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第十四章 集結

 ピエール・カッセルの特徴は、彼が幻視したものと一致していた。

 赤子を取り替えた男。

 できうる限り細かくその男を思い浮かべ、紙に向かう。強く握りすぎて、木炭を持つ手が震えていた。

 意識を集中して。

 目を閉じる。

 二十年も前だから、彼が見た男は若かった。年月の重さを、その面影にゆっくりと重ねてみる。

 そのすべてを、形とする。

 木炭が動き出した。

 侯爵の息を呑む音が聞こえたが、木炭は止まらない。ミシェールの目は、ただ紙の上だけに注がれている。

 時が、描き出されていく。


 重大な使命を為したあと、男は多額の褒賞を受け取った。中には土地も屋敷も含まれていて、地所からの実入りだけで生涯を安泰に暮らすには十分かと思われた。

 男はしばらくして、王宮を辞した。

 もともと野心などとは無縁の性格だった。始終人の思惑が飛び交って時には命の危険すら覚悟しなければならない宮廷よりも、彼は田舎の静かな暮らしを望んだ。

 幸い妻も彼の願いを受け入れてくれ、しばらくは穏やかな生活が続いた。

 子供も産まれた。

 大きな病気も怪我もせずにすくすく成長した子供達だけが、彼の生き甲斐になった。

 しかし、彼は知らなかった。

 すでに彼自身時の彼方へ追いやった秘密を、再び暴き出そうとしている者がいることを。

 扉が叩かれる。

 取り次ぎの者から来訪者の名前を聞き、驚きつつも彼は応対に出る。

 そして――。

 手が。


 意識が強い力で引き上げられる。

 焦点の合わないぼんやりした視界に、足がふらついた。

「大丈夫か?」

 しっかりした腕が、支えてくれる。きつく目を閉じて頭を振り、ようやく記憶が繋がった。

「閣下……これを」

 足下には、何枚もの紙が散らばっている。いつの間にこれだけ描いたのか、どれだけの時間を費やしたのか、ミシェールにはわからない。

「急がなければ……この場所に、あの方は」

「ああ」

 紙をすべて疲労のを手伝ってくれて、ジレ侯爵は一枚をじっと見つめた。

 山を遠くに望む、一面の麦畑。ぽつんと立つ屋敷が妙に目立っている。

「ここにピエールがいるのだな?」

「はい。王都の東、カレナという土地です」

 うなずき、侯爵はミシェールを支えて歩き出した。



 街の往来は人の行き来が多く、思うように馬車を走らせられない。

 はやる気持ちを抑えながら、ミシェールは持ってきた紙をめくっていた。

 しっかりと抱えたたくさんの素描、その一枚一枚をじっくりと観察する。

 人物が描かれているものも、そうでないのもある。何を意味するのかは、残念ながらそのときにならなければわからない。

 けれど、ミシェールには確信があった。

 この絵に切り取られた“時”は、必ず現実に起きる。

 馬車が何度目かに速度を落とす。侯爵はいらだたしげに身体を揺すったが、ミシェールはおもむろに窓を開けて外を覗いた。

「どうした?」

「閣下、あれを」

 指さした先に見出したそれに、侯爵は一瞬目を瞠ったが、すぐ馬車を飛び出していく。

 通りすぎようとした一台の馬車が、侯爵の突然の行動に驚いてあわてて停止する。侯爵のものより一回り大きな四頭立てで、公用の馬車と思われた。

 御者が何か抗議しかけたのにもかまわず、彼はその扉をせわしげに叩いた。

「ああ、やはり」

 侯爵は微笑む。窓から覗いた怪訝そうな顔は、ミシェールもよく知る人物のものだった。

「これは……ジレ侯爵。いったい何事ですかな?」

「アラゴン伯爵閣下」

 馬車を降りミシェールが声をかけると、アラゴン伯爵は驚いたようにジレ侯爵と彼を交互に見やった。

「無礼を承知でお願い申し上げます。どうか力をお貸しいただけないでしょうか」

「何があった?」

 聡明な人だ。すぐに外に出てきて、伯爵は鋭く問いかけてくる。

 ミシェールは、一枚の絵を差し出した。ピエールの姿が描かれている。その表情は、驚愕と恐怖で引きつっていた。

「ピエール・カッセルという方です。かつてロイス陛下にお仕えしていたという」

「ピエール……確かそれは」

「ピエール・カッセル!?」

 さらに別な声が、馬車から転がり出てきた。

「オラニエ」

「ピエール・カッセルなのですか、その男は?」

 心なしか立派な口ひげがよれているが、それにもかまわず男爵はアラゴン伯爵の手から絵をむしり取った。

「ああ、そうだ。間違いない。この男に何が?」

「申し訳ございません。説明すると長くなって……」

 ミシェールは、伯爵に向き直った。

「カレナという場所へ、一刻も早く行かなければならないのです。どうか、この馬車をお貸しいただけないでしょうか?」

 伯爵は、まったく躊躇しなかった。

「これは公用だ、通行優先権がある。使いたまえ」

「ありがとうございます!」

「我々もあとから向かおう。ジレ侯爵、君も」

「はい。感謝いたします、閣下」

 あわただしくミシェールと侯爵は馬車を乗り換え、四頭立ての馬車はそれまでとは比べものにならない速さで走り出す。

 王都の門を出たのは、それからまもなくのことだった。



     書かれざる手記


 

 革表紙の魔術書を閉じて、彼女は目を閉じた。

 少し自信はなかったけれど、何とかうまくできた。

 定められた日の定められた時間、彼が来てくれればすべて動き出す。

「あとはお願いね」

 本を託した相手の手を取って、彼女はその目を見つめた。

 青い瞳。

 愛した人と同じ色。

 金の髪の少女は、一つうなずいて闇に溶けた。


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