表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/51

第27話 願いを届け終えたら

 首都ルアナダは、昨夜までの静けさが嘘のように騒がしかった。

 石畳には色とりどりの花弁が撒かれ、花飾りが軒先から垂れ、香辛料と焼き菓子の甘い匂いが風に乗って流れてくる。


 昼の還光祭は、まだ「仕込み」の時間だった。

 通りには人は多いが、屋台の半分ほどは布を下ろしたまま。

 串焼きの火は起こされているものの、香りは控えめで、客を呼び込む声も少ない。


「夜が本番、って顔だな」


 アゼルが周囲を見回しながら言うと、ナギが頷いた。


「昼は家族連れが多いしな。食い物も、腹に溜まるやつが中心だ」

「肉は?」

「夜が主戦場かもな」


 実際、並んでいるのは焼きパン、煮込み、豆や芋の料理ばかり。

 祭りとはいえ、まだ"生活の延長"に近い。

 その中で、ぽつりぽつりと目立つ店があった。

 樽を積み、簡素な卓を並べただけの酒屋だ。

 昼だというのに、杯を手に笑っている大人がいる。


「昼から飲んでる奴もいるな」


 ウィルの言葉に、ナギが肩をすくめた。


「酒は別枠なんだよ。祭りの日は特に」


 葡萄酒、麦酒、蜂蜜酒。

 銘柄を書いた札がぶら下がり、香りだけが先に流れてくる。

 酒は神の恵み。大地の豊穣、この国が続いていくことへの感謝。昼間の明るさがもたらす解放感が、特別な気分にするのだろう。


 夜を待っている。

 そういう街の呼吸が、はっきり分かる。


 通りの奥では、楽師たちが音を合わせている。

 踊り子たちは衣装を整え、まだ表には出てこない。

 すべてが、夜のために温存されていた。


 昼は、準備の時間。

 人々が、日常から祝祭へと移行する途中。

 人々は皆、笑っていた。

 子どもが走る。親が呼び止める。

 年老いた夫婦が、肩を寄せて歩く。

 

 イシルは、その光景を遠目に見ていた。

 ――守られるべきものだ。

 そう思うのは、自然だった。

 祝われる命。続いていく日常。失われてはならないもの。

 その輪郭が、あまりにも明瞭で。


(俺には、縁がない)


