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てきせい

「はい、私と博士の対戦履歴は、一勝〇敗」


 人差し指で一と零の数字を作って、一子は景気のいい笑顔で言った。

 博士は大の字で仰向けになって、一子を見ている。

 敗者のトレインはズタズタで、胸に続いて上半身の殆どが失われている。


「はいこれ」


 一子の左手には、どこからか持ってきた真新しいトレインが握られていた。


「幾らでもあるから、どんどん破っちゃって」

「無駄遣いしてもいいんですか?」

「無駄遣いは駄目だけど、実はトレインってすっごく安いの、量産も整った今だと、拳銃一式そろえるよりも安いんだって。それで人によっては戦闘機よりも強いんだから、これが主流になるよね」

「トレーニングやめにして、トレイン保存した分を食費にしてくれません?」

「できたらやってます」


 博士はしぶしぶ、トレインを受け取る。

 一子はそんな博士を見ながら、頬に手を当てて溜息をついた。


「トレインの基本形態には筋力補助も付いているの、見て反応する能力。特別な技術も必要ないから、センスのいい子はすぐに覚えるんだよ。それにこの技術は、戦闘では必須スキルなんていわれているの」

「俺は逆上がりにも一週間掛けて諦めた男です。それなら、この反応する能力を使わない戦い方は無いんですか?」


 博士は言う。


「あ、もしかして銃撃型とか、他の型を考えてる?」

「後衛なら安全な気も」

「む~……じゃあ、ついてきて、他の型を見たほうがいいよね。まず銃撃型は、野外の訓練所でやることになってるの」


 一子が体を翻して、別方向に歩き出す。それと同時に、一子の右手にあった鋼鉄はまた緑色のラインを引いて、武装の時間を巻き戻すように元に戻った。

 博士も立ち上がる。一子のゆらゆらとゆれるまとめ髪に、釣られるようにして付いていった。



 射撃場は、生い茂る森の中を一区切りだけ抉ったような平地にあった。

 数人の女性が射撃位置と定められた場所に立ち止まり、遠くの標的に小銃を合わせている。


「射撃型トレインの特徴を言うね。後衛から、基本型や要塞型を援護する役割があります。弾は実弾と熱線の二種類。死亡率は全タイプ中で一番です」

「後衛から、射撃しているのに死ぬんですか?」

「射撃をしているからなの」


 一子は一番近くに見える、とある少女の足元を指差した。

 見ると、射撃しているだけでトレインが破け、太股が覗いていた。


「射撃型の長所であり最大の弱点、遠距離であること。トレインはね、百メートル以上作った人間本体から離れると、トレインが破ける特性にあるの。弾丸を撃つたびにトレインが壊れるから、余計な装甲をつけることもできないし、拳銃だって強いのを作ればそれだけトレインを圧迫します」


 一子が言い、博士が他の女性を見回す。

 他の銃撃型トレインを見ると、銃口が大きいもの、盾を付けて小さな銃を持つもの、それぞれが一発撃つたびに、破けるトレインの規模も違った。


「コストパフォーマンスが難しいこと、そして銃撃型が一番少ない理由は、チェストの物量があるから」

「物量、人類の三倍いるってあれですか?」

「たくさんの中から、チェストが一体でも前衛を突破すると、装甲の少ない銃撃型は常に命の危険が付きまとうの。でも弾数は限られる。引き際にコスト、センスが一番要求される戦い方かも」

「センス……か」

「それに、トレインは基本複数持ち歩けません。誰も着ていないトレインスーツは、電気のアースみたいに装甲を散らす恐れがあるからね。たまに厚袋に持ち歩く人もいるけど、危険な賭けだね。センスが必要かな」

