乙女、戦友に娘に戻りし理由を語る。
野暮天ウイルスの波は、島国日本をも変わらず襲い、深刻な被害をもたらした。
欧米諸国からの圧力もあれど、自国のみでは対応ができないと判断した政府は開国に踏み切り、列強国の野暮天ウイルス対策に関する知識と、戦乙女たちを招聘した。
そして自国の少女たちにフリルワンピースの「正装」をさせることによって、危機を乗り切ったわけなのだが。
その結果、救世主となった甘やかなリボンとフリルに彩られた洋装に少女たちはあこがれ、こぞってその身を包むようになったのである!
かくして明治になった今日に、殿方が今だ着物に袴、洋装はカンカン帽やこうもり傘を持つ程度でも、少女たちはたっぷりと布地を使ったスカートや、ふんわりとしたフリルブラウスにストラップシューズや編み上げブーツ姿でレンガ造りの建物が立ち並び、人力車や馬車が行き交う町中をさざめき歩いていた。
故に華やかな洋装の人気に押され、和装と呼ばれるようになった娘物の着物売り上げは落ちに落ち、ここ、帝都東京の一角に店を構える呉服屋「疋田屋」にも閑古鳥が束になって鳴いていた。
「友禅、友禅! いつまで寝てるんだ!!」
本日も娘一人やってこぬ、疋田屋の奥。
その一室のふすまを、作務衣姿の青年がスパンと開けつつ怒鳴り込む。
「起きろ! 疋田屋は働かざる物食うべからずだ、居候!」
容赦なく引っ剥がされた布団の中には、寝乱れた白地に藍染の浴衣の娘があった。
艶やかな黒髪を白き布団に散らすその姿は、可憐の一言。
切れ長の目元も涼しげな、楚々とした美少女であった。
まろやかな頬に一筋の滴を垂らしているのはご愛敬である。
この者、名を辻花友禅という。
「……朝からうるさいぞ、守貞。おまえの声は頭に響く」
「もう朝じゃねえ、昼だ!!」
何度も何度も呼ばわれ、ようやくその頬を拭いつつ友禅が起きれば、お日様は中天にて輝き、室内をほどよくぬるめていた。
「おおう。冬なのに暖かい。ではもう一眠り」
そのまま布団と同衾しようとする友禅の襟首を、青年が青筋を立ててひっつかんだ。
「だ・め・だ」
「……守貞、いけずだな」
振り返って上目遣いでにらむ友禅の視線にも、青年はいっさい心動かされた風もなく受け流す。
この小姑めいた男、名を疋田守貞、この身代が傾きかけている疋田屋の主人である。
「てめえに客だよ。友禅」
「客、だと?」
黒々とした瞳をぱちくりとさせる友禅に、守貞は告げる。
「ああ、よりにもよって黒いゴシックロリィタの娘だ。呉服屋のうちには場違いな、あの完璧なまでの立ち振る舞い。あれは現役の戦乙女だな」
「……そうか。わかった」
一転して抵抗をやめすっくと立ち上がった友禅が、するすると帯を解き始めたのを見て、守貞は呆気にとられた。
「ちょ、ちょっと待て友禅なにやってんだ!?」
娘の黒髪がひらりと肩に流され、襟がするりと落とされ、のぞくうなじを凝視、する寸前で視線をはずした守貞を、友禅が不思議そうに振り返る。
「なに、とは。着替えだが? さすがに客人を寝間着で迎えるわけにはいかないだろう」
「そ、それはそうだけどな、俺だって男だぞ? 娘だったらもうちょっと恥じらいってもんを」
「母者の代から出入りしているのだ。確か、年上のおまえに風呂の世話をしてもらった覚えもあるぞ。おまえだって幼き頃から私の裸など見慣れているだろうに。乙女のようにうぶだな守貞」
「う、うるせえっ! とっとと着替えろ!!」
くすり、と笑ってみせる友禅に、真っ赤になった守貞があわただしく去っていくのを見送った友禅は、息をついて、傍らの箪笥ではなく押入を開けた。
がらんどうの押入には乱れ盆が二つ。
その一つに丁寧に畳まれた白き振り袖と、無惨に切られた片袖を前に友禅は切なく微笑する。
「おはよう。母者。今日も良い天気だぞ」
