表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/48

第24話 正しさの振り

 光の遺構(スティーリア)が嘗ての輝きを取り戻した夜。

 ナギやウィルも眠りについた頃。部屋で見守っていたアゼルの前で、微かにイシルの指先が動いた。

 目を覚ましたイシルが最初に見たのは、月光に照らされ、ひどく恐ろしい顔で自分を見下ろすアゼルだった。

 イシルが身を起こそうとすると、アゼルがその肩を乱暴に押し留める。


「動くな、寝てろ」


 アゼルは、イシルの手首に巻かれた包帯を指でなぞる。「ばれた」みたいな居心地の悪そうな顔をして、視線を逸らすイシル。


「自分がどうなっても、救えればそれでいいと思ってんのか」


 声は低く、静かな怒りを孕んでいた。

 それを正面から正直に返せば、刃になって返ってくることを、イシルは分かっていた。かといって、中途半端な言葉では見抜かれることも。


「…………」


 沈黙を以て答える。


「怒んねぇから。正直に言ってみろよ」


 既に怒っている顔でそれを口走るのを、信じられないものを見るような目で返すと、アゼルの表情がほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ和らいだ。

 それを見て小さく息を落とし、口を開いた。


「……救ったんじゃない。"不始末"を処理しただけだ」


 アゼルが何かを言いかけたが、イシルが言葉を続ける方が、少しだけ早かった。


「守る為に礎になったような、アゼルの……亡くした家族とは違う」


 禁句。アゼルの手が、胸倉を掴んだ。


「だから? お前、自分が悪くないことまで自分の所為にするからな。……虫酸が走る」


 凍った赤を、焔の赤は正面から受け止めた。


「理由が何だろうが、お前自身を道具扱いすんのはやめろ」


 そう言うと、乱暴に手を離した。


「わかったら寝ろ!」


 立ち上がると、袖を掴む手があった。


「待って……分からない……」


 言葉を選ぶ沈黙。それでも瞳だけは真っ直ぐで。


「――何が、いけなかった?」


 その声に、アゼルの動きが止まる。

 思考は疎か、息すら忘れ――ようやく吐き出す。


「……だからだ」


 低く息を吸い込んだ次の瞬間、

 アゼルは一歩踏み込み――ごつり、と額をぶつけた。


「それが、今は一番ムカつく」


 それだけ言って、部屋を出た。



 ◆



 廊下の突き当たり。

 灯りの落とされた回廊で、アゼルは壁に背を預け、拳を強く握りしめていた。


(分かってる。怒鳴ったところで、何も変わらない)


 それでも、胸の奥で赤いものが燻って、どうにもならない。


「……あ」


 間の抜けた声がして、アゼルは顔を上げた。暗金の髪。少し息を切らしたナギが、柱の陰から顔を出している。


「やっぱり、ここにいた」

「何の用だ」


 刺々しい声になった。自覚はある。ナギは一瞬だけ肩を竦めて、それでも近づいてきた。


「声、でかかったからさ。……聞こえた」


 アゼルの眉が動く。


「……イシルの?」

「うん」


 それだけで、胸の奥が軋んだ。

 ナギは壁に寄りかかるアゼルの隣に立ち、同じように背を預ける。視線は前。決して、アゼルを見ない。


「さっきのやつ。聖域核の間」


 その声は控えめで、落とすように言った。


「音、止まったよ。イシルが稀血の癒しを使ったあと」

「……そうか」

「あいつさ、何の躊躇いもなく切ったんだよ、自分の腕を」


 ナギの声が、少しだけ掠れた。

 アゼルの指が、ぴくりと動いた。


「当然みたいな顔するなって、言ったけどさ。全然響いてないのな」


 ナギは苦笑した。


「手段を選べる状況じゃないって、分かっちゃってるのが……一番嫌だった」


 その言葉に、アゼルの喉が鳴る。


「止めなかったのか」

「止める間もなかったよ」


 即答だった。


「選択肢として、それ以外考えてないって顔してた」


 ナギが拳を固く握ったのを、アゼルは横目で見ていた。


「だから、怖かった」


 静かな告白だった。


「誰かを救うために自分を使うことを、何とも思ってない目をしてた」


 人のために守り立つ時だけは真っ直ぐで、それでいて――。


『わからない』

『――何が、いけなかった……?』


 イシルの言葉を思い出し、アゼルは目を細めた。


「お前は、どう思った」


 ナギは少し考えてから、首を振った。


「分かんねぇよ。正しいとか間違ってるとか。たださ……それで救われてしまったのは事実だろ」


 ナギは、有りの儘を言葉にした。


「――だから、次もやる。また削る」


 アゼルの胸に、鈍い衝撃が走る。

 ナギは視線を落とした。

 長い沈黙の後、アゼルは、壁に預けていた背を離し、深く息を吐いた。


「あいつは、悪くない。分かってる」


 ナギは即座に返した。


「だから、余計に嫌なんだよ。悪くないまま、壊れていくのがさ」


 アゼルは瞠目してナギを見た。

 それ以上、言葉はなかった。

 焔の赤を鎮めるように瞳を閉じ、額を壁に打ち付ける。


「……クソ」

「うん」


 ナギは、否定しなかった。

 

