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Cubさん。  作者: 牧村尋也
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16 青い瞳と出会う

 カブさん。

 年齢は40代前半。男性。現在は独身。

 サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。

 相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。

 のんびり走るのが好き。

 田んぼ道が好き。

 田舎が好き。

 コーヒーが好き。

 独りが好き。

 話しをするのも好き。

 大勢の中にいると少し疲れる。

 人混みは苦手。

 忙しいのも苦手。

 いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。

 ちょっと変な大人。

 変なヒト。

 それがカブさん。



 16 青い瞳と出会う


 気がつけば7月ももう後半。

 西日本から順に東海まで、おおむね例年並みか少し早いくらいのペースで梅雨明けのニュースが(ほう)じられてきた。

 ところが、関東では夏休み初日を迎えた今も、足踏(あしぶ)みが続いている。

 7月21日現在、関東地方ではまだ梅雨明けのニュースは流れていない。

 そのせいという訳でもないのだが、私もまた、足踏(あしぶ)みを続けていた。

 仕事の取材を兼ねて栃木県から茨城県へと転々と場所を移しながら、キャンプ道具を載せたスーパーカブで走り回り、仕事を片付けていく。

 家には、まだ帰っていない。

 7月の初め、栃木県のあの小さなキャンプ場で、恋に悩む少年との出会いをきっかけに、私自身も自らの進むべき道を見出した。

 旅の目的は(すで)()たしている。

 あとは日常に戻り、選んだ道をありのままの自分で歩めばいい。

 それだけなのだが…‥

 私は東京へ戻ることを躊躇(ためら)っていた。

『さすがにいつまでもこのままという訳にもいかないよな…‥』

 胸中に(つぶや)きながら、私は逃げるように人の少ない場所へとバイクを走らせる。

 海沿いの、小さなキャンプ場。

 夏休みに入りはしたものの、平日なだけあって人の姿は少ない。

 私は海が見えるテント用サイトの(すみ)に今夜の寝床(ねどこ)を設営し、バイクの隣りに腰を下ろしてボンヤリと波の音を聞いた。

 東京に戻りたくない理由はいくつかあった。

 せっかく長期ツーリングの準備をしてきたのに、もう帰るというのは勿体無(もったいな)い…‥というのが一つ。

 しばらくかかる覚悟で出てきたのに、すぐに帰るというのが少々気恥(しょうしょうきは)ずかしい…‥というのも一つ。

 しかし一番の理由は、自信が無かったからだった。

 『どうしたいのか』

 それは見つかった。

 しかし、ありのままの自分でいるというのは案外難(あんがいむずか)しい。

 俺に出来るだろうか…‥

 7年前の記憶が脳裏(のうり)をよぎる。

 ユキは確かに、今の貴方がいいと言ってはくれたが、今の俺ってなんだ?

 相変(あいか)わらずフラフラしながら、小さな仕事で小銭(こぜに)(かせ)いでいる売れないもの書きだ。

 このままで本当にいいんだろうか。

 ユキの笑顔を思い出す。

 少しだけ昔より小さく感じる背中。意識して上げようとしていた視線。

 7年かけて、彼女は前に進み始めたのだ。

 なら、今の俺がすべきことは? 出来ることは?

 いったい、何が出来るんだ?