**********
手早く着替えをすませた友禅が降りてゆけば、客間に座するのは漆黒のゴシックロリィタに身を包みし縦ロールの美少女。
はっきりとした顔立ちにぱっちりとした目元が華やかな印象を与える、友禅とは対極の華やかな娘であった。
この者の名、墨流麗子という。
しっかりとアイラインを引き、ダークレッドの口紅を引いたその西洋人形のごとき美しさと妖しさに、守貞の湯飲み茶碗を置く手すら震えていた。
「やはり君か。麗子。よくここがわかったな」
「方々手を尽くしましたので。それよりも……」
ヘットドレスにつけられたレースのリボンを揺らして立ち上がった麗子が、苛立ちを持って友禅に指を突きつけた。
「その地味で野暮ったい衣装は何ですか!?」
「なにって、着物だ。呉服屋に居候しているのだから、着物を着るのは当然だろう」
「着物、と言うだけならまだ許しましょう。
ですがその野暮天変態ですら逃げてゆきそうなセンスのかけらもない着古した木綿に、いかにも着つぶした着物を仕立て直したと言わんばかりの帯! しかも髪はただの引っ詰めではありませんか!」
「一応、この着物は遠州木綿と言ってだな……」
「如何でもよろしい! おしゃれ心が全く見られないのが問題なのです! 戦乙女としての自覚をどこへおいてきたのですか!!」
美しきレースに彩られた姫袖を揺らして突きつけられる指に、友禅は手を添えてやんわりとそらした。
その品のよい所作に、麗子は思わず見とれる。
「ないよ。すでに、私は戦乙女ではないのだから」
「っ! 今でも、戻れるはずです!
ほら見てください、あなた似合いそうな正装を特別に作らせたのです。残念ながらあなたの寸法を手に入れられなかったので見立てで仕立てることになりましたが。
あの”振り袖乙女”にふさわしいものをと言ったら、どの仕立て師もこぞって手を挙げてくださったのです!!」
傍らの革のトランクから麗子が引き出して見せたのは、贅沢に生地の使われた淡いピンクのブラウスに、鮮やかな深紅のジャンパースカートを合わせたそれは見事なロリィタ服。
スカートを膨らませるパニエはもちろん、専用の下着から白いガーターベルトとソックス、そして編み上げブーツまで用意されているのを見た友禅は、だがしかし、首を横に振るばかりだった。
「無理だ。私は退役した身。ただの娘なのだよ」
「ですがあの戦場で、あなたほど美しく、可憐な乙女はほかにいなかった! 振り袖は破れても、洋装を身にまとえば――……」
「だから、だめなんだよ」
友禅の強い言葉に、麗子は言葉を止める。
「おまえは知っているだろう。
いにしえより、ここ日の本にも野暮天に感染せし変態どもは少数ながらいた。
我が辻花一族は先祖代々、振り袖を身にまとい、そのような変態どもを退治してきたのだ。
その技と振り袖を受け継いだ私にはその矜持がある。
大和の技を、振り袖を魅せつけるために、私は母者より受け継いだ振り袖を身にまとい、戦場に出た。
だが、私は我が半身とも言うべき振り袖を散らすことになった」
友禅は寂しげに言葉を続ける。
「私は、着物こそ、振り袖こそ大和の乙女を着飾るにふさわしいもの、と信じてきた。だが、結果はどうだ。西洋よりもたらされたフリルやレースに彩られたワンピース、大きなリボンの髪飾り、なのに動きやすい足下。すべてが負けたのだ。私は過去の遺物なのだよ」
諦観の表情で微笑む友禅に、麗子は口紅がとれるのもかまわず唇をかむ。
麗子は一番に振り袖を脱ぎ捨て、このゴシックロリィタを相棒とした娘の一人であったからだ。
「だが、それでも、あなたに復帰してもらわなければならないのです」
「なぜだ」
「この日の本で、野暮天変態どもが組織だって動き始めているのです」
目を見開く友禅に麗子は、アイシャドウに彩られた瞳で狂おしげに訴えた。
「未だにわずかな乙女たちしか気づいていない極秘事項です。あの大戦からすでに1年。あのころの戦乙女たちはすでにほとんどが結婚し、子を産み母となっております。
