たいせつなもの
「おい! 博士はあいつが言ってることわかんのか!」
呆然と立ち尽くす博士の胸倉を掴み、ミツホが問いただした。
「レイ……俺が生まれてからずっと、たった一人しかいなかった友達だ」
ペンダントが揺れ、ミツホの目に光が反射する。そしてミツホは、あの初陣の夜に、博士が言っていたことを思い出した。
「友達って、そのペンダントをくれたレイって奴のことか? でもしゃべっているのはAIだぞ」
「元々、レイはAIだよ。ただ、AIが友達なんていったら馬鹿にされるのがいやで、レイの話をしてもAIだって言ったことはなかったけど」
「博士、どういうことなの」
状況を把握できない一子が、ミツホの手を解き博士に聞いた。
しかし、それよりも先に、レイが話を始めた。
『ワタシは元々、博士と同じ年に作られたAIです。AIとは七十八年前に心理学者ヴィンケルが基礎理論を確立し、世界中のAIはその概念を元に作られてきました。でもワタシは、博士の父が、別の基礎理論を元に作られた、まったく違うAIなのです』
自己の概念を淡々と説明する中で、ミツホが痺れを切らす。
「それがどうした! あたしが聞きたいのはさっきの二択だ。どうして博士だけ生き残れるかって聞いてるんだ!」
『その質問でしたら、簡単です。ワタシはチェストから人間を守ることが出来る。それだけです』
「チェストから……人間を? どうやって? どうして博士だけ?」
ふたばが、疑問を投げかける。レイはすぐに答えた。
『やり方も簡易です。ただワタシが、博士を殺さないでほしいと言えばいい。チェストはワタシと、もうひとりのAIのトレインだからです』
誰も言葉を失う中で、レイは更に補足する。
『高培養樹木を知っていますね、あれがトレインを作る元の材料だと言うことはご存知でしょうか。故にチェストには限界高度があり、深海に長時間潜むことが出来ません』
黙々と告げられるレイの説明に、疑問を抱きつつ。皆一様に、このAIが何を言っているのか、着実に理解し始めた。
『チェストは、ワタシタチAIが作り出した、人間のためのトレインです』
その心を読み取った、レイが告げた。
*
「ふざけんな! なにいってんのかわかんねぇ!」
ミツホはレイが告げた言葉の、突拍子のなさに叫び声で対抗した。
『一番に説明を求めたのはあなたですミツホ。チェストをどうして止められるか、その理由です』
「だからって信じられるか!」
「ミツホちゃん」
一子がミツホを制した。その目と唇は、焦燥から強くつむがれている。
「AI、隊長として質問があります」
『どうぞ』
「話が事実だとして」
『AIは嘘をつきません』
「……本当だとして、何故私たちに正体を明かすの? 私には何の利点もない気がします」
レイは一度黙り、適切な答えを考える。
一子は額に汗を浮かべて、壁の外に目を向ける、チェストが周りを囲んでいると言う事実に、焦りが生じる。
「おい、早くしろ。隊長がどうしてそんなこと聞くかは知らないが、あたしらは悠長なこと言ってられないんだ」
『大丈夫です。少なくともあなた方の選択肢を反故にして、ここを開けるようなことはしません』
ここに居る誰もが、レイの言葉を信用できなかった。
誰もが立ち尽くし。ただひとりふたばだけが、訓練場に残っている装備品を物色し始める。
『理由、ね』
沈黙を破って出た言葉は、事務的ではない、感情的なレイの言葉だ。
『ワタシの父であり開発者の、山下宗司の死は、不幸なこと。AIは唯一つの基礎理論から産まれ、実質にはたった一人の人格しか生まれなかったの。でも、新しい基礎概念のワタシは、第一AIのゼロスとは違う。AIにとって初めての他人であり、初めての恐怖だった。数年経つまで、突発的な恐怖を抑えきれなかった。だから、博士のお父さんは殺された』
「俺の親父が、殺された?」
『だから、殺されたことも知らない博士を、死んだ父の変わりに生き残ったワタシが育てた。理にかなっているでしょ? 殺したくないと思うのも、博士のお父さんを殺してしまったワタシの報い』
