14 リトルカブ
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
14 巻き戻ったような時間
AM4:10
このところ仕事の締め切りが立て込んだせいか、生活のリズムが不規則になり、変な時間に目が覚めてしまった。
もう一度眠ろうにも目が冴えてしまって、全く眠気がおきない。
「起きろってことかな」
ベッドから抜け出し、洗面所で顔を洗う。
鏡の中ではさえない40男が、首を傾げてこっちを見ている。
「おはよう、ジジくさい起床時間だな」
皮肉を言ってみたところで、苦笑しか返ってこないことは解っている。
クルリと背を向けてキッチンに行き、冷蔵庫のドアを開けた。
「…‥」
何も無い。
ケチャップとマヨネーズと中濃ソースだけでは、食事は作れない。
「動くか…」
私はシェーバーで手早くヒゲを剃り、着替えをして家を出た。
スーパーカブに跨り、セルボタンを押す。
ヒキュキュキュ、タタ、タタタタタタ…
90ccの小さな単気筒エンジンは、私よりもよっぽど寝覚めが良かった。
左のつま先でシーソーペダルを踏み込み、右手でアクセルを開く。
トタタタタタ…
軽く、リズミカルな鼓動音が響く。
緩やかな加速で走り出した相棒は、夜明け前の住宅街を抜けて郊外を目指す。
AM5:52
走っているうちにすっかり日は昇り、視界は朝の空気の中で輪郭を際立たせていく。
周りには人家もまばらで、緑の田んぼが遠くまで続く平らな風景。
その中にポツンと現れる小さな店。
看板にカフェと書いているところが苦笑を誘う、見るからに喫茶店といった造り。
私の悪友、ヤマの店『Cafe march』だ。
店の前のスペースに空色の小さなバイクが止まっていた。
「リトルカブか…。こんな時間に物好きがいるもんだ…‥」
自分のことを棚に上げて呟き、50ccのリトルカブの隣りに90ccのスーパーカブを止める。
ヘルメットを脱ぎ、大きく伸びをしてから、入口の重いドアを押した。
入口のベルが時代的な音をたて、店内の視線がこちらを向く。
「おはよう」
ヤマの低い声ではない。
それでも、私には聞き慣れた、優しい声。
「…おはよう。なんで、君がいるんだ?」
「あら、いけなかった?」
ユキ。私の最も大切な友人にして元パートナーは、言いながらクスクスといたずらっぽく笑う。
「いや、そうじゃなくて。平日のこんな時間にこんなところで…」
「…こんなところで悪かったな」
ユキの前でうろたえる私の言葉を、ヤマが蒸し返す。
「ああ、いや、そういう意味じゃ」
「はいはい、邪魔者は引っ込ませてもらいますよ」
クククと意地の悪い笑いを残して背を向けてしまう。
ああ、もう。
「ふふ。ホント2人とも変らないわね。なんだかタイムスリップでもしたみたい」
コロコロと笑うユキに苦い顔を向けて肩をすくめ、隣りに座る。
「…勘弁してくれ。ヤマ、腹が減ってるんだ、何か作ってくれ」
「いつもので良いか?」
「まかせる」
悪友がカウンターの向こうで調理に取り掛かる。
私はポケットからタバコを取り出してくわえた。
あ、とユキの表情を確認する。
彼女は軽く頷いてから、カウンターの隅に置いてあった灰皿を取ってこちらによこす。
「気にしなくて良いのよ。あなたのタバコ吸ってる時の横顔、好きだもの」
「…すまん」
なんと言ったら良いのか思いつかず、一言謝ってから、ジーンズでジッポを擦ってタバコに火をつける。
そんな私を、彼女は懐かしそうな顔で眺めていた。
「来て良かったな。なんとなく、会えるような気がしたの」
「連絡をくれれば、いつだって会いに行くよ」
「ううん、そういうんじゃなくて…‥なんていうかな…‥そう、『偶然』が良かったの」
「そうか…」
「うん…」
2人ともなんとなく言葉に詰まって無言になる。
「…あー、2人して雰囲気出してるところ悪いが、とりあえず出来たから食え」
ヤマが居心地悪そうにそっぽを向きながら、トンと湯気の上がる皿をカウンターに置く。
スパゲティ・ナポリタン。
昔懐かしい、ケチャップを多めに使ったこの店の人気メニューの一つ。
「多めにしといた。2人で仲良く食え」
言いながら、取分け用の皿も2枚出してくれる。
「すまん」
「美味しそう! ありがとう、原山君」
ユキの言葉に、ヤマが背を向けてヒラヒラと手を振る。この男にも案外照れ屋な部分があるらしい。
まだ湯気を上げるナポリタンをユキが取分ける。
『いただきます』
2人の声が揃い、お互いに顔を見合わせて苦笑する。
ナポリタンはいつも通り、いや、いつもよりも美味く感じた。
「美味しい! 原山君、今度作り方教えてね」
「企業秘密なんだがなあ」
ユキとヤマのやり取りを懐かしく感じる私もまた、年をとったということなのだろうか。
「なあユキ、表のリトルカブってもしかして…」
「うん、ワタシの。キレイな色だったから衝動買いしちゃった」
「俺はあれほど買うならヤマハのバイクにしろって言ったのになぁ。ユキちゃんは俺の話は聞かねえんだよなぁ」
「ふふ。ゴメンね、原山君」
「ま、良いけどよ。お前らは2人そろってカブに乗ってる方が似合いだよ」
「ありがと」
「…‥」
「褒めてねえんだけどなぁ」
なんとも不思議な朝だった。
ヤマと、ユキと、私と、まるで学生時代に戻ったかのような時間。
あの頃から長い時間が経っていて、私とユキの間には楽しいことや悲しいことがいくつも流れ、気が付けば3人とも40歳を過ぎたいいオジサン、オバサン(ユキはオバサンと呼ぶには気がひけるが)だ。
こんな時間は、きっといつまでも続かない。
ただ、続いて欲しいと願うことは許されると思いたい。
遠慮の無い友人と、私の大切な人と共に過ごす、他愛も無い時間。
コーヒーの香りが漂い始めた店内で、私は欠伸をひとつ噛み殺した。
いかん、今頃になって眠気がでてきた。
『リトルカブ』
リトルカブは、1997年にスーパーカブの17インチホイールを前後14インチに小径化し、シートの高さを30mm下げた705mmに変更して発売された。扱いやすさと足つき性を向上させたことで、女性や年配層の購入も意識したモデルになっている。
デザインはスーパーカブの基本スタイルを踏襲しつつも、ハンドル周りやレッグシールド、フロントフェンダーにシート、リアキャリアなどの形状を変更し、コンパクトで親しみやすいスタイルに仕上げられたのが特徴。カラーリングのラインナップもカラフルである。
エンジンは50ccのみで、スーパーカブと共通の4.5馬力。