 ありのままの自分の姿というのが、どうにも思い浮かばなかった。

「泣いてるの?」

「え?」

 前触(まえぶ)れも無くかけられた声に驚いて視線をめぐらすと、海を背に1人の少年が立っていた。

「どうしたの? どこか痛いの?」

 小さく首を(かし)げながら質問を続ける少年はまだ幼い。小学校1年生くらいか…‥ただ、その眼だけが妙に大人びて見えた。

 青い…

 彼の瞳は、海よりも空よりも深い青色をしていた。

「…大丈夫。泣いていた訳じゃないよ。ありがとう」

 少し狼狽(ろうばい)しながらも、大人としての体面(たいめん)()(つくろ)うように笑顔をつくる。

「そう。ならいいんだ。僕には解らないけど、大人はよく海を見ながら泣いてたりするから」

 フイと少年は興味を失ったように(きびす)を返す。

 静かな足どりで遠ざかっていく背中は小さく、不思議なほど存在感が希薄(きはく)だった。

「…‥」

 ふと疑問を感じて、私は周囲を見回す。

 家族連れらしい姿は無い。

 少年の連れではないかと思われる大人も、子供もどちらも見当たらなかった。

「…地元の子…‥なのかな?」

 言葉にしても、疑問は消えなかった。

 海の方に歩いていった小さな背中は、いつの間にか消えてしまっている。

「いったい、なんだったんだろう…」

 答えは無く、波の音だけが聞こえていた。


 その夜、私はカップ麺で簡単に夕食を済ませ、テントの中で早々(そうそう)に横になった。

 いつの間にか眠りに落ち、気がつけば腕時計は午前0時13分を指している。

 どのくらい眠っていたのだろうか。なにか夢を見ていたような気もするが、思い出せない。

 (あきら)めて目を閉じ、また眠ろうと試みる。

 眠れなかった。

 1時間ほど姿勢を変えたり、水を飲んでみたり、()ては羊を数えてみたりもしたが、眠ることが出来ない。

 溜息(ためいき)をついて寝袋を抜け出し、テントの外に出た。

 深夜のキャンプ場は、月明かりに照らされて青白く染まっている。

 風は無く、波の音と月の光だけが静かに周囲に満ちていた。

「ん?」

 遠く、波打ち際に小さな背中が見えた。

 子供?

