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第58話 光も闇もない場所

 淡金色の魔法陣が霊峰アルセインに開く。

 転移の瞬間。


「――ッ!」


 何かに阻まれ、弾かれた。

 レイとキリルは同時に後退し、地を踏みしめる。


 目の前にあるのは、白き神の障壁。

 魔力ではない。理でもない。概念の壁。


「はっ、やってくれる」


 レイが悪態をつく。口元に血が滲んでいる。

 キリルは、青玻璃の瞳を細めた。


「完全に、神を取り戻したか」


 二人は、並ぶ。

 千年越し。

 背中を預ける距離。


「一度、割る」

「言われなくても」


 かつて何度も繰り返した連携。

 思考は要らない。

 同時に、踏み込む。


 ――加護の名を『理の光(アウレア)


 ――加護の名を『理の影(エクリプス)


 対なす加護が穿つ。

 障壁が、悲鳴を上げ、砕けた。


 一瞬、視界が開ける。

 天鏡の中心。

 陣を描くイシルの姿が、見えた。


「イシル!!」


 レイが叫ぶ。


 だが次の瞬間――


 再構築。

 再び、障壁が張られる。


「……ちっ」


 弾き返される二人。



 その瞬間、少し離れた場所で。

 障壁の内側へ、三つの気配が滑り込む。


「通れたか。ならば、これは俺達に対する壁だ」


 キリルが、低く息を吐く。

 レイは、歯噛みしながら吐き捨てる。


「ああ。僕らを絶対に通さないつもりだね」


 それでも、立ち止まるわけにはいかない。


(――アゼル達が、お前の名を呼ぶ。呼ばれてしまったら、お前は一瞬でも止まるだろうね)