「センス……」


 熱線射撃の余熱が、博士の肌を撫でた。


「あ、ほらあそこ、ふたばちゃんがいる」


 ふと一子が、射撃位置の一角を指差した。

 そこには、ひときわ目立つその容貌と装備を固めた、ふたばがいた。

 ふたばの両手には、彼女の身長ほどもある巨大な大砲がぶらさげてある。あれだけの大砲を持った人物は、周りの訓練生にはいない。そして、姿にも個性が出ていた。

 鎧を、まったく着けていないのだ。

 ふたばは精巧に作られた彫像の如き肉体を、トレイン一つで包んでいる。ズボンも短パンも穿いていない。

 博士はその姿に見とれてから、感想を述べる。


「ちょっと嬉しいけど、危ういですね」

「ふたばちゃんはね、あの大きな銃の弾数を揃えるために、装備一式を完全に無くしているの、極端だけれど、ふたばちゃんらしい考えかたね」

「でもあれって、近づかれたら終りですよ」

「そう、でもふたばちゃんは今でも生きている。引き際と状況を直感で知っているの。下手をすれば、一番生存率の高い銃使いかもしれないよ」

「すごいと言うか、なんというか」

「博士には無理?」

「だと思います」


 博士は、どうして一子が銃撃型をお勧めしないのか納得した。


「あんなの、ヤマ勘と一緒じゃないですか。ヤマを張った場所以外眼中にない。彼女はそのヤマを緻密に分析して、受験を百点で合格するタイプだ」

「不思議だよねぇ」


 一子は空を仰いで呟く。彼女にも理解できない領域だったようだ。

 と、ふいに二人の背中から突風が吹きぬける。


「な、なんだ!」


 博士は驚き、たたらを踏んだ。


「これは飛行型が、空を飛んでいるの」


 一子はおでこに手を掛けて、目元に影を作る。

 すさまじい速さで飛びぬけていたそれは、飛行型の集団だった。基本型の数倍の速度で、何機かが空を駆け抜けていった。


「あれは姿勢制御と、正面の防風障壁を覚えないといけないかな。ブースターの噴射には体温を一定量使います。飛行型は素早く強いけど、欠点の数が多いの」


 飛行型。あのミツホは、飛行型のはずだ。

 博士も一子に習って空を仰ぎ、飛行型の集団を目で追う。


「一日じゃ無理ですか?」

「どうだろう、上空に飛び跳ねるくらいは出来るけど、あそこまで自由には飛べないかな。それに、飛行型は落下で死んでしまう人が多いし」

「そりゃ、飛んでますからね」

「そうじゃなくて。飛行ギミックそのものが、トレインの容量を半分以上消費するの。下手をすれば、敵のたった一撃で飛べなくなることだってあるんだよ」


 飛行型の面々は空中でダンスでも披露しているのか、互いに交錯しながら上昇し、八の字の飛行機雲を描いてから左右に割れていく。

 衝突すれば危ういバランスの中で、飛行型は常にそれを強いているようだった。


「ちなみに、一子隊長は何型ですか?」

「私? 私は可変型、二つのタイプを使い分けるから、数あるうちの二つをちゃんと精錬しないといけない。難しいよ」

「やっぱり、他のはやめたほうがいいですか?」

「うん、とりあえず基本型だね」

「……そうですね」


 博士は納得した。