 ナギは屋台を見つけるたびに立ち止まり、串焼きや焼き菓子を指さしては、ウィルとアゼルに何か言っている。

 ウィルは人の流れを読み、さりげなく進路を整える。

 アゼルは周囲を見渡しながら、イシルの半歩前を歩いていた。


 守られている、とは思わない。

 守らせている、とも違う。

 ただ、一緒にいる。


 それだけのことが、妙に落ち着かなかった。

 昼の光は強く、長く浴びるには向いていない。

 イシルは無意識に、フードの影を深くした。


「一回、戻るか」


 アゼルの一言に、誰も異を唱えなかった。


「そうだな、夜に備えるか!」


 ナギは期待の目を街に向け、ウィルは頷いた。

 イシルは無言で歩いた。




 迎賓館に戻ると、喧騒が嘘のように遠のいた。

 厚い扉が閉まる音が、外と内をはっきり分ける。


「夜市が本番だからな、イシル!」

「夜に備えて、休んでおけよ」

「仮眠してもいいんだよ、起こすから」


 三人は口々に言うと、各々の部屋に戻っていった。

 静かになった部屋で、ベッドに座る。


 穏やかな陽だまりの中の、幸せな光景。

 温かな情、無邪気な笑顔。失われてはならないもの。



『残された側が、納得できるかは別だ』


『他に方法はなかったのかって。ひとりに全部背負わせなくても、違うやり方があったんじゃないかって』



 言葉は、どれも零れ落ちる。

 その理屈を受け取る資格がないから。


 眠ろうとしても、沈んでいくだけだった。

 灰色の心を抱えて、目を瞑った。



 ◆



 日が落ちるにつれ、街は別の顔を見せ始めた。

 昼間は準備に追われていた屋台が一斉に火を入れ、香りが通りを満たしていく。


 「行くのか」


 イシルは、人混みを見ただけで一段フードを深く被った。


「行くに決まってるだろ」


 ナギは即答だった。


「やめとく。三人で行ってくればいい」


 人波に入る直前、イシルがそう言った。

 ――三人同時に、足が止まる。


「は?」

「意味、分かって言ってる?」


 ウィルは呆れたように首を傾げ、ナギとアゼルは無言で戻ってきた。


「イシル抜きで行くわけねぇだろ」

「選択肢に入ると思ったか?」


 即、却下。

 イシルは小さく息を吐いた。


「……そうか」


 納得したのか、諦めたのか、自分でも分からない顔で歩き出す。


 油の弾ける音。香草と肉の焦げる匂い。甘い焼き菓子の砂糖の匂い。


「すごいな」


 イシルが思わず零すと、ナギが胸を張る。


「だろ! 何からいく? 肉?」

「肉だな」


 即答、アゼル。


「肉でしょ」


 ウィルも迷わない。


「できるだけ肉?」

「目に留まった肉から」

「焼いてるやつ優先で」


 三人の意見が、完全に一致した。


「そんなに食べられるのか?」


 イシルが素直に疑問を口にすると、ナギが即座に返す。


「祭は別腹だろ」

「理論としては破綻してるけど、実績はある」


 ウィルが真顔で補足する。

 最初の屋台は、香草をまぶした串焼きだった。ナギが吟味し、アゼルが金を払い、無言で串を四本受け取る。


「まずはこれだな」


 差し出された一本を、イシルは一瞬だけ戸惑ってから受け取った。


「……ありがとう」

「礼なんて、今更いらねぇ」


 アゼルはそう言いながら、自分の串にかぶりつく。

 噛んだ瞬間、肉汁が弾けた。


「美味い!」

「な? 俺の目に狂いはなかっただろ?」


 ナギが嬉しそうに笑う。ウィルも頷いた。


「昼の屋台より、明らかに本気だね」


 イシルは、少し遅れて口に運ぶ。

 温度。塩気。脂の甘さ。


「……美味しい」


 その一言に、三人が一斉にイシルを見る。


「ほら見ろ」

「顔が緩んだ」

「ゆっくりでいいから、ちゃんと食え」


 言葉の端々が、当たり前みたいで。

 イシルは何も返さず、もう一口食べた。

 通りを進むにつれ、人が増える。



 香ばしい匂いに引き寄せられ、肉の屋台をいくつも巡ったあと。

 アゼルもウィルも、食べながら視線は次の標的を探している。その視線の先に、酒樽が並ぶ屋台があった。ナギの視線も当然、そこに向いていた。


「次どうする? 酒いく?」

「酒は……」


 イシルが言いかけたところで、ナギが続ける。


「麦酒と果実酒、どっちにする?」

「ヴェルリアは葡萄酒が名産だろ」


 アゼルが即答した。


「じゃあ、葡萄酒!」


 ウィルも迷いなく乗る。


「決まりだな」


 ナギは頷きつつ、さりげなく屋台の奥を覗く。


「じゃあ三杯……いや、四杯――」

「いや、三杯でいい」


 被せるように、アゼル。


「……?」


 イシルが不思議そうに見る。


「お前は飲まない」


 即断。


「なんでだ」

「なんでもだ」

「理由になってないだろ」


 ウィルが、にこやかに割って入る。


「ほら、夜市は人多いしさ。飲んで気分悪くなったら大変でしょ?」

「そういう体調じゃない」


「でも飲んだら、たぶん目立つ」


 ナギが真顔で言うと、イシルは黙った。

 すっと視線を逸らしながらナギは小声で続ける。


「前に一口だけ飲んだとき、覚えてる?」

「……?」

「顔赤くなるし、目が潤むし、距離感おかしくなる」

「……?」

「色気が出る」

「……???」


 アゼルが深く頷いた。


(まぁ、飲まなくても、たまに距離感おかしいけどな)


「見せるな」

「見せたくないね」

「見せる理由がない」


 三人の意見が、完全に一致した。


「勝手に決めるな」

「イシル、お前な……。酒に弱いって自覚しろ」


 不服そうなイシルの眉間を、アゼルは小突いた。


 結局、酒杯は渡されなかった。

 代わりに、ナギが差し出したのは、葡萄の果汁だった。深い紫色が濃度を語っていた。


「はい。こっちはイシル用」

「……」


 イシルは受け取り、少しだけ不満気に口をつける。


「……甘い」

「祭り向きだ」


 その様子を見て、三人はそれぞれ、ほっとした顔をした。


(本当に、意味が分からない)


