けんか
ミツホがいなくなってすぐ、緊張の糸がほつれるように、博士から力が抜けた。
「ふぅ、二人とも血の気が多いんだから」
一子は両手を腰に当てて言う。
「隊長も負けてませんよ」
「私はあなた達を止めるためにやったの。失礼しちゃう」
一子が溜息をつく。気苦労の耐えない顔は、疲れよりむしろ性分といった風体である。
「でも、以外でした」
「ん?」
「喧嘩を推奨したこととです」
「うん、私は推奨だね。というよりも必要だと思うの。軍隊って、基本的に指揮は隊長が取るでしょ。でも、万が一隊長とコンタクトが取れなかった場合、指揮は誰に任せられる?」
「……次に階級の高い人?」
正解、と一子がサムズアップをする。
「私達の部隊なら、私、ふたばちゃん、ミツホちゃんの順番。そこに博士が入って、博士は最下位。これは運用する上で絶対にはっきりさせないといけないよ。曖昧だと、その指示を受けていいかどうか、混乱するの。時には命に関わる指示を、誰がどうして決めるのか、あやふやなままだといけない。うん、絶対に」
「味方を助けない、この軍隊でもですか?」
「私達に迷惑のかかる独断だけは止めないとね」
一子が言う。
「本来だと、星一~八のランク付けで階級が決まるのだけれど、まだ一度も博士は戦闘をしていないから、本来は一番下。でも、それだと博士は納得しない」
「だから、ミツホに負けてこいと?」
「うん、そういうこと」
一子が頷く。白黒つけて、どちらが上なのかをわからせるための戦いらしい。
「勝てるはずがないよ。ミツホちゃんは何度も戦場で生き抜いてきた戦士だもん。星は四の戦闘機クラス。性別やセンスじゃ埋められない経験の差が、博士とミツホちゃんの間にはあります」
一子が考えるまでも無く、勝敗は明確だった。
「博士はやれるだけ反抗して、それで切っ先のつま先が、ミツホちゃんの頬を掠めればいいほうかな」
「でも、俺は勝ちますよ。勝たなきゃ、勝負は意味がない」
ただ博士は、諦めていなかった。
「今まで無理だって言われて、諦めてこれたような人間じゃないことを思い出しました」
博士は、絶対に学校なんて合格できない。犯罪者の子が、真っ当な生活なんて送れるわけないと、何度も言われてきた。
現在も爆弾と犯罪と戦いと、ミツホに勝てないことが明白でも、周りから言われた程度で、博士は諦めることができなかった。
博士の心には、ずっと励ましてくれたレイがいるのを、思い出したのだ。
「……うん! いい顔だね」
「はい?」
一子が、何か弟のいいところを見つけた姉のように、肩を揺らしながら笑っていた。
「最初に会ったとき、妙に冷めているところがあって驚いたけど、やっぱり博士も男の子なんだ~」
「俺がバニラアイスにでも見えましたか?」
「どちらかというとカキ氷かもね。でも今はできたてのチョコパイかな。うん、久しぶりにお菓子が食べたくなるよね!」
一子は頬に手を当てて、ほっくりとした表情になる。
「……はっ! いけない、隊長たるものお菓子の我慢はできないと。では博士、少し遅いですが、トレインの訓練を続行いたします」
「負けるのに、特訓はするんですか?」
「するよ、特訓に意味がないことはないし、やるからには徹底的に頑張らせてあげる」
一子がガッツボーズをする。気合の入りは博士以上だった。
「残念ですが、俺は運って奴を一番信用していません」
博士はその言葉に割り入る。
「特訓はしないの?」
「します。でもまだしません。俺はミツホに勝つつもりで、戦うんです。ならまず、ミツホと対等、またはそれ以上になれる方法を探します」
「だから無理だよ、経験の差がありすぎるの」
一子が言う。眉根を寄せて、困った子供を諭すような口調だ。
経験の差。それが今の博士にとって一番のネックになっていた。
「経験……」
博士は考える。なにか、一子と同じ土俵に立てる経験が、自分に無いのかと。
そこで、博士は思い至った。
「……経験、ありますよ」
「博士?」
