表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/60

第60話 千年を経て並び立つ

「イシル、生きてる……」


 安堵が、ウィルの胸からこぼれる。

 だが同時に、胸の奥に小さく、辛い棘が刺さった。


 ――砕いたのは自分達じゃない。嘗ての守護者だ。


「礼を、言わせてほしい」


 まっすぐな声音だった。


「あの屁理屈は気に入ったよ。ありがとう」


 少し捻くれた言葉は、レイのものだった。

 ナギは、その言葉を正面から受け取った。


「感謝する。間に合った」


 硬く飾らない言葉は、キリルのものだった。

 誇りでも、勝利でもなく、ただ静かな感謝だけ。


 イシルの友の言葉が、二人の折れた心を奮い立たせた。

 イシルを呼び止め、神性の障壁を揺るがしたのも。

 それは、紛れもない事実だった。


「イシルの心を揺らせたってことは」


 レイが、独り言のように呟いた。


「旅は、いいものだったようだね……」


 胸が痛くなるほど真っ直ぐだった。


「……ずるいな、あんたら」


 アゼルは静かに返した。


 少しの間があった。

 二人は、嘗ての守護者として――


「イシルが目を覚ますまで、僕達だけにしてくれないか」


 千年の時を経て、ようやく傍に。




 空が変わりはじめていた。

 夜と昼の狭間――境界が滲むように混ざり合い、天に二つの光が浮かんだ。


 ひとつは本来の月。

 もうひとつは、淡く透けるような幻の月。


 二つの光が寄り添い、重なり、やがて一つの輪を描いた。


 レイは膝を立てて座り、イシルの額にかかる前髪をそっと払う。

 キリルは逆側に片膝をつき、イシルの手を包む。

 その指先は冷たく、けれど死の気配はない。

 しばらく、二人はほとんど言葉を交わさなかった。

 気づけばレイが、掠れた声で、呟いていた。


「怖かった」

「……ああ」


「もう……届かないのかと思った。勝手に遠く感じてた」


 ――拒まれても届けたい。


 嘗て、幼い顔でそう言った奴がいた。

 キリルは目を細めて思い返す。


 ――そうか。届くといいな。


(そう、返した。届くはずがない、と)


「あいつが遠いんじゃない。俺達が臆病だったんだ」


 まるで、少し前の自分に言い聞かせるように。

 レイが目を上げる。


「イシルに傷付けられるのが怖いんじゃない。……イシルが傷付くのを見るのが怖かった。踏み込んだら壊れそうで……触る資格などない、と。自分で思い込んでいた」


 レイの指が震える。


「ああ。でも、今日だけは、隣にいていいって思えたよ」


 沈黙が落ちる。親友の距離を取り戻すための。


「……レイ」

「ん?」

「あいつが起きたら、迷うだろうな」


 レイの口角が微かに上がる。


「僕らにどう向き合うか?」

「そうだ。でも、決めさせる必要はない」

「イシルは"選ばなくていい"。僕たちが並べばいい」


 嘗て、三人で並んで歩いたように。

 キリルは珍しく、遠回しに言う。


「あいつを"二人で"守ることになる」

「キリルに言われなくても、そのつもりだよ。ひとりじゃ抱えきれない」


 ――独占はしない。互いに。


 レイは口角が上がるのを、思わず手で隠した。


(まぁ、僕が独り占めしたら、キリルは壊れるし)


 隠しきれていない笑みを、キリルは横目で見ていた。


(触れない期間が長いと、レイは平気じゃなくなる)


「レイ」

「なに?」

「あいつ、俺に口吻した。お前は怒らなかったな」


 レイは少し笑った。茶化すように。


「そりゃあ……君より先に、唇奪ったし」


 静かな対抗心。戯れ合いのようなものだった。


「俺は、赦しとして受け取った。自由だ、と」


 今度は、それを返すために。

 心に正直であろうとする、己への宣言。

 

「僕達、もう随分長いこと、待ったよね」

「もう、待たない……」


 自身の生を選べなくても。

 それでも、傍にいる。


 イシルの寝顔を二人は同時に見ていた。

 その視線は、柔らかく、深く、同じ方を向いていた。

 待つことをやめなければ、何も変わらない。


 そして二人同時に笑って、眠るイシルの手に、そっと手を添える。

 


 ――今度こそ、ちゃんと届かせよう。


 そう誓い合うように。



 ◆



 イシルが目を覚ましたのは、ひどく曖昧な場所だった。

 最初に感じたのは、重さ。


 息を吸う。――空気が、肺に入る。

 それだけで、少し驚いた。


(……生きている)


