せんめつ
レイが死んだその日。博士をいじめていた子供たちは、バットを持っていた。
どこかのテレビでも見たのか、数人が揃ってバットを持ち出して、博士で遊ぼうと考えたのだ。誰よりも都合のいい、殴っても起こられない相手である博士を狙って。
レイはその場面に出くわし、当たり前のように博士を守ろうとした。
いじめっ子たちは珍しいものを見て、新しいおもちゃを見つけた。今までやろうとしていたことに興味をなくして、レイだけを連れ去った。
博士は一度だけ殴られた頭を抑えながら、連れ去られていくレイを見ることしか出来なかった。
脳震盪に陥りながら、目覚めてすぐにレイを探した。
河原を探し、付近の森を探して、怖くても、いじめっこの庭に侵入しようともした。力も何も無い博士は、いじめっ子たちを問いただすことはできない。
そうして何時間か彷徨って、博士はレイを見つけた。
公園のゴミ箱に入っていることに気づいて、手を食べかすや土の泥にまみれながら、必死になってそれを取り出した。
レイは、もう復元が不可能なほど直らない状況になるまで、殺されていた。
「レイ! レイ!」
夜の公園にいた博士は、返事の無いレイに対して、必死に叫んだ。
でも返ってくるのは、町のどこかでざわめくカラスの鳴き声だけだった。
「レイ……レイ……」
博士のレイを呼ぶ声が、段々と小さくなっていく。
そうして何時間も叫んで、声がかれるほどになって、博士はやっと気づいた。
「レイが、死んじゃった」
瞬きも忘れて、立ちつくす。
「僕のせいだ」
博士が、まるで呪うように、小さく呟いた。
「僕が何もしなかったから、できることをしなかったから、僕がレイを殺したんだ」
後悔が募り、悲しいはずなのに、博士はどこか遠くの出来事のように、今を受け入れ始める。
「もう遅いかもしれないけど、レイは帰ってこないかもしれないけど、僕は許せない。だから、今からでも、できることをするよ、レイ」
***
基地内のブザーが鳴り始めたのは、まだ夜の深い頃だった。
ミツホの部屋に集まっていたバサクルと博士にも、その警報は届く。
まず一子が飛び起き、ふたばが目を開ける。ミツホは遅れながらも体を強張らせ、博士を叩いて起こした。
「おい、襲撃だ! 起きろ!」
「ん……あ?」
「仕事だ! 博士も準備するんだよ!」
「……はい?」
博士は寝惚け眼を擦りながら、状況を把握しきれずにいた。
そうしている間にもバサクルは準備を始める。室内にあらかじめ用意されたトレインを取り出して、一人一着ずつ回していく。
「博士、通信機は携帯してる?」
一子がトレインの状態を確かめながら、博士に聞いた。
「えっと、係りの人に渡したきりです」
「ミツホちゃん、博士の分、葉子ちゃんの通信機を貸して」
「……壊すなよ」
バサクルは皆ポケットに持っていた通信機を取り出して、博士は葉子のクローゼットに入っていた通信機を渡される。
「これからは戦闘が終わったら、すぐ備品管理の部屋に行くこと。今回はまだ初めてだったから仕方ないけど、通信機はできるだけ忘れないようにしてね」
「襲撃って、またですか?」
「また」
ふたばが受け取ったトレインを着るために、その場で上着を捲り上げる。博士は慌てて踵を返し、今起きている状況を理解しようと話を続ける。
「こんなに頻繁に起こるものなんですか、今回で三回目ですよね」
「普通なら、一週間に一度あっても多い方だよ。今回は、私もおかしいと思う」
布切れの音に混じりながら、一子が答える。その声はどこか重く、狼狽の色がにじみ出ていた。
博士は追い討ちをかけるように、疑問をぶつける。
「じゃあ、これは普通じゃない状況なんですか?」
「……」
「そう」
答えない一子の変わりに、ふたばが返事をした。
「……本来なら、決まった人数を一定期間内に倒すのがチェストなの。悪く言えば、私達を殺すことにノルマをかけているって意味もあるのね。でも、今回の襲撃は感覚も短くて、そして、基地内で警報がなるほど大規模だから……」
一子は悪い予感を振り払うように首を振って、トレインに足を入れる。
珍しくミツホは黙り込んで、囚われるようにトレインを見つめる。
「目的は基地全体の、殲滅、かもしれない」
そして、ふたばはトレインの着心地を確認しながら、博士以外が感じていた疑惑を言葉にする。
「せ、殲滅!」
博士が驚きの声を上げる。
「殲滅って、基本的にチェストは殺す数が定まって……」
続きを言おうとして、留まる。
博士は思い出す。軍が、チェスト相手に全滅することがない。ただ例外として、年に何度か、基地そのものを全滅にまで追いやる行為がある。
この基地が、何回かのうちの一回に、定められていたら。
「あの、一子さん」
「……なにかな?」
「もし基地全体を敵が壊そうと考えたとして、中にいた兵士は生き残れるんですか?」
「死亡率は、百じゃないよ。星七つ以上あれば、生還の実例もあります」
「それって、七つよりしたの兵士は……」
そのとき、基地全体が振動で揺れた。早すぎる衝撃に対して、博士は尻餅をつく。
「も、もう敵が!」
慌ててトレインに足を通して、博士は壁に手を突く。
「慌てんじゃねぇ! まだだ!」
そういうミツホも、動揺を隠し切れなかった。
「落ち着いて、警報が鳴ったとはいえ、まだ早すぎだよ。少なくとも、私達が準備するくらいの時間は余裕があるはずだから」
「たぶん、チェストの銃撃型」
ふたばは冷静に、全員の通信機の具合を確かめながら言った。
