第四話
「まったく、あなたのことを取って食ったりなんかしないですよ」
少年の勘違いを理解したレナは愉快そうに笑う。畳の上に足を崩して少年の前で腹を抱えている。
「……」
少年は少し顔がうつむいている。いまだ、目の前の人間が誰なのかわからず対応に困っていた。無害そうな笑顔や、警戒心の一切ない様子に自分の早とちりだとわかってはいる。だが、やはり経験値の少ない少年には初対面の人間にどう接したらよいのかわかっていなかった。
「ほら、これでよし!」
笑い終わると、レナは慣れた手つきで少年に浴衣を着せ付け、その肩を叩いた。強くたたかれ少年は驚き肩を揺らした。
「あなたが、僕を助けてくれたんですか?」
「森の中で君を助けたのはほかの子ですけど、そのあとの治療なんかは私が手配しました。だから、私も恩人ってわけですよ」
レナはそう言ってほほ笑む。少年はついそれに見とれてしまった。笑顔は魅力的ではあったが少年が見とれた理由はそれではない。レナの容姿にどこか懐かしさを感じていたからだった。
「ところで、森にいたらしいけどあんな危ないところで何してたんですか?」
少年はその問いで今までのことを明確に思い出した。気づいた時から森の中にいたこと。幾度となく魔物に襲われたこと。寒い夜を一人過ごしたこと。そして、過酷な環境下で感じた死と恐怖。必死に言葉を紡ごうとするが感情が混ざりうまく表すことができなかった。結局事実を端的に述べることしかできなかった。
「……わかんないです。気づいたらあそこにいて。魔物に追われて必死で逃げてました」
少年の膝はかすかに震えている。だが、長い浴衣の裾に隠れレナには見えない。
「え!? どういうことですか?」
「わかんないです。何にも覚えてなくて」
「名前は?」
「……わかんないです」
自身の名前も思い出せない。自分に名前があったことすら定かではない。自分の過ごした過去があったのかもわからない。そのことに気付くと、少年の震えはもう布一枚では隠すことはできなかった。
「そっか……よし、それじゃあ、暫くはうちに泊りなさい」
少年を不憫に感じたレナは深く聞きはせず、そう提案をした。そして、少年の頭を慣れた手つきで優しくなで続けた。少年を見つめるレナの視線には親愛の情さえ感じられる。
「迷惑じゃないですか?」
すこしして少年は落ち着きを取り戻し、問うた。身元の分からない自分故に、それだけ自身に対する責任感が強かった。
「大丈夫、今更一人二人増えたって変わんないですよ」
「……?」
言葉の意味が分からず、少年は小首をかしげる。
「私、剣の道場を開いているの。弟子がもともといるから今あなたが一人増えても負担にはなりません。しばらく落ち着くまではうちにいて大丈夫ですよ」
レナの語調は少し強かった。いっそ少年が滞在することを強要するような言い回しにも感じられる。そこには彼女のやさしさが込められていた。
「それじゃあ、お世話になってもいいですか?」
迷惑をかけまいとする気持ちと彼女のやさしさに甘えたい気持ちとが混ざる。結局勝ったのは後者だった。
「もちろんですよ」
レナは少年の頭を撫でる。気恥ずかしそうに少年は頬を染める。それを見てレナの表情が一層穏やかになった。
「とりあえずは名前が必要ですね。どうしましょうか……」
少年の頭をなでながらレナは思案する。そして、ふと少年の髪に目を止める。
「シルはどうですか? 銀髪だからシルバーからとってシル」
「……いいと思います」
少年はそう答えた後自身の名前を確認するように、かすかに唇を動かす。
「よし! それじゃあ、君は今日からシル・ランデルだ。ちなみにランデルは私の苗字でもあるから」
レナはシルの手を引き部屋を出ようとする。
「それじゃあ、早速これから屋敷の案内をするからついてきてねって、ん?」
だが、シルが動こうとせず、レナは心配そうに振り返った。
「……あの」
「ん? どうかした、シル?」
レナは身をかがめてシルに目線を合わせる。
「名前を……」
「まさかシルって名前嫌だった?」
レナが申し訳なさそうな表情をする。それを見て慌ててシルは訂正する。
「えっと、そうじゃなくて、お姉さんの名前をまだ聞いてないんです」
「あぁ! ごめん、完全に忘れてたね」
「私はレナ。レナ・ランデルだよ。よろしくね」
レナはそう言って手を差し出す。シルはその手を取り言った。
「こちらこそよろしくお願いします」
剣を何度も振った手の平は厚い。シルはそこから伝わってくる人の体温に安心感を感じていた。
当分話が導入といいますか、そんな感じなんでバトルはありません。申し訳ないです。十話くらいから、少しカテゴリに即した感じになります。なるといいな。