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第4話 呼ばれざる者

 それは、千年の眠りを覚ますような透明な震えだった。遥か遠い地で、嘗て愛した理が、音もなく爆ぜた。

 魂の奥底、名を持たぬ誓いが、理より先に目を覚ました。



 黎明の境界色を宿す髪が、風に滑らせるように揺れる。金の虹彩が開くと、世界の光がそこへ吸い込まれる。


「……ふふ」


 唇の端が静かに上がった。

 長く求め続けた理の光。魂の奥底、決して消えぬ刻印が、狂おしいほどの熱を持って脈打っている。


「やっと、見つけた」


 声音は優しく、甘く、しかし刃より冷たく、炎より熱かった。



 ◆



 その時、青玻璃の瞳がわずかに揺れた。


「イシル?」


 灰から淡い金に溶ける髪が、光を吸うように風に流れる。

 白銀の奔流――間違いなく、あの青年だ。


「何をしている……お前は」


 今は追えない。だが、直ぐ終わる。

 目の前の数百の魔獣を見据え、黒剣を抜く。

 王国勅命討伐任務。本来は、軍を動かす規模の厄災。それをひとりで。


 日を蝕む一振り。


 一瞬で訪れる死滅。

 その蹂躙の跡を見向きもせず、遠くの空を凝視する。



 ◆



 ――視界が、白銀に灼けた。


 先刻まで世界がわずかに震えていた空気は、未知の力が魂を撫でるかのような、微細なざわめきを残していた。

 白銀の光が滲む世界を、読めない何かが覆っている。


「なんだ、今のは」


 胸の奥を逆撫でするような感覚。

 力の残滓が肌の内側を震わせる。


 白銀を孕んだ風が、やや癖のある黒髪を撫でていく。

 赤い瞳を刃のように細める。

 その赤の奥に、沈殿した闇が微かに揺れる。


「――近い。確認しないとな」


 焦燥でも羨望でもなく、純粋な探求心だけが、静かに彼を突き動かしていた。


 暗い赤の瞳が、鮮烈な紅蓮を宿す。

 魔力で風を編む。空気を圧縮し、足元に形を与えた半透明の板――風の滑走盤を呼び出す。

 ただ"滑走のため"の魔法具。縁に立ち、風向きを読む。


 白銀の残光へと一気に距離を詰めていくが、風が、不自然に途切れていた。


 山道だけが、空虚に"世界の音"を失っている。 まるで一瞬、法則そのものがねじ曲げられたような静寂。


 霧状の魔霊は、一定の線を引くように跡形もなく消えていた。 斬撃でも、焼却でもない。痕が残らないはずの術理で――それでも"白銀"だけが残光として漂い続けている。


 黒髪の青年はその中心にしゃがみ込み、崩れた岩の隙間に転がる小さな金属片へ指を伸ばした。


 ――銀の指輪。


 汚れているのに、どこか触れれば壊れるような、異質な気配をまとっている。指先に乗せた瞬間、冷えた痺れが走る。


(魔力の冷たさじゃない。"理"に近い、古い時代の)


 小さな指輪を一度回転させ、刻印を確認するが読めない。

 意匠は古い。磨耗は少ない。持ち主の記憶だけが抜け落ちたような、奇妙な無垢さ。


 ——いや、記憶を"預けられた"まま、待っていたのか。


 しばらく観察し、ふっと口の端を上げた。


(誰の落とし物か……)


 その笑みは、面白い書物の"続き"を見つけた者の表情。


 思考を深掘りする必要はなかった。

 白銀の痕跡が伸びていく方角を見ればわかる。

 この力を放った者は、遠くへは行っていない。


 そしてこの場に転がる事実──。


(魔霊は、ほぼ全滅。これは"戦闘"になっていない。浄化の圧だ)


 広い範囲で、痕を残さず魔霊だけが消えている。

 魔法でも精霊術でもない。

 古い理の力をもつ何者かが通った証。


(探す価値はあるな)


 周囲に散った白銀の残滓へ指を伸ばす。

 触れた瞬間、微かな痺れが走る。


(扱える"何か"が、まだ近くにいる)


 風が戻るとともに、銀の気配は空に溶けて消えた。

 黒髪の青年は、指輪を軽く回した。


「落とし物は、本人に返してやらないとな」

 

 流れ込み続ける白銀の光の方向――ヘイロ・リスへ。

 その足取りに、躊躇はなかった。



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