18 焚き火『たきび』
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
18 焚き火
山の日。
それまで祝日の無かった8月に新設された、新しい国民の祝日。
今年から始まった休日ということもあって、テレビや雑誌などでは『山』にかこつけてアウトドアを取り上げている特集が多かった。
そのせいもあってか、今日はどこのキャンプ場も混みあっている。
まあ、夏休み中で、おまけにお盆休みとも日が近いとなれば当然といえば当然だろうが。
そんな中、ヤマが見つけてきたこの場所はそんな賑やかさとは別世界の静けさだった。
朝早くに東京を出た私、ヤマ、ユキの3人は、黄色ナンバーの小さなバイクで山道を登り、埼玉県西部のこの場所までやって来た。
「ウチの店の客に実家が材木屋をやっている人がいてな、その実家で持っている今は使っていない製材所をキャンプ地として借りたんだ」
目的地を訊かれたヤマが、実に得意げに胸を張って言った言葉だ。
しかし、来てみれば得意になるのも納得で、製材所自体は今は休止中だが、ガスも電気も水道も使える上、ジャワー室まである。下手なキャンプ場よりもはるかにいい環境だった。
「原山くんエライ!」
ユキにも褒められ、上機嫌となったヤマは料理においてもその腕を存分に発揮し、とてもキャンプとは思えないような豪華な夕食を作ってくれた。
そして今、食後のコーヒーを飲みながら、焚き火の前でくつろいでいる。
山奥だけあって、暑さは感じず、むしろ少し肌寒いくらいだった。
「俺、シャワー行ってくるわ」
ヤマがコーヒーのカップを置いて立ち上がる。
「ああ。…料理、ありがとな」
私が礼を言うと、二カッといたずら小僧のような笑顔を見せ
「感謝してるならカタチで返せ」
とこちらに手を出す。
「考えとくよ」
私は、とっとと行ってこいと手を振ってヤマを送り出した。
悪友が背中をこちらに向けたまま、ワハハと笑いながら小屋のほうに歩いていく。
隣りでユキもクスクスと笑っていた。
「ホント、2人とも変らないね。羨ましい」
「そうかな。こういうのは進歩が無いっていうんだぜ」
私は肩を竦める。
しかしユキは大きく首を振った。
「そんなことないよ。変らないってすごいことだよ」
「そうかなぁ」
ヤマとの付き合いは学生時代からだが、確かに何も変っていない。
ただ、お互いにそれを意識したこともない。
私もヤマも「アイツとはこういうもんだ」と思っているだけだ。
「…私ね…‥最近、学生の頃のことをよく思い出すの」
ちょうど昔のことを思い起こしていた私に、ユキがポツリと言った。
「バカばっかりやってた頃のこと?」
少し言い方が深刻そうなトーンだったので、笑わそうと思って言ったのだが、
「それはあなたと原山くんだけでしょ」
「…確かに」
怖い眼でたしなめられた。
そのまま、ユキは自分の膝を抱えるようにして引き寄せ、言葉を続ける。
「ふっとね…‥あの頃みたいに、なんにでもチャレンジできる勢いみたいなのが欲しいなって思うの」
「案外、ユキは怖いもの知らずだったからな」
「あなたはいつもフラフラしてたわりに慎重派だったわね」
私の言葉は、正確に痛いところを突いて打ち返される。
「俺は臆病だからさ…」
降参ですとばかりに肩を竦めてみせる。
ようやくユキは笑顔を見せてそれに頷いた。
「でも、ここ一番では誰よりも大胆だったよね」
「そうだったかな」
「そうよ」
言いながら、うんうんとユキは自分の言葉に頷く。
私はその隣りで、昔の自分を思い出そうと首を捻った。あまり覚えがない。
言葉が途切れ、焚き火にくべた薪がパチッと乾いた音を立てて弾ける。
「…今ね、昔お世話になった人から仕事を手伝ってくれないかって誘われてるの」
音につられた様に、ユキはまたゆっくりと言葉を選ぶようにして話し始めた。
「新しい雑誌を立ち上げるんだけど、そこの副編集長として力を貸して欲しいって…」
どう思う?とこちらに視線で問いかけてくる。
「…すごいじゃないか」
「でも…‥全く新しいことだし、今の雑誌業界が大変なのはよく解ってるから…‥なかなか昔みたいに一歩を踏み出せなくて」
「俺の臆病がうつったかな?」
私はあえて軽い口調で返す。
ユキはようやく、ふふっと笑って首を振った。