「銃撃型って、チェストにもいんのかよ」
「そうそう見ないけどね、威力もほとんどない、蛍みたいな形をしたチェストがいるの」
「あいつがいると、あたしは空高く飛べなくなる」
ミツホは歯噛みして、苛立ちを募らせる。
遠距離攻撃こそ、飛行型には天敵だった。高く空を飛べず、地上のチェストの攻撃範囲をギリギリで逃れられる、低空で戦うしかなくなる。
「それって、俺たちを逃げないようにしているのか?」
「普通の戦闘なら、数体いるだけで、しかも地上のトレインを巻き込めないから、ほとんど数がいないのだけれど」
また、基地内が振動で揺れた。連続して放たれる攻撃は、とても数体程度の攻撃とは思えなかった。
「やっぱり、殲滅なのかも」
一子は一度髪を解いて、先程よりもきつく締める。感情的理想が消え、行動への決意を固めた。
「これから、どうする?」
ふたばがトレインの最終確認として手をほぐしながら、一子に聞いた。
「AIからの指示が来ていないから、たぶんいつも通りの独自殲滅かな。そうなると、すぐさま仲間と合流が一番かも」
「AIって、教育方針しか与えないんですか? 集合連絡もよこさないで、今まで作戦指示とか受けたことないですよね」
博士が疑問に思い、聞いてみる。
「この前も言ったけど、AIにおかしな不具合があったの。AI学者は丁度法律でいなくなっちゃったし、自己修復を待つくらいしか出来ないの」
「命に関わる戦いなのに、法律優先ですか」
「そもそも、この周辺のAI学者さんはチェストに攫われちゃったんだけどね」
「なんというか都合が悪いような」
「博士、うたうだいってねぇで早く行くんだよ」
ミツホが急かし、博士は会話をそこで切った。
一番最初に、一子がドアを出る。次にミツホ、博士、最後にふたばが外を出てから、部屋の自動ドアが閉まる。
部屋の外は深夜のせいか真っ暗で、時折放たれるチェストの銃撃が、熱線の影響からかフラッシュを焚いて基地の中を照らす。
「停電?」
「そんなはず無いよ。たぶんだけど、無人兵器が基地内に少しだけあるから、それに電力を裂いているのかも」
一子が廊下に目を向けると、博士と同じく今起きた兵隊が、早足で中央に向かっている。パニックにこそなっていないものの、慌てていた。
「うちは隊が同じ場所でよかった、流石隊長」
「そういうこといわない」
反応はするものの、ほとんど相手にもしないで一子は歩き出す。向かう先はおそらく、他の兵と変わらず中央だろう。
博士たちも、その一子に付いていこうと足を向けて、
『現在の敵チェスト陣営、および今後の作戦行動の報告』
AIからの通信がかかった。皆立ち止まり、その音からは女性に聞こえる声の続きを待った。
「なんだ、作戦指示があるんじゃないか」
「博士、静かにしろ、聞き逃したらどうするんだ」
『敵の目的を殲滅と断定。個体数十四万程度と思われます。多数の兵を集め、防壁に優れた場所にて態勢を立て直します。構内にいる隊員は速やかに室内訓練場へ集まり、脱出の算段ための通路を開いていただきます』
通信が一度、繰り返される。その間に博士は疑問をぶつけた。
「じゅ、十四万って、どんくらいだよ」
「今いる、ここの兵士が約一九〇〇」
一子とミツホが目を震わせて、ただ一人ふたばが冷静に答えた。
十四万対一九〇〇。一人あたり七〇体弱は倒さないといけない計算だ。もちろん、この基地には戦わない兵士も多い。
「たぶん、弾が足りない」
ふたばがぼそりと呟く。一番威力の高い弾でも、壊せてせいぜい数体程度なのだろう。
「昨日の戦闘で、動ける兵がもしかしたら半分もいないかもしれない」
博士は少しずつではあるが、皆が考えていることに同調し始めた。
早足は駆け足に変わり、一刻も早く室内訓練場に集まろうと、何人もの兵が博士たちを追い抜いてまで急ぎ始める。
『位置情報、確認いたしました。モニターに出します』
そして、復唱を終えたAIが、次の報告を始める。博士はモニターを探し、あたりを見渡す。
「あそこだ!」
いち早く気づいたミツホが、途中あったモニターを指差して、どことも知らない部屋へ入り込む。中には既に、情報を求めた武装済みの兵もいた。
部屋の奥にある壁にモニターが貼り付けられ、基地周辺の地図と合わせて、敵の出現位置が赤く表示されている。基地は立体と平面の二つがモニターに映し出され、立体のモニターは回転しながら、平面のモニターは敵の動きに合わせて赤点を動かしながら、状況を伝えている。
地図の概要がわからない博士は、隣にいたミツホに、説明を求める。
「これ、どう見るんだ? 四角いのが基地だとして、敵はどれだ?」
「……赤だよ」
「赤って言われても」
「あかは赤だ」
ミツホが、八重歯で唇をかむ。震えを押さえるために、血を滲ませる。
「ゲットレイン」
ふたばがひとり、武装の言葉を呟く。
「赤って言われてもさ、この基地の外全部が赤だろ。外壁の外が赤ってわけじゃ、ないんだよな?」
基地のモニターには、びっしりと赤が塗りつぶされていた。厳密には、満杯の水がバケツから少しずつあふれ出すように、基地の中も転々と赤が漏れていた。
基地の宿舎は、騒音を避けるため訓練場からもっとも遠く、外壁が一番溢れている場所だった。
博士が丁度、自分たちのいる位置を目で追って、現在位置の好転を見つける直前――
「博士動け! もう壁一枚外に、敵がいる!」
ミツホが叫ぶと同時に、モニターが破られた。