04 夜明けの楽しみ方
カブさんはのんびり走るのが好き。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
田んぼ道が好きで、田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
でも、話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
40歳ちょっとで、現在は独り者。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
ちょっと変な大人で、変なヒト。
それが、カブさん。
04 夜明けの楽しみ方
静かだ。
午前4時30分。
シンとした夜明け前の空気を吸い込みながら、バイクに荷物を積み込む。
春を迎え、朝の空気も随分と暖かくなった。
小さなキーを取り出してバイクに差し、チョークノブを引く。
そっとスタートボタンを押した。
ヒキュキュキュキュキュキュ、トト、トトトトトトト…
90ccの可愛らしい単気筒エンジンが、のんきな音をたててアイドリングを始める。
チョークノブを戻しながら燃料計の残量を確認し、アクセルを軽く開けた。
トタタタタタ…
リズムが変わり、車体が小さく身震いする。
調子は良さそうだ。
ヘルメットをかぶってグローブをはめ、スタンドを解除してシートを跨ぐ。
左足のつま先でシーソーペダルを踏み込んだ。
ガチャ
機械的な音が足元で響いて準備が出来たことを教える。
ゆっくりとアクセルを開いた。
タタタタタ…
スーパーカブが動き始める。
ゆっくりと上がっていくスピードメーターの針を眺めながら、つま先を踏んで2速にシフトアップ。
さらに加速を続けて3速へと上げていく。
メーターが時速60kmになる頃には、夜明け前の静かな空気はすっかり風へと変わって、ヘルメットの向こうで音をたてている。
ヒュー
タタタタ
ヒュー
タタタ
聞こえるのは風の音とバイクのエンジン音だけ。
まだ動き出していない街はすれ違う車もほとんど無く、自分一人だけしかいないみたいだ。
40分ほど走り、田んぼの真ん中にある遊水池の端の高台にバイクを停める。
バイクにつけたサイドバッグから荷物を取り出して並べた。
ケトル。マグカップ。水の入った折りたたみ水筒。固形燃料ストーブ。折りたたみの風除けスクリーン。簡易ドリッパー。サンドイッチとレギュラーコーヒー。
風が無いのでスクリーンは要らないかもしれないが、固形燃料ストーブを準備してケトルに水を入れ、火にかける。
オレンジ色の炎が静かにケトルの底をあぶり、ゆっくりと水をお湯に変えていく。
ドリッパーにコーヒーの粉を山盛りに入れ、腰を下ろして遊水池を眺めた。
東の空が群青色から紫、ピンクへと色を変えていく。
ケトルの先から湯気が昇り始めた。
お湯が沸いたようだ。
ケトルを火から下ろし、一呼吸おいてからドリッパーのコーヒーにそっと、少しずつお湯を注いだ。
静かな空気の中にコーヒーの香りがフワリと漂う。
ゆっくりと時間をかけてマグカップ一杯分のコーヒーを淹れた。
東の空はピンクからオレンジ色に変わっている。
サンドイッチを頬張り、コーヒーを口に運んだ。
コーヒーに深いこだわりや薀蓄がある訳ではない。キリマンジャロは酸味が強いとか、せいぜい人並み程度だ。
でも、こうして外でコーヒーを飲むのが好きだった。
オレンジ色になった空の端に赤い点が顔を出す。
ゆっくりと、ゆっくりと、点は大きく丸くなっていき、やがて真っ赤な太陽が全身を空に現す。
写真を撮る時もあれば、今日のようにただコーヒーを飲みながら眺めるだけの時もある。
ボンヤリと赤い太陽を眺めているうちにサンドイッチを食べ終わり、二杯目のコーヒーを淹れるためにもう一度お湯を沸かしにかかる。
ライターで固形燃料に火を着けると、ゆらゆらとオレンジ色の炎が揺れ始めた。
しばしケトルを載せるのも忘れてそれを眺める。
太陽とは色の違う、静かに揺れる炎はどこか懐かしく、気持ちの隅っこの方を温めてくれる。
思い出したようにケトルを載せた。
燃料とコーヒーと時間はたっぷりある。
ゆっくり楽しもう。
これが私流の、贅沢な一日の始めかただ。
『エスビット・ポケットストーブ』
エスビットは1936年にドイツ南西部の製造者エーリヒ・シュンによって発明および命名された固形燃料。エスビット・ポケットストーブはこの固形燃料を収納することが出来る折りたたみ式のコンロである。ポケットに簡単にしまえるほどのコンパクトさで、ドイツやオーストリアの軍隊では主食のレーションを温めるために使用されている。
また、キャンプ、登山、災害時のサバイバル用品としても知られる。