「ううん。でも、どうしても先のことを考えちゃうのよ。女はみんなリアリストだから」
「ロマンに憧れるリアリスト…か」
二人して焚き火に視線を戻す。
「そうかもね。…ねえ空」
「ん?」
「先月、取材旅行に出てたんだよね?」
「…ああ、ヤマに聞いたのか。栃木と茨城を転々と回ってた」
多分、ユキはまたあの朝のようにヤマの店に行ったのだろう。
ヤマはヤマで、私が仕事でしばらく留守にするらしいとでも言っておいてくれたようだ。
「そっか」
「ああ」
「大変だった?」
「ん。まあ、昔っから似たようなことをずっとやってきてるからな」
学生時代から、私はフラフラとバイクで旅に出ては、あちこちを回って写真や紹介記事のような文章を書いていた。
それが旅行雑誌編集者の先輩の目に留まり、雀の涙ほどではあったがバイト代が入ることもあった。
「そうだね。空にとってはいつものことだったね」
「どうした?」
「ん。…空はすごいなって」
「俺が?」
予想外の言葉にユキの横顔を覗き込む。
ユキは揺れる炎を見つめたまま、言葉を続けた。
「だって、1人でなんでもやってる。書いたものもちゃんと記事になってるし。…ねえ、知ってる? 私ね、あなたの書いた記事はいつもチェックしてるんだよ」
言いながらようやくこちらを向き、目が合った。
「ありがとう」
なんだか気恥ずかしくなって、先に焚き火に視線を戻す。
「…でも、俺は1人でなんでも出来る訳じゃないよ。仕事を回してくれる人達がいて、誰かが記事を拾ってくれるってだけさ」
そう。俺は結局のところ学生時代からたいして進歩していない。運良く、周りに仕事をくれる人達がいるというだけだ。ユキの方がよっぽど1人でなんでも出来る。
「それでも、それは空がそれだけ信頼されてるってことだし、すごいことだよ」
「そうなんだろうか…」
「そうだよ」
また、お互いに言葉が途切れた。
しばらくそのまま、虫の声を聴きながら焚き火の揺れるのを眺める。
「私…やってみようかな」
ユキが丸めていた背中を「うーん」と伸ばす。
「新しい雑誌?」
「うん」
私もつられるように体を伸ばした。
「ユキなら、出来るよ」
「また、あなたは無責任に背中を押す」
「ホントに出来ると思ってるんだって。…無責任かな?」
「無責任だよ。…‥そばにいてくれる訳でもないのに」
「え?」
言葉の後半が薪の弾ける音と重なって聞き取れなかった。
聞き返す私にユキは背中を向ける。
「なんでもない」
「なんだよ、気になるな」
「いいの…‥言わない」
「?」
なんだかよく解らないが、こちらに向き直ったユキは、学生の頃とよく似た笑顔を浮かべていた。
「ふふ、大人の女っていうのはね、いくつも秘密を持ってるものなのよ」
人差し指を立てて得意げな顔をする。
「…大人の女ねぇ」
そして、私が何気なく発した言葉も聞き逃さない。
「あー、なんか今いやなこと考えたでしょ!」
「考えてないって」
慌てて手を振り、否定する。
…と、背後から
「仲良しなのはいいんだが、俺もいるってことを忘れてないか?」
恨めしそうな声を浴びせられた。
「うわっ、ヤマ! えっと…‥ウィスキーあるけど飲むか?」
「あ、私ミックスナッツ持ってきてる」
私達の様子に「はあぁ…」と大きな溜息をつきながら、悪友が肩を竦める。
「…やれやれ。なんかつまむものでも作るとするか」
「ゴメンね原山くん」
「ヤマ、すまん」
静かな山の夜がゆっくりと更けていく。
オレンジ色の炎と、満天の星空に照らされながら。
『焚き火 bonfire』
焚き火とは、火を焚くこと、火を燃やすこと、および、その火を指す。
狭義では、木の枝や落ち葉、薪などを地面などに集めて燃やすこと、およびその火を指す。 伝統的には焚火(たきび、ふんか)と読み書きし、そのほか、たき火とも表記する。 落ち葉を使った焚き火は落ち葉焚き(おちばたき)と言う。
基本的には直接地面で行われるが、キャンプなどでは専用の焚火台(たきびだい、ふんかだい。焚き火台)が用いられることが多い。
焚き火は管理を誤ると容易に火災の原因となり、林野庁の調査によると、日本国内の山火事は、落雷など自然発火によるものは少なく、ほとんどが人為的な理由であり、その中で最も多い原因が焚き火であったと分析されている。
火を取り扱う際には、くれぐれも充分な注意を払って欲しいものである。