Story-1 「Wolves stalked the flock」-1
「お客さん、そろそろ着くよ!」
呼びかける声。深淵へと沈んだ意識の舌先が、ちらりと地表を撫でた。全ての感覚が遮断された深海から連れ出され——唐突に身体の揺れを感じた。覚醒へと向かい意思の光が集束する。
駅馬車に乗って200km。強行軍だった。急行馬車のため身体が休まることもない。半吸血鬼であるブラムは、完全な吸血鬼と違い休息を必要とする。お世辞にも乗り心地が良いとは言えぬ後部車室だったが、疲れが出たのか。充分に仮眠がとれた。
瞼を開ける。霞む視界を調整しようと寝ぼけ眼を擦る。不自然な姿勢で寝た為か、感覚の曖昧な四肢を伸ばす。そうして意識が本来の明瞭さを取り戻した所で、ブラムは車室の窓を開けた。
心地よい風。その風が声を運んでくる。その活気の元を辿ろうと、窓から半身を出し、視線を前へと向ける。
巨大な建物が見えた。煉瓦造りの城のようなその威容。ナラン王国の誇る王立学院。それがもう至近にあった。
Sweet Blood
Story-1 「Wolves stalked the flock」
「おい、学院って、冗談だろ?ガキどもに混じって俺に"学生"をやれってか?」
「これから説明する。それと、一つ正しておこう。確かに学生をやってもらうが、子供達に混ざれとは言っていない」
「あ?どういうことだよ」
「貴様が想像しているのは、我が国の貴族教育学校だろう?ナランの王立学院は大きく異なる。」
「貴族じゃなく平民の学校ってことか?」
「平民もいる。貴族もいる。獣人もいれば森人すらいる。」
「なんだそりゃ!?」
流石に驚く。獣人や森人は、亜人と呼ばれる被差別種族である。その多くが奴隷や下級職に従事し、まともな権利を享受しながら生きる者など一握りだ。ましてや人間と混ざって教育を受けるなど、聞いたことがない。
「ナランは異教徒の国だ。私から見ても愚かなことをいているとは思うが…その質はこの全大陸の中でも際立つ。」
「ほう」
「我が国でいえば、研究院に近い。それぞれの専門分野で深い知識を学び、更なる研究の発展を目指す組織だ。故に、受け入れる年齢に制限などない。事実、学生の平均年齢は25歳前後だという」
「あぁ、それなら俺が混ざっても外見上はおかしくないわけだ」
「貴様なら別に初等学校でも問題はあるまい?」
「あんだと!?」
憤る。確かに、俺の外見は年齢に比して幼い。成年扱いされないことも頻繁にある。だがそれにしても、"初等"とまで言われてはたまらない。年齢が一桁の者が通う場所だからだ。
「ちょっとした冗談だ。そう声を荒げるな。」
「だったら真顔で言うんじゃねえよ、クソが」
表情筋の一つぴくりとすら動かさずに発された言葉。それが冗談だなどと誰が思うのか。やはりこいつは苦手だ。少しでも勝てる可能性があるならとっくに殺している。
「で、潜入に問題がないのは分かったけどよ、なんで俺がそんなとこに行かなきゃなんねえんだ」
「…先月。教皇様に予言が降りた。」
「ほー、随分と久しぶりじゃねーか。で、それは?」
「ナランの王立学院にて、始祖が覚醒する」
「な…んだと…?」
「転生して15年。そろそろだとは思ってはいたがな。それでナランに行かねばならなくなったのだが…。」
「いやちょっと待て…」
「予言はいつも通りに曖昧さを残したものだ。正確な時期も状況も分からない。明日、夥しい数の学生の殺戮とともに覚醒するのか。あるいは数年後、ゆっくりと時間をかけて誰も気付かぬままに覚醒を迎えるのか。何も分からない」
「待てよ…」
「その為の潜入だ。場合によっては長期間になる為、学生の身分が都合がいい。外見と能力の観点から、貴様が選ばれた。」
「ちょっと待てって言ってんだろうがよ!!」
大声で遮り、睨みつける。魔力の籠った、一般人であればそれだけで凍り付くような視線を受け。しかしそれを気にする風でもなく、アーサーは視線だけを寄越してくる。
「おいおい、始祖ってあの始祖だろ?俺にどうにかできる存在かよ。自殺願望はねえぞ」
「…さすがのお前でも始祖相手では怖じ気づくのか?」
くくく、と喉だけで笑う。あからさまな挑発に怒りが全身に突き抜ける。耐える。
「どう言われても構わねえよ。そもそもお前ですらどうにかなる相手じゃねえだろ」
吐き捨てるように言う。無表情の笑い声は暫く続いた。声だけの笑いが治まると、アーサーは口を開いた。
「無論、始祖を滅ぼせとは言わん。先程も言っただろう?貴様の"能力"が必要なのだ。」
「…つまり、俺の役目は始祖の捜索と…」
「殲滅の場に、ただ居ること。それのみだ。戦闘に参加するか否かは貴様に任せる。」
どうせ変わらん、とアーサーは言った。舐められている、という不快さを感じる。が、それが事実であろうと考えられる程度の冷静さはある。
「へいへい、どうせお前にも勝てねぇ俺はそんなもんよ。…で、実際始祖はどうやって倒すんだよ。処刑人1000人くらい集めるのか?」
「…いや、始祖相手に数など無意味。上位者のみで行う。正確には、私と、もう一人だ。」
