19 たなびく煙り
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
19 たなびく煙り
キン
ヂッ…ポッ
パチン
「ふう」
タバコの煙を吐きながら、バイクの隣りに腰を下ろす。
眼下では一面に広がる田んぼから白い煙の筋が何本も立ち上っている。
8月が終わり、9月に入ると一斉に稲刈りが始まった。
カメラバッグをバイクに積んだ私は、そんな景色をファインダーにおさめるために東京を離れた。
埼玉県の北部。
一面の平野に田んぼが広がる風景。
それを、利根川の土手の上から眺めている。
「最近はさ、ちょっと籾殻を燃やしただけで消防車を呼ばれちゃうんだよ」
田んぼで作業をしていた老人に声をかけると、参っちゃうよねぇと言いながら話してくれた。
埼玉県の北部にあるこんな農村部でも、都市部から何の下調べもせずに引っ越してくる人間がいて、それまでの風習や習慣を自分達の都合だけで変えろと言ってくるのだという。それも、直接ではなく、町役場や消防署を通して匿名で言ってくるのだとか。
調べてみたところ、野外焼却については『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』という法律で禁止されてはいるのだが、農業をおこなう人がそれに伴うものを燃やすことは例外として許可されている。
古くから続く風景が、こうして消えていくのだろうか?
この時期に燃やすのは籾殻だけではない、稲刈りの終わった田んぼでは、稲藁の焼却もおこなわれる。
これらの作業は、病害虫の駆除や土壌の殺菌の効果があり、燃やした後の灰は肥料となって翌年の豊な実りへと繋がっていく。昔の人の知恵が生んだ自然のサイクルだ。
都市部から流入してきた新住民と、農村部の古くからの住民との間で、こういったことに関連したトラブルが増えているらしい。人口の現象に悩む地方では頭痛のタネだとか。
「コミニティの崩壊ってやつなのかな…」
一概に、新住民のわがままがいけないと言うつもりはない。私だって洗ったばかりの洗濯物が煙臭くなったらがっかりする。
郷に入っては郷に従えとはいうが、農家の側の説明不足もあるのだ。
都市部から来た人間には農家の作業自体が解らない。こういう時期にはこういう作業があって、こういったことがあるので注意してください。とか、いついつにこういうことをやるので事前にお知らせします。などといったことをあらかじめ知らせていれば、トラブルにはならなかったのではないか?
かつては地域のコミニティがしっかりとしていて、住民同士で認識の共有が図られていた。
それが個人主義が進んだ現在では、各々の主張のみが声高に叫ばれ、地域から共同体という意識が無くなってしまっている。
同じ地域に暮らす者同士が、お互いを思いやってあげる気持ちが希薄になってきているのだ。
「なんだかさびしいねぇ」
呟きながら、タバコの煙を吐く。
私は収穫期の農村の写真を撮って歩くのが好きだ。
籾殻の山から立ち上る煙も、稲藁を焼くオレンジの火を眺めるのも、私は好きだ。
長く続いてきたこの景色を、人の気持ちが通じないことで消してしまうのは寂しい。
私はタバコを消し、立ち上がってバイクに跨る。
キーを挿し、スタートボタンを押した。
キュキュキュッ、タン、タタタタタタ…
90ccの小さなエンジン音が、秋の景色に吸い込まれていく。
シーソーペダルを踏み、アクセルを開いて土手の上を走り始めた。
田んぼに立ち上る秋の煙りを眺めながら、私は加速を続ける。
この景色が消えてしまわないようにと心の内に祈りながら。
『埼玉県』
旧国名「武蔵国」の北部で、関東地方では神奈川県以外の1都4県に接する内陸県。
貿易港や臨海工業地帯を有さないものの、日本の都道府県中、人口は726万5千人(2016年3月1日)、県内総生産は20.4兆円(2015年)といずれも全国第5位、人口密度は1,910人/km²で東京都、大阪府、神奈川県に次ぐ第4位である。
農業産出額は第18位(2015年)ではあるが、北部には近郊農業が盛んな地域もあり、ネギやホウレンソウ、ブロッコリーなど産出額が全国3位以内に入る農作物もある。
西部の秩父地域こそ山地であるが、それ以外の地域は関東平野の一部を成す平地となっており、東京に隣接する東南部には人口が密集し、東京から放射状に伸びた交通網に沿って首都のベッドタウンが形成されているが、北部には豊かな農地が広がっている。