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第42話 灰に傾く

 日が昇り、部屋に陽の温度が届く頃。

 ウィルに言われたとおり、イシルは素直に眠っている。浅い呼吸に混じって、時折小さく苦しげな息を吐く。


「……おは……眠ぃ」


 アゼルが、あくびを噛み殺しながら目を開けた。


「おはよ。暖かくて丁度良かったみたいだよ」


 目の前の近すぎる寝顔に。自分の手がある場所に。


「は」

「そこ、大きい声ださない」

「……出してねぇ。まだ」

「でも、危なかったでしょ」


(そりゃ、毛布の下じゃ見えねぇだろうが……)


 否定できない顔で、ウィルから目を逸らす。


 あまり穏やかとはいえないイシルの寝顔を見やり、その体に乗せたままの手をどうするか逡巡した末、アゼルはその手をイシルの額へと移動させた。


「……ん」


 イシルの睫毛が少し震え、目を覚ました。まだ微睡みの中にいる、曖昧な瞳をしていた。


「起きたか」

「……すま……ん……」


 アゼルは半眼になって、指で額を小突いた。


「いっ……」

「謝んな」


「お、イシル起きた? おはよう」


 ナギが隣の客間から顔を出す。手には人数分のマグがあり、湯気が上がっていた。


「……おはよ」


 まだ、話すのも苦しそうな返し。

 痛みを押して起き上がり、ベッドから足を降ろして立ち上がろうとする。

 その瞬間、三人の視線が一斉に集まる。


「駄目」

「待て」

「動かないで」


 三方向から、即座に却下された。


「胸部はひとまず優先で治癒をかけた。でも、他は見てない」


 アゼルの鋭い声に、イシルの動きが止まる。


「足、庇ってるよな」

「……気のせい」


 ナギにも見破られていた。

 イシルは視線を逸らす。


「膝か? 足首?」

「大丈夫……」


 今度はウィルが詰め寄ってくる。


「肩も庇ってる。頭も打ってるだろ」

「問題、ない」

「問題ない人は、そんな顔しない」


 ウィルは淡々と言い、冷えた眼光でイシルを見据えた。


「自分から見せる? それとも、脱がす?」

「なぜ……」


 ナギが慌てて声を挟む。


「えぇっと、あの!」


 イシルは一瞬、答えに詰まり、ゆっくりと上着に手をかけた。


「自分で……確認しとくから」


 右の肩口を露わにした瞬間、アゼルが息を詰める。

 打撲の跡が痛々しい。


「派手に打ってるな」

「もう、いいだろ」

「そこだけじゃねぇだろ。背中、右側も強く打ってるな」


 下手に動かせずに、確認できなかった箇所。

 イシルは不服そうな顔をして、溜息混じりに裾を上げようとするが、できていない。


「自分で見ておくから……」

「ったく、背中は自分で見られねぇだろうが」

「鏡」

「捲くるぞ」


 一度は自分で裾を上げたのだから、見せる意思があると判断したアゼルは、勝手に捲し上げた。


「やっぱりな」


 胸郭の包帯に隠れているものの、内出血している範囲が広いのが窺える。

 アゼルが目を細める。


(誰も巻いてないはずだ。動かせなかったんだから)


「イシル。これ、自分でやったのか」

「見なくていい」

「わかんねぇだろ、怪我の度合いが」

「大丈夫だから」


 立ち上がろうとしたイシルの膝が、わずかに崩れた。


「はい、終了」


 ウィルが即座に支え、ベッドに押し戻した。

 イシルの銀髪を撫でるように触れ、打っているでいろう箇所を探る。その場所に指が触れた瞬間、眉が寄るのを見て、手を離した。


「動くな。もう一人で判断しない」


 イシルは、反論しかけて――やめた。


「まぁ……とりあえずさ。飲みなよ、冷めるだろ」


 ナギが皆にマグを配った。柑橘と蜂蜜の香りが立つ。

 空気が、ゆっくりと柔らかく戻っていく。


「……治りが、遅い」


 イシルが小さく呟いた。その身に宿るものが、強制的に癒す――はず。


「遅い、じゃない。お前の中のそれ、発動していなかった」


 アゼルが即座に返す。ただ、もし発動していたとして、レイの言ったとおりなら――削れているはずだ。代償として、記憶と心が。


「命に別状がない怪我だったか、外傷ではないから、かもしれない」


 本人の意思も、痛みも、限界も無視して命を繋ぎ止めようとする――留まる祈りの力。

 即座に全てを癒す代物ではない。


「ちょっと待ってくれ」


 ナギの声だった。


「最初にイシルと出会った時。あれも似たような怪我だったぞ」

「……」

「あの時は、痣も擦り傷も、何一つなくなってた」


 一瞬の沈黙。


「治癒魔法、得意じゃねぇから確証は持てないが……反発があった。強くはないが、確かに感じた。だから、緩やかに時間をかけてみたんだが」

「反発?」


 ウィルが視線を上げる。イシルを観察する。隠し事をしているようにも、嘘をついているようにも見えない。


(自分でも、完全に理解できてないのかもしれない)