 レイの瞳の火は消えない。


「まったく、意地で僕らに加護なんて渡すから」


 本気を見せたことのない、剣聖が。


「"再び道を誤るなら、迷わず切り捨てろ"。そう言って、この力を与えたのは――お前だ、イシル」


 底を見せたことのない、賢者が。


「君を"止められるように"、と授けられた加護だ。忘れたとは言わせないよ。イシル」


 キリルは、黒剣を構えた。


「遠慮なく、いかせてもらう」

「ついに遠慮もやめたか。いいね、やろう」


 レイが、微かに笑う。

 そして、障壁を真っ直ぐに睨み据えた。


 障壁の向こうで、白銀の瞳が、確かに揺れた。


 二人の魔力が、再び重なる。


 今度は――壊すためではなく。

 イシルに届くための力を。


 白き障壁に、

 再び、深い亀裂が走った。



 ◆



 霊峰アルセインの天鏡。

 風の船は、神性の障壁の前に解けて、三人は放り出された。


 まだ天鏡まで距離がある。

 アゼルは急ぎ、次の魔法を編む。 

 両手を重ね、風の魔法陣を大きく描く。赤い魔力が風を集める。


「ナギ、ウィル、上手く乗れよ」


 そして、風が爆ぜた。

 ウィルとナギの身体が空へと放たれる。

 激しい風が二人を抱え、木々の間を疾走する。

 遠く、滅びの光が螺旋を描いているのが見えた。


「アゼルの奴、まさか残ったんじゃないよな!?」

「絶対くるよ、そういう奴だ!」


 だが風の勢いはやがて失速していく。

 光の中、滅びの陣の中心が見えたその瞬間。

 ウィルは深く息を吸い込む。


「行け、ナギ!」


 ウィルの腕がしなり、ナギを前方へと放り投げる。

 風が切り裂かれる音。

 光の境界が割れ、ナギが突き抜けていく。




 光の中を、風を裂く音がした。

 イシルがわずかに目を細める。

 ──白の彼方から、ひとりの影が飛び込んでくる。


「……ナギ」


 崩れた光の粒の中、ナギが膝をついて立ち上がった。

 全身に擦り傷を負い、息は荒い。

 だがその目だけは、真っ直ぐにイシルを見据えていた。


「やっと、追いついた……」

「来るな」

「やだね」


 イシルが言葉を止める。

 ナギは光の中をゆっくりと歩きながら、陣の中心に立つイシルを睨むように見つめた。


「イシル。ひとりで抱えんなよ」


 イシルは困ったような顔をした。

 それは諦めにも似た、痛みを覆い隠す顔。 


「俺はいつか、世界に滅びを運んでしまう。だから」


 ナギが遮るように声を荒げた。


「世界なんて知らねぇよ!」


 一瞬、空気が止まる。


「俺が――幸せになれなくなるんだよ」


 イシルの手がわずかに震える。

 描いていた陣が一瞬だけ滲んだ。


「俺がいなくなれば、清々する。そう言ってくれた方が、救われる」


「そうかよ、そりゃ残念だったな。――俺は、お前が望む言葉なんて、言ってやらない」


「ナギ。お前は、巻き込まれて孤独になった」

「知らねぇよ。そんなの」


 ナギは拳を握りしめた。

 光の陣が彼の足元をかすめ、皮膚を焼く。

 それでも、一歩、また一歩と進む。


「俺の孤独を破ったのは、お前だ」


 イシルの瞳に、光が揺らめく。

 陣の動きが、鈍くなる。


「お前がいなくなったら、俺はまた、孤独に戻る」

「ウィルとアゼルがいる……」

「イシルじゃなきゃ、駄目なんだよ」

「ナギはもう、ひとりじゃないだろ」


 ナギは唇を噛み、目を伏せる。


「そうじゃ、ないだろうが……」


 握った拳が白くなる。



 風を裂いて、ウィルが現れた。

 土煙を上げ、滑りながら片膝をついて着地する。

 顔を上げるより先に声が出た。


「間に合った、ナギ。ありがとう」


 ナギは言葉にならず、ただ頷いた。

 イシルが描いた陣はすでに半分以上、完成している。


「イシル」

「来てはいけなかったのに……」

「うん、知ってる」


 ウィルの瞳は、強い光を宿していた。


「ねぇ、イシル。僕、ずっと考えてたんだ。君の“孤独”って、何なんだろうって……。誰よりも人を思って、誰よりも遠ざかる。そんなの、おかしいだろ」


 風が吹き抜け、ウィルはゆっくりと歩き出す。

 焼けつくような陣の光に耐えながら、一歩ずつ。


「何故、人を愛するように、自分を愛せないの?」


 風が止まったように、天鏡が静まり返る。

 光だけが、答えの代わりに揺れていた。


 滅びの陣が、軋んだ。 

 それは怒りでも悲しみでもなく、ただ痛みをこらえるような顔のように。


「この魂は、ただ滅びを呼ぶだけなんだよ」

「違う! 自分のせいにしたいだけだ、そんなの!」


 イシルは答えられない。

 言葉の代わりに、滅びの光が濃くなる。

 ウィルはさらに近づき、叫ぶように言った。


 滅びの陣は止まらない。


「イシル。……約束、忘れちゃった?」


 紫水晶の瞳が、潤む。


「僕の好きにしていいって。ひとりにさせないって」


 イシルの唇が震える。

 こぼれた声は、息よりも小さかった。


「……ごめん」

「そう言うくらいなら、一緒に生きて、詫びろよ」



 息を整えながら、近づいてくる影。 

 アゼルは軽く笑って、しかし歩きながら声を荒げた。


「なぁ、イシル。お前――ほんと、ずるいやつだな」


 その声には怒気が混ざっていた。

 けれど、その怒りは憎しみの熱ではなく、"失いたくない"焦燥の熱だった。

 イシルが顔を上げる。

 その瞳には、どこか諦めに似た穏やかさがあった。


「……アゼル」


「そうやって、全部ひとりで背負って消えるつもりか」


 一歩。

 また一歩。

 アゼルが距離を詰めるたび、崩れた滅びの陣の残光が足元で揺らぐ。


「――助けてくれって言えよ! 一度でいい。それが"人"の弱さだろうが!」


 アゼルの声に、陣が揺らぐ。

 

「お前は人の幸せばかり気にするが、なぜその中に、お前がいない?」


 拳が震え、声が掠れる。


「いなくなるな。せめて、この手の届く場所にいてくれ。……それだけで、いいんだ」


 イシルは、応えられなかった。


 次の瞬間、アゼルは叫んでいた。


「お前がいなくなった世界で、何を見ろって言うんだ!」


 声が震える。


「そんな世界、……灰でも残ればいい」


 言い切った後、風だけが鳴った。

 息を荒げたまま、アゼルは顔を伏せた。

 イシルは、目を伏せたまま微笑む。


「……俺のことは、いずれ忘れられるよ」

「忘れられる?」


 アゼルが噛みしめるように繰り返す。


「本気でそんなことを――」

「気持ちだけ、もらっていく」


 風の中で、イシルの声は不思議なほど穏やかだった。

 それでも、目を見てしまったら、言えなかった言葉。


「出会えて良かった。……ありがとう」


 その瞬間、アゼルの喉が凍る。

 それは、確定した別れの言葉だった。



 ゆっくりと、その手を下ろした。

 


 滅びの陣が、完成する。


 その瞬間。

 白の障壁が、一際派手な音を立てて崩れた。


 光の中に潜む闇――青玻璃の剣聖が。

 闇の中に潜む光――黎明の賢者が。


 イシルに届く。



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