぼーっとしている。
完全に酒が回ってるようだな。
「お前は……」
潤んだ目で私を見つめたアストロは、続きをいう前にばたりと倒れた。
そのまま私の上に落ちてくる。
……重い。
ぐい、と力を入れてみても体の向きがわずかに変わった程度だった。
しかもなぜかアストロの腕は私を抱え込むようにして離さない。
今までで一番質が悪いな。めんどくさい酔っ払いだ。
試しにもう一度力を入れてみても腕の力が強くなるだけだった。
仕方ない。あきらめるか。
本気で殴り飛ばせばどけられないこともなさそうだが。
この男はいい加減酒を辞めたほうがいいんじゃないのか。
明日の朝目覚めて後悔するのは君だぞ?
ソファで眠るよりも不自然な体制ではあるが寝れないこともない。
瞼を閉じれば意識は自然に遠のいていった。
「グランティエ!?」
耳元で聞こえた大声で目が覚めた。
最悪な目覚めだ。
「煩い」
「なっ、ななな」
今までで一番動揺していないか?
とりあえず私の上から退いてほしいな。
「言っておくが、襲われてるのは私で襲っているのが君だからな」
これはどう見ても被害者は私だ。
アストロが何か言う前にこれだけは言っておかないとまた騒ぎそうだ。
「なんでこんな状況に……」
「酔っ払いが酔っ払っていただけだ。何もなかったから気にするな」
簡潔に説明しておく。
私に倒れこんでくるとは血迷っていたのかもしれないな。アストロの心境まではさすがにわからないが。
「とりあえずどいてくれ」
重いんだ。男が上に乗っているのは。
「あ、ああ。悪い」
おずおずと私の上から退いたアストロにクローゼットから引っ張り出した男物の服を押し付けた。ついでに下着も。
仕事でたまに使うもののストックだからもちろん新品だ。
サイズは大丈夫だろう。私には少しでかいからな。
「風呂でも浴びてこい」
風呂場まで案内しやればアストロはおとなしく従った。
男の風呂はそう長くはないだろう。
私はいくつかの茶葉をブレンドしたお茶を入れて、パンを焼いた。
テーブルにお茶とパン、それから数種類のジャムとバターを並べておく。
並び終わる頃に、アストロが髪を濡らしたまま顔を見せた。
まだ現状を理解しきれていないのか、進められるがまま席に無言で座る。
「とりあえずお茶でも飲んで落ち着け」
「……グランティエ、なのか?」
「何度も言っているが、私はエセル・グランティエだ」
一口お茶を口に入れてアストロが私を見つめた。
これはあれか。あの上司とのやりとりを見て混乱しているとかそんな感じなのか。
「あのときのも、グランティエ、だよな」
「バスティード隊長とのことを言っているなら、そうだな」
アストロは眉間にぐっと皺を寄せた。
「どれが、グランティエなんだ」
息と共に吐きだされたそれは些かおかしな問いかけだ。
「どれも何も私が私であることに変わりはない。これが私だ。あの男……、バスティード隊長は頭がおかしい。あれをしないと仕事を始めてくれないんだ」
うんざりしながらお茶を口に含む。
お茶請けがあの上司の話というのはよろしくないな。
「じゃあ、あの悪魔だとかいう噂のグランティエは本来のお前じゃないのか」
「まあ、そういうことになるな」
いまだに納得してない、というか理解しきれていない様子のアストロにうなずく。
私の印象はなぜかあちらが強いようで、男を誑かす清楚ビッチが浸透しているからな。すぐには切り替えられないんだろう。
だからと言って私が気にすることはない。
しばらく黙り込んでテーブルを見つめていたアストロが、ふいにパンとジャムに手を伸ばした。
現実逃避でもすることにしたのか、大きな一口を齧り咀嚼し始めた。
その様子を観察していれば、ゴクリと飲み込んだアストロが気まずげに口を開いた。
「その、覚えてないが、押し倒したみたいで悪かったな……」
居心地悪そうに告げられた言葉。アストロはまだパンを見つめたままだ。
「いや、別に気にしていない。既成事実があったわけでもないしな」
ただ同じベッドで寝ていただけだ。少し寝苦しかったがそれだけで騒ぐほど可憐なご令嬢でもない。
「……グランティエの作るものは美味い。何も記憶はないがこの味を無意識に求めてるのか、俺は…………」
後半は独り言のようだ。
呟くように言われた言葉に思わず目を丸くしてしまう。
私の料理が美味いというのは当然だが急にどうしたというのか。
「今更なんだが、また来てもいいか?」
漸くパンから外された視線は私に向いていて、そんな問いかけをされた。
「本当に今更だな、君は」
何度も人の家の入口の前で倒れておいて。
カラカラという笑いが抑えきれずに零れた。
すでに視線がパンへと戻っている男を見て笑わずにはいられなかった。
どこまで失礼な男なんだ。
顔見知りという知り合い程度になってしまったこの男に、私は少なからず情を感じてしまったのかもしれない。
はた迷惑な友人という関係なら、少しくらい考えてやらなくもない、と心の中だけで呟いた。
頭のおかしい変態上司が出せました。作者は満足です。
この続きも書いていけたらな、と思っております。
行き当たりばったりで至らないところも多いですが、またお付き合いいただけると嬉しいです。