「すみません、面倒な説明までさせて」

「いいの。隊長たるもの、部下の要望を聞かずして――」


 と、一子が言葉を止める。

 見上げていた空に、見知った姿を発見したようだ。


「あ、ほらあれ、ミツホちゃんだよ」


 指差して、一子はぴょんぴょんと跳ねながら言った。


「どこで――」


 博士は、一子の指差す方向に視線を合わせて、


「きゃ!」

「うわぁ!」


 轟音と共に、飛行型のひとつが地面スレスレを飛んだ。

 博士は最初に受けた以上の爆風を浴びて、尻餅をつく。木の葉と砂煙が舞い上がり、立ち止まる体を叩く。目に砂も入った。


「いたた……」

 腰をさすりながら、博士は跳んで言った飛行型を探す。

 すると、丁度博士たちに見えるように背の羽を向けて、小さな影がゆっくりと旋回しているのが見えた。


「……ミツホちゃん」


 一子が低い声で、ぼそりと呟く。

 どうやらトレインを纏ったミツホが、挑発するように博士の上空を通り過ぎたのだ。

 それに巻き込まれた一子は、髪がぼさぼさになっている。博士は後ろから一子を見ているが、微動だにせずミツホの去っていった先を見ているようだ。


「た、隊長?」

「戻りましょう、時間もあんまり無いから」

「は、はい!」

「理由があって仕方ないとはいえ、私まで巻き込んで……隊長たるもの、あとでお仕置きしないと……」


 一子は、まさに軍人といわんばかりに背筋を伸ばし、きびきびと訓練場の室内に帰っていった。

 博士は従者のように、腰を低くして付いていくだけだった。



「うん、私との対戦履歴は、十二勝〇敗」

「む、むりちょん」


 赤い日差しが館内を照らす頃、博士はまた大の字になって訓練場の床に倒れた。

 息も絶え絶えに、博士は額にびっしりと汗を溜めていた。

 対する一子は、片手一本のトレインだけを武装して、最初に着用したトレインのまま涼しい顔をして立っている。夕陽が一子の体を照らし、滑らかなラインに陽光が滑る。


「う~ん、やっぱり博士に基本型はあわないのかなぁ」


 息一つ乱していない一子が、顎に手を当てて首をかしげた。


「う~ん」

「な、なんで、隊長は息切れしていないんですか?」


 かすれた声で、博士は聞いた。


「あ、ごめんね。トレインは活動に体の熱を使うの。その中でも一番、トレインを具現化する瞬間が熱量を消費するからだと思う」

「何度も変身し直している俺が、一番疲れているというわけですか」

「博士って、スポーツは何かしてた?」

「理系です。けんすいを一回やるのに日が暮れたこともあります」

「運動神経は関係ないんだよ。自分に合った理想の武器を作る。それがトレインの基本概念なの。最強の兵隊が最強の武器を持つよりも、その兵隊の理想を形作った武器の方が、使いやすく強いって言う考え方ね」


 一子は重い頭を支えきれなくなったみたいに、更に首をかしげて唸る。


「だから、たぶん博士にも使いこなせるタイプがあると思う。もしかして、さっき他のトレインを見たがっていたのは、基本型じゃない何かを深層で求めていたのかもしれないけど、う~~~~ん」


