第二話
キリル・エイレーンの朝は早い。
彼女は誰よりも早く起き、一人森へと向かう。
彼女のすむ王都郊外から三キロほどの距離にその森はある。その面積はあまりに大きく、いまだ測量すらできていない。故に人々は未知であるこの森のことを恐れている。だが、恐れる理由はそれだけではない。
森には魔物が棲みついている。他国との戦争中、男たちが出払った王都周辺を狙ったのは、敵国ではなくその魔物たちだった。多くのものが殺され、さらわれ、犯され、その被害は甚大なものだった。幾度となく魔物たちに空き巣を襲われ、人々は魔物に怯える日々を送っていた。だが、いつまでもやられっぱなしでいるわけではいられなかった。肉親を奪われた恨みが次第に積もっていった。王都に残る女性たちは自ら剣を握ることを決意した。魔法の使えない彼女たちはそうするしかなかったのだ。
「ヤッ!!」
キリルは大きく剣を水平に振るう。どこかぎこちなくさえ感じたれる太刀筋だが、速い。振るった剣を返し、二匹目のゴブリンを屠る。その華奢な腕からは考えられないスピードだ。
だが、いくら速かろうが女性のか弱い腕では骨を断つことはできない。故にモニカはその間を正確にねらう。
ゴブリンの頸椎の間に振るう剣。わずかな隙間を寸分たがわず、軽々と通してみせる。少し遅れて首が地面におち転がり、体が無力に倒れる。切り口は水平。素晴らしい業物できたのかとさえ思われる。だが、彼女の持つ剣は決して良いものとは言えない。
敵の死を確認すると、彼女は細身の剣を振り、剣についた血脂を振り落とした。
既に森を進むこと五キロ。このあたりから魔物が出始める。森の奥へと進むにつれて魔物はより手ごわくなっていく。だが、いまだ五キロ地点とはいえ一般女性にはそんな程度の魔物を屠る力などない。日ごろの鍛錬の成果を確認しながら森の奥へと足を進める。
現在キリルがいるのは七キロほど進んだ地点。まだ、出てくる魔物は対して強くないが朝飯前の運動にはちょうど良い。見かけるたびに首を斬り飛ばしていく。ゴブリンを見つけると彼女の双眸が細められ、そして加速する。すこし姿が見えた程度でも逃がさず追いかける。その姿はまるで何かにとりつかれているかのようだった。
十匹ほど殺したあたりで彼女は一息ついた。周囲の安全を確認すると腰に下げた革袋を手に取り水を飲む。少し額に汗を搔いてはいるものの疲れは見えない。やっと、いつものような少し幼さの残る可愛らしい表情を浮かべた。だが後頭部で金髪を結わえなおそうとした瞬間、ふたたび鋭い目つきになる。
「「「ゴゥゥゥアァァァ!!!」」」
耳に届いた声を聞き、すぐさま駆けだす。先ほどまでとは違い、彼女は若干の焦りを感じていた。悪夢が脳裏に浮かび、彼女はさらに加速した。。
ゴブリンは普段は叫ぶことは多くない。先ほどモニカが殺した十匹も叫ぶことはなかった。だが、それには例外がある。
獲物を追い詰めた時だ。
その理由はわからない。高ぶる感情を表しているのか、目の前にいる食事に喜んでいるのか、これから行う殺戮に心躍らせているのか。けれど、幾度となく聞いた鳴き声をキリルの耳が聞き逃すことはなかった。
彼女が走り出し次々に土煙が上がる。
先ほどの雄たけびに続いてかすかに聞こえてくる打撃音を頼りに進んでいく。
「ぐぅぅぅううあぁぁぁ!!」
「っだっぁぁぁぁ!」
人の声を聞きさらにスピードが増す。焦りが強まり、脳内を過去の出来事で充満する。手足を動かしている感覚が弱まるが彼女は懸命に走り続けた。
やっと彼女がゴブリンに襲われる少年を発見する。うずくまる彼を見て彼女は激高する。少年が体中が土と血にまみれ青あざを背中に浮かべる姿に怒りは止まらなかった。
理性を失った彼女の剣から技が失われる。センスに任せた、ただ速い、だが圧倒的な速度のそれをゴブリンたちは視認することもかなわない。直後、ゴブリンは肉片となり、散る。断末魔を上げる隙すらなかった。ぽたぽたと肉塊の落ちる音だけが、雨音のようにほんのわずかの間続いた。
散らばった死体を一瞥し彼女は悲しみに暮れる。
また救うことのできなかった悔しさ、無力感。そして今まで自分は何をしてきていたのかという自問が繰り広げられそうになる。青ざめた顔を両手で覆う。膝が震え、トラウマがフラッシュバックする。キリルの精神が今まさに崩壊しようとしていた。だが、それは杞憂に終わった。
体を起こした少年を見て彼女は刹那呆然とする。つい達成感にひたってしまう。
だが、すぐさま事態を確認して、冷静さを取り戻し少年に声をかける。
「大丈夫?」
そんなはずはないのだが、それ以外にかける言葉を知らなかった。幾度となく夢に見たことが今現実となっていたが、あまりに痛々しい少年の様子に言葉が浮かばなかった。
涙を流す少年。涙の理由が分からず少女は少し戸惑うが、その表情に昔の自分を思い出し、どうすべきかを理解する。
「もう、大丈夫だから……」
慈愛をもって少年を抱きしめる。もう安全なのだと伝えるようにと少し強めにだきしめる。痛み以上に少年が安心感を得るであろうことは自身の経験から理解していての行動だった。
「もう大丈夫よ……」
頬の泥をぬぐい少年の顔を覗く。肩まで延びた銀髪に少し垂れ気味の目、そして小ぶりの鼻と唇からなる顔は中性的で幼さが残っている。故にキリルが勘違いをしてしまったのは、他にも理由はあるが、仕方がなかったのかもしれない。
(この子女の子だよね……)
キリルは少年を腕に抱きながらそう考えていた。




