17 ツーリング
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
17 ツーリング
梅雨が明けた。
関東地方の梅雨明けとしては例年よりも一週間ほど遅いそうだ。
今年もようやく夏の始まりか…‥と陽射しに目を細めながら、ベランダで布団を干す。
「ん?」
リビングのテーブルの上で、電話が鳴っていた。戻って通話ボタンを押す。
「はい日下部…」
「カブか、俺だ」
「あー、どちらの俺だな?」
電話の向こうにいるのは、ヒマを持て余した喫茶店(カフェだったか?)のオーナーだ。
「俺と言ったら俺だ。今月の11日、ツーリングに行くぞ」
「なに?」
「…だから、ツーリングだ。どうせヒマだろ?」
「あのなヤマ、お前の店と一緒にするなよ。俺だってそれなりに仕事が入ってるんだ」
「どうせいつもの穴埋め記事だろ。そんなものは脇に置いといて、せっかく俺が店を休みにしてまでツーリングに行こうって言ってるんだから、四の五の言わんで付き合えよ」
やはりこの男は『親友』と呼ぶよりは『悪友』と呼んだ方がいいようだ。
「そんなモノって言うけどな、こういう積み重ねがあるからこそ、特集記事のスペースをもらえたりするんだぞ。俺なりに営業努力ってものを…」
「お前の仕事はスケジュールの調整なんざどうとでもなるだろ。それともなにか、締め切りまで時間目一杯かけないと穴埋め記事のひとつも書けないってか?」
「だからな…」
「あれ? 出来ねえのか?」
「出来るよ。出来るけどな…」
「じゃあ決まりだ。予定、空けとけよ」
「あ、コラ…」
切れた。
なんだか上手いこと言いくるめられたような気がする。
「8月11日ねぇ…」
今日は8月の3日だ。
壁にかけたカレンダーにメモした締切日は2つあった。
まあ、取材や資料の準備も済んでいるし、1週間あれば原稿2本を上げることくらいはなんとでもなる。
「しょうがない、やるとするか」
私はパソコンを起動し、仕事に取り掛かった。
「暑いな…」
8月の陽射しは夏の本領を発揮し、容赦なくバイクとライダーを焼き続ける。
日中の暑さを避けるように早朝に家を出たが、午前7時を回る頃にはすっかり夏の太陽が顔を出していた。
レッグシールドを外し、脚に風が当たるようにしてある私のスーパーカブではあるが、それでもこのバイクのスピードではたかがしれている。
さらに、止まった瞬間に頭上の太陽と足元のアスファルトから暑さが同時に襲い掛かってきた。
「暑い…」
なにもこんな時にツーリングに行かなくてもいいじゃないか…などと思ったが、すっぽかしたりしたら後で何を言われるか解らない。
程無くして、集合場所の道の駅に辿り着いた。
駐車場に入っていくと、荷物を満載したヤマハのメイトと、籐製のカゴのようなものをつけた空色のホンダ・リトルカブが停まっている。
「おはよー」
ユキがヘルメットを抱えながら手を振っていた。
隣りでヤマがイタズラを成功させた悪ガキのような顔で笑っている。
「おはよう。ユキも一緒だったのか」
2人のバイクの隣りに自分のカブを停めながら訊く。
「あー、私を邪魔者扱いするの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
ユキとの接し方がぎこちなくならないように、頭の中で言い聞かせるように自分を落ち着かせる。
大丈夫だ。今の自分のまま、いつも通りの自分でいればいい。
「カブと男2人だけじゃムサ苦しいからな、特別ゲストだ」
ヤマが仰々しくユキをエスコートする。
コイツ、確信犯だな。
「だいぶ陽射しがキツイけど、大丈夫か? 休み休み走るから、遠慮しないで言ってくれよ」
「うん」
「おう」
「いや、ヤマはガマンしろ」
「なんだよ、差別すんなよ」
「差別じゃなく区別だ。ただでさえ暑いんだから鬱陶しいことすんな」
「へーい」
学生の頃のようなくだらない掛け合いをし、バイクに跨って出発する。
スーパーカブ90、リトルカブ、タウンメイト80。
