第41話 届かんことを
何かが、目覚めた。
「――今の」
何かが、確かに世界の底を擦った。
最初に顔を上げたのは、アゼルだった。
机に肘をついたまま、視線だけを宙に走らせる。
「今の、感じたか」
「……うん?」
ウィルの返事は、短い。だか、アゼルの反応から何かがあったことだけは分かった。
紫水晶の瞳が、すでに険しく細められていた。
「僕は何も。ナギは?」
「いや……」
読んでいた本を閉じ、アゼルを見る。
「魔力とは、少し違う気がしたが」
最初に、銀の理を感覚で捉えた時に似ているような気がした。ただ、あの時よりも遠く、穏やかだ。
「古い何かだ。眠ってたもんが、起こされた」
ウィルが言葉の続きを待つ。
アゼルは、一瞬だけ視線を伏せ――そして、歯を噛み締めた。
「……消えた。沈んだ」
「沈んだ、って……」
ナギの声が、僅かに揺れる。
ウィルは、即断した。
「イシルだ」
「何かを起こして、巻き込まれた。でなきゃ、あんな切れ方しない……くそ」
アゼルが舌打ちする。
「ナギ。行き先、心当たりはねぇのか?」
「塔の上で、南を見ていた、たぶん、それだ」
ウィルは即座に立った。
「行こう、すぐ」
「一口に南といっても広いぞ」
言いながら、アゼルは立ち上がる。
「とにかく行ってみようぜ。近くなれば、何か分かるかもしれないだろ!」
(今辛いのは、イシルの方だ)
立ち止まっている場合ではない。
ナギは、静かに立ち上がった。
――エムローデ外縁。
立入禁止区域入口。表向きは、崩落の危険があるため、とされている。
「この先、行ったと思うか?」
そう言ってから、アゼルはウィルを見る。
微かな白銀の残滓を、その目が捉える。
「薄っすらだけど。跡が見える」
「なら、忍び込むか」
不穏なことをアゼルが呟いた時、外縁の管理兵が三人を見つけて、即座に姿勢を正した。
翡翠の瞳と、暗金の髪。
「影の系譜の方ですね」
「え? ……はい!」
ナギは短く応じた。
「エムロード皇家より、通達は受けております。どうぞ、お気をつけて」
門が開く。森と岩肌が混じる場所。
遺跡群が眠る地。そのどこかに――。
「早く、イシルを探そう」
ウィルは、既に歩き出していた。 足取りが、いつもより速い。ナギは走りながら、周囲の遺跡に目をやる。
(この中のどれかが、繋がってるのか?)
「こっち。まだ残滓が見える」
三人は、外縁に点在する遺跡群を抜けていく。
しばらくして、ウィルが足を止める。
「銀の理で、探って歩いた跡が残ってる。けど、途切れてる。――もう、どこいったんだよ!」
「ウィル、焦んな。ここからは俺が追ってみる」
アゼルは目を瞑り、感覚を研ぎ澄ませる。
視覚で途切れて見えるなら、理の気配を追うしかない。
抑制された力の残滓は、淡く、微細。
流れ落ちる。ここには、穴などないのに。
だが、感覚はそう告げている。
「ここから、下に流れている」
足元。 一見、何もない地面。
アゼルは屈み、地に触れてみる。土や苔に隠れて、異質な鉱石に似た質が見えた。色が揺らいでいる。
「この辺で間違いないだろうが、どこかに地下への入り口があるはずだ」
「あれじゃないか? 文様が光ってるところ」
ナギが指す方向。木の根が這うように覆っている石造りの素朴な門口。
「いや、どれだよ。光ってねぇぞ」
「もしかして、ナギしか見えてないんじゃない?」
アゼルが苦笑いする。
「影の系譜が導くってやつか」
「行こう!」
ウィルが真っ先に走っていく。
「アゼル! 暗い! 明かりくれー!」
「ったく、先走りすぎなんだよ」
「待ってくれよ、足場悪いから走るなよ」
アゼルは指先で小さな光を生み出し、先頭をいく。
階段は途中で方向を変え、折れ曲がりながら地下へ降りていく。
やがて、淡い光が空間の輪郭を縁取る。