「は?たった二人でか?いくらあんたでも…」
「無論、覚醒前か覚醒直後に対処する、という前提で、だ。後は貴様の能力にも一定の期待をかけている。」
「……そうかよ。で、もう一人は誰だ?第一位か?」
「いや、彼ではない。もう一人の処刑人は既に現地に潜入している。…貴様も面識はないだろうが、名前くらいは聞いたことがあるだろう」
白雪姫だ、とアーサーは無表情ながらどこか侮蔑を含んだように言った。
「…あんたが第二位、白雪姫ってわけかい?お嬢ちゃん?」
入学の事務手続きをとり、担当教員に引き合わされ、寮の部屋を割り当てられる。荷物を部屋に運び入れ。授業は明日から。教員の研究室に明朝8:00に来るように、とだけ指示される。ブラムが適当に相槌を打ったのを見て、教員は去っていった。
その後、何をするでもなく、窓から景色を眺めていたブラム。そしてドアを叩く音。あぁ、学院に付いたら向こうから接触があるとアーサーに言われていたな。そう思い出してドアを開けた。
そこに佇んでいたのは一人の少女。穢れを知らぬ純白の肌。まるで輝きを放つかのような金の長髪。彫像の如く整った顔立ち。こんな完璧な女は見たことがない。理解した。この女がただ者である筈がない。この女こそが…
そう思い、問いかけたブラムに、少女ははっきりと頷き、応えた。
「そうです。そういう貴方は、協力者、ブラム=アーヴィングで間違いありませんね?」
「…あぁ。」
造形に決して劣らぬ美しい声。その響きに耳朶が感動を覚える。そしてその笑顔。花が咲き誇ったかのように錯覚した。返答は恍けたようなものとなった。柄にもない、と心中に苦いをものを感じた。
「これから恐らく長い付き合いになります。私達に友誼を結ぶ挨拶など不要とはいえ、お互いの情報のやり取りが必要だと思いますので、少々お時間を頂きます。ですが、その前に一つよろしいでしょうか。」
ぴっと人差し指を立てる。その仕草すら美しい。こくりと頷いたブラム。
その、瞬間。
「私をお嬢ちゃん、などと呼ぶな半吸血鬼」
「がぁっ…!」
吹っ飛んだ。何が起きたか分からなかった。ガツン、と頭に衝撃を感じた。ベッドの木枠にぶつけようだ。その後に腹部に痛みが走る。ようやくブラムは気付いた。
この女、俺に蹴りくれやがった…!
視線を上げる。白雪姫は冷徹に見下ろしている。その様は、先程迄の天使の如きものとは大きく異なり。威圧を強く混めた視線を寄越している。
「この身は処刑人第二位。貴様程度の半端者、いつでも抹殺できる。そのことを忘れるな」
言いたかったことはそれだけだったらしい。言い終えた白雪姫はまたその顔に笑みを浮かべ、柔和な雰囲気を取り戻す。
「さて、それでは情報交換を始めましょうか。」
まるで今何もなかったのだと。そのような口調。ブラムはゆっくりと立ち上がった。
「おい…」
「はい?」
なんでしょう、と微笑んでいる。あぁ、分かった。理解したよ。その表情は決して友好を示しているものではない。舐めているんだ。お前など取るに足らないと。文句などないだろうと。あったとしても取り合わないと。
「確かに俺は半端者だ。半吸血鬼だ。で、お前は処刑人。それも第二位なんてエリート様だ。それと比べりゃ俺はクズだろうよ。けどなぁ…」
「……」
「女に舐められて黙ってられるほど、男をやめちゃいねえんだよ!おらぁ!!!!」
急襲。一瞬で魔力を全身に込め、飛びかかる。繰り出す右直拳。迸る魔力によって加速されたそれは、直撃すれば人間の頭など容易に破壊し、脳漿を飛び散らせる。
人間の反射速度では決して躱せぬそれを、しかし、目の前の女は軽く左側に屈むだけであっさりと躱した。当然だ。それくらいはやる。こいつは処刑人の、それも第二位。俺は半分人間をやめているが、こいつはある範囲においては完全に人間をやめている。それくらいは予測している。
躱されて伸びきろうとした腕を、強引に曲げる。慣性という名の物理法則を完全に無視したその動作。魔力によって起こした有り得ぬ動き、その肘打ち。しかし女は、やはり容易にそれを躱した。
躱された瞬間に拳を打ち上げる。右腕だけを用いた連携技。本物の吸血鬼にも勝るその絶技。元々人間であった頃からトップクラスの格闘術を持つブラムだからこそ可能にしたそれを。
やはり彼女は、あっさりと躱した。
ふいに感じた予感に、ブラムは一歩距離を開けた。鼻先を鋭い風が通り過ぎた。上段回し蹴り。身長に勝るブラムにそれを繰り出した。足が長いのだな、と妙な感想を抱く。間髪入れずに左直拳を繰り出そうとして——
ブラムは倒れた。
「…なん…だ…と…?」
蹴り終えた右足を支点にして回転し、今度は左足の後ろ回し蹴り。
視界外から襲ったそれが、後頭部に直撃したのだと、痛みとともに理解した。
「…はぁ。人間の血が半分になると、脳味噌も半分になるのですか?話し合いに応じずにいきなり襲いかかるなんて」
先に手を出してきたのはお前の方だろ、と悪態も付けぬまま。
(何が"白雪姫"だ。とんだじゃじゃ馬じゃねえかよ…)
ブラムの意識は闇に沈んでいった。