 ウィルはそれ以上、追及しなかった。


「あのさ、イシル」


 ナギが、少し言いづらそうに続ける。


「一瞬、目の色に灰色が、混ざっていた」


 自身では、気づきようがないこと。


「地下で、何があった?」


 イシルの視線が、僅かに落ちる。


「記憶を見た。古い、誰かの記憶」

「どんな?」


 ナギの瞳を、見れない。


「話すほどのことじゃない」


 沈黙が落ちる。

 途切れながら、少しずつ言葉を紡いでいる。


「あの奥に、一つの祈りがある。封印に手をかけると……強制的に、記憶を見せられるようだ」


 話した分だけ、息が乱れる。浅い呼吸を繰り返す。


「また、あそこに行かなきゃ」

「行ける状態じゃねぇだろ」


 即座に否定される。


「見るだけだ」

「却下」

「歩けるなら、いいだろ」

「皆で行くなら、いい」


 ウィルは肯定した。


(却下しても、勝手にひとりで行くつもりだろ?)


「一人はもう禁止」


 見透かされて黙るイシル。


「正しい入り口、イシルも分かったの?」

「いや、落ちた」

「じゃあ、今度は一緒に行こう。落ちない方の道を」


「ただし、今日は駄目だ」


 ウィルの声は低く、反論を許さなかった。


「ちゃんと休んで。歩けるかどうかも見てからだ」

「……分かった」


 イシルは、珍しく素直に頷いた。

 納得したのではない。ただ、時間を区切られただけだ。


 ――行くこと自体は、もう決まっている。



 ◆



 城の一角、灯りを落とした回廊の奥。窓から差す月明かりが、石床に淡く伸びている。

 アゼルは壁に背を預けていた。剣を外し、腕を組んだまま、ただ待っている。


 足音が近づく。

 イシルだった。


「起きてて正解だったな」


 アゼルが言うと、イシルは小さく肩をすくめる。


「昼間に休んだから……いいだろ」


 しばらく、沈黙が落ちた。

 城は眠っている。だが、二人の間だけ、時間が張りつめたまま止まっていた。


「で」


 アゼルが低く切り出す。


「何を見た」


 イシルは即答しなかった。

 月光を仰ぐ。その銀が、瞳に映る。


「最初の記憶」


 それだけで、アゼルは察した。


「神話の"始まり"ってやつか」


 言葉が落ちる。


「祈りの器なんて、なければよかった。こんなものがあるから……」


 アゼルは、言葉の続きを測り、選んだ。


「大厄災を、呼んだ」


 イシルの赤い瞳が揺れる。自嘲で口角が僅かに上がる。


「気づいていたのか」


 イシルは、静かに問い返す。


「滅びを呼ぶ核が、お前に絡んでるのは前から感じてた」


 断定ではない。だが、確信に近い声音だった。

 あの時。ヴェルリアで光を蘇らせた時でさえ――。


『救ったんじゃない。"不始末"を処理しただけだ』


(――お前はまるで、贖罪みたいな言い方をした)


 イシルはまた、全てを負うつもりでいるのか。


「祈りを還さない限り、終われない」


 アゼルが目を細める。

 イシルは、淡々と言葉を落とした。


「使命は……最初から、俺の中にあった」


 アゼルは、その一言を噛みしめる。

 伝承の使命でもなく、ソラリアのいう使命でもなく。

 ソラリアの守護者は、本当の目的を知っている。


『なければよかった。こんなものがあるから――』



「それを俺に話した理由は?」


 アゼルが問う。

 イシルは、少しだけ間を置いた。


「邪魔、しないんだろ」


 アゼルの口元が、わずかに歪む。


「信用されてんのか、それ」

「たぶん」


 短い返答。

 アゼルは鼻で息を吐いた。


「安心しろ。そんなもん、俺の手に負える話じゃねぇ」


 だからこそ、ここまでで止めた。 それ以上は言わない。


『滅びよ、そして再び祈れ。 再び祈れ、そして留まれ。 留まるとき、汝はわたしを離れるであろう』


(留まるとき――離れる。お前は、何を考えてる)



「ひとつだけ、聞かせろ」


 治癒魔法に対する、反発。


「お前、ひどい顔してた。気配が違った。――消える方へ、傾いていた」


 アゼルはイシルの目を真っすぐ見据える。

  嘘を言えば、見抜く目で。


「記憶に引き摺られただけだ。気にするな」


 絞り出した言葉は、それだけだった。


「気になったから聞いてんだろ。誤魔化すな」


 レイとは別の意味で、厄介だ。


「……吐きそうだった。それだけだ。本当に」

「本当に?」


 イシルは、静かに息を吐く。


「嘘は言っていない」

「本当のことも、な」


 アゼルは小さく溜息を吐いた。


「まぁ、いいさ。今度、そんな顔したら……逃さねぇから」


 イシルは、言わずにおこうとしていた言葉を落とす。


「ルーナは皆、こうなのか?」

「あー、うるせぇ」


 誰のことを指しているのか、互いに分かっていた。


 月明かりの下、二人は並んで立っていた。

 同じ方向を見ていながら、同じ場所には立っていなかった。



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