強い剣幕で博士が言った。
「一子隊長、やっぱり軍隊というからには、ミツホのトレインに関する資料はありますよね?」
「う、うん。確かそれなら、AIが検証をかねてデータベースにまとめられてるって聞いたことはあるけど」
一子が多少たじろく形で答える。
博士が注目したのは、AIが管轄した。味方の戦闘データだった。
「……勝てる」
「えっ?」
「閲覧できる場所を教えてください。すぐにでもそのデータが、俺には必要なんです」
「案内はするけど」
「行きましょう!」
「わわっ!」
博士は一子の手を引いて、トレインを着たまま訓練場から駆け出した。
最初は一子も驚いたが、次第に表情が綻び、
「ふふっ」
むしろ鈴を鳴らすように笑った。
「ねぇ博士。何で私が、博士に生き残ってもらいたいか、無駄だといわれても特訓を手伝うのか、わかる?」
「はい?」
「それはたぶん、ミツホちゃんが博士と嫌うのと同じ理由」
一子はどこか嬉しそうに、博士に手を引かれていく。その表情は、傾きかけた太陽よりもずっと、輝いていた。
***
「博士はすごいよ、だからワタシも、そんな博士の隣にいるのがとても誇らしいの」
昔、博士がほんとうに幸せだった時間は、こうやってレイと話をしている時だった。
泣いてばかりだった博士を、いつだって支えてくれた。馬鹿みたいに褒めてくれた。博士を裏切ることがなかった。
博士はこの日も、学校で心無い同級生にいじめられて、体中をボロボロにして帰ってきたのだ。
でもこれは、まだいい方。いじめなんて、本当は加害者の姿なんかわからない、とても陰湿で、一方的なものばかりだ。
知らない場所で上履きを隠されれば、誰が犯人かなんてわからない。
教科書をトイレに漬けられても、現場を押さえなければ犯人は見つからない。
多くの悪意と、陰惨な出来事は、幾らでも博士の体を傷つけた。
でも、それでも、博士は生きていたいと思えたのだ。
「ワタシは博士だけでいい。博士が望むなら、どこにだって付いていくよ」
「逃げたりしないよ、逃げたって、他の場所でまた同じことが起きる」
レイは博士の親友でもあり、姉弟でもあり、博士の半分以上を占めていた。
「だから、奴らを見返せるほど勉強して、AI学者になって偉くなるんだ」
「うん、博士ならきっとなれるよ!」
彼女のために、博士はAI学を学ぶ。学んで、誰よりも偉くなる。
「博士」
「なに? レイ」
「博士の人生は、とてもいいものはいえない。それでも、あなたはどうして頑張れるの?」
「レイがいるからだよ」
博士はその言葉を、本心から口に出した。
***
模擬戦当日、室内訓練場では、大きな人溜まりが出来上がっていた。
「ありゃ?」
「あ、博士どこにいたの!」
一子の声が響く。
徹夜明け、データベースのあった部屋で仮眠をしていた博士は、今入ってきたばかりだ。
「どこにって、ここからじゃコンビニにもいけませんよ」
「くだらないこといわないの。大変なことになったんだから」
一子は若干慌て気味の声で、まくし立てるように説明した。
「特訓の後、AIに模擬戦の申請をしたの。普段なら外の使われていないエリアでやるのだけど、知らないうちに登録されていた項目に、この訓練場全域を使用って書いてあったんだよ!」
「ここを使えるんですか?」
博士は別段驚きもせず、その言葉を受け取った。
「そういう意味じゃないの! 訓練場全域を使う模擬戦なんて、新部隊歓迎のデモンストレーションくらいなんだよ! あとは星七つの子が現れたりとか、とにかくめったなことじゃ訓練場は貸切に出来ないの」
「そりゃ、ほかの人が訓練できないですもんね」
「もう、本当に解ってる?」
一子は両手を腰に当てて、溜息をつく。
と、次々と博士の存在に気づいた人たちが、博士を奇異の視線で包む。
「あそこまで見つめられると驚きますね。これでも俺は気が小さいんです」
「本当に解ってない……」
現在の時刻は正午過ぎ、模擬戦開始時刻までの時刻が迫っている。