 イシルはそう思いながらも、それ以上は言わなかった。


 ――そして、中央広場の方から。

 音楽が鳴り、即興の踊りに笑い声が重なる。

 音楽隊が演奏を始め、人波が自然と輪になる。


 通りが最も混み合う場所だった。

 広場へと向かう人の波に遮られ、ふとした間に三人の姿を見失い、イシルは孤立していた。


「綺麗な人だな」


 軽い声がした。


「こんな夜にひとり?」

「……ひとり……ではない」


 事実だけを言った。


「でも連れ、見当たらないけど?」


 男は笑い、距離を詰める。


「踊らない? 還光祭の夜だし」

「――すまない」


 割って入ったのは、落ち着いた声。


「その人は、俺の客人なんだ」


 男が振り向き、目を見開く。

 紫苑の髪に紺青の瞳に、精悍な顔つき。飾り気のない白い上着が、それを引き立てていた。


「え、ジル様!?  これは失礼しました!」


 慌てて下がる背中。周囲の視線も、すっと引いていく。


「大丈夫か」


 ジルはそれ以上、何も言わない。責めも、庇いも、強調もしない。


「……大丈夫」


 イシルは、小さく頷いた。

 はぐれたイシルを探しに、人の波に逆らって歩く三人は、そのやり取りを目撃していた。

 祭りの喧騒で声は届かないが、顔は雄弁だった。

 翡翠は苦笑し、紫水晶は無に、噛みつく赤は、半眼で。 


 誰も、否定できない。誰も、踏み込めない。

 夜の灯りに照らされた二人の横顔が、美しかった。


 太鼓と弦の音が絡み合い、足元から振動が伝わってくる。

 輪になった人々が、即興のように踊っている。

 上手いも下手も関係ない。

 還光祭の夜は、身体を動かした者勝ちだ。


「よければ、一曲どうだ」


 差し出された手は、躊躇いがない。誘いではあるが、拒まれる前提がない声音だった。


「……俺は」

「形式は気にしなくていい。歩調を合わせるだけだ」


 それだけ言って、ジルは待つ。

 少しの逡巡の後、イシルはその手を取った。

 音に合わせ、輪の中へ。ジルの動きは控えめで、導くというより、守る距離感だった。人に触れ慣れていないことを、察しているような。

 周囲の視線が、柔らかくなる。祝祭の中の、整った一対。


(……客人、か)


 足運びは覚えきれないまま、一曲が終わる。手が離れると同時に、空気も少し離れた。


「さっきは……ありがとう。助かった」


 イシルがそう言うと、ジルは軽く首を振る。


「祭りを楽しむのも、役目のひとつだ」


 それ以上は、踏み込まなかった。



 その時。


「次、俺な」


 唐突に、アゼルが前に出た。

 その赤い瞳は、いつもより険がなく、不思議と緩んでいた。


「え?」

「踊るんだろ。順番だ」

「順番……?」

「見てたら、体動かしたくなってきた」


 有無を言わせない調子で、手首を取られる。

 ふと笑った顔は、どこか妖艶で――。


「ちょっと、待――」

「力抜け。引っ張らねぇから」


 アゼルの踊りは、型なんてものがなかった。勢い任せで、周囲とぶつかりそうになりながらも、なぜか人の流れに馴染んでいる。癖のある黒髪がご機嫌に揺れる。


「ほら、こう」

「……適当すぎるだろ」

「祭りだぞ?」


 思わず、イシルの口元が緩む。

 アゼルは珍しく破顔していた。


 次に入ってきたのは、ウィルだった。

 いつの間にかアゼルの背後に立っていた。

 若草色の美しい長髪が、夜の灯りに艶めいて――。


「はい交代。荒っぽいのはそこまで」

「なんだよ」

「手、離しなよ。怖がってる」

「……怖がってない」


 ウィルの動きは滑らかで、重力を感じさせないほど軽やかだった。それでいて、一歩一歩が丁寧で、距離も近すぎない。


「ほら、呼吸合わせて」

「……」

「考えすぎ」


 囁く声が、音楽に紛れる。

 紫水晶の瞳は愉しげで、温かい光を灯していた。


 最後に、ナギ。

 存在感のある体躯。されど威圧感のない穏健さを纏って歩み寄る。暗金の髪が、光を受けて煌めく。


「俺もいい?」


 確認するように、翡翠の瞳を合わせてくる。それは光を吸い、いつもより鮮やかで、どこか懐かしく――。


「……ああ」


 ナギは笑って、軽く手を取った。

 温かく、包み込むような優しい手つき。


「上手くなくていいんだぞ」

「それ、さっきから皆言うな」

「同じこと思ってるってことだ」


 その言葉に、返す言葉が見つからなかった。

 ゆっくりと、最低限の動き。されど伸びやかで疲れさせない踊り方。光と音の中で、自然と二人の表情が緩んだ。


 音楽が終わる。

 人々が拍手し、次の曲の準備が始まる。


 その瞬間。

 ――夜空が、弾けた。

 光。遅れて、音。

 花火だった。

 色とりどりの光が、還光祭の夜を染める。

 歓声が上がり、誰かが指を差す。

 イシルは、ただ空を見上げた。


 隣に、誰がいるのか分からないまま。


 家族連れの笑顔。肩を寄せ合う人々。守られている命。


(――同じはずがないのに……ここにいる、なんて)


 それでも、今は。

 この光の下に、立っている。

 花火が消え、夜空に煙が残る。拍手と歓声の中で、イシルは静かに息を吐いた。


 ――願いを届け終えたら。

 そう言い聞かせる声だけが、胸の奥で、少しだけ震えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