 一子は、間違って苦いものでも食べたような顔をして、真剣に悩んだ。


「その程度でへばるんだから、博士には無理なんじゃないの」


 ふと、博士の耳に、強く吹きぬける声が届いた。

 一子もそれに気づき、振り返る。


「む、ミツホちゃん?」

「……隊長、なんでこんな奴育てるんですか?」


 ミツホ、博士を助けてくれたあの彼女が、そこにいた。博士を切り捨てろといわんばかりの口調で、顔をしかめながら。

 どうやら、いつからか博士たちの訓練を見ていたようだ。


「こんな奴って、俺の博士ってあだ名は、ミツホさんが付けてくれたんじゃ」

「……こいつ、犯罪者なんだぞ」


 ミツホは明らかに不機嫌な顔をして、口から覗く八重歯と赤い瞳で博士を睨む。


「俺は無実です」

「どうだか」


 疑いと軽蔑のまなざしで、博士を見る。


「そんなこと言わないの、私はこれでも期待はしているのよ。それに博士を助けたのは、他でもないミツホちゃんじゃない」

「そ、そんなことは関係ない! あたしは――」

「あたしは?」

「うっ……」


 一子の真っ直ぐな瞳が、ミツホをたじろかせた。その瞳は透き通って、心の後ろめたさまで見えてしまいそうだ。


「ミツホちゃんがそんな気持ちになるのも解るよ。でも、こんな陰口みたいなこと、誰も嬉しくないよ」

「わかってる。でもあたしは、みんなほど割り切って行動できないんだ」


 ミツホは桜色の唇をかみ締め、一子から目をそらす。

 博士の知らない、博士を嫌う理由が一子にはあるようだ。

 気まずい沈黙が、時間を埋めた。


「あの、ミツホさん?」


 そんな時間がいたたまれなくなって、博士は諸手を挙げた。


「……」


 無視される。


「俺が、何か悪い事しました? したのなら謝ります」


 博士がそういうと、ミツホが猫のような尖った瞳で睨んだ。

 しかし、それに気づいた一子が、ミツホを戒めた。


「ほら、ミツホちゃん」

「……あたしが悪かった」


 本当にぽつりと、博士に聞こえるか解らない程小さなこえで、謝罪した。

 一子はそれで、一旦は満足そうに頷く。

 悔しがりながら、憤りを隠せないミツホが両手を握り締めている。

 博士には、この会話の意図が、全くわからない。

 どうして博士は、ミツホに嫌われているのだろうか。


「はい、じゃあこの話はお終い。まだ私達はトレインを使うけど、ミツホちゃん手伝ってくれる?」


 一子が両手を叩き、パンと小気味のいい音を立てて、話が終わった。

 ミツホは首を左右に振り、一子の提案を断る。

 結局、解らずじまい。

 博士も諦めて、何着目になるかわからないトレインを取りに行こうとして、


「おい」


 ミツホが、嫌っている博士に声を掛けた。

 おそるおそる、博士が振り向く。


「な、なんでしょう?」

「落ちたぞ」


 ミツホの手に握られているのは、ペンダント。

 それは博士が、半ズボン以外に着用していたアクセサリーだ。これだけは外せないと言い、トレインの上にぶら下げていた。どうやら戦闘中に、床に落としてしまったようだ。


「ああ、すみません」


 博士が手を出す。

 ミツホは、そのペンダントを投げてよこした。

 その瞬間、少しだけ博士が、むっとした表情になる。


「投げないでもらえますか……」

「ふん」


 もちろん、ミツホは意に介さない。


「たしかに、落とした自分も悪かったか……」


 博士が言う。それだけこのペンダントは、博士にとって大切なのものだった。

 言ってしまえば、博士にとっての、レイそのものなのだ。


「たしかそれ、博士のお守りなんだっけ?」


 興味本位から、一子が聞く。


「はい、ガキのころからずっと――」

「……くだらない」


 その時だった。

 ただ一言、ミツホが会話に混じってそう呟いた。

 博士の話に割入る気もない、ただ会話の中にまじったノイズのようなものだ。

 普通の人間なら、苦笑いでもしてお茶を濁す。

 理屈を基に行動をする博士なら、その対応で終わるはずだった。

 だが、その言葉を博士は聞き逃さなかった。聞き逃すわけにはいかなかった。


