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乙女、戦友の変わり果てし姿に会う。

 




 気絶から立ち戻った守貞が、友禅の姿を探して歩くと、友禅は茶の間にてのうのうと飯を食していた。


「守貞は男の子だが、やはり飯を作るのがうまいな」


 朝飯にと用意しておいた味噌汁とたくあんで最後の飯粒一つまで丁寧に食した友禅は、かちりと箸をおくと、丁寧に手をあわせる。


「ごちそうさま」

「……お粗末さん」


 返した守貞が言葉を発する前に、友禅は、傍らに置いていた風呂敷包みを差し出してきた。


「守貞、これを好きに使ってくれ。仕立て師なら、使い道がいくらでもあるだろう?」


 緩く結ばれたそれを広げれば、そこにあったのは白き振り袖と無惨に切られた片袖。

 それが何なのかを知っていた守貞は驚き、非難の声を上げた。


「友禅! これはおっかさんの形見だろう!?」

「かまわぬ。唯一であった母者の形見を、私の未熟さ故に無惨な形にしてしまった。片袖を断ち切らせるなど、乙女としてあるまじき所行だ。私はそれで身を飾る資格などなくなった。あとは、好きに生かしてくれたらそれでいい」

「戦乙女でなくなって、おまえはどうするつもりだ」

「さあ、いずれ、娘は女に、そして母になっていくものだ。

 まあ、ただの娘となった私にもらい手もあるはずもなし。”自立した女”を目指して、キャフェーで働くのも一興だろう」

「うちは代々、辻花家のご用仕立て師として、辻花の乙女の振り袖を仕立ててきた。それを、終わらせると」

「守貞には申し訳ないと思う。だが、私は、私には、自分になにが似合うのかもうわからぬのだ」


 沈黙する友禅を、しばし見つめたあと、守貞は風呂敷包みを手に取った。

「本当に、好きにしていいんだな」

「くどい」


 未練を断ち切るようなかたくなな声音に、ため息をついて立ち上がった守貞は、最後に一つ、言葉を残す。


「だが、これだけは知ってくれ。

 俺にとって、おまえはずっと、可憐でかわいい乙女だったよ」

「……」


 去っていく守貞に、うつむいていた友禅が立ち上がろうとしたとき、守貞がまた顔をのぞかせた。


「ああ、皿洗いはちゃんとしておけよ。でないと夕飯の皿はないと思え」

「……わかった」


 守貞の指令に、友禅は渋々茶碗を持って流しへむかったのであった。





 **********





 その翌日より、ご近所に変質者注意の張り紙が目立つようになった。


 そして、野暮天変態対策協会より鳴らされる変態警報がたびたび聞かれるようになる。

 人々が不安にさざめき、少女や娘は夕暮れはもちろん日中の外出も控えるようになり、兄や父に付き添われて歩くようになった。

 そんなご時世でも変わらず閑古鳥が束で鳴く疋田屋の前で、箒を使う娘が一人。

 黒の地に青鈍(あおにび)色の唐草模様の着物に、滅紫(めっし)色の帯をお太鼓に結んだ、相変わらず地味ななりの友禅である。


「くっ、守貞め。ここ数日朝早くに出て行って、夜遅くに帰ってくる。それが終わったかと思えば部屋にこもりっきりでもう4日! いったいなにをしているのだ。掃除も洗濯も、店番まで私に任せるとは。今日なんて飯まで私が作る羽目になったではないか」


 この娘、かろうじて白飯こそ炊けるが、それ以外はてんでできぬポンコツ娘である。


 ぬか漬けがあったからよいものの、それ以上に飯のおかずになるようなものは残っていない。

 銭もない家計では、食堂へ行く選択肢もなかった。


「今日はなんとしてでも守貞に部屋から出てつくってもらわねばならぬ」

 