 私は引き寄せられるようにゆっくりと、波打ち際に向かって歩き出した。

 つけたままの腕時計の針は午前1時15分を指している。

 こんな時間に、なぜ子供が…

 なんとなく背筋がムズ(がゆ)くなるのを感じながらも、声をかけた。

「キミ、こんな時間にどうしたんだい?」

 心なしか声がうわずる。

 小さな背中が振り向いた。その子供は、昼間出会った少年だった。

「探しものを…‥してるんだ」

 ゆっくりと、(ゆびや)くような口調で答えが返ってくる。

 彼の眼は、青い月の光の中でも、やはり際立(きわだ)って青かった。

「探し物?」

 私は疑問をオウム返しに口にした。

 少年は(うなず)くだけで、なにも言わず、また波打ち際を歩き始める。

「何を失くしちゃったんだい? オジサンも探すのを手伝おうか?」

 少年が私の言葉に首を横に振る。

「…いいんだ。きっと、見つからないから」

 少年の声は力なく、沈んでいた。

「?」

 私は?マークを顔に浮かべたまま、少年の後について歩く。

 この異様な時間の探し物に、私は言葉にならない不安のようなものを感じていた。

「探し物…‥失くしちゃってからけっこう()つのかい?」

「うん…」

 トボトボと歩く少年の後をついて、40歳過ぎのオヤジが波打ち際を歩いていく。冷静に一歩退(いっぽひ)いて見れば、おかしな光景だ。

 そして、ついに私は不思議に思いながらも口にするのをためらわれた疑問を、()(けっ)して口にした。

「なあ、君が失くしたものって…」

「お父さんとお母さん」

「!」

 答えは間を置かずに返ってきた。

 あまりにも(いた)ましい言葉に声を失う。

「沖に行ったきり帰ってこないんだ」

「…そうか」

 私は『()くした』ものを探しているとばかり思っていたが、少年は『()くした』ものを探していたのだ。

「…僕が良い子にしてなかったから、お母さん達は帰ってきてくれないのかな…」

「そんなことはないと思うけど…‥良い子じゃなかったのかい?」

「うん。ウソをついちゃったんだ」

「そうか」

 少年が立ち止まる。

「お母さんを驚かせてあげようと思ったんだ。だから僕…」

 (うつむ)いて言葉を発する少年に、私はかける言葉を見出せなかった。

「後悔はしても()()まれちゃいけない。昔オジサンはそう教わったよ」

「よくわかんない」

「ちょっと難しかったかな。…つまり、君はウソをついたかもしれないけれど、お母さん達が帰ってこないのはそのせいじゃないってことさ」

「じゃあ、なんで?」

「きっと、ちょっと運が悪かったのかな」

「運…」

「そう、運だ。海の神様がキミのお母さん達を気に入っちゃって、連れていってしまったんじゃないかな」

「もう、帰ってこないの?」

「どうかな。浦島太郎って知ってるかい?」

「うん。カメを助けたお礼に竜宮城へ連れて行ってもらうお話しだよね。でも、帰ってきた時には知ってる人が一人もいなくなってて、最後にはお爺さんになっちゃうんだ」

「そう。神様の世界では人間の世界よりもものすごく時間がゆっくり流れていて、お母さん達が帰ってきた時には、君はきっとここからいなくなってるんじゃないかな」

「そっか…‥お母さんもお婆さんになっちゃうのかな?」

「そうだな、玉手箱を開けちゃったらね」

「…‥」

 私達は無言のまま、また波打ち際を歩き出す。

「オジサン、ホントはね、僕わかってるんだ。お母さん達は死んじゃったんだって」

「…‥」

「園長先生が言ってるのを聞いたんだ。フクシジムショの人となんか相談してた」

「そうか…」

「でも、海の神様のお話し、ちょっと嬉しかった」

「…‥」

「お母さん達はきっと、神様のところで()らしていて、僕のことも嫌いになったり、忘れたりした訳じゃないんだよね」

「…そうだと思うよ」

「ありがとう。でも、このお話しはもう少し小さい子供向けかな」

「そうか、オジサン駄目だな」

「でも、嬉しかった。ありがとう」

「いや…」

「僕、そろそろ帰らなきゃ」

「どこまで帰るんだい?」

「あの港の向こう。園長先生がきっと心配してる」

「そうか。気をつけて帰れよ」

「うん。僕は(わたる)。オジサンは?」

「空だ。日下部空(くさかべそら)

「空のオジサンはあの時なにを探してたの?」

「オジサンは…‥帰る理由を探してたのかもしれない」

「子供はいる?」

「いない」

「そっか…‥オジサンが探してるのが僕だったら良かったのにな」

「そうだな。役に立たなくてゴメンな」

「ううん。いいんだ。…オジサン、探しものが見つからなくても、早く帰ってあげたほうがいいよ。オジサンの知ってる人がみんないなくなっちゃう前に」

「ああ。そうだな」

 そうだ、自信が持てなくたっていい。

 そこに大切な人がいるのだから、私はあの街に帰らなきゃいけないんだ。

「じゃあ、僕いくね」

「ああ。航君の探してるものにも、何か答えが見つかるといいな」

「難しいことはよく解らないけど、ありがとう」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 そうして私達は青白い月の光の下、それぞれの寝床(ねどこ)へと帰っていった。


 翌朝早く、私は港の向こう側に行ってみた。

『児童福祉施設 ひまわり園』

 門にかかったその看板を見た時、昨日のことが夢ではなかったのだと、はっきりと認識した。

「なにか?」

 門の前に立ち尽くす私に、温和そうな老人が声をかけた。

「園長先生ですか?」

「そうですが、あなたは?」

「日下部といいます。昨日、航君にこの辺りのことを色々と教えてもらったので…‥御礼をと思いまして」

「航が…‥そうでしたか。申し訳ありませんが、あの子はまだ寝ておりまして」

「いや、いいんです。あの、これを彼に渡してくださいませんか?」

 私は自分のつけていたウェンガーの腕時計を外し、名刺と一緒に園長に手渡した。

「ただの古いクロノグラフで、高価なものではないんですが、長く大事に使ってきた物です。時間が経っても消えないものもあると、それから、なにかあったら周りの大人を頼るようにと伝えてください」

「あの子がなにか?」

「いえ、私の探していた答えを見つけてくれたんです。これはそのお礼です。玉手箱の代わりだと言って渡してやってください」

「わかりました。あの子は水難事故で両親を亡くしてから、あまり周りと関わりたがらなかったのですが、誰かの役に立つことが出来たのだとすれば、それは大きな進歩です」

「しっかりした子でした。ただ、少し寂しそうだ」

「まだ事実を認めかねているのでしょう。徐々(じょじょ)に、周りの子供達とも()()けていけるはずですよ。頭のいい子ですから」

「そうなることを願っています。では…」

 バイクのエンジンをかけ、一路(いちろ)東京を目指す。

 この日、関東地方に梅雨明けのニュースが流れた。

 青空が顔を出し、夏が始まる。

 少年にも、私にも。



『ウェンガー Wenger』

 ウェンガーは、1893年にテオ・ウェンガーによってドレモンで創業された、スイスのナイフメーカー。

 スイス軍に高品質のナイフを供給し続けてきたことで知られ、その高い技術を応用して軍用時計ケースも制作。高品質なナイフと同様、「コマンドクロノ」や「スイス・マウンテンコマンド」、「グレジャーパトロール」など、数々の軍用腕時計を世に送り出した。

 2005年4月に同じくスイス陸軍にアーミーナイフを納入していたビクトリノックス社に買収・合併され、アーミーナイフの製造元は一社となったが、ビクトリノックス社はウェンガーブランドは継続すると発表している。

 ウェンガーの軍用時計は、厳冬のスイス・アルプスという過酷な状況下でも耐えられる堅牢性と高性能を備えたアウトドアモデルの王道として、現在も世界中から親しまれている。

 1997年にフジテレビ系で放映された連続テレビドラマ『踊る大走査線』において、主人公の青島刑事(織田裕二)が愛用している腕時計としても知られる。


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