「でもさ。アゼルが怒ったの、俺はよかったと思う」


 少しだけ、声の調子を変えて言う。


「……何?」


「誰かが、ちゃんと嫌がらないとさ。イシル、ほんとに分かんねぇままになる」


 ナギは肩をすくめた。その言葉は、慰めでも責任転嫁でもなく、ただの事実だった。

 アゼルは、ゆっくりと顔を上げる。


「……ああ」


 低く、噛みしめるように。


「俺、引かねぇ」


 ナギは、少しだけ安心したように笑った。


「言うと思った。ま、ウィルもそのうち来ると思うぜ。絶対」

「あいつは面倒な話をする」

「するね」


 二人して、短く息を吐いた。怒りは完全には消えていない。でも、形が変わった。

 これは、手放すための怒りじゃない。

 離れないための怒りだ。

 アゼルは、廊下の先――イシルのいる部屋の方を、静かに見据えた。


「じゃ、俺は先に寝るわ」


 ナギは小さく手を振って、戻っていった。



 夜更けの迎賓館は静まり返っていて、水路を巡る水音だけが遠くで反響していた。


(――怒りに任せた、正しさの振りをした恐怖だ)


 濁りなく深い赤瞳は、省察していた。


(溺れかけていたのは……俺か)


「ああ、ここにいたのか」


 軽い声がして、アゼルは顔を上げた。

 柱の陰から現れたウィルは、既に状況を把握している顔だった。

 ナギほど気配を消すつもりもないくせに、いつも要点だけ掴んでいる。


「ナギに会った?」

「さっきな」


 短く答えると、ウィルはふう、と息を吐いて壁に寄りかかった。アゼルの真正面ではなく、少し斜めの位置。視線も合わさない。


「じゃあ、今日のこと、大体聞いたんだ?」


 アゼルは何も言わなかった。否定もしなければ、肯定もしない。


「怒ったんだろ」

「……ああ」


 それだけで、ウィルは納得したように小さく頷いた。


「まぁ、そうなるよね」


 あまりにも軽い言い方に、アゼルの眉がわずかに動く。


「軽く言うな」

「軽い気持ちで怒ったんじゃない。でしょ?」


 ウィルは肩をすくめた。


「アゼルって、案外溜め込むよね。いつも論理的だけどさ。たまに、自分の気持ちを置き去りにするから」


 自覚が薄いところを、淡々と突いてくる。


「お前は、怒らなかったのか」


 低く問うと、ウィルは一瞬だけ言葉に詰まった。

 そして、視線を天井に向ける。


「怒る、とはちょっと違うかな」


 いつもよりウィルの言葉は歯切れが悪かった。


「はっきり言え」


 気持ちを整理するように、言葉を選んでいた。


「納得、してしまった」


 その言葉が、鈍く胸に落ちた。


「納得?」

「うん。イシルの選択を見て、"そうするよね"って思った」


 アゼルが壁から身体を離す。

 ウィルはそれを気にせず続けた。


「だって彼、あの価値観の中で……守護者の戒めの中で生きてきたんだよ?」


 ――愛してはいけない。愛されてはいけない。


(忘れるわけがない。こんな……人を人とも思わない思想の檻を)


 アゼルの眉間に力が入る。

 その静かな怒りを、ウィルは見ずとも感じ取っていた。


「ひとりの命で世界を救えるとして。その命が誰にも愛されていなければ、誰も悲しまない」


 ――愛されない命なら、失われても誰も悲しまない。

 "犠牲にする前提で人を育てる"思想。


「それを"正しい"って教えられて、"それ以外がない場所"で育ったらさ」


 ウィルは、そこでようやくアゼルを見た。


「自分を削ることを"犠牲"だなんて思わない」


 アゼルの奥歯が、軋んだ。


 "悲しまれない命"として。

 世界を救うため。誰かを守るため。正義の言葉。

 そうして感情が削ぎ落とされた。


「だから、あいつは"分からない"」


「そう」


 ウィルは頷く。その瞳は、暗い鋭さがあった。

 沈黙を埋めるように、水音だけが響く。

 アゼルは深く息を吸い込んで、吐いた。


「……クソだな」

「クソだよ」


 長い沈黙。

 アゼルは一つ、大きな溜息をついた。

 

「俺、怒ってたんじゃねぇな」


 声が、掠れる。


「怖かったんだ。……あいつが、いなくなるって」


 ナギもウィルも、何も言わなかった。


「"正しい"って顔で、自分を消していくのが……」


 平然と自身を削る、あの顔。

 壊れ物を無理に立たせているような、あの瞳。


「だったらさ。やることは一つだよ」

「……何だ」


 ウィルが、静かに言った。


「嫌われても、離れない」

 

 言いながら、ウィルは自分の手を見ていた。

 傷つけて、でも救われてしまった手を。


「分からないって言われても、説明し続ける。それが鬱陶しいって顔されても」


 アゼルは、苦く笑った。


「それ、一番しんどいやつじゃねぇか」

「でしょ」


 ウィルは肩をすくめた。


「もう――逃げる気、ないでしょ」


 アゼルは、ゆっくりと目を閉じた。

 怒らずに、話せる自信はない。


「優しくできる気がしねぇ」

「しなくていいんじゃない?」


 ウィルの声は、いつもの調子だった。


(嫌われても、離れない……か)

 


『君が壊れるよりは、僕が嫌われる方がいい』


 あの男の言葉を――理解してしまった。


 あれは優しさじゃない。救済でもない。

 拒絶される覚悟だ。


(分からないなら、分かるまで一緒にいりゃいい)



 それが、今のアゼルにできる唯一の答えだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