10 空を映して
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
10 空を映して
テレビから、ウンザリするような長さの渋滞のニュースが流れていた。
ゴールデンウィーク。
上手く有給休暇などを組み合わせれば10連休などというケースもあるようだが、一年中営業中で一年中お休みのような私にはあまり関係が無い。
ただし、どこに行っても道が混んでいるのは困る。
スーパーカブなら渋滞の横をすり抜けることも出来るが、渋滞の車列からは何が飛び出すか解らない。
なので、スーパーカブの私も一緒に渋滞にはまることになる。
まあ、クルマと違って細い横道にも逃げられるし、Uターンも楽なのでまるきりはまりっ放しという訳でもないが。
「それでもやっぱり、もっと気持ち良く走りたいよな」
私はウィンカーを出し、幹線道路を逸れた。
田んぼの間を抜ける未舗装のあぜ道をガタゴトと走る。
周りが田んぼばかりになったことで、一気に視界が開ける。
空が青い。
陽射しは初夏のように力強いものの、水の入った田んぼの上を渡ってくる風がヒンヤリと肌を冷やし、心地良い。
田植えの季節だ。
道の右でも左でも、ダダダダとスーパーカブよりもはるかに迫力のあるエンジン音を響かせる乗用の田植え機械が行ったり来たりしている。
「いいもんだな…」
幹線道路のせかせかした感じとは違う、どこかのんびりとした空気が流れていた。
スーパーカブを止め、道端で煙草に火をつけてボンヤリと田植えの済んだ田んぼを眺める。
「どした? 田植えが珍しいんか?」
どのくらいそうしていただろう。不意に声をかけられて振り向くと、自転車に跨った老人が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「いや、懐かしいなと思って見てたんですよ。私の実家も昔は農家だったもんで」
「なんだ、今はやってねえんかい?」
「田んぼがあった場所に道路が通ってしまって、農地が無くなってしまったんですよ」
「そっかぁ、辞めるにはいいきっかけだな。…兄さん、火…貸してくれんかな」
「ああ、どうぞ」
私はジーンズのポケットからジッポを取り出して火を差し出す。
老人がハイライトをくわえて火をつけた。
「しかし、おもしれえの乗ってるな。こりゃぁ、スーパーカブじゃねえんかい?」
「はは、物好きなもんで、色々イジってるうちに元の形から随分変っちゃいまして」
「いやぁ、いい趣味だよ。俺も久し振りに納屋の奥からカブを出してみっかな」
「良いバイクですよね。野回りに行くにはちょうど良い」
「まあな。ヘルメット被んねえと娘に怒られっから自転車なんか乗ってるけども、カブは頑丈だし、燃費も良いし、良い単車だ」
「ヘルメットは必要ですけどね」
「ははは」
お互いに笑って、タバコを私の持っていた携帯灰皿で消す。
「兄さん、田んぼ道はすべっから気をつけてな」
「ありがとうございます。おじさんも気をつけて」
軽く頭を下げてバイクに跨り、エンジンをかける。
スーパーカブの鼓動音は田植え機械のそれに比べると驚くほど大人しい。
ゆっくりとアクセルを開いた。
水田に真っ青な空が映り込む。
バックミラーの中では老人が自転車のかたわらで伸びをする。
穏やかで、緩やかで、どこか心和む風景。
ここでは街中よりもゆっくりと時間が流れている。
田植え機械のエンジン音も、スーパーカブの鼓動も。
『田植え機』
田植え機は、稲の苗を水田に植えつける農業機械で、主に東アジアと東南アジアの国々の稲作地で使われ、歩行型や乗用型がある。
田植え機が発明される前の日本の田植えは、足元の悪い水田の中で身体を二つ折にし、腰にくくりつけたカゴなどに入れた稲の苗を手で数本ずつ植えていく、非常に過酷な作業だった。
田植え機は日本では明治時代から研究が始まり、1960年代には人力による田植え機の実用化が始まる。
1970年代に入ると技術革新が急速に進み、1980年代後半にはそれまでのクランク式の植付け方式に代わってロータリー式が実用化され、田植えのスピードが格段に上がった。これ以降は農家の多くが田植え機を所有し、ほとんどの水田が田植え機によって田植えをされるようになる。
さらに、1998年にはヤンマーから歩行型田植え機と同程度の価格の乗用田植え機『Pe―1』が発売されて大ヒットし、他社もこれに追随するかたちで急速に乗用型が普及した。現在、歩行型の販売は年々減少している。
技術革新の面では、1990年代から赤外線やレーザーを使った無人機の開発が進められており、2005年にはGPSを活用した無人の田植え機の開発が進められていることも発表されている。