 ふんぬと決意した友禅は、また鳴り響く変態警報に空を仰いだ。


「麗子は、出動しているのだろうな」


 胸の奥がうずくのを努めて無視し、友禅は掃除を終えると店に戻る。

 すいっと裾を整えて店奥に座し、すっかり娘達のフリル姿のなくなった通りをぼんやりと眺めた。


 あの大戦の後、心も体も傷ついた友禅が、幼なじみである守貞の元へ転がり込んで一年。

 母から受け継いだ振り袖が無惨な姿になってもなにも言わず、守貞は友禅を受け入れた。

 守貞に起こされ、飯を食わせてもらい、守貞に小言を言われつつ掃除をし、何となく店番のまねごとをし、守貞に尻をたたかれてお使いに行き、飯を食い、眠る。

 小姑がついているような気分だが、望んだ生活のはずだった。

 ふつうの娘であれば、女学校へ行くか、働きに出なければならないものなのに、守貞は小言はいえど、追い出す素振りは一度も見せなかった。


 本来の娘時代を、すべて野暮天変態どもとの抗争に費やしてきた友禅にとって、その娘らしい生活がどんなにありがたかったことか。


 だが、野暮天変態どもとの抗争中から続くもやもやとした気持ちは、そのような穏やかな日々を過ごしても埋まらなかった。


 振り袖は大好きだ。

 絢爛豪華な帯と着物はもちろん、振りから覗く長襦袢の差し色。刺繍の施された半襟、ちょっぴりアクセントになる重ね襟、綸子や絞りの帯揚げ、緻密に編み込まれた帯締め。

 その小物によっていかようにも雰囲気を変える振り袖は、洋装とは違ったセンスが光る。


 なのに見るからに華やかな洋装を見るたびに、もやもやとした気持ちがわき起こってしまうのだ。

 友禅が母より受け継いだ振り袖は、対野暮天変態用に作られた特別な正装だ。

 ばあさまも、そのまたばあさまから大事に受け継いだ、珠玉の一品。

 袖を通した乙女の心を反映し、いかようにも美しく可憐に強くなる。

 たかが変態のはさみで切れるような代物ではないのだ。常ならば。


 それがなぜ、あっけなく袖を切り落とされたか。

 それは、友禅の心に揺らぎが生じたからではないか。

 振り袖ではなく、ロリィタワンピースの方がいいと思ってしまったからではないか。


 友禅はその疑念を払拭できずにいるのだった。

 この思いがあるうちは、おそらくどんなもので身を着飾ったとしても、戦乙女として変態に立ち向かうことなどできまい。

 先祖代々受け継いだ振り袖を己の代で破られてしまった申し訳なさと相まって、友禅は戦乙女であることをやめたのだ。


 故に、友禅はその決意も込めてこの一年、ちまたでご禁制が解かれ、華やかな色合いの着物も作られるようになり、最近では銘仙なる大胆で華やかな織物まで流行る中、かたくなに粋な色合いを追求していたのだった。


 だが、こうして着物だけに囲まれた生活をしていても、この胸のもやは晴れない。

 私に、なにが足りないと言うのだろうか。


 そのとき、ばたばたと疋田屋に走り込んでくるフリル乙女の姿あり。


「おたのもうします! こちらが疋田屋でありますか!?」

「ああ、そうだ。ここが着物よろず承りの疋田屋だぞ」

「ならば、”振袖乙女”はいらっしゃいますか!! 至急、伝えたいことがあるのです!!」


 水色のワンピースに白いふりふりのエプロンという、穴へ落ちていってしまいそうなその乙女は、白と黒のボーダーニーソックスに包まれた膝を上がり框にかけて言った。


「”黒薔薇乙女”が、麗子先輩が、野暮天変態に正装を破られ重傷です!!」







 **********







 とるものとりあえず駆けつけた、対野暮天協会付属の病院の一室で、友禅は変わり果てた姿の麗子と対面した。


「ああ、友禅。来てくれたのですか……相変わらず、野暮ったい着物ですけど」

「喋るな、麗子」


 ベッドに横たわる麗子は、弱々しく微笑んだ。

 その様子ははかなげではあったが、乙女としてではなく、傷ついた弱き少女の様相である。

 その証拠に、戦の時でさえ美しくきつく巻かれていた縦ロールが、緩やかなウェーブとなっていた。


「油断、しましたわ。あんな、まともに喋る変態がいるとは思わなかった」

「なにが、あった」

「卑怯な振る舞いをした、罰が当たったのです。自分が乙女をやめるために、あなたを引き戻そうとしていたことの」

「なに――」

「この町へ配属された直後、とある殿方と出会ったのです。あなたと同じように少女のすべてを変態狩りに捧げつづけた私に、おびえず、怖がらず、話しかけてくださった」


 麗子は語った。

 ありふれた話であった。

 変態どもと交戦中に助けた一人の青年が、お礼を言いにやってくる。

 はじめは困惑していたが、偶然が重なった末に手紙のやりとりが始まり、何度か会うちに惹かれていく。


「初恋で、ありました」


 恥じらいを持って語る麗子は、何よりも可憐で、乙女としての輝きを放っていたが。


「ですが、それはすべて、仕組まれていたことだったのです」


 裏切られた悲しみと慟哭を抑えつけ、麗子は続けた。


「その青年は、私に婚約の申し出をしてくださいました。

 私は舞い上がった。殿方に告白されたのは初めてのことですから。

 ですが青年はこうも言ったのです。

 僕と結婚するのであれば、戦乙女なぞやめてくれるね、と。

 僕だけの乙女でいてほしいから、と。

 私は現在、戦乙女を束ねる身。早々に抜けることはできません。ですが結婚をするのなら、戦乙女を続けることは難しい。悩んだ挙句、あなたに、あんな思い上がった願いさえした。今思えば恥ずかしい」

