第十話
二人が計画を立て終わったころシルが目を覚ました。
「うぅぅっ……」
軽く頭痛があるのだろう。頭を押さえながら体を起こした。
「あ! シル、大丈夫ですか?」
レナはいち早くシルの起床に気付くと安否を尋ねた。一方、男は何やら作業をしているようで机の上で手をせわしなく動かしている。
「え、えっと……」
目を覚まし次第に意識が覚醒していくと、シルは意識を失う直前のことを思い出す。
トラウマであるゴブリンに対する警戒心が一気に高まり、すぐさま立ち上がり、周囲を見渡す。かすかに膝を曲げ、いつでも奇襲に対応できるよう身構える。
その表情は真剣そのもので、レナにとっては大層ほほえましい光景だった。
「ふふっ、ゴブリンはいないですよ。さっきのは魔法で変身していただけだそうですから」
「……本当ですか?」
シルは警戒を解かず、尋ねる。それだけ、ゴブリンに恐怖を抱いているということだろう。
「本当ですよ」
レナは怯えるシルの頭を撫でる。それで、やっとシルは安心を得たようで、ベットに座り込んだ。目の端はたれ、少し開いた口から息を吐いた。
「さっきは、悪かったね」
作業を済ませた男がシルに謝罪し、手を差し出す。
「僕は、ヨハン・クルド。ここの魔法塾の塾長をやってるんだ。よろしくね」
「……」
差し出された手を見てシルは逡巡する。少しうつむきがちな瞳はヨハンの手を見たまま動かない。
「大丈夫ですよ。この人はゴブリンを飼ってたりしませんよ」
レナがシルの顔を覗く。だが、シルはまだためらったまま動こうとはしない。
「……?」
レナは、なぜシルがヨハンの手を取ろうとしないのかわからない。確かに、先ほどまではゴブリンの顔をしていたが、元に戻った彼の顔は穏やかで敵意を抱かせるようなものではない。
「……あぁ、そういうことですか」
一番にシルの意図に気付いたのはヨハンだった。
「大丈夫だよ、シル君。悪いけど君は僕のところでは面倒を見てあげられない。君の魔力回路が閉じられているんだ。そのために君は男子ながらに魔法が使えない」
一般男子なら、魔法が使えないという宣告を受けたのなら、まず間違いなく自分の運命を呪い絶望したことだろう。それだけに、魔法が使えないというのは大きなデメリットになる。だが、シルはそういわれても特に感じることはなかった。記憶がなかったおかげで損に感じなかったのだろう。
むしろ、ヨハンの言葉の続きのほうがシルにとっては重要だった。
「その代わりにレナが君を預かってくれるから」
「……!」
シルがガッと顔を上げる。目を輝かせた表情は彼の喜びを表している。だが、直後彼の視線は申し訳なさそうに宙を泳いだ。
「別に、僕のことは気にしなくていいよ。君を預かりたくはあったけど君が居たいところにいるのが一番だし、レナのところならそれが最適だしね」
「あっ、ありがとうございます」
シルは思わず礼を言った。何に対する感謝だったのかは明確ではないが、ただ喜びを抑えられなかったのだろう。
純真なシルの笑顔にヨハンもつい笑みをこぼした。
「あの、レナさん?」
シルはレナに改めて挨拶をしようと思い彼女のほうを向く。だが、なぜか彼女は腕で目元を隠していた。
「大丈夫ですか?」
シルの問いかけに、レナは慌てて腕をどかし顔を上げた。
「……はい、大丈夫ですよ! これからよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
だが、シルはふと懸念事項を思い出した。
「あの、キリルさんが許してくれるんでしょうか……」
そう尋ねる声はか細く、キリルに対するシルの感情がうかがえる。
「大丈夫ですよ。僕に任せてください」
ヨハンはそういうと、練った案をシルに説明し始めた。