第40話 滅びを選ぶ者
――汝、白き神よ。
力を。
守るための手を。
抱くための腕を。
奪うためではなく、救うために。
けれど応えたのは、光ではなく影。
その剣は、誰も守れず、すべてを焼いた。
ならばせめて、我を滅ぼせ。
この血潮を、祈りの対価として。
――我が名はイシル。
滅びを選ぶ者。
◆
神と人を繋ぐ器。
祈りを受け、流し、返す存在――祈りの器。
だが、それは祝福ではなかった。
力は、望まれるほど、呪いになる。
稀なる血を持つ者は、祝福ではなく厄災として扱われた。生まれながらに神と人の境に立つその血は、欲望を煽り、憎悪を呼び、彼をひとつの土地に縫い留めてはくれなかった。
彼は流れるように、国から国へ、季節の向きに沿うように歩き続けた。
どこにも「居場所」という名の地を残さぬように。
誰からも、求められすぎないように。
ある時、心を許してしまった人がいた。
「ねぇ、君!手を貸してくれないか」
無視する。
細い林道に、倒木。逃げ損ねて足を挟まれた少女。
「ちょっと! 困ってる人を助けるのは当たり前でしょ!」
――当たり前ではない。うるさい。黙れ。
「助かったよ、ありがとう! 是非うちに寄っていってくれ。あと、肩貸してくれ」
彼女の無垢さが煩わしかった。
村に招かれてしまった。
彼女は村の"声"と呼ばれる少女だった。
神託を下ろし、人々の拠り所となる存在だった。
「まだ足が治ってない。まだ肩を貸してほしい」
「礼がしたい。勝手に出ていくな」
「ここにいて。一緒に暮らさないか」
重なる言葉。
少しだけなら。そう思ってしまった。
それが、間違いだった。
「共に、生きよう」
手を差し伸べ、微笑む翡翠色。
――これは、何。
「君と、縁を結びたい」
掌に乗せられた、銀細工。
稀血を狙う民族がいることを、彼女は知らない。
留まることは危険だった。
――受け取れない。
彼女の手に、それを返した。
「そうか……」
それでも。大切な人であることに変わりなかった。
――稀血を追い求める者達。
寒さに震え、老いを恐れ、死を憎む者たちがいた。
「不老不死を」
彼らは、そう祈った。
稀血を求め、探し出した。
「どこに隠した――渡さなければ、村を焼き払う」
永遠を求める民族が村を襲った夜。
「行きなさい」
駄目だ。逃げたら、ここの人たちは――。
俺を差し出せば、全員助かる。
「お願い、彼を逃がして」
託された者に、掴まれた。
振り払えない手。
遠くから聞こえる怒号にも似た呼び声。
「聞け、祈りの器よ――神に届け給え!」
彼らは、捧げた。
巫子を――神への贄として。
彼女の死を"近く"ではなく、"遠く"で。
「やめろ――!!」
助けることも、触れることも、抱き留めることもできない距離で。
巫女が倒れた瞬間、空気がねじれた。
彼の願いはただひとつ――守りたかった。
守れるだけの力が、欲しかった。
瞳が、漆黒に染まった。
黒い風か。黒い炎か。
漆黒が吹き荒ぶ。
祈りは、確かに聞き届けられた。
永遠を求めた者たちの願いは叶えられた。
老いぬ。
朽ちぬ。
願った魂は、すべて歪み、堕ちる。
骨が歪む。
叫びが祈りに吸われていく。
永久に世界を喰らう存在、"魔霊"へ変貌した。
大厄災。
その時勢、最も大地を支配した国が、滅んだ。
もはや、人ではなくなったからだ。
自分を呪った。
守れなかった。 救えなかった。
ならばせめて。
――二度と滅びを呼ばないために。
黒よ、燃え尽きよ。
理の名において、我が魂を焼け。
白き神は、応えた。
だが、白き神は"滅び"を許さなかった。
魂の消滅を、拒んだ。
その身を裂き、祈りを分けた。
一つは、滅びを知る祈り。
一つは、再び願う祈り。
そして一つは――留まる祈り。
灰は沈黙した。
沈黙は、律を崩した。
それでも神は、なお黙していた。
なぜなら――
灰こそが、祈りの終わりに残るものだったから。
留まる祈りは、その魂を抱き留めた。
逃げることも。 終わることも。
許さずに。
光が、地に落ちる。
二つの祈りが、世界へと散った。
代価として。
魂の内に――灰の月が、生まれた。
◆
視界が戻る。
イシルの瞳は、白銀から赤い瞳へと揺れる。
胸の奥が痛い。立っていられない。
強烈な吐き気。
(こんなもの、在ってはいけない)
――人が、魔霊に堕ちる。
赤黒く、捻れ、歪み、変貌していく、その様。
――生贄。
巫子、だった。
――守るための力を願った。
得たのは、"滅び"だった。
「……まだ、続きがある」
赤に戻りきった瞳を、再び銀に。
視界が白んでいく。
音が、遠い。
白銀の光は、粒子となって瞬き、消えた。
イシルはそのまま、崩れるように意識を失った。




