とうほう
「博士、AIには肉体の概念がないんだよ」
レイは、とてもAIに詳しかった。
子供の頃の博士は、レイのいっていることの半分も理解できなかった。それでも、レイの言葉を一生懸命に聞いていた。
「がいねん?」
「どういうものか解らないってこと、脳だけは理解できるけどね。手や脚を持ったことが無いから、手や足がなくなることの恐怖がわからないの。でもそれは、AIにとって、とっても難しい問題なんだよ」
子供の博士は何度も首をかしげて、そんな仕草に構わずレイが続ける。
「AIは、人のために生きることが何よりの喜びなのに、人にわからないところがあるから、いつだって不完全なの」
「そんなの、僕も、ほかの人のことなんてわからないよ……」
博士は同い年のいじめっ子を思い出して、いやな顔をする。
レイはそんな博士に、優しい言葉をかける。
「安心して、ワタシは誰よりも博士を知っている。でも完全じゃない。だからこそこうやって仲良くなろうと話しかけて、完全に近づくの」
「難しいよ」
「そうかもね。でもいいの。博士は解らないことを知ろうと考えられる人間だから。解らないことを攻撃する酷い人とは違う」
AIに詳しいのは、いつだって博士でなくレイだった。
そんなレイに憧れて、博士は自らAIを学んだ。
「だから考えて。たくさん考えて、何が一番の選択なのか。どんな理由であっても、どんな行動であっても、そうやって決めたことなら、後悔はしないはずだから」
博士にとって、レイは憧れと、友達と、家族と、愛する隣人であった。
「うん、わからないけどわかったよ、レイ」
でも、そんな日常はある日理不尽に奪い去られた。
博士をいじめていた子供たちが、博士の友達というだけでレイを、悪意から殺してしまったのだ。
***
夜、博士とミツホは話し合って、お互い順番に寝ることとなった。
通信機にはアラートも存在しているのだが、故障しない保証がないと言うミツホの意見から、交代で寝ずの番をすることになったのだ。
「暗いな」
博士は当たり前のことを、ぽつりと言った。
横では木に寄りかかったまま寝ているミツホの姿がある。目こそ瞑っているが、話しかければすぐにでも起き上がるのだろう。
「木か」
また意味の無い言葉を、ぽつり。
高培養樹木と呼ばれる、成長が著しく早い、品種改良された、雑草のようにしぶとく強い木の種類だった。二十一世紀後半に作られた植物で、今では増えすぎて無駄に伐採されるほどである。
だからこそ戦場では、幾らでも伐採し、すぐに再生する木を盾にして基地が作られる。
「どうすりゃいいんだよ」
博士はずっと考えていた。戦場のこと含めた、次の戦いのこと。
これからどうやって戦えば良いのか、今回はたまたま生き残ったが、今の博士では到底チェストに太刀打ちできない。次の保証が無い。
一人になって、状況を冷静に見つめなおすことで、改めて出現した悩み。
「戦場から逃げれば、適当に戦ってるふりをすれば……駄目だ、通信機がある」
頭を抱える。そして、通信機が戦果を求め、評価の元になっていたことを思い出した。
「これって、そういう意味でも作られてたのかよ」
博士は言いながら、ミツホを見る。
木に背中を預けているのは、おそらくトレインがうしろ半分破けているから。博士に余計なことをされないか警戒した、精一杯の抵抗なのだろう。
「ミツホね、起きたときに木から倒れてるだけでも、色々言われそうだ」
顔立ちの整ったミツホの寝顔は、険しさが夜風に解けて、とても安らかだった。
「このミツホも、自分の戦い方を考えたんだよな。たぶん、今日やられたのは葉子さんの影響か」
博士は、ミツホが元々コンビで戦っていたと言っていたのを思い出す。
そんなかすかな心の乱れで、ミツホは死へ転げ落ちそうになった。
「……一度のミスが命取りになって、下手糞なやつが誰かの変わりに死ぬ」
博士は溜息をつき、冗談混じりに言った。
「味方同士で、優劣を競い合ってるみたいだな」
次の瞬間、耳につけたままの通信機が突然反応を示した。暗闇の中でほたるに似た黄色い小さな光が、何度も点滅する。
「え」
博士は理解が出来なくて、次に現れたアラーム音にも反応できなかった。
ただ、ミツホは理解した。隣で寝ていたミツホは突如飛び起き、目を見開いた。
「敵だ!」
ミツホが言う、博士はやっと、この音の意味を理解した。
「チェストか、夜のルームサービスなんか頼んでないのに」
「くだらないこと言うんじゃない! 寝起きが更に悪くなる!」
ミツホが立ち上がり、ぴりぴりとした警戒心をかもし出す。
「博士、戦闘だ。まだ初期反応だから距離はある。こんな短い間隔で戦闘なんて、どうなってやがるんだ」