 意識がはっきりするにつれ、違和感が広がっていく。

 身体は確かにここにあるのに、かつて当たり前だった"広がり"が、どこにもない。


 魂を抱く手が、ない。


 世界の裏側まで触れていた感覚。

 理を見下ろし、裁き、終わらせることができた視座。


 それらが、すべて剥がれ落ちていた。


(……白き神が、いない)


 胸の奥は虚ろで、引き剥がされた痛みが残る。

 魂の深いところが、ひび割れたまま疼いている。

 その事実を理解した瞬間、イシルは小さく息を吐いた。


「……っ」


 奥底が痛む。声にならない悲鳴が漏れた。

 それに応えるように、誰かの気配が近づく。


「起きた?」


 柔らかい声。

 すぐ隣に、淡い金色の瞳。


「無理するな」


 少し低い声。

 反対側に、青玻璃の瞳。


 視界が揺れる。

 胸が、妙に苦しくなる。


 どうして、ここにいる。

 どうして、触れられる距離にいる。



 遠巻きにしていた三つの影に気付く。

 そのひとりと、目が合いそうになり、反らした。


「逃げんな」


 短く、強い声。


 視線を動かすと、腕を組んだアゼルが立っていた。

 怒っている。でも、それだけじゃない。


「起きた瞬間に全部確認しようとすんな。今は――生きてるって事実だけでいい」


 ウィルが、少しだけ安心したように微笑んでいる。


「戻ってきてくれて、よかった。」


 その後ろで、ナギが不器用に視線を逸らしながら。


「おかえり」


 言葉を、返せなかった。


 何かが、軋んだ。

 胸の奥が痛い。どうしようもなく。


 終わるつもりで歩いた旅だった。

 最後に自分が消えるはずの場所で、まるで罰のように、生かされた。



 レイは、何も言わずにイシルの前に屈んだ。

 その手が、ゆっくりと懐に伸びる。

 金属の音が、微かに鳴った。


「覚えてる?」


 差し出されたのは、金の指輪。

 嘗て、渡されなかったもの。

 嘗て、言葉にならなかった誓い。 

 イシルは、その指輪のことを覚えていなかった。


(覚えてなくていい……)


 彼は視線を落とし、しばらく何かを迷うように指先を動かしてから。

 そっと、自分の中指に金の指輪をはめた。


「これはさ」


 淡い金の瞳が、まっすぐに向けられる。


「過去の僕のものだ。届かなかった想いも、選べなかった後悔も。――全部、僕が引き受ける」


 指輪が、確かにそこにある。


「今の僕は、今の君を選ぶ」


 声が、少しだけ揺れた。

 イシルの胸が、強く軋む。

 怖かった。

 使命もなく、ただ、人として向き合うことが。 

 千年待った相手と、同じ高さで立つことが。


 それでも――逃げなかった。


 キリルが、静かに口を開く。


「傍を離れない」


 それは命令でも、裁きでもない。

 ただの、願いだった。


「一緒にいる。それだけだ」


 イシルは、視線を伏せる。


 本音は、言えない。


 まだ、怖い。 

 まだ、何をどう生きるのか分からない。


 それでも。

 胸の奥に、確かに残っているものがあった。

 温度。触れられる距離。 

 呼び止めてくれる声。


 イシルは目を伏せた。


「すぐには、答えられない」


 それでも、逃げないと伝えるように。


「でも……行き場がないなら、ここにいる」


 瞳の奥で赤が静かに揺れる。


 その赤に、ほんの一瞬。

 灰色の影が混じった。


 痛みの色だった。

 空虚の色だった。


 終わりを願うことが、唯一の希望だった。

 けれど、まだ息がある。


 光も闇もない場所で、それでも誰かが名を呼ぶ。


 だから、もう少しだけ、在る。


 そこに残された"灰"だけを抱きしめて。



「灰の月 剣の誓い」完結。

 ここでひとつの区切りを迎えました。

 最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。


 終わるために歩いた旅の果てで、生き残ってしまったイシル。

 彼はこれから、レイとキリル、そして旅の仲間たちと、どんな距離を結び直していくのか。

 生きることを肯定できる日が来るのか──。

 そして、恋愛偏差値地中のイシルと、距離感の壊れた最強美形二人、恋を恋と認めない者、恋を優先できない者、静かに日常を押さえる者たちが織りなす、少しだけ温度の高い喜劇も挟んで描きます。


 シリーズ続編「翼の帰還」は、最後まで書き上げてから投稿していく予定です。

 またお会いできたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