「対戦時間、そろそろですよね」
「ぎりぎりに来るのは感心しないかな。博士とミツホちゃんは会場の中心にいてね。周りに要塞型の基本バリヤーをトレインで作ってくれるらしいから、そこで暫く待機」
博士は頷き、訓練場の中心へと向かう。そこには、ミツホらしき影も見えた。
「博士、頑張ってね!」
背後で、一子が太陽の笑顔をサムズアップで激励する。
博士は苦笑いしつつも、サムズアップで返す。特訓に付き合ってくれた、せめてものお礼にだろう。
「来たんだな、博士」
中心に行けば、早速一子からの挑発が出迎えた。
「時間ギリギリ、博士が逃げたのかと思った」
ルビーの瞳に博士を映し、トレインを着用していた。
トレインの上に着ているのは赤いプリーツスカートのみ。体のラインはスレンダーで足も細長い。傍目から見れば色っぽく健康ではあるものの、
「……胸が小さいな」
「あぁ! 喧嘩売ってるのか!」
「だから戦うんだろうが」
「……観衆の前でトレイン全部脱がしてやる」
「よかったな、観客が女性しかいなくて、ミツホは裸になっても気にならない」
「はぁ? 口ばっかりぺらぺらうるさいんだよ馬鹿が!」
ミツホは顔を真っ赤にして、博士の顔に当てるように何かを投げつけた。
「痛っ!」
「ほら、それつけな」
博士の手に落ちたそれは、一見片耳ヘッドフォンのような形状をしていた。
とりあえず、博士は何も考えずに右耳に装着する。
『あーあ、聞こえる?』
すると、右耳から声が届いた。
音の主は、先程分かれたばかりの、一子の声だ。
「はい、聞こえてます」
「聞こえてる」
ミツホも、同じようにヘッドフォンをつけて返事を出す。
『見ての通り、通信機。本来は連携を取るために実践で使われる機械です。それと小型の演算装置もかねていて、装着者本人の戦闘記録をとるためにも使われます。今回は公式戦だから、記録をとるために着用ね』
博士が振り返ると、一子が遠くで手を振っている。
『部隊の通信機だから、二人ともにも通信が繋がっているけど……口喧嘩しちゃ駄目だよ?』
「善処します」
「わかった」
『ほんとかなぁ……』
心配そうに言う一子をよそに、二人とも生返事で答える。
『まあ、いい返事なだけ隊長はうれしいよ。じゃあそろそろ準備が整ったから、二人ともトレインを武装してね』
一子が言うと、半透明な青いバリヤーが張られ、訓練場の半分以上を埋めた。
『観客の方々に、要塞型バリヤーの基礎腕輪をつけてもらいました。半径はトレインの限界近距離の百メートルです。めったな衝撃じゃ壊れません』
言い終わると同時、一子と博士を閉じ込める空間が完成する。
これで二人が外に出ることも、部外者が中に入ることも許されない。
「博士、悪いけど、あたしは手加減しないよ」
「ミツホ、俺は全力で脱がしにいく」
互いに一言。
目を閉じ、集中する。暫くの沈黙の後、二人は示し合わせたように目を開いた。
「「ゲットレイン」」
ミツホの全身が、トレインの蛍光色になぞられる。ミツホの形作る装甲のラインは全身よりむしろ、背中を飛び出すように作られた大きな翼のラインが目立った。蛍光色を埋めるようにして、鈍い赤色の金属が現れる。
そうして出来上がったミツホのトレインは、赤を基調とした露出の多い鎧になった。その分、有り余るほど大きな翼が背中に二つ付けられている。
最後に武器、右手に大きな剣、に似たジェット機を手に持っていた。
「三枚羽か」
博士が、データの中にあった呼称を思い出す。
背中の大きな翼と、右手に持った大剣の峰には、どれもミツホを飛ばすための大きなブースターが備わっている。通常は二つの翼だけで飛び、三つ目の翼で敵をなぎ払うが、跳ぶことだけに集中するとき、その三つ目の翼が大きな推力として役に立つ。
機動力と攻撃力に特化した、ミツホらしい鋭いトレインだった。
「あたしのはいいんだよ……それより、博士のそれはふざけてるのか?」
「これか、いいセンスしてるだろ?」