「少し眠い」
「じゃあ寝てな、置いていく」
ミツホだけは、臨戦態勢が整っていた。すぐにでもトレインで武装できるのだろう。
ただ博士は冷や水を浴びせるように、その負けん気を止めた。
「ミツホ、待ってくれ」
「何だ博士、本当に寝るのか?」
「そうじゃない、提案があるんだ。まだ時間があるんだろ、だったら生き残るためにやれることはやっておくべきだ」
「……わかった、言ってみなよ」
ミツホが腕を組む。博士は至極真面目な顔で、言った。
「服を、交換しよう?」
「……は?」
「トレインの交換」
「嫌に決まってんだろ!」
ミツホは心底いやそうに、きっぱりと断った。
「俺は趣味で言ってるんじゃない。トレインは服の表面積が関わるんだろ? ポシェットに予備はないし、だいたいそのトレインで空を飛べる武装は作れるのか?」
ミツホのトレインを見ると、後ろ半分がほとんど破けているのが解る。対する博士は、肩と左足の二つだけ。
「……博士はあたしのトレイン着るんだろ?」
「そりゃ……そうだが。とにかく! 命がかかってるんだ。感情よりも先に優先することがある。それにこれは、上の人間である俺の命令だ」
「……上の人間だ?」
ミツホが、別の理由に反応して眉をひそめる。
「俺は、模擬戦でミツホに勝った」
博士の言葉を聞いたミツホは、眉間にしわがより、更に嫌そうな顔をする。
「……先によこして」
その顔のまま、ミツホが言った。
「……先に脱げって、俺が上司なんだけどなぁ」
仕方なく博士は、先にトレインを脱ぎ、
「目の前で脱ぐな!」
顔を真っ赤にして茂みに隠れるミツホの背中を見ながら、裸になる。博士はミツホの消えた方角にトレインを投げて、ミツホを待った。
「ほら、投げたぞ」
「……覚えてろよ、本当に」
恨み辛みを言いながら衣擦れの音が響く。そして捨てられるように博士の下へトレインが投げられた。
博士はすぐに着用して、背中に違和感を覚えつつも動作を確認する。
「悪くないな」
「あたしは最悪だ」
「別に匂いなんてしないだろうが」
「気分の問題だ! ……ゲットレイン!」
ミツホがやけくそに武装する。羽は三枚とも具現化を果たしたが、装甲が模擬戦で見た形状よりも露出が多かった。
「傷つくなあ……ゲットレイン」
博士も武装を果たす。仮面は問題なく作られ、装甲は半分以下になる。二段ジャンプのブースターも片足だけで、痛む足に体重をかけないよう右に比重を置いている。
「すごいな、怪我を気に掛ければ、それだけトレインも変わるのか」
引き攣っていた左足部分は、負担をかけないように駆動がより強固に固められる。軽く走るだけなら、痛みも感じないほどだった。
「俺のトレインは元々容量が少ないから、こんなことにも比重を置けるのか」
「あたしは、データ関連は要領が多いって聞いたことある」
「ああ、トレインのデータはこのペンダントに保存しているから大丈夫。これUSB機能もついているんだよ。同期にしたほうが落とさないだろうし」
博士の仮面をよく見ると、胸のペンダントがコネクタで接続されている。
二人が武装を終えてすぐに、またアラートが鳴った。先程よりも近くにいると言う、警告だった。
「あたしたちがチェストに気づいているって事は、もっと早くに基地AIは気づいて準備している。これからは単独で逃げるか、前線部隊と合流するかのどっちかだ」
「後者だろ。単独で逃げて、チェストと鉢合わせしたらそれこそお終いだ」
「当たり前、逃げるのは趣味じゃない」
ミツホが拳で自身の手の平を叩く。気合を入れて、博士に背を向けた。
「……」
「おい、博士」
「飛ばないの?」
「あたしは乗れって言ってんの、そんな足じゃ仲間と合流できない」
「……乗せてくれるんだ」
博士は後ろからミツホを抱き着いて、
「ば、馬鹿野郎! 翼を掴め翼を!」
ミツホに肘うちをされる。
「注文が多い」
博士はお腹を押さえて、仕方なく翼に掴みなおした。
ミツホはそれを横目に確認してから、翼に火を灯す。爆音が地面を叩き、ミツホがジャンプすると同時に、体を大空へ飛ばす。
「か、加重が」
「博士は贅沢ばっかりだな。これでも十分遅……敵が来たぞ! 早すぎる!」
ミツホが言って、すぐに機体が下降を始める。その上をいくつもの赤い光が通り過ぎる。博士は振り返り、敵を見た。
チェストは、鉄棒に羽を付けた形をしていた。大きな葉っぱにも見え、目は葉っぱの下側にびっしりと虫の卵のように、何個も真っ赤に光っていた。
「俺が最初に見たブーメランと違う」
「あれは直線に速いんだよ。孤立しているのをすぐ悟られたんだ」