「なにが恥ずかしいことか。愛した殿方と結ばれること、乙女として至上の喜びであろう。

 乙女とは、精神のあり方だ。過ぎ去っていく少女ではなく、ただお家に諾としたがう娘でもなく、自らの一念で運命を選び取る、その姿勢こそが乙女たる根幹。

 我が母も、父と結婚しても戦乙女を続け、私を生んだあとも、死ぬまですばらしい乙女であったよ」

「その言葉、もっと早くに聞いていればよかった……!!」


 友禅の言葉に、身代に力なく横たわる麗子の瞳から、はらりと真珠のような涙がこぼれ落ちる。


「青年の話に思い悩んだ私は、乙女としての自分に疑いを持ち、十全な力を発揮できなくなってしまった。

 このままでは、ほかの戦乙女も影響がでてしまう。

 そう考えた私は、涙をのんで、結婚の返事を待ってくれないか、と言いに行きました。このころは私もまだ信じていたのです。彼ならわかってくれると。

 ――ですが、帰ってきたのはあざけりの表情でした」


 血潮のあふれる傷口をさらすがごとくの麗子の手を、友禅は握った。


「”もう少し揺らいでもらわなければ困る。おまえが恋にうつつを抜かしているおかげで、我らの活動が円滑に進むのだから”、と彼は言った。

 そう、彼も変態。それも自ら野暮天ウイルスに感染した真正の変態だったのです!!

 奴の性癖は、自分に恋をした乙女の裏切られた泣き顔をあざけりながら犯すこと。

 私は、その術中にまんまとはまってしまった上、ほかの戦乙女たちをも危険にさらしていたのです」

「今回の事件を受けて緊急に聴取をとったところ、同じように声をかけられた戦乙女たちがいるようです。

 さらにこの町に来てからやめていった戦乙女何人かの足取りがつかめないことも、関連性があると見て調査中です」


 深い緑のロングワンピースに、フリルがあしらわれていても気品漂うエプロン、頭に真白きキャップをかぶった、メイド風ロリィタの乙女が補足する。

 麗子の自責と悔恨のあまりふるえる拳を、友禅はただひたすら握ることしかできなかった。


「私はすぐさま鎌を抜きました。ですが、裏切られた悲しみと浅ましくも愛しいと思う気持ちがせめぎ合い、私の正装は破れ去り、あの変態も取り逃がす始末」


 口惜しげに涙する麗子の視線の先には、見るも無惨な姿の紫のロリィタワンピースが。

 黒を選ばなかったのは、おそらくその男を愛したことで、麗子の心に甘やかな変化があったから。

 その乙女として歓迎すべき変化を踏みにじった変態こそ、万死に値する。


「ごめんなさい、友禅。あなたにふさわしい乙女であろうとしたのに、私こそ、乙女として失格になってしまった……!!」


 泣きじゃくる麗子の弱き姿に、友禅は血がにじむほど唇をかみしめていた。



乙女語録



青鈍色 (あおにびいろ)……鈍い鼠色に藍を重ねたわずかに青みを帯びたくらい灰色。コーディネートによって変わるが、乙女が着るにはかなり地味な色。


滅紫色 (めっしいろ)……灰がかったくらい紫色。「滅」は「紫色の匂いを滅す」という意味。コーディネートによって変わるが乙女が着るには以下略。


お太鼓結び (おたいこむすび)……帯揚げ、帯締めを使い、帯を背中で太鼓の胴のようにふくらませた結び方。文化14(1817)年11月江戸の亀戸天神に太鼓橋が落成した折に、深川芸者が渡り初めの際、締めていたことが名前の由来。

明治以降、大流行した。

 

家事 (かじ)……当時、娘が嫁となるための必須スキル。掃除、洗濯、炊事、裁縫、姑づきあいから構成されるが、すべて人力のため、かなりの重労働。それをすべて一人でこなしていた当時の嫁様は最強であった。


自立した女 (じりつしたおんな)…… 言葉通り。精神的にも経済的にも家や夫から自立した女性のこと。今ではそう珍しくないが、明治時代ではエキセントリックな生き方であった。


キャフェ― (きゃふぇー)……今とは違いインテリ系の人が通う社交場のようなものだった。ゆえに、一流の女給さんはそこら辺の大学教授よりもお給料を貰えた。


女学校 (じょがっこう)……12歳から17歳までのうら若き娘たちが良き嫁良き母になるために学んだ乙女の園。「エス」という乙女同士の強いきずなが結ばれることもあった。

戦乙女を養成する、特別女学校というのもある。


銘仙 (めいせん)……一般に言う、平織の絹織物。経糸の色と緯糸の色を故意的にずらすことで、色の境界がぼけるような柔らかい見栄えとなり、これが当時の流行となった。今でも古さを感じさせないほど、大胆で華やかな柄が多数世に送り出された。


野暮天対策協会 (やぼてんたいさくきょうかい)……野暮天ウイルスに感染した変態どもの捜査、治療(=撲滅)を目的とした国家機関。軍相当の権力を持ち、日夜、野暮天変態と戦い、その傍ら、啓もう活動や、戦乙女たちの教育を行っている。構成員は8割が女性。


恋 (こい)……乙女を最高に輝かせる現象。だが道を誤れば泥沼に落ちる、諸刃の剣。


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