「くだらないって……何が?」


 博士はつとめてやさしく、でもはっきりと声に出した。


「お守りなんて何の役にたつ、ガラクタと一緒じゃないか」


 ミツホは、さして気に留めもせず、溜息とともに吐き捨てた。

 苛立ちを乗せたその台詞に、少なくともミツホ本人にはたいした意味などないのだろう。


「あんたには、そんなものしか、残ってないんだろうけど」

「……おい」


 でもそれが、博士には許せなかった。

 博士の中で、ぷっつりと何かが切れた。


「な、なんだよ」


 ミツホの赤い瞳が、何か予想外の物を見るように、怪訝な表情になる。

 博士の表情が、明らかに険しくなっていた。


「俺を馬鹿にするのは構わない。明日死ぬかもしれない人間に、本当のことを言うのも問題ない。でも――」


 一息入れるよりも先に、博士はミツホの前に迫り胸倉を掴んだ。

 一子が止めるまもなく、博士はただミツホを睨んだ。

 ミツホはその挑発的な態度に一度はたじろくも、すぐに犬歯を除かせて博士の腕を掴み返し、もう一方の手で腹を殴った。

 博士は痛みに顔をしかめるが、耐えるように歯を食いしばって言った。


「でもな、何も知らないお前が、知ったように人の大切なものを馬鹿にするな」

「知るかよ!」


 言い終わると同時に、ミツホは博士をもう一度殴り、さらに背負い投げで床に叩きつける。


「がぁっ!」


 博士が、苦悶の声を上げた。


「ミツホちゃん!」

「隊長、あたしは売られた喧嘩を買ったんだ。理屈じゃやめた方が勝ちなんだろうけど、言われっぱなしじゃあたしは納得しない」


 元々喧嘩っ早いのだろう、ミツホは倒れた博士を蹴り上げようと足を上げた。

 博士はその足を掴み、上品とはいえない耐性で、押し倒した。


「仲良くしようぜ、俺は頭の悪い女は嫌いじゃないんだ」

「このっ、頭が悪いのはお前だ馬鹿野郎! あたしは馬鹿じゃない!」

「俺はあんたが馬鹿なんて言っちゃいない。ただ馬鹿があんたに似てるんだよ」

「だから馬鹿はお前だ馬鹿!」


 ミツホは倒れながらも、もう片方の足で博士を蹴る。博士も負けじと、足を持ち上げて立ち上がろうとする。

 小さな衝突が、どんどん大きくなった。

 いつの間にか喧嘩になっていた。取っ組み合いが解かれ、互いが同時に立ち上がり、睨み合う。

 博士は、蹴られた顔に脂汗を流して。

 ミツホは、まるで猫目のように瞳孔を尖らせて、笑う唇には犬歯を乗せて。

 博士はもう、理由の解らないミツホの無遠慮に耐える気はなかった。

 ミツホは、元々博士と仲良くしようともしなかった。


「あの言葉、訂正しろ」

「ぼこぼこにしてやる」


 互いに譲り合えなくて、譲り合おうともしないから、決着が付くまで終わるはずがない。


「すとっぷ」


 と、そんな空気を裂くように、一子が二人の間に立った。


「ここまで、二人とも喧嘩は許しません。隊長命令です」

「そんなこと言ったって、野暮ですよ。相手も同意しているんですから、決着が付くまでやらせてもらいます」

「あたしは負けない」


 二人とも、聞く耳持たず。

 そのまま、博士とミツホは合図もなしに飛び掛って、


「だから、隊長の言うことは聞くものだよ」


 一子の言葉と共に、博士の世界が一回転した。


「……え?」

「あっ!」


 博士の情けない声と、ミツホの何かに気づいたのか声が響く。

 びたんと肌に響く音を立て、二人仲良く床にたたきつけられた。


「うん、隊長を困らせないで欲しいかな」


 二人をたたきつけた犯人は、一子だった。

 一子が二人の首根っこを右手左手で掴んで、床に押し付けている。どうやら一子は、まったく同じ要領で、二人同時に床へたたきつけたようだ。

 博士は暖かい手の感触を首に感じながら、頭と目を動かして正面を見る。

 正面を向くと、すぐ隣で叩き付けられたミツホも頭を持ち上げようともがいていた。そしてミツホの瞳と、タバコ一箱分くらいの距離で向き合った。


「体が、うごかなっ!」


 博士は視界いっぱいにミツホの端正な顔立ちを見るが、今の状況ではまったく嬉しくなかった。

