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 自分は本当に流されやすい。こうしたい、ああしたい、と思うことは当然あるのに、それを相手に伝えることができない。親のせいなんだろうなあとは、ふんわり感じる。兄をとにかく可愛がり、俺をまったく顧みなかった親達。バスケ部に入りたいとか塾に通いたいとか友達と遠出したいとか流行りの映画が観たいとか自分の部屋が欲しいとか誕生日ケーキくらい欲しいとか朝ごはん用意して欲しいとかお小遣いだけでいいからとか全部通らなかった。だから、ダメ元という行動が俺にはできない。

 でも遠城はそんなことは知らない。ラブホのやけに柔らかいベッドの上でちょっと黄ばんだ天井を見上げている俺がこの段階で後悔していることなんて。

「あいつ、風呂長いな……」

 浴室の方向をちらりと見る。俺の手のせいでバイクの二ケツができないからと、わざわざタクシーを呼んでラブホまで来た遠城冬司は部屋に入るなりただちに浴室へ向かった。それからずっと放置されている。もう三十分くらい経った気がする。

 スマホも持っていないので捗るのは過去回想ばかりだ。けどそんなに昔の話ばかり思い出したいわけはない。ベッドに仰向けに転がり、やっぱり少し痛む背中と関節に呻きつつ吊られた右腕を意味なく掲げる。とりあえずこれが治るまでは、寝床の心配はない。あとはさっさと職場復帰して金を稼ぎ兄に渡すだけだ。

 兄は兄で溺愛されすぎたあまり、俺とは真逆の意味で願いが全て通らなかったから。

 がちゃん、と扉の開く音がした。体を捩って目を向けると湯気が見えて、遅れて洗剤特有の華やかな香りが届いた。現れた遠城は腰にタオル一枚を巻いたのみの姿だった。修理工をやっているからか、引き締まったいい肉体だった。余裕で劣等感を覚えた。

「自分も入るか? せやったら介護するけど」

「あ、いや、風呂くらい一人で」

「その腕でか?」

 そう言われると、まあ、かなり無理だろう。脱ぐだけで五分以上かかりそうだ。入浴の介護は正直欲しい。しかしやっぱり言い出せない。

 俺の無言をどう思ったのか、遠城は無表情に近付いてきた。寝転がったままの俺のそばに腰を下ろして、ジーンズに包まれた太腿へと手を置いてくる。それだけでぎくりとした。触り方が、明らかだった。

「頭やら体やらはともかく、こっちは洗てもらわんとな」

 手の甲で中心部を軽く小突かれ、慌てて体を起こした。風呂行くわ。焦って告げると、遠城はうっすらと笑みを浮かべた。

 ラブホの浴室は広い。金がかかるので一回か二回しか来たことはないけど、ここも例外ではなかった。中で及んでも問題ない作りなのだろう。配慮が行き届いている。ラブホの清掃っていくらくらい稼げるやろ、あとでちょっと調べてみるか。遠城に服を脱がされ浴室の中に連行されながらそうやってわざと色んなことを考えた。

「こっち、この椅子座れ」

「……はい……」

「勝手に洗うけどええな?」

「好きにしてください……」

 完全に全てをお任せするモードに入る。遠城は片眉を引き上げたが何も言わず、宣言通り勝手に洗い始めた。触れられた瞬間だけはつい肩が跳ねた。大人の男に急所を触らせたのは初めてだ。握り潰されないか心配になる。

 変なことせえへんわ。やらしいことはするけどな。遠城は特に何の感情も乗っていない声で言って、シャワーを手に持った。湯が当たった瞬間も驚いてしまいビクッとしたが、丁寧な手つきにじわじわ力が抜けていった。行ったことないけど風俗ってこんな感じやろか。そう思いながら俺の両足の間に挟まっている遠城を見下ろす。縛られていない長い髪は濡れており、なんとなく触れたくなって指を伸ばした。

 その瞬間に遠城はふっと顔を上げる。慌てて手は引っ込めたけど、絡まった視線の意味に、あ、と思わず声が出た。

 この前会ったばかりの、俺を轢いた男相手に変な話だが、何も言わなくても通じる瞬間を初めて知った。

 遠城は息をついて笑い、顔を伏せた。お湯よりぬるい舌の感触が、湯煙でむせかえる空間の中で一番実感を伴っていた。痛みばかりの体の中に正体の見えない灯火が生まれた。揺れる長い髪を見下ろし、こいつは男、と心の中で呟いたところで消えなかった。

「……なんや、勃つやん。いけるな」

 口を離しながら遠城が言った。俺の左腕を掴んで引っ張り、ろくに拭かないままベッドまで連れて行った。別れたばかりの彼女の顔がふと過ぎった。男とは明らかに構造の違う、あちこちが複雑そうな体を思い浮かべる。仰向けに寝かせた俺の上に跨った遠城は違う意味で複雑だ。混線、という感じがする。複雑に組まれた人工美。あー、バイクや、なんて思って何となく笑ってしまう。無意識に伸びていた左腕が遠城の膝頭を緩く撫でる。溜め息と深呼吸の合間のような息が、ゆっくり吐かれる。

 身を屈めて避妊具をつける様子を黙って見守った。どこに突っ込むかなんて、聞くと野暮なんだろう。遠城は体を起こして膝立ちになった。粘ついた液体が垂れる様子を見てしまい、あれ、と思ってから、あっそうか、と納得する。こいつ風呂長かったの諸々準備とかしてたからか。

 飲み込まれる感覚がある。遠城の中に物理的に入ったところで、結局複雑だ。遠城は息を吐きながら俺の上に座る格好になる。特に動かないけど、息を整えるような素振りを見て、俺も何もしない。どうすれば正解なのかわからないし、そもそも全治半年の体じゃろくに動けもしない。

 人って生ぬるいな、と思う。外側の皮膚も、中側の臓器も、俺には未知だ。濡れたままの長髪から雫が落ちる。俺の下腹部の上で弾けて、勿体つけるように緩く流れていく。その瞬間に痛みを逆撫でする衝動が湧いた。視線だけをそっと上げるとすぐに絡め取られた。遠城はずっと俺の挙動を見つめていたらしかった。

 どうなん、と目で聞かれる。抱けると思う、と、普段なら言えないくせに声に出た。遠城は笑って、振動が伝わってきて、その小刻みなリズムが、俺にはやっぱりバイクみたいなもんだった。

 興味はなかったし用語も乗り方も知らないし、触れてみたところで俺には理解できるか怪しいんだけどなんだかいいな、と漠然と思わされる。

 出会ったばかりの男相手に、理屈抜きに安心している。

 嬉しいんだけどいやに苦しい。

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