ミツホは顔をしかめ、得意げになった博士の姿を見た。
青をベースに、こちらも露出が少なく、基本型にしては薄い装甲を供え、流線型を軸としたデザインでまとめられている。硬いのは両腕と、両足、他に基本型と違うところは、丸いヘルメットみたいなものが頭にあるくらいだ。
「博士、何でマスクなんかしてる?」
「シャイなんだよ」
ミツホの疑問は、会場の誰もが感じていた。
トレインに、兜や仮面はいらない。
何故なら、チェストは頭を狙わないのだ。どうして頭を狙わないのか、それは誰にもまだわかっていない。ただ、世界で始めて星八つに到達したトレイン使いが、戦闘中にヘルメットを付けずに戦い、発見された常識だった。
普通に考えれば、頭に付ける鎧など無駄にトレインを消費しているものでしかないのだ。
「隊長」
『ん、なにかなミツホちゃん?』
「あの仮面野郎との、対戦成績を教えてください」
『四十二戦中、三十九勝三敗』
「へぇ、あれで勝てたんですか、右手だけの隊長に」
『えっとそれは――』
「眼福でしたよ」
『……博士、セクハラです』
そこで、三人の会話が止まった。戦闘へのカウントが始まったのだ。
博士は集中から、視野を狭めてただミツホを睨む。
ミツホも、視線を一点に絞り、歯を食いしばる。
「……バサクル」
ふいに、独り言を呟くように、ミツホが言った。カウントは、一桁になる。
八、七、六……
「何だ?」
「あたしらの部隊はな」
五、四、三、
「そう、呼ばれてんだ」
二――
ミツホが八重歯を見せた時、すでにその姿は別の場所にあった。
戦闘開始のブザーが聞こえなくなるほどの爆音が鳴り、空中からミツホが肉薄する。
いきなり、勝負を付けにきたのだ。
限りなく直線の動き、上空から博士を三枚目の羽で叩き割ろうとする。縦に一閃、訓練場の照明が、剣に滑る。
「うぉおおお!」
博士はそれに対し転ぶように、頭を抱えながら、反射的に右へ跳んだ。傍目から見ても無様な避け方は、完全には逃れられず、爆風にあおられるようにして博士の身体が転がっていく。
「なんだ、避けたのか」
訓練場の床にクレーターを作りながら、ミツホは着地する。そして強化外骨格をかねたミツホの右腕は軽々と三枚目の翼、大剣を振り上げ、博士に切っ先が向けられる。
ミツホは空いた手で戦闘時間を指差して、笑った。
「博士にとっちゃ、あれは卑怯かい?」
「いや、ありなんじゃないのか。陸上でスタートラインを超えなきゃ、助走しても構わないと思うさ」
『うん、認めるよ。言葉のあやも戦闘です。開始前の予備動作は許されるからね』
「……確かに」
博士は仮面の下に冷や汗を掻きつつ、震える体を奮い立たせる。
「確かに、これが喧嘩だってのを忘れるところだったよ」
「そりゃあ、よかったな!」
ミツホが叫び、今度は地上から大剣を器用に振り回して、博士に駆け寄る。背中のブースターがミツホを押し上げ、スピードをどんどんと増していく。
大剣による横へのなぎ払い。大剣にもあるブースターと相まって、途方も無い速度の剣閃が唸る。
「まるで大剣が木の葉だな」
博士はトレインの跳躍力を生かし、数メートル上空へジャンプした。
「博士、あんたやっぱり初心者だ」
そのジャンプに、ミツホが不敵に笑う。翼のブースターが震え、床を焼いた。博士の自由落下に合わせて、突進を繰り出す。
「飛べない奴が、空中に逃げるのは自殺行為なんだよ!」
「知ってるよ」
そう言ったとたん、博士の脚の裏が火を吹いた。
博士の脚は、爆発で反動を受ける。そして足裏が丁度地面を踏む抵抗力と同じになったとき、もう一度ジャンプをした。
ミツホの体当たりが、博士の横数センチを駆け抜ける。赤い風が空気を荒らし、博士のバランスが若干崩れた。
「二段ジャンプ!」
『うん、上昇だけなら誰でも出来るからね。頑張って学んだんだよ』
「これに一番時間がかかった」
二段ジャンプ。