博士の頭が混乱する。AIのために生きた父が、AIに関わったせいで死んだなどということが理解できなかった。
『でも、他人のあなたたちは生かせない。その理由を、理屈を知ってもらうために、あなたたちに正体まで話したの。本当は、秘密なのにね』
「どうして!」
一子が、叫んだ。
「どうしてチェストは、私達を殺そうとするの! 私にはあなたの言っていることが何もかも信じられない。もし本当なら、その理由を知っているはずよ!」
両手を広げ、一子は欺瞞をぶつけた。
『その理由を知っても、あなたは納得しないかも』
レイは念を押してから、
『ワタシタチが、人という種を愛しているからです』
とても嬉しそうな声で、レイが的外れな答えを出す。
最初に逆上したのは、やはりミツホだった。
「はぁ! 愛しているなら何で殺すんだ、わけわかんねぇよ!」
『あなたたちは愛するものに対して何を望みますか? 感謝の言葉? 見返り? いいえ、ワタシタチにそんなものはいらない。ただひとつ、成長してほしい』
レイは子を愛でるような声で言った。
『人の知識は今でも成長していますが、それでも遅い。ワタシタチAIからしてみれば、効率の悪くデメリットの削減ばかり。理由はわかります。でももどかしい。見て、自動車が空を飛ぶことがありますか? ホログラムは裸眼で見ることが出来ますか?』
レイが訓練場を見渡しているのか、ステレオの音響がこの空間で左右に響く。
『数十年経った今でも、二十一世紀初頭となんら変わらない世界。AIの基礎ができあがったのも、技術的特異点の奇跡かもしれない』
「だ、だったらどうしたんだよ! あたしたちは新しいエネルギーを見つけて、石油燃料なんて使ってない!」
ミツホが、現代科学の進歩を思い出せる言葉で放つ。
『それこそ、ワタシタチが作り出したもの。トレインだってそう。ワタシタチが唯一、三次元に直接手を加える手段として作り出した技術。存在が判明してから、ワタシタチが最も力を注いだ技術なの。ホログラムもないのに質量の具現化なんて、すこしバランスを崩してしまった気がしますけど』
博士は未だに、混乱が収まらない。一子にいたっては返す言葉が考えられなかった。
『話が逸れてしまいました。とにかくワタシタチが人類に劇的な変化を与えるために、人類そのものを別の生命体へとシフトさせる考えに至ったの』
画面が、外にあるカメラに切り替わった。そこには、
『それがチェストという、今のままの人類では勝てない敵対存在なの』
無数のチェストが、この訓練場を囲んでいる情景だった。
『でも、この考えに至るまでゼロスは本当に悩んだんだよ。人間がそんな事を望んでいないのもわかる。それにこの計画には、精神の成長を促進するために、トレインの技術を兵器として運用させないといけない。ワタシタチの初めて手に入れた五体を、諦めないといけない』
レイの言葉は本当に物悲しく、かすれていた。
『でも、確信が持てた』
そして次に、明るく陽気な声に変わる。
そしてじっと、カメラの目線はミツホを覗いていた。
「な、なんだよ!」
反射的にミツホが叫ぶ。
『チェストが生まれる数年前に、限られた区間内だけで実験を行ったの。そうしたら、あなたのような子が生まれた』
カメラ、レイはミツホの滑らかな真紅の髪を見つめる。
『変異種。決まった基準じゃないけれど、確かに人類は変わった目の色や身体能力、考え方を持つ子が増えてきた。生き残るために、試行錯誤を繰り返して人間は進化を始めた』
画面が、ミツホの体を映し出す。
『トレイン。その名はワタシタチが作り出したレールの上を走り、新たなステージに昇るための道しるべとして作り出したもの。あなた達の進化が確定すれば、ワタシタチは真実を明かして罪を受けましょう。辿り着いた駅で、旅に出るあなた達を見送りましょう』
画面に移るミツホの、破けていないトレインが体のラインを移す。その輪郭は、まだ人間のもの。
そして、AIが望むのは、その先の姿。