 ミツホは目が合った瞬間、フーッっと唸って博士に威嚇を始める。


「だめだよミツホちゃん。もしその唸り声をやめないんだったら、このままスライディングして博士とキスさせちゃうから」


 すぐにやめた。

 変わりに、じっと口を閉じて射殺さんと睨みつけ始める。


「俺も好かれたもんだ」

「は?」

「博士も挑発しない。私ね、実家に弟が三人もいたから、押さえつけるのは得意なの。でも隊長も乙女なんだから、こんなことさせないで欲しいかな」

「これで乙女ですか」

「握力でリンゴ割れるくせに」

「な・に・か・い・っ・た?」


 ギリギリと、一子の腕に俄然力が篭る。


「余計なこといいやがって」

「博士のせいだ」


 二人とも、頭がプルプルと震えている。

 一子は強かった。彼女は素手で二人を抑え込むだけの力があり、片手で全身トレインの博士に勝てるのだから。


「二人とも、落ち着いた?」

「「……はい」」


 ひと時の沈黙を置いて、二人同時にぐったりとした声で答える。それを聞いて満足したのか、一子が二人を解放する。

 ミツホは床に伏し、訓練場にルビーのような長髪が散らばる。

 博士は体を震わせ、ちょっとだけミツホの長髪に見とれる。


「仲良くなれないのはわかりました。でもこれではいけません」

「仲直りをしろと、誓いの抱擁でもするんですか?」


 一子は首を振り、唇にうっすらと笑みを浮かべる。


「むしろ、本格的な喧嘩しちゃいましょう」

「……はい?」


 一子の素っ頓狂な答えに、博士は唖然とした。一子はかまわず説明を続ける。


「仲直りをしろといって、どうにかなった試しなんてありません。それならば、むしろ喧嘩して喧嘩して、河原で一緒に倒れるくらいが丁度いいと思うのね」

「でも、さっき喧嘩を止めましたよね?」

「あんな突発的なのは駄目、やるならこの訓練場にはぴったりの方法でね」

「訓練場の方法?」

「トレインの……模擬戦だよ!」


 ミツホはその言葉を聞いて、ピクリと反応する。

 模擬戦。その台詞を聞いて、博士が首をかしげる。


「そんなもの、あるんですか?」

「あります。ルールは簡単。互いが一対一になって、トレインで戦うの。トレインの製作事情で顔は狙っちゃ駄目だけど、それ以外は何でもあり、時間制限もありません。今から申請すれば、明日の午後にはできるよ。何か質問は?」


 ニコニコと、もうやることが決まったかのように一子が話す。

 ミツホは何か会得したような顔で、不敵に笑った。

 博士は考える。

 たしかに、博士はミツホと決着を付けるべきだ。あんな状況でほとぼりも冷めず、これからの関係にも支障をきたす。

 でも博士は、その戦いに欺瞞を言わずに入られなかった。


「俺……まだトレイン使って一日目ですよ」

「うん、知ってる」

「それでも、トレインで戦えと?」

「基地には基地のやり方があります。もしここが学校なら、テストで勝負をしたかもね」


 博士は理屈では納得している。軍の土俵ならば、力で優劣をつけるのは正当で、何も間違ってはいない。


「でも、それだと――」

「負けるのが、怖いんだろ?」


 ミツホが真紅の髪をなびかせながら立ち上がる。


「しゃあないよな、博士はまだヒヨッコの一日目なんだからな」


 ミツホが言う。それは明らかな、挑発だった。

 理屈上で考えれば、博士は絶対に勝てない。この勝負を、受けるべきではない。


「くだらな――」

「受けてやるよ」


 博士が、啖呵を切った。


「金も寿命も期待できない俺でも、ここで逃げたら自分が許せなくなる」


 博士は自分のペンダントを握り締め、ミツホに言った。


「ミツホ」

「呼び捨てにするな」

「ミツホ、お前には負けない」

「……ふん」


 ミツホは翻り、訓練場を立ち去ろうとする。


「明日……明日絶対に博士を泣かす」

「うれし涙なら、いくらでも流してやるよ」


 ミツホはフルフルと背中を震わせ、それでも耐えて訓練場を吹き抜けるように走っていった。揺れる真紅の髪に、陽光が何度も滑って輝いた。


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