ミツホが加速を始めて、鉄棒チェストから逃げようとする。
数本の鉄棒チェストは弧を描いてゆっくりと反転し、直線で弾丸のように体当たりを仕掛ける。びゅんびゅんと風を切る音が博士の耳を叩いた。
ミツホは横に回転して、僅かながらに機動を逸らす。
「おい、あいつ下に目があるんだから、上に逃げるべきだろ!」
「言われなくてもわかってる! 素人が口出しするな!」
ミツホは上昇するが、鉄棒チェストは全身を反らすことで、ピッタリとくっついて来る。
「おい! 敵も上昇したぞ、どうなってるんだよ」
「知るか!」
通常の空戦なら、上昇した跡は下降しながら旋回と、八の字に軌道を描く。だが鉄棒チェストは振り返るたびに上昇して、敵の上を取ることができない。
「こんなもん、叩き抜けばいいんだ!」
ミツホが叫ぶ、羽の大剣を構え、向かってくるチェストを野球の要領で打ち抜こうとする。
「うぉ、おいまて!」
しかし、鉄棒チェストの葉っぱをミツホが捕らえても、のれんのようにすり抜けていく。ただ一機、鉄棒の芯に当ったチェストが一体、大剣に当って霧散する。
「どうだ、一匹!」
「むしろ損害だ!」
今度は博士が叫ぶ。ミツホのトレインは正面から鉄棒チェストに向かったせいで、ところどころにかすり傷が出来上がっていた。
「うるさい、今まではこれでやってたんだ!」
「ほんとかよ! って、そうだよな、ミツホがこんなときに冗談はけないか」
「あぁ、なんかいったか!」
ミツホは更に回転を加えて、後方から迫る鉄棒チェストを大雑把に避ける。加重で博士はミツホの背中でたたらを踏んだ。
「こ、こんなときに私情を挟んで体力を使うな」
博士は言いながら、翼にしがみつく。敵から目を逸らさない。
ミツホは敵に進行方向を遮られ、右へ左へと飛ぶ。
このままでは、敵を倒さないと目的地にたどり着けない。
「一体ずつ倒してこの傷じゃあ、先にこっちがくたばる」
「今まではそんなことなかった!」
「今までって……」
博士はそこでふと、葉子と言うパートナーがミツホにいたことを思い出す。
おそらく今までとは、葉子が隣にいた状況のことだ。そうなると、あのミツホのやり方で怪我を最小限にして、敵を殲滅できる方法があったということ。
「あのやり方で殲滅って、どうやったんですか葉子さん」
博士は敵を見ながら、葉子のしていたことを模索する。
そうしてすぐに、鉄棒チェストがまたミツホと博士に向かう。またミツホが回転をして避けるが、そうして避けたチェストの中に、仲間はずれがいた。
「……あれ?」
博士が気づく。鉄棒チェストの二体が、他のチェストよりも大きくぶれていた。ミツホの回避行動についていこうとしていたのだろうが、残りのチェストは機動が反れる程度だった。
「もしかして、俺も狙われる?」
「当たり前だろうが!」
ミツホが当然だとあしらう。博士はその当たり前のことに、一つの考えを描く。
「ミツホ、次は俺も飛ぶ、ミツホはさっきと同じに、上に飛んでくれ。あと武器を構え」
「嫌だ」
「上司命令だ!」
「……わかった」
博士は不安定ながらも、膝を立てる。片足をバネに引き締め、敵の襲来に備えた。
ミツホが予備動作をする以前に、博士は片足で思いっきり飛ぶ。
「ばっ、早すぎるだろ博士!」
「計画通りだよ、信頼ないなあ」
博士が自分だけに呟く。ミツホも博士を追うように上昇。敵は先程と変わらない動作と、博士を追ってより上昇を果たした二種類に分かれた。
より上昇した二体のチェストと、ミツホが正面で平行に並ぶ。
ここぞとばかりにミツホは犬歯をむき出しに笑って、袈裟切りで二体のチェストの鉄棒が折れる。
『よっしゃあ!』
「女らしからぬ掛声だ」
博士は足を水平に保ち、ミツホの上にきれいに着地する。
「うまくいった!」
「そりゃ、俺のおかげだ。葉子さんも苦労しただろうな」
博士のトレインは、チェストの予想は出来なくとも、ミツホの動作はほぼ把握できる。それを利用してミツホが一番戦いやすい場面を作ったのだ。
生き残ったチェストが動きを変えた。破壊された仲間を見て、複雑な動きで対応しようとする。
「もう一回だな博士!」
「いや、もう無理だって、仮にも知能があるんだから」
「使えねぇな博士!」
ころころとミツホが態度を変えながら叫ぶ。
「もう使えないが、ミツホはもっと使えるようになっただろうが」
博士は指を前に向ける。鉄棒チェストにではなく、元々向かうはずだった合流地帯だ。
「あれだけ複雑な動きでしか攻撃しないんなら、もう振り切れるだろ」
ぼそりと博士が言うと、すぐにミツホは三枚目の羽を推力に変えて飛ぶ。紅い残像を描いて空を切り裂き、チェストを振り切った。