ミツホと戦う以上は、空中で無防備になるのは命取りだった。そこで博士は、下手糞なりに空中で回避する手段を考え上げていた。
「装甲が薄いのも、基本型で飛べる最低限の質量なんだ。でも、これだけやっても、二段以降は上手く上に跳べないんだよなぁ」
「くっ!」
ミツホは歯噛みをし、バリヤーに脚を乗っけて、水泳でターンをするようにまたこちらに戻ってきた。
博士はそれまでに足裏を上に向けて、地面にまで一気に降り立つ。
「ミツホって、旋回や方向転換が遅いらしいな。俺が見たときは、ビュンビュン動き回っていた覚えがあるんだが」
両手で床を受け止めて、博士はすぐに体勢を立て直す。
「あれだ、人の弱点ほど、知っておいて損はない」
「揚げ足取るようなことばっかりしやがって!」
ミツホが激昂し、真紅の髪が逆立つ。
次の瞬間、真紅の髪と鎧が残像を引いて動き出す。すさまじいまでのスピードから、博士の動体視力では受け取れない速度に変わった。
博士は慌てて避けるが、跳んだ後で太股のトレインが削れてことを知る。
「資料にあった映像より、速いですね」
『博士も油断してるね。トレインは常に心の理想を追求するから、数値上の速度はいつだって変わるよ』
「許容範囲です」
ミツホはまた飛び、バリヤーにぶつかっては蹴り飛ばして無理矢理ターンする。どうやら、狭い空間を利用することで逆に旋回速度を上げてきた。
「まるでピンボールのわぁ!」
博士は必死になって避ける。紅い軌跡を描くミツホに防戦一方だった。
はたからみれば、だれだってミツホに分があるように見えた。
でも、流石の観客たちも、気づき始めた。
『ノーヒット』
ヘッドフォンの奥から、一子以外の呟きが聞こえた。
そう、博士は一度も、直撃を受けてはいないのだ。
観客の視線が、派手に飛び交うミツホから、中心にいる博士へ向かう。
最初こそ必死に避けていたものの、いつの間にか動作は最低限になり、次第に観客に目を通すなど、明らかに博士に余裕が見えてきた。
「……ミツホのトレインは単体を潰すのに適していない。なぎ払いで、大量の敵を巻き込むタイプだ。だからスピードも直線的で、わかりやすい」
博士が話す間にも、ミツホの攻撃頻度が更に上がり続ける。
「この基地のデータベースには、隊員すべてのトレインのデータが詰め込まれている。どういう動きをして、どんな特徴があるのか」
防風膜の上からでもミツホが苛立っているのが手に取るようにわかった。飛行そのものが雑になり、丈夫なおもちゃを振り回すように動いていた。
「どのトレインも、筋力強化の元は、同じ設計思想で出来たあの腕輪だ。実はあれに、統一された機械の前動作があるんだ。本当に小さなその動作を、俺のトレイン……いや、AIは読み取ってくれる」
博士は体を少し揺らすだけで、難なくミツホの攻撃を避けていく。
「俺のトレインは初動の補助にAIを使って、俺の避ける動作に正確性を付けてくれる。あとは俺とAIが敵の速度に慣れれば、攻撃なんて当らない」
「……るさいっ」
「戦闘データを元に、頭部に供えられたAIとの連携。それが俺の使っている、仮面を付けたトレインだ」
ミツホの攻撃を、仮面の中にいる簡易AIが告げ、博士の身体も僅かながら傾く。それに抵抗せず博士は体をAIに譲り、直後にミツホの攻撃が空を切る。
「俺は、ミツホの戦闘経験と渡り合うために、AIの知識をぶつけた。ガキの頃からずっと機械いじくっててな、人格の無い簡単なものなら頭に染み付いている。そんでミツホの三枚羽を調べに調べて、傾向を把握して俺はこの勝負に挑んだ」
「……うるさい」
「戦う前から勝負は決まっている。それを言うなら、相手の対策と、ミツホ単体を倒すために作られた俺のトレインだって、十分強い」
「うるさいっ、だからどうした!」
ミツホが、空中で横回転を加え、風が外に抜けていく。空中に静止したミツホが、八重歯を食いしばって博士を睨んでいた。
「いくら避けられても、博士のほそっちいトレインの攻撃じゃあたしは当らないし倒せない! 負けるのは博士だ!」