その先――開けた場所に、倒れ伏した白い影。
「いた」
暗がりの奥。微かな光を返す銀髪。
あれだけ急いていたウィルの歩みが、遅くなる。
暗く視認しにくい床には、僅かな血痕が点々と続いているのを、ソラリアのよく見える目が捉えていた。
(何で、こんな状態で……)
ウィルを追い越し、ナギが駆け寄る。
「イシル!」
呼びかけても、反応はない。
跪いて顔を寄せ、ナギは耳を澄ます。
「呼吸は、ある」
アゼルが、うつ伏せに倒れているイシルの肩に手をかけ、抱き上げるために体の向きを変えようとする。
「――っ」
押し殺したような声が、喉の奥から漏れた。
イシルの眉が一瞬だけ歪む。
「待って。おかしい、呼吸の仕方」
ウィルが屈み込む。
浅い呼吸を繰り返している。
近くで見ると、銀髪に血が混じって固まっている箇所がある。
(頭の傷は浅い。けど、時間が経ってる)
「内側、やってる。ゆっくり……」
体を捻らないよう、二人がかりで慎重に仰向けにする。
「なるべく、揺らさないでいける?」
「道が悪い。俺が運ぶ」
アセルはそう言うと、赤い宝珠の短杖を取り出すと、小さな光を宝珠に移した。それをナギに手渡す。
「しばらくは保つ。ナギ、地上まで先導を頼む」
「ああ、分かった。ゆっくり進むよ」
そう言って、迷いなくイシルを抱き上げた。
「ウィル、天井にぶつからねぇように見ててくれ」
「うん……」
「二人乗りは集中力がいる。任せた」
言い終えると同時に、風の滑走盤を呼び出す。イシルを揺らさぬように抱いて乗り、宙に浮いて進む。
目を閉じたままのイシルは、驚くほど軽かった。
「ほんと、無茶しかしねぇな」
アゼルの声は低い。 怒りと、安堵が、ない交ぜだった。
三人は、来た道を引き返す。
外縁の森を抜けながら、誰も、軽口を叩かなかった。
◆
『あなたが、――ことを、選びますように』
誰かの手が、祈るように包んだ。
――温かい。
瞼の向こうに、柔らかな光を感じる。
「……っ」
息を深く吸い込もうとして、痛みに息が詰まる。
瞼が重い。
「目、覚めた?」
窓辺の方からウィルの声がした。
目を開けると、紫水晶の眼差しが向けられていた。
夜明けの薄明かりが、若草色の髪を淡く照らす。
近くから呼吸音がする。すぐ横に寝顔があった。
イシルは瞠目し、起き上がりかけて沈む。
「――うっ、あぁ……っ」
胸を押さえ、痛みに短い悲鳴が漏れる。
「起きないで。アゼル、寝かせてあげて」
「…………」
「ぎりぎりまで魔力使って、癒やしてくれてたんだよ」
イシルの腹の上に、アゼルの手があった。
寝落ちしながらも、赤い魔力がまだ微弱に流れる。
「ナギがずっと、額の冷布を替えてくれていたのを、さっき交代したところ」
ウィルの視線の先には、扉の前で毛布に包まって寝ているナギがいた。
「ひとりで、勝手に行けないね」
イシルは何かを言いかけて、痛みに眉を寄せる。それでもなお、また何かを言おうとして咳き込み、その衝撃でまた胸が痛む。
「喋らなくていいよ。僕が一方的に話すから」
イシルは少し、困った顔をしていた。
ウィルはひとつ、小さな溜息をついた。
「イシルの馬鹿」
怒気はない。
「馬鹿イシル」
二度も。語彙力が、今はない。
「ほんと……馬鹿だよ……」
三度目。ウィル自身、それしか言葉が出てこないことに驚いていた。他の言葉を探す。
「熱は、まだあるね。寒気、する?」
「……ん」
小さく頷く。ただ、体温がすぐそこにあるから、震えてはいなかった。
「温かいだろ。まだ寝てなよ。皆休みたいんだ」
温もりの中、イシルの瞼がゆっくりと閉じた。
抗えなかった。痛みに。
それでも――次に目覚めた時は、向き合わなければならない。目を逸らすことは許されない。
『二人の守護者がいたことだけは、知っておけ』
(知ったら、何か変わるのか――レイ)