新米たちも教育していますが、まだまだ乙女と言うには物足りない娘ばかり。あなたのような美しく可憐な乙女が必要なのです」
「……麗子、つまりそれは18になっても結婚できていないと言うことだぞ。それは言っていて悲しくならないか」
友禅の呆れた声音も無視し、麗子はさらに訴えた。
「友禅、私が振り袖を犠牲にしてしまった身であるとはわかっています。ですが、恥を忍んで願います。共に背中を預けた友として、ロリィタ服を着てまた私と共に戦ってください!」
友禅はその揺らめく縦ロールを苦しげに見つめていたが、結局首を横に振った。
「無理なのだよ。麗子」
「なぜっ!!」
「私が、この衣装の魅力を存分に引き出せないからだ」
惑乱する麗子の見ているなか、飾られたレースも愛らしいブラウスを手に取った友禅は、切なげにその胸元をなでる。
「足りないのだよ」
その一言に、麗子は思わず我が身を見下ろした。
大和の人々としては珍しくふくよかな胸元は、フリルとピンタックに彩られたブラウスを美しく押し上げている。
さらには胴回りをきゅっと絞るあざといデザインのジャンパースカートによってより強調され、可憐な中にも艶やかな色香を醸し出していた。
対して着物に身を包む友禅のそれは、胸高に結ばれた帯との区別も付かぬなだらかな丘。
程良く抜かれた襟とも相まって、着物の着姿としては美しい。
だが――……
「私だって娘の端くれだ。フリルもレースも嫌いなわけではない。
このロリィタ服は、確かに可憐で、乙女をより引き立てる衣装だと思う。だがな、足りない私の体型では、どうしても違和感を生んでしまうのだ」
「な、ならば、即刻仕立て直し、真にあなたに似合う正装を……」
「わかってくれ、麗子。私も着ることだけならできよう。だが、戦乙女としての十全な力を出すことはできないのだよ。
私の乙女としての美しさを存分に発揮できたのは、大和の伝統衣装である振り袖のみ。だがその振り袖はもう破れてしまったのだ」
友禅の意志が変わることがないと悟った麗子は長い長い沈黙の末、ゆっくりとトランクを閉めた。
「餞別に、この一式だけはおいていきます」
「麗子、おまえはすばらしい戦乙女だ。健闘を祈る」
麗子はあふれかける涙をのみ、乙女らしく気丈に立ち上がると、廊下でふすま越しに聞き耳を立てていた守貞にトランクをぶち当て去っていった。
乙女語録
呉服屋 (ごふくや) 本来は絹物を扱うお店のことを指したが、このころから木綿や麻なども扱うようになった。和服全般の注文を取り、仕立てまでする店。着物全般について相談に乗ってくれる悉皆屋を兼ねているところも。疋田屋はこちら。「悉皆」とは”みなことごとく”という意味。
遠州木綿 (えんしゅうもめん) 現在の静岡県浜松地方で生産されている木綿。縞や絣などの種類がある。日常着として着られていた。とても粋な色合いで乙女が着るにはかなり地味。
乱れ盆 (みだれぼん) 現代では旅館などで浴衣一式をたたんでおいてある衣類用の盆のこと。明日袖を通す着物を着つけ紐とともにおいておくのが乙女のたしなみ。
姫袖 (ひめそで) 肘辺りから袖にかけて円錐状に広がったひらひらした袖。乙女度が上がる。
パニエ (ぱにえ) 下着の一種。スカートをふくらませ、美しく見せる為のもの。ふんわりスカートはロリィタの重要アイテム。
婚期 (こんき) 明治時代では16歳で結婚が当たりまえ、二十歳過ぎれば行き遅れ。当時の新聞内での人生相談では、20代半ばに差し掛かった娘さんが結婚相手がいないと悩む投書があるほど深刻であった。
縦ロール (たてろーる) 髪を螺旋状に巻いた髪型。ゴシックロリィタ最強の装備。
※注、作中に乙女の繊細な部分に言及がありますが、作者は貶めることを意図しておりません。
個性は素晴らしい。特に、着物の着姿にとっては。