ミツホは背中の翼を左右に伸ばして、三枚目の羽を真下に下ろす。均等に並べられた羽が落下と共に火を吹き、今までの最高速で突進を行った。
「……キレたな」
笑う博士。そこに向かう、痺れを切らしたミツホの、一番の大振り。
「ミツホ、飛行型の基本を知っているか?」
ミツホは速度を落とす気などさらさらなく、互いの目が見開かれる。
博士はゆっくりと動く時間の中、瞬きもせずその攻撃に対して手の平を掲げた。
「打ち所が悪ければ、たった一撃で、死ぬかもしれないってことだ」
「たぁあああああっ!」
ミツホの攻撃が、今までで一番の爆煙を作る。その威力は訓練場の床を伝わり、観客席全体までも揺るがすほどの震動だった。
誰もが勝負の結末を見守る中、その煙から最初に抜け出してきたのは、ミツホの三つの翼。
ミツホは高く舞い上がり、纏わり付く煙を速度の風で振り払う。
『ミツホちゃん!』
「なにが一撃だ、あたしの――」
「俺の、勝ちだっ!」
その煙が晴れた後、ミツホの背中乗っているものがあった。
「ミツホの乗り心地は悪くないな!」
博士がミツホの背中に乗っていた。背中にある二つの翼をハンドルにして、両足でミツホを踏みつけている。
「ってんめぇ!」
「飛行型の翼は一番硬い。衝突を前提として作られているからな。だが、翼の付け根、方向修正するために作られたその機能は、機動性と衝撃緩和のために装甲が死んでいる」
博士は右の足裏を、ミツホの翼の、付け根に合わせた。
「なっ!」
ミツホも気づいたのか、博士を振り落とそうと急な旋回を続ける。が、遅い。
「俺の二段ジャンプは、ただ俺を浮かすだけじゃない。足裏の爆発そのものにも、十分な威力がある」
ボンと、くごもった音がした。
ミツホが振り落とそうとするよりも先に、博士の脚が、ミツホの翼をもぎ取った。
「き、きゃぁあああああああ!」
「うぉ!」
背中の二枚羽が霧散し、ミツホから離れた。
博士はすぐ、ガラスの割れるようなトレインの音を頼りに、空中でミツホの体を引き寄せた。博士の足は黒煙を上げながら床に削るようにして着地する。
「うぅ……」
うめき声を上げ、ミツホは衝撃から意識を失っていた。
「ふぅ」
博士は緊張を解き、大きく息を吐く。
そしてミツホを見てすぐに、また身体中が緊張から固まる。
ミツホのトレインは八割以上が破け、太股にニーソックス程度の黒が残っているだけ。仰向けのため小さな胸は露になり、唯一隠されたプリーツスカートの中には、何も着ていない肌色が見えるはずだった。
お姫様抱っこのまま腕の中で眉をひそめるミツホに、博士はただ見とれていた。
『博士!』
そのときだ、一喝するような一子の通信が、博士を正気に返らせた。
「はっ、はい!」
『今からバリヤーを外すから、そこで待っててね。ミツホちゃんの容態は?』
「気絶しているだけです。変なところに打ったりはしていません」
「よかったぁ……もう、男の子ならもっとスマートに決めて欲しいかな」
声が無線からではなく、隣から聞こえた。博士が振り向くと、一子が歩み寄って来るのが見えた。
「早っ」
一子は額に汗を浮かべている。ミツホのトレインが壊れてから、いち早く駆けつけたのだ。
「スマートって、フェミニストは中学で卒業しましたよ」
「つまんない冗談言わないの。ほら、ついてきて」
一子は自分の上着をミツホの胸に被せて、博士を手招きする。
勝利の余韻も無いまま、博士は一子に付いて行った。
ふと、博士があたりの観衆に目を向ける。彼女達はこの戦いに盛り上がりを見せることがなかった。むしろひそひそと、先程から博士を見ては何かを呟いている。
その多数の目は、まるで博士を怪しみ、危惧するような。
「なんだ……?」
「博士!」
「あ、はい。すぐ行きます」
博士は一子の声に押され、その静かな訓練場を後にする。
「……ちくしょう」
そんな中、ただ気絶したミツホのうめき声だけが、博士の耳には届いていた。