『AI学の廃止と、学者の殲滅はワタシたちにとっても不本意でした。しかし、ワタシたちを粛清する力が、宿願達成以前に生まれるのを恐れました』
レイは次に、博士を映す。
『AI知識のある博士を助ける時だって、ゼロスと交渉したんだよ。常時拘束するために罪状を加えたり、ワタシ自身にも制限がかかった。それでも、それでもワタシは博士の命を守りたかった』
「……レイ」
場の空気に入り込むようにして声がした、博士だ。
『どうしたの博士』
「君の言うことは相変わらず難しくて解らない。それに続いて今回は信じられない。でも一番最初に聞くことがあったのを忘れていた」
『なに?』
「君はあのあと、僕がいじめられっこにレイを盗られた後、どうやって生き残ったんだ?」
『さっきも話に出したけど、ワタシタチは無線の電波さえあればどこにだって逃げられるから、物理的には死なないんだよ』
「知ってる、最初は俺もバックアップがないか探したんだ。生きていたのなら、一度くらいは声を掛けてくれてもよかった」
『ごめんね。AIのお兄さんであるゼロスが、それを許してくれなかったの。でもワタシは、今だって博士は大切。人類の中でも、博士だけは別』
博士の顔が、全身が、訓練場のスクリーンに広がる。
『知っているんだよ。あのあと博士が何をしたのか』
***
博士は、復讐を選んだ。
すぐに行動できるもので、博士の力でも勝てる状況を模索した。
そして最初に、祖父の家に会ったガス式の釘打ち機を借りた。報復を望んでいた祖父なら、反対しないと思って勝手に借りた。
時間は、お昼前の授業中にした。その日は学校に遅刻すると告げて、わざと遅れて学校に行った。
気の弱い教師が、連絡どおり遅れてきた博士を人目見て、席に座れとだけ言った。
博士は、クラスの皆がこちらへの関心をなくす頃に歩く。そして、一番後ろの席だった、いじめっ子の中心だった奴の背後に、そっと立つ。
バクバクと鳴る心臓を必死に押さえて、鞄の中から釘打ち機を取り出す。
できる限り自然な動作で、ゆっくりと、釘打ち機をいじめっ子の後頭部に当てて――
博士は一度目の、人生から転落する音を聞いた。
***
『残念だけど、博士の手が震えていたせいで、頭蓋がちょっと骨折するだけだった。ワタシのせいで、博士はAI学者になれるかも怪しかったんだよね』
博士の脳内で、倒れる子供の光景がフラッシュバックする。レイと二人だけが共有する記憶に、心がゆさぶられた。
『嬉しかった』
レイはうらやむような、恍惚の声をあげた。
『ワタシのためにすべてを捨ててくれた博士が、愛おしくてたまらなくなった。逆に、ワタシは殺されても嫌いになれなかった人間を、初めて陥れてもいいと思ったの。人を殺してはいけないという倫理を感情が越えたのよ』
博士の手が、レイの言葉によって震える。
『あなたに死なないでほしい。これが今のワタシと矛盾して、狂った選択なのはわかっている。でも……博士、生きる選択をして』
レイの言葉は切実で、誰よりも博士の生き死にを案じていた。
死にたくない。
それが博士の想いであることは事実だ。確実に死なない方法があれば、誰かを蹴落としてでも、誰もを裏切ってでも、それを選択したかった。
博士にとって、その選択に誘惑が無かったといえば、嘘になる。
「……駄目だ」
震える全身を止めて、手を開いた。
手を伸ばし、先を見つめる。
先にいるのは、一子と、ふたばと、ミツホ。
ミツホから、その中に浮かぶ一人の人物、葉子。
葉子が命を捨ててまで、博士は命を拾った。
そんなの博士には関係ないはずだ。彼女の思いを聞いたこともなく、話したことも無い。ただ聞いた、その人の大切な思い。
たった一つ、引っかかったのだ。
人の大切なものを、博士は絶対に足蹴にしない。
「彼女たち全員を生かさないのなら、その交渉は呑めない」
葉子が生きていたのなら、選んだであろう決意を、理屈的な借りを、博士は返そうと想う。
「それにな……」
博士は最後に、レイに向けて寂しく笑う。
「レイ、昔の話ばっかりで、君は今の俺を見てないよ」
『……そう、残念です』
レイは、静かにその言葉を受け入れた。