リトルカブは本来50ccなので、制限速度は時速30kmなのだが、ヤマの奴がいじって排気量を上げたようだ。黄色いナンバープレートが付いている。
「ユキと一緒に走るのも久し振りだな」
「そうね、学生時代に戻ったみたい。このバイクを買った甲斐があるわ」
「…ちょっとくらい、俺にいじってもらったおかげとか言えよ」
走りながら会話が出来る程度のスピード。
3台はゆっくりと街を流す。
目的地は埼玉県にあるキャンプ場。
ヤマの案だが、たぶんこれはユキの希望を汲んだものだな。
カブやメイトでなければ2時間とかからない行程を、倍近くかけるつもりで目指す。
目的地に着くことよりも、その過程を楽しむ。そんなツーリングだ。
学生時代に戻ったみたい…‥か。
そうだな、その通りだ。
私とヤマ、そしてユキの3人は大学時代、同じサークルの仲間だった。
自動車部。
四輪も二輪もどちらもありの部だったが、四輪はほぼドライブサークルで、二輪に乗る中の数人だけが細々とレースなどの活動をしていた。
メインメカニック兼ライダーのヤマ、1年後輩で色々と外部との折衝やマネージャーのような仕事をしてくれていたユキ、そして年中フラフラしていてあまり顔を出さないものの、ライダーとしてレースにだけは顔を出す私。
他にも臨時で手伝ってくれるメンバーもいたが、私達3人が中心となった小さなチーム。
あの頃は先のことなんて考えてもいなかった。いや、先のことどころか次の日のことすら考えていなかった。
走ることやどこかへ行くことが、ただただ楽しかった学生時代。
「あの頃に戻ったみたい…‥か」
「どうかした?」
信号で止まった私の隣りに並んだユキが、不思議そうな表情で私の顔を覗き込む。
「いや、なんでもない」
「へんな空。私が先頭走っちゃうぞ」
信号が青に変ってユキがアクセルを開ける。
「あ、こら…‥道解るのか?」
「わかんなーい」
慌てて追いかける私の耳に間延びした答えと笑い声が届いた。
90ccのエンジンにムチをいれて、空色のバイクを追いかける。
「まったく、進歩のねえやつらだな」
ヤマの呟きがエンジン音の向こうに聞こえた。
全くその通りだ。
気持ちだけは若い40過ぎの3人が、夏空の下、小さなバイクで走っていく。
あの頃のようにいくことばかりではない。
それでも、バイクに乗っている間だけはあの頃と同じように純粋に、ただ楽しみたい。
そう、私達はそうやってつながった仲間なのだから。
『タウンメイト80 Town Mate80』
メイト(Mate)シリーズは、かつてヤマハ発動機が製造販売していたビジネス用オートバイであり、シリーズ車種として排気量やエンジン別に数車種のバリエーションが展開された。
車体各部はライバル車種であるホンダ・スーパーカブとほぼ同様の構造・方式であるが、エンジンは空冷2ストロークエンジンを搭載し、パワーの面で優れていることから、山間丘陵部や田舎の登坂、広範囲配達での法人用途に支持を受けた。反面、2ストエンジンであるため、低速、低回転での走行が多い用途ではマフラーがすぐ詰まり、出口側がオイルカスで汚れる、そのオイルカスや排気オイルで車体や服が汚れる、周辺の空気がオイルくさくなったり白煙で汚れる、スーパーカブに廃車までの整備回数や積算距離で劣る、などの理由から主に平地都市部の全用途や、農村部の個人用途で、競合車種のホンダ・スーパーカブやスズキ・バーディーに乗るユーザー層も少なくなかった。
本作に登場するタウンメイトはVシリーズの上級版として1982年に発売。静寂性・汚れにくさ・燃費向上などを図り、SOHC4ストロークエンジンならびに本クラスでは唯一無二のシャフトドライブを採用したのが大きな特徴である。また80ccモデルにはクラス初の4段ミッションを採用するなど意欲的な設計であった。
打倒スーパーカブを目指してコストを度外視した先進的なメカニズムを導入した意欲作であったが、パワー面では併売された自社製のVシリーズに及ばず、圧倒的な市場力を有するスーパーカブの牙城を崩すまでには至らなかった。