13 雨の楽しみ方
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
13 雨の楽しみ方
梅雨。
北海道と小笠原諸島を除く広範囲においてみられる気象現象。5月から7月にかけて、毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間。
関東でその『梅雨』が始まったのは、今年は6月5日だった。
もうすぐ2週間が経つ。
今やすっかり雨の季節だ。
ただ、バイクに乗る人間にとって一番困るのは突然降り始める雨であって、出かける前から降っている雨というのはそれほど問題ではない。
出かけるのを諦めるか、雨を楽しんでしまえば良いからだ。
今日の私は後者を選ぶことにした。
外気温26℃。
朝から少し暑いくらいの気温。
雨足は強くはなく、景色に薄くスモークがかかるくらいの霧雨。
レインライドを楽しむには、これくらいがちょうど良い。
私は、数日前に新調したばかりのレインウェアに嬉々として袖を通し、足元を防水加工の効いた安全靴で固める。
レインウェアの内側はドライ加工のTシャツとスパッツだ。
問題は、仮に雨が止んだ場合、この格好だとレインウェアを脱ぐのはちょっとまずいような気がするという点なのだが、代わりにレインウェアを着ている間も蒸れることなく快適だし、なにより雨は止みそうもない。
「よし、準備OKだ」
スーパーカブを駐輪場から出し、エンジンをかけた。
90cc単気筒の小さなエンジンは今日もノンビリと穏やかな鼓動を刻む。
ヘッドライトの点灯スイッチをONにし、ゆっくりと走り始めた。
決して激しい雨ではないが、霧雨というのは案外濡れる。あっという間にレインウェアの表面は雨粒で埋め尽くされた。
しばらくそのまま、雨の中を行き先も決めずにトコトコと走り回る。
ふと、思いついてウィンカーを出した。
私のスーパーカブ90は『カスタム』というグレードで、ウィンカーブザーが付いている。
ウィンカーを出すと黄色いランプの点滅に合わせてピッコ、ピッコと可愛らしい音がするのだが、今日はその音も雨の中に吸い込まれていった。
タイヤが濡れた路面から水をかきあげるシャーという音、トコトコというエンジン音、みんないつもより少し遠くに感じる。
煙るような雨の中、バイクの進路を郊外へと向け、いつもより静かなライディングを1時間ほど楽しんだ。
すれ違う車はいつしか減り、代わりに雨の音がはっきりとしてくる。
気が付けば、雨の景色の中を走っているは私だけになっていた。
「はは、まるで貸し切りだ」
ヘルメットの中で笑う。
真冬の雨と違って寒さはない。むしろ、防水性の高いレインウェアを着ているので暑いくらいだ。
レインウェア越しの雨がシャワーのようで気持ち良かった。
霧雨の景色の中を、ただ一人走る。
スーパーカブのトコトコと穏やかなエンジン音が雨に吸い込まれていくのすら、妙に楽しい。
「こう考えると、梅雨も悪くないね…」
勝手なことを呟きながらも、ゆっくりと後ろに流れていく雨の景色に頬が緩む。
すると、霧雨の向こうに目的地が見えてきた。
紫陽花のきれいな公園。
さすがに雨が降っている中でそれを見ようという物好きは少ないようだ。
ガラガラの駐車場にバイクを停め、のんびりと雨粒をまとった花を眺めてまわる。
白、水色、青、紫、ピンク…‥数え切れない程の様々な色の紫陽花。
小さな花が寄り添うような形が愛らしく、それをクリスタルのように透明な雨粒が彩る。
「お互いに水も滴るってヤツだな」
レインウェアの表面を滑っていく雨粒と、紫陽花の葉先から落ちる滴を比べて笑う。
6月もまだ半ば過ぎ、関東の梅雨明けはまだまだ先だ。
でも、それも悪くない。
煙る景色を眺めながら、雨の匂いを胸一杯に吸い込む。
さて、もう少し走るとするか。
なにしろ、雨の路上は貸し切りなんだから。
『紫陽花(Hydrangea macrophylla)』
紫陽花はアジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種。6月から7月にかけて白、青、紫または赤色の花を開花させる。
一般的に花といわれている部位は実は装飾花であり、おしべとめしべは退化し、花びらに見える部分はガクである。
この装飾花が周辺部を縁取るように並んだものをガクアジサイと呼び、元々これが原種である。
一般的に紫陽花として認知されている、花がすべて装飾花で、球形になった「手まり咲き」といわれる形のものは、ガクアジサイから変化した変種である。