12 友達
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
12 友達
家を出てから1時間半、雨が降り出してからは30分ほどが経った。
雨足はまるでリズムを刻むかのように、強くなったり優しくなったりを繰り返しながらも、止む気配だけは見せようとしない。
スーパーカブは、濡れた路面からタイヤでシャーと水をかきあげながら、カッパ姿の私を乗せて走り続ける。
大きな橋をいくつか渡り、周りの景色から背の高い建物が消え、田んぼばかりが目に付くようになった頃、平坦な風景の中にポツンと小さな店が見えてくる。
『Cafe march』
店の前に置かれたくたびれた看板。
カフェなどと書いているが、喫茶店といった方が良いような古くさい造り。
目的の店だ。
私は店の目の前でスーパーカブを降り、そこだけは唯一雨のかからない軒下にバイクを停めた。
体を揺すって全身の雨粒を落とし、濡れたカッパを脱ぐ。
いかにも『昭和』という雰囲気のする入口のドアをゆっくりと押した。
カロンとこれまたいかにもな音が店の中に響く。
「…‥」
誰もいない。
いつもならカウンターの向こうでダラダラと週刊誌を眺めたりしている悪友の姿が無かった。
ヒョイと一歩退がってドアを見ると『CLOSE』の札がかかっている。
「ヤマー…」
奥に声をかけてみる。
「…おーう、カブかー? 裏だ、裏ー」
デカイ声が店の奥から返ってくる。
私はカウンターに入り、建物の裏につながっている奥のドアを開けた。
「…相変わらずだな」
ドアをくぐった先の景色に思わず溜息をつく。
フルカウルのスーパースポーツ、アメリカン、オフロード、クラシック…‥そこには原付から大型まで、無数のバイクが並んでいた。
そして、悪友の背中はその真ん中にある。
ヤマハ馬鹿のヤマ。
この男のニックネームが示す通り、このガレージに収められたバイク達にはたった一つの共通点がある。
3本の音叉が組み合わされたマーク。
そう、全てがヤマハのバイクだった。
「おお、もうちょっとだからその辺に適当に座っててくれ」
背中を向けたまま、オイルのついた手を挙げて悪友がこたえる。
「コーヒーを淹れといてくれるんじゃなかったのか?」
私はもう一度大きな溜息をついて、20Lの徳用オイル缶の1つに腰を下ろした。
「いや、淹れ立ての方が美味いって思い直してな。ただ待ってるのもヒマだし、オイル交換でもしようかと思ってよ」
「まあ、いいけどさ…」
長い付き合いだ。
コイツのクセみたいなものはなんとなく解る。
なにか言いづらい話しをする時は、大抵意味も無くバイクをいじりだす。
今日はそういう日だということだ。
「なあヤマ、用事ってなんだ?」
「いや、まあ、用事ってほど大したもんでもねえんだけどさ…」
答えながらも、ヤマはこっちを見ようとしない。
私はわざと意地の悪い、嫌味な口調で問いを重ねた。
「わざわざ雨の中を呼びつけたのにか?」
「いや、まあその、あれだ…‥天気は俺のせいじゃねえだろ」
ちょっと怒ったように返しながら、ようやく友人がバイクの下腹から顔を上げる。
「ま、そうだけどさ」
私が大袈裟に肩を竦めてみせると、今度はヤマが大きく溜息をつく。
「なあ…‥おまえさ、ユキちゃんとはどうなんだ?」
「…どうってなんだよ、急に」
前置きも無く出てきた元パートナーの名前にドキリとしつつ、平静を装って返す。
ヤマも近くにあったオイル缶に腰を下ろし、フーと大きく息をついた。
「…昨日な、ひょっこり店に来たんだよ」
「ユキが?」
「ああ。なあ、いい加減お前らヨリを戻せよ。見てるこっちが堪らん」
「…‥」
私はなんと言っていいかわからず、無数に並ぶバイクをボンヤリと眺めた。
「おまえがあの娘のことを大事に思ってるのはよく解ってる。あの娘だっておまえのことを今でも同じように思ってる。もう元のカタチに戻ったっていいだろ」
ヤマの言葉はゆっくりと、諭すような響きだった。
私はそれを振り切るように、言葉を搾り出す。
「…元には、戻れないさ」
「何でだよ」
ヤマの声が大きくなる。
私は落ち着けと自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「俺とユキにとって、それだけ大きなモノを無くしたんだ。ただ、子供が産まれてこれなかったってだけじゃないんだ…」
「…俺にゃあよくわかんねえが、じれったいんだよ」
首を振りながら肩を落とす親友。ホント、昔っから良いヤツだな。
「…ありがとう」
「礼なんか言うな。俺は何もしてない」
肩を落としたままの友人に、首を振る。
「おまえのそういうところに、いつも救われるよ。…ユキとのことは、もう少し時間をくれ。多分、7年経ってようやく前に進み始めたんだと思う。お互いに納得できたら、俺の方からキチンとするよ」
「そうか…‥。あの娘は俺にとっても友達なんだ。あんまりツライ思いをさせないでやってくれ」
「解った。すまん」
オイルの香りが漂うガレージに重い沈黙が訪れた。
と、ヤマが大袈裟なくらい大きな溜息をつく。
「はあ…‥オイル交換もこう数が多いと疲れるな。コーヒーでも淹れるか…」
「待ってたよ、その言葉を」
2人で苦笑して立ち上がる。
窓の外ではまだ雨が静かにリズムを刻んでいる。
ガレージに漂うオイルの匂いにも、雨の匂いが混じっていた。
しばらくすると、そこにコーヒーの芳ばしい香りが漂い始める。
かけがえのない友人の店は、今ゆっくりと私の好きな香りに満ちていく。
『ヤマハ発動機 Yamaha Motor Co., Ltd』
ヤマハ発動機株式会社は、日本楽器製造(現在のヤマハ)の二輪部門が独立して誕生した、主にオートバイを中心とした輸送用機器を製造するメーカー。この関係でヤマハと同様の『YAMAHA』ロゴや、円の中に『音叉』が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも細部に違いがある。
二輪の売上規模は世界第2位であり、船外機やウォータービークルの販売台数は世界首位。